最多人生の俺の最大幸福論

橘士郎

幸せと言う名の虚像だけど

 もう、これで最後になる。

あの森で初めてこのコマンドを見つけた時から俺の人生は決まっていたのかもしれない。

 あの時あの場所で「幸せのコマンド」と書かれた紙を使って「幸せになれるはず」の力を手に入れた俺はどうしても満ち足りた生活は送れなかった。


 学んだことも付けた体力もそのままにもう一度過去に戻れる力。

俺はそれを〝つよくてニューゲーム〟と名付けた。が、正直、万能でも無かったし幸せにもなれなかった。


 全てが分かっているというつまらない日常を送る事になると分かっているにも関わらず、しかし窮地に陥ればニューゲームを使ってしまう。完全に不のサイクルだった。


 だけど、そんな俺が良い意味でも悪い意味でも変われたのはあの時彼女に出会ったからだろう。年齢は同じくらい。名前も何も分からないその女性は、街全体を眺められるその崖から赤く燃える夕日を抱いて涙を流していた。


 密かに消えてしまいそうな彼女を、俺は放って置くことが出来なかった。

今思えばこれがすべての原因である事に間違いはない。しかしどのみち常人じみた生活はもう送れないと分かっていたから、俺は飛び降りた彼女の腕を掴もうとしたのだ。



 ―――そして、手から滑り落ちる白い腕。



 結局その時は彼女を助ける事ができなかった。崖に当たり宙に赤い残像を残しながら落ちる彼女を見て、俺はもう一度つよくてニューゲームを行った。


 しかし、その後も失敗。


 ある時は茂みから飛び出て首を吊ろうとするのを阻止しようとした。

 ある時は彼女と仲を深めて川に身を投じるのを阻止ししようとした。

 ある時は彼女の死を邪魔しようとその後を付けては妨害しようとした。

 ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、

ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……、ある時は……



 結果全てにおいて言えることとして俺は、一度として彼女を助ける事が出来なかった。



 そして時間は今になる。

 今回俺は彼女と仲を深める事に成功した。そして毎晩の様に最初の崖で出会っては二人で談笑する日々。しかし、その毎回で彼女は自害しようとした。


 俺に止めて欲しいのかどうかはよく分からないが、彼女が何かに苦しんでいるのは確かだった。今に苦しみ過去を悲観しているようだった。



―――だから俺はもう死んでみる事にした。


 彼女の目の前で死ねば彼女はもう死のうとはしなくなるかもしれない。

 自分でも薄々気付いていたが、どうやら完全に心が壊れてしまっているらしい。


 人の死を日数にして一年以上毎日見続けた俺にはもう繊細な思考など許されていなかった。


 一人の女性を救えて、このつまらない苦しみからも解放されるなら良いじゃないかとそう思っている。


 だから、おれは最後に彼女に聞いてみることにしたんだ。いつもの崖で。


――――――


「君にとっての『幸福』って何?」


 唐突な俺の質問に彼女はキョトンとした顔を向けてくるばかりでその後の言葉を紡ぐことは無い。

どうやら質問の内容が解せないようだった。


「うーん例えば、ご飯食べてるとき、とかさ。あるじゃん?」


すると、彼女はあぁ、と頷き街を見下ろしながら答えた。


「あるよ。私は、本を読んでる時と、映画を見ている時と、音楽を聴いてる時と、アニメを見ている時が幸せかな。」


 その回答を聞いて、僕は少し違和感を覚えた。

 最後の日にもう躊躇うことなど無い。そう思い切って彼女に問いかける。


「……じゃあ、あのさ。」


「うん?」


「君は……君には幸せがあるのに何で死のうとする、の?」


 言い切った瞬間、脈が跳ねた。

 しかし、それは揺らいだ覚悟からじゃなくて、聞き終えた後優しい微笑を投げかけてきた彼女に対する罪悪感からだった。


「ごっ……ごめん‼」


「? 別に謝る事じゃないよ。どのみち君には話そうと思ってたから……じゃちょっと余談から入ろうか。『幸せ』について、なんてどうかな?」


 そう言った彼女はもう一度街に向いて座り込む。

自分の横の地面を叩いていると言う事はどうやら俺も座れと言う事らしい。座ったのを確認した彼女は静かに話し出した。


「君は言ったよね。『幸せなのに何故死のうとするのか』って。」


コクリと頷く。


「私、思うんだよ。幸せには制限時間があるんだって。私が本を読むのは過去も未来も考えなくて済むから、その時だけはただ純粋に物語を楽しめるから。だけど、それって本を読んでいる時にしか続かない幸せじゃない? 私にはそれ以外の時間が苦しすぎたんだよ。」


