第47話 鬼と隠
あの夜から約十日。十二月も折り返しに入り、比例するように寒さも増してきたそんなある日の朝。差し入れが入った紙袋を片手にぶら下げ、俺はゆっくりと住宅街を歩く。
「ふぅ……」
時折すれ違う、冬休みを間近に控えて少しばかりテンションが高い様子の学生達を横目に見て「もうそんな時間か」と腕時計に目をやり、白い息がため息と共に吐き出された。
(問題は山積み。まだ何も解決していない)
のっぺらぼうが関与した一連の事件と企てていた計画。それらが各方面へ与えた衝撃は凄まじいものがあり動揺は収まっていない。特殊な業界で、関わる人間の多くが生まれ持った資質に左右される狭い世界という事もあるが彼の影響力は多大なものがあった。そもそも絶対数が少なく、極めて専門的な知識や能力が必要不可欠なためこの業界の人間は国の有力者とも関係を作りやすい。
(たとえ怪しげな人物だったとしても、身内が被害にあって誰もが原因すら特定できないソレをパッと解決できる人物がいたとしたら……そりゃ信頼したくもなるだろう。権力者だって人間だ。んでそこを狙った、と――――上手くやるもんだ)
未だに「何かの間違いだ」と姿を消した彼を信じている権力者も少なくない。半ば信者となった彼等にそもそも被害にあった原因自体が彼に目をつけられたからで、解決まで含めて全て怪異のマッチポンプだったと伝えたら一体どんな顔をするだろうか。
(もっとしっかり右目で見ておくべきだったな……まったく、後悔ばかりだ)
「ふぅっ」と再び息を吐き、後悔の原因となっているあの夜の出来事について考える。
今になって思えば、所長は俺と敵対するリスクについて日頃から考えていたに違いない。
初めて彼の心を見ていた時はそれに気づけなかった。完全に冷静さを失っていた。だが、あれから時間が経ち落ち着いてきた今なら分かる。
所長は正体がばれた瞬間自分の思考を切り替えた。敢えて読ませる情報……俺の身近な人物の事を強く思い浮かべこちらの感情を乱す事で、読み取られる情報のコントロールを試みたのだ。
現に吐き気を催す
悩んでいる事はまだある。
所長は今回『完璧なものは諦める』と発言していた。それはつまり何らかの行動を起こす事は未だ諦めていない事を意味している。
(まぁ、ろくでもない計画については全く読めなかったわけじゃないし……情報は響さんの伝手を使って拡散してもらった。あの人も馬鹿じゃない。そのまま実行に移すって事はもうないだろうな)
「そう言えば、縁が聞いたアマビエの予言も災厄とは言っていたけど百鬼夜行とは明言していなかったな」そんな事を考えながら歩いているとようやく目的地の家の近くに辿り着いた。
キョロキョロと辺りを見回す。
(さて、と。俺が留守にしていた間も見ててくれたはずだから……前回はこの辺りに来れば気づいてくれたんだけど。おっ?)
一体どこから現れたのだろう。気づけば少し離れた所から一匹の黒猫が悠然と塀の上を歩きこちらに真っ直ぐ向かってくる。特徴的な二本のしっぽ。片方の尾はピンと立てられ、普通の人には見えない二本目の尾は大きくゆっくりと揺れていた。
黒猫はそのまま俺に近づき、塀から飛び降りて音もなく地面に着地する。その間、俺は一度瞬きをするが再び目を開けたとき猫は人間の少女の姿に変わっていた。仙狸である。
「お疲れ。二日も空けていて悪かったな。思ったより時間が掛かった。これ、差し入れ。なんか変わった事はあったか?」
「大丈夫。なにもない」
「そうか……ここまで動きがないと気味が悪いな」
少し離れた場所にある家を見上げる。表札には『冬木』の文字。
所長を最後に目撃した瞬間。あの時、彼は確かに縁についての対応を検討し始めていた。ほんの一瞬だったため具体的な内容はまるで分からないが彼が『邪魔だ』と判断したのだ。今まで犠牲になった人達の事を考えればとても放置できる問題ではない。
幸運の座敷わらしが守ってくれるとはいえ、相手はのっぺらぼう。直接的な実力行使に出られた場合その力はどこまで通用するのか……増してこちら側に座敷わらしがいるという手の内は知られている。
警戒は必要で不測の事態に備えなければならない。
そんなわけで仙狸にはとりあえず年末までと期間を決めて縁の家に出張に行ってもらっている。いわゆるボディーガードというヤツだ。猫と人の姿を使い分ける事が出来る仙狸にとってはうってつけの役割だし、縁の家族は前の件があって挨拶に顔を出してから怪異への理解もある。
「縁の家はどうだ?」
「皆よくしてくれる。食べ物も美味しい」
「いい人達ばかりだもんな。妹達や縁も構ってくれて退屈しないだろ?」
「うん……でも」
「でも?」
「……」
「うん? どうした?」
「なんでもない」
見れば仙狸のしっぽが少しだけ早いテンポでパタパタと左右に揺れている。猫の感情は表情より尾を見る方が分かりやすい。
(えっと、しっぽが早いペースで左右に振られている場合は確かイライラしてるんだっけ。犬とは逆なんだよな……ご機嫌ななめ?)
