第43話 仙狸と故郷


 郷愁。ノスタルジア。そんな感じるはずのない謎の感動が胸の中を満たした。


 普段だったら周囲のたくさんの変化に気づいたことだろう。突然切り替わった空模様、着ているコートが少し暑く感じるほどの暖かい気温、目の端の方に捉えていた人工物がいつの間にか消えてしまっていることなど……違いをあげていけばきりが無い。


 しかし、そんなささいな事に気を配る余裕がないほどの懐かしさが胸に押し寄せてきて、俺はその場から一歩も動くことが出来なかった。


 だから最初にそれに気づいたのは俺の隣でキョロキョロ周囲を見回していた結だった。


「うっわ! 悟くんっ。悟くん! そらっ。空がっ! ヤバいよ!?」


「……なんだよ。そんなに騒いで。薄暗かったのが急に快晴になったんだ。異様なのは見なくても分かるって」


 そう言いながら改めて結が驚愕している空を見上げる。

 雲ひとつない青空が広がっている。見たことも無い青色。何も邪魔するものがない青さはまさに群青色と例えるのが相応しい色彩を放っていた。


「違うっ。そっちじゃない。あるはずのものがないっ。ないのっ! 


「えっ?」


 空は青い。

 そして視界に飛び込んでくる青色をさえぎるものは何もない。そう。何もないのだ。普通、日中に空に目を向ければ嫌でも目に入ってくる強烈な光の存在――太陽。その存在だけが綺麗に切り取られているかのように丸ごと消失していた。


「ここはボクが生まれた世界ばしょ。あっちとは少し違う」


「せ、せっちゃん凄い所に住んでたんだねっ!」


「縄張りにしていた山と違うけど二人より詳しい」


「はー。まだまだ知らない事ってあるもんだね。いつか、せっちゃんの家も見てみたいねぇ」


「あっ。あっちの木にいる鳥。あれは美味しい」


 少し離れた木の上に止まっている謎の鳥の群れを指さして、いつもより饒舌になっている仙狸と能天気な会話をしている結をよそに俺は驚きのあまり体を硬直させていた。


(……い、いやいや。少しとか凄いで済ませていい問題じゃないだろっ! じゃあ、ここは一体照らされているんだ? それに仙狸が指さしてるあの鳥って……)


 常識的に考えて太陽が無いのであればこの青空と春のような気温はおかしい。太陽光は存在せず、世界は暗闇に包まれ極寒の気候になっているはずである。

 そして記憶違いでなければ、あの鳥は過去にテレビのニュースで見たものと特徴が酷似している。しかし見間違いかもしれない。なぜならかつて日本で野生絶滅の状態にまで追い込まれ、現代でも極小の個体数のがあんなに群れをなしてのびのびと繁栄しているわけがないのだ。


(いや。でも、忘れてたけど仙狸も本州にはいない山猫だった。神隠しとか隠れ里の類い? いずれにせよ人の常識で考えちゃいけない)


 神隠し。日本では浦島太郎の竜宮城。

 ドイツのハーメルンの笛吹き男。 他にも……

 数多くの関係性のありそうな昔話が頭を過りその不幸な結末を思い出し言葉で表現できない怖気が背筋を走った。

 そして内心の不安。それが上手く噛み合うように頭の中で繋がったのか――――ひとつの可能性に思い至る。

 

「――仙狸。教えて欲しい。さとりにはこっちで会ったのか?」


 それは仙狸の常識と俺の常識が最初は全く違っていたからこそ、出会った当初右目で読み切れなかったこと。俺と仙狸の認識していたが根本の部分で違っていた可能性。

 仙狸も俺の言いたいことを理解したのかすぐに返答があった。


「そう。こっちのに会った。そうだ。こんな事してる場合じゃない。夜になるとまずい。赤くなる前に早く心当たりを探して帰ろう?」


「夜? 赤くなる? 太陽がなくても夜が来るのか? それに夜になると何がまずい?」


「夜は来る。人間は危ない。昼は大丈夫。でも夜は危険。ちょう危険」


 パソコンのおかげで少し語彙ごいが増えてきた仙狸の説明によると、一日の時間の変遷へんせんは向こう側とあまり変わらないらしい。彼女が言うには現在は真昼。太陽が存在しないため空の色合いで判断するんだとか。

