第三十四話

 虚構生物を焼いた炎はぱちぱちと音を立てて、立ち上った黒煙が徐々に勢いをなくし。全ての生物を燃やし切る頃には、弱々しい白煙が一筋空にあがるだけで。その火がどうにも火葬の煙に見えて、五樹はベレー帽を抱き抱えながら、それをぼうっと見つめていた。

 五樹が外に出るとそこは商店街ではなく、大通りだった。腹の中に居る間に、彼らは一仕事終えたらしい。幻で誘導し、通話越しの伊依の歌で虚構生物は動きを止め、五樹を助け出して。そして全て燃やした。

 腹を開けば五樹一人だった時点で、彼らは全て察したらしい。けれど五樹は事態を──彼女は楽しく歌って逝ったことを、拙い言葉で改めて伝えた。

 鉛の山を取り出すかと加賀美に聞かれたけれど断った。あの粉は伊依以外の人も居る。一緒に弔ってあげなければ。

 不思議と涙は止まった。泣きつかれたのもあるが、悲しんでばかりでは伊依に怒られる。

 だから決めた。泣くのは一人の時だけにすると。

「弥。君はあの時、本当はどうしたかったんだい?」

 燃え上がった虚構生物の煤を、近場の店の軒先にあった箒を拝借して掃除しながら、アトリエテラスの三人が会話している。五樹は少し離れたところで、僅かに聞こえるそれに耳を傾けた。

「ずっと外に出たいと思ってました。けれどそれは、皆さんと一緒でないと意味が無かった。私は、皆と一緒に戦いたかった。私のために何かをしてもらうだけは、嫌だった」

「そうか──あの時、君の言葉を聞かなくてごめん。君に全てを背負わせたのは僕だ、許してくれとは言わない。ただ、同じ間違いを起こさない努力をすると誓うよ。今度からは、皆で話し合おう。何をするべきなのか」

「わかりました。では、早速提案があるのですが──」

 彼らはもう大丈夫だろう。三人が近寄って内緒話を始めたのを見て、聞くのも野暮だと思い商店街を振り返る。その入り口の柱にもたれながら、カミガタと香椎が横並びに地べたに座っているのを見て、五樹は静かにそれへ歩み寄る。

 カミガタは香椎に自分の行いを話し、謝罪に頭をさげていた。けれど香椎はあっけらかんとした様子で笑い、カミガタの頭をぽんと叩く。

「廃墟で斑鳩おねーさんに、『貴方のためにと口だけ出す人間は、大概自分のことしか考えてない』みたいなこと言われたけどさ。でもその言葉、続きがあってね。『けれど貴方のために行動してくれる人がいたら、その行動がどれだけ大きな失敗に終わっても、貴方だけは許してあげて』って」

 それを聞いて、カミガタと五樹は僅かに目を見開く──斑鳩の遺体は商店街のシャッターの側に寝かされて、香椎のハンカチを顔にかけている。燃やすような無作法はしていない。

 香椎はそれをちらりと振り返って苦笑いをした。

「あの人、最低で最悪な人だったし、自分が信頼されるために言ってたんだろうけど──言ってることは正しいかったと思う。だから、許すよ。あたしのために頑張ってくれて、ありがとう」

「本当か」

 香椎に頭を掴まれて、されるがまま顔をあげたカミガタが、居心地悪そうに問う。

「うん。本気であたしのために動いてくれたんだから、クラスの奴らと比べりゃ聖徳太子レベルよ」

「聖人君子か?」

「それだ」

「まぁ、わかった。ありがとう。だが、俺は自分の罪は正しく償う。もう一度、牢屋に戻るさ」

「そっか──ねぇイツ吉」

 けらけら笑った香椎がふと五樹を見上げる。五樹は僅かに首を傾げて彼女に笑い返した。

「あたし、もうちょっとだけ生きてみるよ」

「そっか、良いね」

 彼女も何か思うところがあったのだろう。それが何かは、本人が口にしないとわからない。カミガタや斑鳩の一件かもしれないし。

 伊依の歌かもしれないし。

「また死にたくなるかもしれないけど、とりあえず今日は生きるよ。その『今日は生きる』って考えを、明日も繰り返せるように、頑張る」

 お茶らけてピースサインを作る彼女に、五樹も思わず笑いを溢す。彼女を取り舞く環境は、きっと何も変わらない。けれど彼女の考えが少しでも前向きになったなら、それは良い兆しなのだろう。

 ぱたぱたと足音がして振り向けば、掃除用具を片したらしいアトリエテラスの三人が、こちらへ歩いてくる。

「カミガタさん。貴方は、私の空間について知っていたはず。それを、斑鳩かがりには伝えていなかったのですか? 何故?」

 彼女は緊張した様子で服の裾を握る。確かにカミガタは羽深が空間の管理者であることを知っていた。だが斑鳩は空間の存在に確信をもたず、その証拠を探すように亀裂を漁っていた。