一緒に暮らしている中で多いに役立ち半ば自身のバイブルとなりつつある『猫の気持ち』という本の内容を記憶の片隅から引っ張り出す。それによればストレスを感じている時や不機嫌な時の合図だったはずだ。仙狸本人は自分の尾の変化に気づいていないようだがネコはネコ。人化してもその辺りは変わらないという事だろう。
(なんだかんだうちの事を大分気に入ってくれているみたいだし、早く戻りたいのかな? でも、状況的にわがままを言えないから言いよどんでしまったって感じか。仙狸らしい)
人に害をなす事しか考えていない
「……ごめんな。なるべく早く帰れるようにこっちも最善を尽くすよ」
「うん」
縁とは仲が良いからあまり深く考えずにお願いした今回の件。他に良い方法もない現状ではどうしようもない一面もあるが、見えないところで彼女にも負担を掛けてしまっている。よりよい方法を模索しながらも一人、内心で反省していると遠くの方から聞き慣れた声が耳に届いた。
「あれっ? 悟さん?」
「おはよう。縁」
まさに今、自分が頭を悩ませている人物。縁だ。登校時間で家から出てきたところのようだ。制服を着ているのは登校前だからだろう。
「おはようございます。仙狸ちゃんが急に外に出て行っちゃったから学校行く前に見に来たんですけど、近くに悟さんが来ていたんですね」
「ああ。なんかバタバタさせちゃったか。悪い。縁は最近変わりないか?」
あの夜、パーティに参加していた皆には大体の事情は説明した。無駄な動揺を与えるつもりはなかったのだが相手が相手。こちらも人の手が足りてない以上、隠していても仕方がない。黒木とも相談した結果、正直に話していつもより警戒してもらおうという判断である。
しかし、会社の関係者とは違い動揺はさほど無かった。彼女達にしてみれば、仙狸や座敷わらしのように人間に対して明確な好意を持つ妖怪は除き、アマビエものっぺらぼうもよく分からない怖い怪異として認識しているからだろう。俺たちと違って所長と直接面識が無いというのが大きいのかもしれない。
「ええ。仙狸ちゃんも居てくれますしいつも通りです。――実はちょっと別件で相談したい事はあるんですけど。悟さんもかなり忙しそうですし、お暇が出来たらでいいです。そういえば仙狸ちゃんから出かけてるって聞いたんですけど何処行ってたんですか?」
「ああ。俺なりに保険を用意しておこうと思って。個人的に出張していたんだ。響さ……同僚も頑張っているんだけど、あんな事になって会社の中も慌ただしいし。力になれればいいんだけどそっち方面では俺、あまり役に立てそうにないしな」
「本当に大変な事になってるんですね。出張っていうと都内じゃなくて遠出してたんですよね? どちらに行ってたんですか?」
「あー。それは…………ちょっとな。北の方?」
「えっと。なんで疑問形なんです?」
「こっちにも色々あるんだよ……」
彼女にとっては世間話程度の軽い質問だったようだが、とても答えづらい話題が飛んできたため俺は言葉を濁す。
(別に悪い事してるわけじゃないんだけど、縁の爺さんが住んでいた場所に出向いていたなんて本人を前にして言えないよなぁ。流れで絶対聞かれるだろ。そしたら行った目的まで話さなきゃいけなくなる。いくらキチンと墓に手を合わせて来たとはいえ……そりゃあくまでついでだし)
保険で縁の身を案じての行動だとしてもあの地域は彼女にとって色々複雑な場所だ。祖父との思い出の場所であり、九死に一生を得た場所でもある。今も少しトラウマになっていて夢に見るとは彼女の
しかし、俺自身打てる手は少なく追い詰められているのも事実。既に
