浜辺で拾った

くれは

浜辺で拾った

 海の近くに住んでいたことがある。俺はその頃、ビーチ・コーミングを趣味にしていた。

 砂浜を散歩して、打ち上げられたものを拾って持ち帰る。例えば、波に削られて柔らかな曲線を描く石やシーグラス、面白い形の流木、ほとんど原型を留めたガラス瓶を拾うこともあった。

 もちろんゴミも多いので、半分以上はゴミ拾いになる。けれど、そういうことも含めて、俺はその浜辺の散歩を楽しんでいた。たくさんのゴミの中から面白いものを見付けたときは、それがいったいどこからやってきて、どのように海の中を漂ってここまで来たのかと思いを馳せた。

 そんなふうに集めたものを綺麗にして、飾ったりして楽しんでいたのだけれど、引っ越しの際にそれはすべて処分した。今は、海の見えないところで暮らしている。ビーチ・コーミングももうしていない。

 やめたきっかけははっきりしている。あの夏、あの出来事のせいで俺は引っ越しをすることにしたのだ。






 梅雨が明けた頃。休日の朝、早朝から砂浜を散策していた。食料や飲料の空き容器だとかビニールの切れ端なんかをゴミ袋に放り込みながら、その日はなかなかこれはというものを見付けられずにいた。

 こういう日もあると思いながら岩場の方まで歩いて、ふと、岩場の端に丸いものが打ち上げられているのが見えた。両手で持てるほどのボールのようなそれを軍手をはめた手で拾い上げる。どうやら椰子の実だった。

 最後に面白いものを拾ったと、岩場に登って腰を降ろして、ゴミ袋を脇に置いて、つくづくとその椰子の実を眺める。どこから流れ着いたものだろうか。そんなような歌があったな、どんなメロディだっただろうか、などと考えていた。

 けれど、しばらく眺めているうちに、徐々に薄気味悪く感じられてきた。椰子の実の表面はどことなく色褪せていて、ひび割れている箇所もあった。そのひび割れがなんだか目のように見えて、そうしたらまるで、人の頭を持っているような心持ちになってきたのだ。

 一度そう感じてしまえば、もう落ち着かない。家に持ち帰ろうという気持ちは消し飛んでいた。

 ぞんざいに扱うのも気が引けて、元の場所に戻そうと気が急いて立ち上がれば、手が滑って椰子の実を取り落とした。

 岩場の隙間にするりと落ちた椰子の実は、どうやら運良く割れるようなことはなかったみたいだった。隙間から覗き込めば、暗い中、水面に浮かんでいるのが見えた。真っ先に心に浮かんだのは、これで持ち帰らずに済むぞ、という気持ちだった。

 俺はほっと息を吐いて、その日はそれで散策をやめた。






 また次の休日に、俺はいつもの砂浜に出向いた。岩場の方を見て椰子の実のことをちらりと思い出したが、ただ椰子の実を見付けただけのことだと、気にしてはいなかった。

 その日はゴミを拾いながら、シーグラスをいくつか拾うことができた。特に、ピンポン玉ほどもある、まあるい濃い青い色のシーグラスが二つあって、これは良いものを拾ったと思っていた。

 俺は岩場まで辿り着くと、そこに腰を降ろして拾ったシーグラスを眺めていた。濃い青色のシーグラスは、陽の光を受けて、手のひらの上で鈍く輝いている。

 生暖かい海風が、頬を撫でていった。

「あのう、あのう」

 不意に呼びかけられて振り向いたが、声の持ち主が見当たらなかった。周囲を見回していると、また声が聞こえた。

「お願いがあるのです」

 俺は返事ができないまま、周囲を見回していた。俺の様子などお構いなしに、声は語り続ける。

「先日は、ありがとうございました。おかげで頭を見付けることができました。ですが、この頭はうろばかりで、目が見えないのです。私に、その目をくださいませんか」

「目だって?」

 後から思えば、返事をしてはいけなかったのだと思う。けれど、俺は声を出してしまった。俺の返事があったからか、その声はさらに大きくなった。

「ええ、貴方が持っている、その綺麗な目です。その目があれば、私は見ることができるのです。私に、その目をくださいませんか」

 俺は、綺麗だと思って拾ったまあるいシーグラスを見た。手の中で、それはもう人の目玉のようにしか見えなくなっていた。恐ろしくなって、俺はそれを岩場の隙間の中に放り込んだ。