 カミガタは訝しそうに眉をひそめると、こてんと首を傾げた。

「話すな、と、お前が言ったんだろう」

 羽深は面食らったように口を開くと、「あの言葉を真に受けるなんて、思ってもいませんでした」と、口元を手で覆い、笑いを堪えきれないでいる。

「五樹くん」

 ふと哀川に肩を叩かれて見れば、彼は普段通りの薄笑みに黄色い目を細め、待ち構えるように手を広げて五樹を見ていた。

「お待たせして悪かったね。次は君の番だよ」

「何の話?」

 問う間に、アトリエテラスの三人は五樹の前に横並びになる。改まったそれが不思議で眉をひそめると、哀川は存外だと言いたげに首をすくめて笑った。

「思い返せば君の依頼は、フリークスを見つけて殺すことだろう? だからほら、僕達がフリークスだし。君に殺されないと依頼が終わらないじゃないか」

 彼がさも当然のように言って、横の二人に「ねぇ」と問うて当たりを見渡すのがおかしくて、五樹は思わず吹き出して腹を抱えて笑った。

「殺さないよ、生きてくれないと困るもん。それにもうその話はやめてよ」

 殺すだなんだと考えていた過去が、今では少し恥ずかしい。

 伊依が共有した明日への希望と同時に、止めどない不安が五樹の中で渦巻いている。けれどもう、フリークスへの殺意は微塵も無い。

 誰かを理由にした復讐は辞めだ。明日からどう生きるのか、自分の頭で考えなければ。

 迷う。けれど不思議と怖くは無い。正しいかどうかに囚われた思考が晴れたからだろうか。

「遠い先のことはわからない。だから俺は、今すべきことをする。正しくなくても構わない。自分が思う最善の選択ができるようになりたい」

 それが後世で悪い選択と馬鹿にされて、自分勝手と言われても。今すべきことを全力で行って、悔いが無いようにする。

 五樹は多分、誰かの為の行動はやめられない。だがこれからは、重要な決定の責任逃れはしない。誰かの為でも、行動の最終決定は五樹だ。

 だから五樹の最善の行動は、自分で責任を持つ。

 それが対話でも、暴力でも。

 相手の立場が理解できたとしても、全ての殺人が許せる訳じゃないから。でもそれで良い。耳を傾けることすら放棄すれば、人間の意思疎通は終わりだ。

「とりあえず今は、脱獄囚を全員牢屋に返して、美味しい空気が吸いたいかな」

 五樹は大きく背伸びをして肩を回した。その瞬間、ふと身体が重くなって、どさりと尻餅をついて座る。

 全身が鉛のようだ、もう一歩歩くことすらままならない。

 才能による肉体酷使の、疲労限界が来たのだ。持久走の後のような、身体が地面に溶けたように動けない感覚に似ている。

 手足を伸ばして地べたに座り、恥ずかしさに「あはは」と苦笑いをすると、加賀美が呆れた顔で笑う。

「マ、そうやって言うと思ってたわよ。じゃあ第二案ね、おいとまするとしましょ」

「だね。でもごめん、動けないから立たせて」

 そういって二本の腕を目一杯三人に伸ばす。

 けれど、誰もそれをとらない。

 哀川な相変わらず笑って五樹を見つめたまま、少しずつ後退って。加賀美は荒々しく髪を掻きながら目を逸らし。羽深は、何故か寂しそうに紅赤の瞳を曇らせて、五樹に背を向けた。

「何言ってんの、アンタはここに残るのよ」

「え?」

 突き放すような加賀美の言葉に、五樹は呆然として声を漏らす。

「もう少しで、救急隊が来るだろう。先ほど呼んでおいたから──君が、新たな英雄になるんだ。五樹くん」

「なにいってんの?」

「自体は容易に収集されるものじゃない。カミガタが反省して終わり、はいそうですかで納得する民衆じゃない。全てを終わらせるために、君が英雄に、そして僕らが悪役になるんだよ」

「言ってる意味が、わからない」

 掠れた声で問う。手を取って立ち上がらせてくれ、一緒に帰ろうと、彼らへ懸命に手を伸ばすけれど。三人は五樹が手を伸ばすほど、わざとらしく後退って。

「カミガタくん、君は牢屋に戻るんだったね」

 五樹を無視して哀川がカミガタへ笑いかける。カミガタを振り向けば、彼は居心地悪そうに腕を抱きながらも、確かに強く頷いた。

「嗚呼。もちろん、香椎を洗脳したことは自供する。俺が操っていたとなれば、罪に問われることは無いはずだ──斑鳩の背に刺したナイフだけは抜いたよな? そればっかりは擁護できん」

