03

 喫茶店から出た私は真っ直ぐ自室に戻った。


 ドアに鍵を掛け、クリアケースが入った鞄を床に置いた。カーテンを開けると茜色の光が差し込む。そろそろ夕刻だ。そのまま窓も開けると、淀んだの空気が流れだし清涼な空気が入ってくる。それを肌で感じながら、私はベッドに身を投げた。

 天井を見上げ、ついさっき聞いたばかりの言葉の欠片を集めた。まだ意味がよくわからないままだった。理解することを拒否していたと言った方が正しいだろうか。かすかで曖昧なそれを虚空に見つめた。どういうわけか鼓動は早く、汗が止まらない。疲れているわけではないが体が動かない。喉は干上がっているが気にはならなかった。

 そのままどれほどの時間が経っただろうか。焦点がずれ始める。あぁ眠くなったのだなと思う。疲れていないはずだが不思議と疲れを感じだした。もう面倒なのでそのまま眠ることにした。体が泥のように溶けだし、そのまま脳までも溶けてしまえばいい。そんなことを考えながら私は眠りに落ちた。できれば楽しい夢を見たい。


 目が覚めると日付が変わろうかという深夜だった。私はのろのろと身を起こし、用を足しに向かう。用を足しながら無意識に秒数を数え、「いっぱい出たな」と思った。どうも頭がおかしいようだ。今朝の私はごきげんだったはずなのにどうして。

 ともかく冷蔵庫から飲料水を取り出し、カラカラの喉を潤した。キンと冷たい水がくたびれた体と頭を目覚めさせる。

 私は部屋に一つだけぽつんと置かれたデスクへ向かい、座った。真っ暗な部屋の中でそのまましばらく沈黙する。

 目を閉じ、覚悟を決め、例の言葉を反芻はんすうした。


『まず、この作品を一言で言いますと――』

『私が思うにこの部分は――』

『まず大前提として――というのは――』


 なるほど、そうか。なるほどなるほど。

 うんうんと頷いて見せてやった。

 山本氏のご高説は実に明瞭簡潔めいりょうかんけつ。かつ理路整然りろせいぜん

 つまりはそう、とてもファンタスティックだったのだ。幻愁院盛悟は感激した。


 理解が済んでいない。理解を拒否している。

 などと意味不明なことを宣い、ふて寝して今に至る。

 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。すべては終わった話だ。

 もし仮に。

 もし仮に何かが「済んでいない」と言うのなら、それはそう。


 「」と言うのが正しい。


 暗闇の中、私は硬い拳を振り上げ――。

 勢いよく振り下ろした。


 ガンッ。

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