 いやに説得力のある言葉だった。

 その声が、遠い目が現実を突き付けてくる気がしてならない。


「……っぁ、」


 上手く言葉が見つからない。

 彼女を説得できる材料がどうしても見つからない。

 喉からは微かな音が漏れるだけでそれが言葉に繋がらない。


 だから、立ち上がって崖に向かって歩き出そうとした時、彼女が僕の腕を掴んできた。


「待って。まだ少しだけ、お話しようよ。」


 その言葉に俺は腰を下ろすしかなくなった。

 腰を下ろした俺の手に、彼女が指を絡ませてくる。

 どうやらまだしばらくは逝けないらしい。


「私ね、思うんだ。幸福は最後のより所じゃないんだって。」


 唐突な彼女の発言に俺は少し困惑する。


「ど、どうして?」


「それはね、色んな世界を旅して分かった事だよ。一時の幸福は死の間際に手を貸してくれるわけじゃない。だから、辛い時に幸福に抱き着いたってそれはもう意味の無い事なんだよ。いずれ終わる幸せになんか価値は無い。だから私は幸福を胸に抱いたまま飛びたかった。」



 再び、言葉に詰まってしまった。

 即時煮え返る頭はもう吹き零れそうで、体に力が入って行く。


「い、イタタタタ……」


 絡ませた手に力が入りすぎてしまった。


「あ、ご、ごめん……‼」


「ううん。そんなに考えてくれたんだ? 私を死なせない為の方法。」


「だって、君には死んでほしくないから……。」


「……何で?」 


 その問いかけに、俺は直ぐに答える事が出来なかった。今まであった沢山の出来事が俺の中に積み重なって、今を作っている。

それをこの時間だけで説明するのは少し無理があった。


「俺は……今が、幸せだから。」


  俺は今、幸せなのか。

 目的を持って行動し、それがどうにか達成できるかもしれないこの現状が、何より二人で居るこの空間が―――幸せなんだ。


「だから、幸福なんて飾りだっ「でも! ……でも今だけは苦しみを忘れられる。辛い事から目を背けて今を生きられる。今を生きれば次も生きられる。人ってそういうものだと思うから……。」


 不意に我に返った。

 つい熱くなった勢いで彼女の言葉を遮ってしまった。

 彼女にも呆れられただろうか。

 そう思い様子を伺うと、何故かその顔には笑みがあった。


「……ありがとう。そっか。今が幸せなのか。」


 そういうと、彼女はポケットをまさぐりだした。

 そして一枚の紙を取り出すとそれを僕に見せてくる。



そこには、こう書かれていた。



      ――――――幸せのコマンド。



 言葉が、出なかった。

 彼女が紙を持っている。あの紙を持っている。彼女もコマンドが使える?彼女も森でそれを見つけたのか。なぜ彼女がそれを持っているんだ。


 頭の中で錯綜する思考は終着点も見つからずにぐるぐると回り続ける。

 そんな思考の熱を溶かしたのは、彼女の言葉だった。


「ごめん、私……。本当はもっと早く言えば良かった。」


 言葉がやけに拡大されて響いてきた。


「このコマンドをあの森に残したのは、私なんだ。」


「……でも、えっ……何で……。」


意味が解らなかった。このコマンドは俺が既に回収してるはずだし、あそこに残っている訳がない。だから、彼女が持っている道理も……。

全て、彼女の説明で理由が付く。


「私がこのコマンドを見つけたのは私の時間で今から五十年前。今から三年前の事。父親からDVを受けてた私は、ある時見つけたこのコマンドを使って……」


 言い淀み、空を仰ぐ。


「父親を殺したんだ。」


 溜めた言葉は酷く簡潔だった。

 しかし、その言葉には彼女の人生分の重みが上乗せされている。


 「力じゃ勝てないから、この力を使ってね。その後も何回も同じことをしたよ。虐めてきた同級生を殺して、そのを殺してね。」


 静かに、残酷に話は続いて行く。


「その後、私は壊れて行った。罪悪感と吐き気で毎日毎日毎日戻り続けた。」


そして、


「私の心は壊れたんだよ。だから、死のうとした。罪悪感に押し潰されそうで、でも戻ってあの生活を送るのは嫌で。もう、無理だったんだよ……。」


彼女は腕で眼を覆う。雨も降っていないのにその顔には雫が流れていた。


「だからぁ……もう……し、し死ぬしかな、くて」


もう、見て居られなかった。

だから、次の瞬間俺は、自分でも気付かないうちに彼女を抱きしめていた。

感じた事の無いような暖かさに包まれて、その世界は紛うことなき『幸せ』だった。


「もう、心配しなくていい。」


「死のうとして、もぉ……どんな世界でも君が助けてくれて……でも私、それにも、絶えられな、くて……」


「良いよ。大丈夫だから。」



ゆっくりと立ち上がり、二人見つめ合う。

月を背に唇を重ねる。


「私、この幸せをもう逃したくない……だから、良い?」


「うん、良いよ。幸せで満ちた今だからこそ、これ以上ないよ。」


彼女はキラキラと笑って僕の体を力強く抱きしめた。

気が付くと僕の体は彼女と共に月と重なって宙に舞っていた。


「幸せだな。」



―――その虚像は人を救うんだ、と。



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最多人生の俺の最大幸福論 橘士郎 @tukudaniyarou

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