第44話 悟ると言葉の神


 俺が事前に懸念していた予想に反して登山はすこぶる順調に進んでいた。それには二つの大きな理由がある。


「そっちはダメ。こっちから行く」


「うん…………ふぅぅ。ありがとう。せっちゃん」


 一つ目の理由は、仙狸に山頂を目指すことを相談したところ彼女が案内役を買って出てくれたこと。

 来たことのない山らしいが単純に上を目指すだけであれば問題ないと仙狸は言った。いわく、「どこの山も基本は一緒」そして自分から名乗り出ただけあって彼女の案内は的確だった。


 目印の無い山。まして人の手が入っていない山の登山など人間にとってあまりに危険で自殺志願者としか思えない愚行である。


 それを人間の何倍も感覚が優れていて長い年月を生きた元野生動物の仙狸が補う。最近では当初と違って人間社会にも馴染んできて、人の身体能力も把握しているためその指示に迷いは無かった。


(本当に仙狸がいてくれて良かった)


 言葉少ない言動と猫特有の表情の動きの少なさ、人間の文化への理解度の低さから子供のように見える仙狸。だが、彼女は決して何も知らない無知な子供ではない。忘れそうになるが、厳しい野生の世界で少なくても怪異化するまで生きのびておりこの三人の中でも年長者なのだ。


「でも、急に変な虫とか出てきたら嫌だったけど開けた道っぽいのがあってよかったぁ」


「こうなっている山は時々見かける」


 そして二つ目の理由は今歩いている道にあった。

 もちろん人が手を入れた山道よりは険しい道のりが続いている。だが、逆に言えばその程度。少し息を切らした結が仙狸と雑談できるくらいの余裕はもてていた。


(しかし、どんな生き物が通ればこんな跡が出来るんだ?)


 先導する仙狸に続く結を視界の端に捉えつつ、最後尾から改めて自身が今歩いている道を見る。


 山に刻まれた不思議な傷跡。成人男性が二人横になっても余裕がありそうな横幅でそれが山頂に向かうようにつづら折り状の曲がりくねった道を形成していた。

 注意深く観察すると驚くべき事にこれは何かとても巨大な生き物が這いずった跡に見える。そんなどんな生き物かまるで想像できないものが通り過ぎた跡が山道のようにゆるやかに山頂に向かって続いていた。そのおかげで楽が出来ているのは確かだが、ところどころ木がなぎ倒されたりしているのを見かけると決して楽観視していいものでは無い気がする。


『ボクも直接見たことはない。でも、たぶん大丈夫』


(仙狸はそう言っていたけどなぁ。もちろん歩きやすいのは助かる。でも、もしこの道を作った何かとバッタリ遭遇するリスクを考えると――――ん?)


「仙狸。周りに何かいないか? 妙な視線を感じる気がするんだけど」


 考えごとをしながら歩いていると奇妙な気配を感じ、すぐに仙狸に問う。彼女は一度立ち止まり、耳と鼻をしきりに動かした後キョロキョロと辺りを見回した。しばらくそれをくり返した後、彼女は口を開く。


「いない、はず。今までもずっと警戒はしているけど。まだ感じる?」


 それを聞いた後改めて自分でも周囲を確認する。耳を澄ませば様々な鳥の鳴き声や時折吹く風に木々が揺られる音が聞こえてくる。しかし、いつの間にか奇妙な気配は全く感じなくなっていた。


「いや。悪い。たぶん俺の勘違いみたいだ。長い間運転してすぐの登山だったから少し疲れているのかも。ちょうどいいしここらで休憩しようか?」


「賛成。もう、くたくた」


 大きな木に背を預けるように座り込んだ結に行動食として用意していたエナジーバー数本と水筒を渡す。

 汗だくで勢いよく水を飲む結に苦笑しながらも、少し離れた場所で青い空を見上げ時間を確認している仙狸に声をかけた。


「時間は大丈夫そうか?」


「この調子でいけば。下りるのを考えるとゆっくりはしていられないけど」


 元々観光で来たわけでもない。

 山頂まで行って何もなければすぐに引き返すことにしよう。安全第一である。


「そうか。じゃあ結が回復しだい出発することにしよう……にしても順調だな。最初は存在しない太陽とこの道に驚いたけど他は普通の山に見える」


 長閑な鳥の鳴き声を聞いて行動食を口に運ぶ。

 いままでの人生で神隠しに実際遭遇して無事に戻ってきたという人間に会ったことはなかった。そういった理由からかなり構えて行動していたため少々拍子抜けである。


「そうでもない。悟が気づいていないだけ。例えばあそこ」


 言いながら仙狸は少し離れた木々の隙間を指さす。道から離れた場所は鬱蒼としており人の視力では細部まで見通すことはできない。試しに右の方の目で茂みを凝視するように見つめる。すると何かがサッと動く気配がした。


「ん? ………………おぉ」


(隠れてしまったけど子供? いや。外見だけで判断するのは危険だけど多分、山童やまわろかな)


 見えたのは腰蓑こしみのだけをまとった少し汚れた小柄な子供。

 一瞬、自分たち以外の人間が存在していることに驚くがその特徴のある顔を見てすぐに考えを改めた。顔についている目の数が足りていない。人ではありえない大きな単眼を額に持つ子供である。

 山童は東日本ではあまり聞くことのない名だが西日本では割と名の知れた妖怪。

 ささいな悪戯を非常に好むが人の山仕事を手伝ってくれたりするなど、どちらかと言えば人間にとって好意的な妖怪として知られている存在だった。


「あれは害がない。だから放置。でも人間に興味津々。油断は禁物」


「気づいていないだけ」再びそう言って締めくくった後、仙狸は俺が足元に置いていたリュックの中にある大きな干し肉の入った袋に手を伸ばしリスのようにチマチマと食事を開始した。


(そうだったな。今一度気を引き締め直していこう。結はそろそろ回復したかな?)