知られてしまえば
「まぁ、話し合いは上手くいったから。あまり気にしないでくれ。それと何度も言うようだけど、くれぐれも気をつけてな? 今回の
「はい。ありがとうございます。すいません。仙狸ちゃんまでお借りしちゃっているのに凄く気をつかって貰っちゃって」
「いや。元はと言えばこっちが無関係の縁を巻き込んでしまったもんだ。謝るのは俺の方だよ」
「いえいえいえっ! そんな事は決してっ! ……あっ」
「どうした? もしかして、何か思い当たる事でもあるのか?」
「えっと、今話していて思い出しました。関係あるか分からないんですけど少し気になることがあって。夕べの遅くからかな。
そう言った後、縁はゆっくり後ろを振り返る。そこには、いつからいたのか電柱の影の隠れるようにして座敷わらしがこちらの様子を伺っている。目を細めてよく見てみれば彼女が言うように確かに何かを警戒しているようにも見えた。
(昨夜から?……あ。忘れていた。そういう事か)
「教えてくれてありがとう。俺の方に心あたりがあるから直接話してみるよ。結構時間かかると思うし縁はもう学校に行ってくれ。緊急の場合はすぐ電話するからスマホの電源は入れておいてもらえると助かる」
「……分かりました。宜しくお願いします」
縁はそう言うと少しだけ名残惜しそうに頭を下げる。座敷わらしの様子が気になるようだがこのままでは遅刻すると本人も理解しているのだろう。そのまま学校へ足を向けた縁から仙狸に目配せをすれば、彼女も縁を追いかけるようにこの場を後にした。
「さてと」
今回は事が事。身近な人間を害する悪意に気が
(流石、
改めて電柱に目をやれば、童子はピクリとも動かず厳しい表情で俺を見ていた。
やはり問題は山積みだと再び長いため息をつく。顔を振り頬を叩いて気合いを入れる。そうすれば頭の中でやるべき事がすぐに組み上がった。
「よしっ。ひとつひとつ。焦らず冷静にやっていこう」
誰に聞かせるわけでもないひとりごとを呟き気合いを入れ直した俺は、出会ってから初めて俺の事を警戒し批難するように電柱から見つめている座敷わらしに向かってゆっくり足を進めたのだった。
それから数日後。夜も遅い時間。次の日に控え自室で横になりながらウトウトしていると、暗闇からこの場にいないはずの声に呼びかけられ俺は目を覚ました。
「悟」
「っ? 仙狸? 何があった?」
「来て」
仙狸は年内は縁の家に護衛のため出張している。年末までまだ一週間あった。それが期日を待たずにここにいる時点で何かよからぬ事が起きた事が分かる。
それ以前にどこか怒りを堪えているような固い表情と声音を聞けば問題が起きたのは明白。最悪の出来事が頭を過り言葉が足りない仙狸に恐る恐る問いかけた。
「待て。先に教えてくれっ…………縁は無事なのか?」
「そっちはあの子が見てる。だから早く」
(――そっちは? じゃあ一体何が)
縁の家と俺が住んでいる場所は距離がさほど離れていない。しかし急いでいるなら車を使おうと駐車場に向かおうとすれば仙狸から手を引かれ立ち止まる。
「こっち」
「縁の家じゃないのか? そっちには何もないぞ」
「……」
ただならぬ様子の仙狸に続く言葉を失い、黙って追従する。見る限り彼女が目指しているのは俺の住んでいるマンションの裏手にある光があまり届かない路地裏。いつの間にかその歩みは当初の勢いを無くし、普通の徒歩でもついていけるようなスピードに落ち着いている。
仙狸の後を追って彼女のしっぽに意識を移せば、二本のしっぽは異なる動きで感情を表していた。
(怒りと……恐れ?)