「おや、そこまでやってくれるとは。心変わりでもしたのかな?」

「もう一度、変われるよう試したいから──どうせ死刑判決だ、外に出ることは無いけれど」

 芯のある言葉を噛みしめるように言って、カミガタはそっぽを向く。哀川が「よしよし」と大袈裟に頷いて、まるで一仕事終えたようにぱんと手を叩いた。

「フリークスが魔王、カミガタが犯人、五樹くんは村を救った英雄だね。取材されたらかっこよく答えるんだよ、テレビ越しに見て皆で腹抱えて笑っておくから」

 五樹は呆然として、同時に理解する。

 彼らは、犠牲になろうとしているのだ。自分達がカミガタを唆し、管理局員に紛れこませたことにして。

 アトリエテラスが悪者として去ることで、五樹を正義に変えようとしている。功績全てを五樹へ譲り、悪役さながら逃げようとしている。

「俺だけの力じゃないじゃん。皆が頑張ったから、解決したのに」

 フリークスは悪者ではないのに。

 そう考えて、五樹は理解した。

 フリークスの事情を知っているのは自分だけだ。過去の五樹がそうだったように、皆はフリークスを正体不明の社会悪として見ている。

 そんな酷いことがあるか。彼らは事件を解決するために奔走したのに──違う、知られてはいけないんだ。

 フリークスが被害者であると知れて、管理局が悪になれば、人々は疑心暗鬼に陥るから。フリークスの秘密を、彼らは墓まで持っていくつもりなんだ。

「とんと払った朧月、とうとうと雲の所無く、人の世とは斯くあれかしと。才能開示【ウラノメトリア】」

 哀川が唱えると、彼らの体の輪郭がぼかされ揺らめいて、背景と同化していく。

 見た目を変えるだけの幻ならば五樹もわかる。けれど背景を書き換える幻は、見破ることができない。満開の桜を花見したように。

「まって、やだ、いかないで」

 赤子のように手を伸ばし、ばたばたと懸命に動かして、跳ねるように彼らへ近づく。だが徐々に透過する彼らは陽炎のように薄く儚くなるごとに、一歩、一歩、いじわるするように五樹から遠ざかる。

 遠くからプロペラ音が鳴って、救助ヘリが遠い空に近づいてきているのが見えた。時刻はすっかり夕暮れで、茜の空にぽつぽつと、桃色に染まった雲が幻想的に浮かんでいる。

「五樹さん。貴方のおかげで、私は一歩前へ踏み出すことができた。扉の外へ出られた。こんなにも綺麗な世界を見られた。ありがとうございます」

 羽深が顔を夕日のように赤らめて、照れ臭そうに頬を掻き笑う。無邪気に喜ぶ姿は幼子のようで、けれど美しい所作ごとに彼女の足元には薄い青の花が咲き。その花も、足先から徐々に幻で上書きされて見えなくなる。

 違う、感謝したいのはこっちのほうなのに。

「いやだ、いかないで」

 五樹は必死に腹ばいになって、一文字に切れた腕の傷を地面に擦りつけながら、ずるずると腕の力だけで前へ進む。

「もう五樹くんが全部解決したことにしていいよ、僕らは称賛とかいらないから。かわりに説明全般と、面倒な手続きも任せた!」

 指を立てて高らかに笑う哀川に、五樹は思わず自分勝手だと笑みを零す。けれど彼との距離は縮まらない。

 彼らの側に、屋根で待機していた虚構生物が降り立ち、三人はそれぞれその背に腰掛けて。彼らを乗せた虚構生物は、少しずつ高度をあげていく。

 地面に伏した五樹が、彼らを引き留めようと伸ばす手は、虚しく空を切るばかり。

「待ってよ、俺は、まだ」

「少しだけ閉じこもるわ。どうせ依頼も少ないんだし、暇を持て余したってバチは当たらないわよ」

「誰かと出会った瞬間から、いつか別れることがまっているものです。惜別、決別、死別。そのどれであるかは、生き方次第でしょうけれど」

「五樹くん。どうか健やかに」

 空へ昇った彼らの姿は、絵の具を溶かすように夕焼けと混ざり合って。

 やがてそこには誰も居なかったかのように、幻の鱗片すら残さず姿を消した。

 哀川の薄笑みも、羽深の優しい声も、加賀美の舌打ちも聞こえない。彼らの声の残音を掻き消すように、救助ヘリのプロペラ音が無情に音を増す。

「なんで、勝手にどっか行っちゃうんだよ。俺、まだお礼も言えてないのに」

 必死に伸ばした指先に、何処からともなく降った薄青の花弁が一枚、五樹の手のひらに触れて。雪のように溶けて消えた。

 五樹は地面に伏して、強く唇を噛みしめる。

 まだ、今は一人じゃないから、泣いちゃいけない。

「大丈夫ですか?」

 ばたばたと騒がしい音がして見上げると、赤い

救助隊服を着た男性が、五樹の顔を覗き込んでいた。咄嗟に腕で涙を拭って、大きく一度頷いて。

──大丈夫、笑い方は知ってる。今は、すべきことをしよう。

 深呼吸をして、強い意思を目に宿す。

「俺の名前は猪戸五樹──英雄、猪戸コウの息子です。俺が、フリークスを撃退して、犯人を捕まえました」

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