 ぱしゃり、ぱしゃ、と小さな水音が聞こえ、それからすぐにまた声がした。

「ああ、嬉しい。これで見える」

 それっきり、その声はしなくなった。岩場の隙間を覗き込むのは、恐ろしくてできなかった。家に帰ってからもしばらく、何も手に付かなかった。

 それでも一晩経ってみれば、あれは現実のことではなかったのではという気がしてきたし、なんだか変な悪い夢を見たななどという気分になっていた。

 それで、次の休日にはまた、懲りずに浜辺に散策に出かけたのだった。






 その日も、あまり収穫のない日だった。

 先日の台風の影響か、ゴミは呆れるほど多かった。破れて骨が曲がった傘も拾った。ここのところはゴミ拾いばかりしていると呆れながら、いつもの岩場まで歩いて、そこに腰を下ろして一休みをした。

 先日のことを思い出したのは、ちょうどそのときだった。生暖かな潮風に頬を撫でられて、ぞっとして、今日はもう帰ろうと腰を浮かしかけ、けれど声が聞こえてしまった。

「あのう、あのう」

 夢ではなかったのかと思った。あれは夢だったのだと自分自身をなだめて忘れていたことを思い出して、このまま聞こえなかった振りをして帰ってしまおうかと思ったが、声は止まず聞こえてくる。

「親切なお方。貴方は私に頭をくださいました。目もくださいました。貴方のような親切なお方と出会えて良かった。お願いがあるのです、親切なお方」

 この声は、俺と知って声をかけてくるのだと気付いて、動けなくなった。声だけだというのに、全身を絡め取られているようだった。

「貴方のおかげで頭を見付けました。見えるようにもなりました。でもまだ足りない。私にどうか、腕をください」

「腕……」

 腕なんか持っていない。そう言おうとしたけれど、喉がぎゅっと絞られているようで、それ以上言葉が続かなかった。

「ええ、腕です。貴方がお持ちの腕をください。それ、そこに」

 ゴミ袋から突き出た曲がった傘が目に入る。もうどうにでもなれと、俺はそれを岩場の隙間に落とした。

 ばしゃり、と水音。

「ああ、嬉しい。これで抱き締められる」

 ふ、と体が軽くなる。俺はゴミ袋を掴んで、ほとんど走るように海辺を立ち去った。






 もう浜辺に行くのはやめようと思っていた。だから、その次の休日は家から出ずに過ごした。これで安心して過ごせると思っていたのに、気持ちはちっとも休まらなかった。

 何をする気にもなれず、冷房の効いた部屋の中で薄い夏布団を被ってじっとしているうちに、眠ってしまった。

 夜の海辺だった。そして岩場から、あの声が聞こえる。

「あのう、あのう」

 その声に呼ばれるように、俺は岩場に近付いてゆく。

「親切なお方、どうか助けてください。貴方のおかげで頭を見付けました。見えるようにもなりました。抱き締めることもできます。でも、まだ足りない」

 声は必死に、俺に語りかけてくる。

「お願いします。私にどうか、足をください」

 足。足を得て、この声は何をしようというのか。いや、考えてはいけない。俺はただ、通りすがりに海から拾い上げたものをまた海に落としただけだ。何もしていない。

「親切なお方、親切なお方。これで最後です。どうか、足をください」

 目を覚ませば、もう日が沈んだ後だった。冷房が効いた中だというのに、じっとりと汗をかいていた。きっともう抗えないのだと思った。

 汗まみれのまま着替えることもせずに、何も持たずに家を出た。






 夜の浜辺は暗い。暗い中でも、それはすぐに見付かった。

 見事な流木だった。枝が二股に別れたそれは、明るい中で見れば、もしかしたら人の足のように見えたのかもしれない。

 俺はそれを両手で抱えて、岩場に向かう。じっとりと蒸し暑い夜で、汗で肌に貼り付く服が砂で汚れたけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 岩場に辿り着くと、あの声が聞こえた。

「親切なお方が来てくれた。さあ、私に足をください。約束します、これが最後ですから。お願いします、私に足をください」

 俺はその言葉に誘われるまま、岩場の隙間に流木を落とした。

 どぷん、と重たい水の音がする。

「ああ、嬉しい。これであの人に会いに行ける」

 ざぱり。

 水音がして、その隙間から何かが這い上がってくるのを感じた瞬間、俺は走って逃げ帰った。振り返ることはできなかった。






 俺はこれまで海辺で拾ったものを全て処分した。ビーチ・コーミングなんてものも、もうするつもりはない。海から離れた土地に引っ越し先を探す。海から離れられたらそれで良かった。そうやって、全部忘れてしまおうと思った。

 けれど、忘れることはできなかった。自分がしてしまったことがなんなのか、考えるのは恐ろしかったけれど、考えずにはいられない。

 海には様々なものが漂い、そしてそれは浜辺に流れ着く。きっと、良いものも、悪いものも。それの正体を知らないまま拾って回るだなんて、随分と軽はずみな真似だったのだと気付いてしまった。






 あの流木を拾った日の翌朝に、あの岩場で溺死体が見付かった。その死体には、曲がった傘の骨が絡み付いていたという。

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