まもなく仙狸はその足を路地裏の入り口で止める。立ち止まって正面に目線を移せば、身体の芯から凍らせるような十二月の冷たい北風が路地裏からこちらに向かって一度強く吹き抜けた。
(うっ。この匂い。まさか!?)
鼻先に届いたのは――濃密な血の匂い。
最悪の事態を想定し、スマホのライトで周囲を照らす。凄惨な光景が目の前に広がっている。
血。血。血。おびただしい量の血と何かに食い散らかされたかのような複数の生き物の死骸。壁にこびりついた何かの肉片。
(っ! いや、人じゃない? バラバラで分からなかったが、よく見ればこれは小さな動物が何匹か殺されているんだ。体毛、毛皮を持つ人間より小型の生き物。犬、あるいは)
「ボクの友達……だったもの」
「それは」
(猫……なのか。なぜ? 何の目的でこんな事を)
「ここだけじゃない」
「え?」
「街中から。助けてって……さっき仲間から聞いた」
「……心当たりは?」
「多分――――――鬼」
「っ」
(馬鹿な。付近は厳重に警戒している。怪異騒動も所長が姿を消してからは落ち着いてきたというのにどこからやって……いや、そうか。多分抜け道が存在しているんだ)
一言主がいた世界が頭を過る。仙狸の故郷へ通じる入り口――――鬼門と呼ばれこっちの世界では鬼がやってくる方角を意味する言葉。
俺達が知らないだけでアレがもし複数存在していればどうだろう。考えてみれば今まで怪異騒動で賑やかにしていた怪異達は一体どこからやってきた?
そもそも仙狸は違う入り口を使ってこっちの世界を訪れたと言っていた――可能性はある。
(手引きした者がいる。なぜなら同時多発的に猫を狙ったのはこちらにそれを使ったネットワークがある事を知っているからだ。そして組織だった動き――――あの野郎っ。よりにもよって鬼を呼び寄せたのかっ)
鬼。日本でもトップクラスの知名度を誇る妖怪であり、種によっては悪霊としての一面も併せ持つ怪異。本当に様々な種類がいるがほぼ共通している事は――超人的な力を持ちあらゆるものを喰らう人の敵だという事。
人肉と酒を好む傾向にあるが、それはあくまで満たされている時の話。少しでも腹が空いたのであれば共食いすらも辞さない狂った怪物。
人を圧倒する巨体を持ち、それに見合った身体能力を欲望の赴くまま他者を
個体で有名な鬼は酒呑童子や茨城童子などあげればキリがない。しかしこういった人前で暴れ回り、名の知られた鬼達は全体からみれば少数派である。
鬼とは本来、隠れるもの。語源は
肩を落とした仙狸がやるせなさそうにポツリとひとりごとを呟く。
「悔しい」
「……ああ」
(それはそうだろう。仙狸のような怪異ではないとはいえ、ほぼ身内のみたいな存在が殺されたんだ。しかも被害にあったのは複数。中には仲良くしていた猫もいるはず)
思わず慰めの言葉が口をついて出そうになる。が、結局はパクパクと口を動かす無意味な行動に終わってしまった。反射的に口を開いたものの、肝心のかける言葉が見つからない。考えてしまったのだ。彼女の事を真剣に思えば簡単にかけていい言葉などあるはずがない。
そんな風にして時間を浪費していれば、先に口を開いたのはまたしても仙狸の方だった。
「でも、ボクはそれよりも」
続く言葉に耳を澄ませる。
ふと、二本の力なく垂れ下がったしっぽが目に入った。それが示す感情を記憶から掘り起こそうとした瞬間に本人からその答えを告げられる。
「悟たちを失うのが怖い」
「…………とりあえず、仙狸が把握している友達の居場所に案内してくれ。ここにいる子達も含めて弔ってやりたい」
うなだれる仙狸の肩を叩き、次にやるべき行動を促す。
恐らくコレはこちらの手の内を知り尽くした敵からの恐怖を伴う宣戦布告。
これでこちらは猫のネットワークという目と耳を失った。
「何かが起こる」とされている夜行日まで残すところ一週間。世間ではクリスマスイブと呼ばれる聖なる夜に俺たちが受け取った物は――――俺の人生の中でも群を抜いて最低最悪の贈り物だった。
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