 結が腰掛けている場所に戻ってみると彼女はこちらに背を向け「ちっちっち」と茂みに舌をならしている。


「うーん。だめかぁ」


「なにやってんだ?」


「ほら。あっち。さっき気づいたんだけど猫がいる。これで呼んでるんだけど中々来てくれなくて」


 俺が渡した登山用の行動食をふりながら結が茂みの一角を指さす。そこには周囲の景色に溶け込むようにしながら小さな茶色の猫がいた。


「本当だ。尾は一本だし色も違うけど……こんな場所にいるってことは仙狸と同じ山猫かな? よく見つけたな」


「休んでたらガサガサ音がしたからね。お腹減ってないのかな?」


「――――さっきからついて来てる。放っておいていい」


 いつの間にか隣に来ていた仙狸は言葉ではそう言いながらも食べかけの干し肉を猫のいる茂みに向かって軽く放る。仙狸用に用意されていた厚切りのそれは見かけによらず勢いよく飛んでいき、ちょうど猫が顔を出している木の近くへ落下した。

 「早くいこ」と彼女は踵を返し、結果を見届けることなく登山を再開する準備を始める。すぐに後ろを向いてしまったためその表情をうかがい知る事はできない。

 一連の仙狸の行動を見ていた結と一度、顔を見合わせ最後に再び茂みを見る。


 少し目を離している間に干し肉と猫は消えていた。



 それから三十分も登った頃だろうか。

 山頂まではまだ遠く結の口数も少なくなってきた。場所的には山の中腹を越えた辺りで少し開けた所。見晴らしも良いこともあり、危険が近づいても発見が比較的に容易なこの辺で事前に考えていた彼女たちと別行動をしよう心に決める。


 俺が口を開きかけたその時、前方に複数の人影が見えた。


「匂い。音。気配……まったくしなかった」


 仙狸がポツリとこぼす。

 その人影はこちらに近づいてきており、その姿が徐々に露わになっていく。


「なに、あれ」


 俺たちの様子に気づいた結が顔を上げ、驚愕で目を見開き振り絞るように声を出した。困惑のまなざしで隣にいる俺と仙狸を交互に見たあと改めて前方に向けて視線を送る。仙狸も結ほど感情を表に出していないがその耳としっぽを見れば戸惑っているのが十分伝わってくる。


 事前知識が無ければその反応は当然だろう。

 前方に急に現れたそれはこの場では明らかに浮いている三名から成るおかしな一団だった。


 一人目。猫のような耳と二つの尻尾を持ち無表情で何を考えているか分からない少女。


 二人目。おしゃれな髪型と流行りの化粧をしながら、なぜか不気味な市松人形の顔がわずかに見えるリュックを背負っている奇妙なファッションの若い女性。


 そして……長身で片目を閉じている男。


(ああ。あれはだ。俺たちだ。本当に、本当に存在した――――――でも)


 いままでも神に出会ったことはある。そしてそれらはそれ相応の気配や風格をその身に宿していた。


 夜刀神やとのかみ。群体の角を持つ蛇であり祟り神。それは破滅的で理性など存在せず視覚化できそうなほどのうらみの念を周囲にまき散らしていた。


 天逆毎あまのざこ。スサノオの猛気より発生した人身獣面の女神。天狗と天邪鬼の祖とされる神の中でも破格の力を持つそれは、おぞましくもどこか神々しい。神聖でいて邪悪。そんな二つの相反する概念が奇妙に同居した奇っ怪な雰囲気をまとっていた。


 そして今回さがしていた神。言離神ことさかのかみ。言霊、託宣の神。言葉の

 神さま。

 その気配は完全に自然と――山と同化していた。目の前の一団を視覚で捉えていなければ絶対に発見することは出来ないだろう。虚無。そうとしか例えられないほど目の前の集団からは存在感や気配というものが感じられなかった。


 彼等は俺たちとつかず離れずを距離保った場所で歩みを止める。

 そうして、まるで鏡うつしのようにこちらと瓜二つの容姿を持った神と対峙した。


(平伏した方がいいんだろうか?)


 警戒しながら相手の出方をうかがっていると一団から俺と全く同じ外見を持つ男が一歩前に進み出る。その顔は自然でとても友好的な笑顔を浮かべゆっくり右手を上げ小さく横に振る。そうした後に手を自分の右目にあて、男はゆっくり閉じていた右目を開いた。


(なんのつもりだ? …………右目をつかえってことなのか?)


 この神の言葉には力がある。だから不用意に言葉を発さない。

 そしてその行動は鏡のように。善意には善意をもって。悪意には悪意をもって。出会った人間にそれ相応の対応をしていたと伝えられている。

 敵対するつもりは一切なく、むしろ助力を願う立場だったため右目は彼等を目撃した後もずっと閉じていた。

 しかし、目の前の存在が了承するというのであれば是非もない。


 ゆっくりと閉じていた右目を開く。


 目から飛び込んできた情報を脳で咀嚼そしゃくした瞬間、ふくらんでいた期待はすぐに失望へと変わった。




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