 そして明確に違うのは黄昏時になってから……空が赤く染まる頃からは向こう側と比べ格段に危険な怪異が急激に多く現れ、空が黒く染まれば視界は完全にゼロとなりその時間は非常に危険なものが闊歩かっぽする時間に変貌してしまうという。

 そんな恐ろしい説明を終え、仙狸は俺の今は閉じられている右目を見ながら一言付け加える。


「ボクは夜に慣れてるし、いざとなったら逃げることができる。もしかしたら悟はその目だから見逃してもらえるかもしれない。だけど結は……多分無理」


「えっ。えぇっ! ちょっ。あたし食べられちゃうの!? マジで無理なんだけどっ。悟くん! 早く用事済ませて帰ろうよっ」


(せっかく重要な手がかりを掴めたと思ったのに。また遠ざかるか。いや。俺の個人的な事情で結を危険にさらすのは違う。どこにいるか目処はついたんだ。ちゃんと前進している)


 そんな風に少し心の中で落ち込みながらも前向きに考えていると、その空気を読んだ仙狸からフォローが入った。


「大丈夫。また来ればいい。今度は二人で。その時は必ず案内する。やくそく」


「ありがとう。その時は宜しく頼む…………じゃあ行こうか? どうやら迎えも来たようだ。塩、持ってきておいて良かったな」


「ボクも行く。前みたいな事になったら大変」


「へっ? 二人とも何言ってんの? んー? あたしの後ろになにか――――――うっわ」 


 結の後方。約十メートル。木々の隙間からこちらをうかがっているものにお市さん入りのリュックを背負った彼女も気づいたようだ。

 身長は一メートル。鬼の顔を持ち、かかとがつま先と前後逆についた特徴的な一本足は人ではありえない。

 それは山であれば何処にでもいる存在。俺にとっては割と見慣れた怪異であり、前回は油断して手酷い目にあった、ある意味因縁のある妖怪。山精さんせい


(今回は前回の教訓を生かして直接の手渡しは避けて…………この辺に巾着袋ごと置いてみて、と…………よしよし。拾ったな。これは入山料のみたいなものだ)


 山精は塩を好む。人が山精に対して攻撃を加えたり害を為そうとすれば、病気になったり災いがその人に降りかかるという言い伝えがある一方、こちらから礼をつくせば山精も律儀に礼を尽くしてくれる。

 塩のたっぷり入った巾着袋をのぞき込み、心持ち嬉しそうな表情を作った山精は一度こちらを見た後、山頂を示すように真上に手を向けてからその一本足に見合わぬスピードで木々の隙間に消えて行った。


(登れ、という事かな。探している存在はおそらくの山の中にいる。それはに来た時になんとなく考えた事だ)


 向こう側では手がかりすら掴めなかった。

 しかし座敷わらしによってフリーズしたパソコンから得た情報で訪れた神社。その神社に隣接した山から示し合わせたように繋がった仙狸の故郷。

 そして山精の導き。

 山精は山の精霊。山の神と密接な関係がある。そんな怪異が山を登れとでも言うように手を掲げたのだ。


(伝説だと俺たちが探している存在は人が狩りの途中で遭遇したという話だし。以前、麓に山下される前までは山頂に神社が建てられていたってのも山に関わりがあるという証左だろう。行ってみる価値はある)


 スマホを山精に向けて構え、撮影してしようとしていた結に声を掛ける。


「普通は見えないんだからあんなの撮れないだろ。仮に撮れたとしても一体どうするつもりだ? それより登山の時間だぞ。よかったな? 運動不足の解消になる。ダイエットにもってこいだ」


「うげぇ。マジかぁ」


 家で下調べした情報だと神社があった山の標高は約九百五十メートル。向こうとこちらで同じ山とは限らない。だがぱっと見そこまで高い山とは思えない。決して登れない山じゃないだろう。元々神社で手がかりを掴めない時は山登りするつもりだったから動きやすい格好に登山に適した靴も履いている。こっち側は気温も暖かい。


 しかし、それらのポジティブな要素すべてを足しても釣り合わないのは……現代みたいに人の手が入っていないこと。そうなると登山の難易度は計り知れないものになる。


(最悪、結に難しそうであれば早めに判断してその場で待機させるしかない。結のことは仙狸に護衛を頼んで、そこからは慣れている俺単独で挑もう。どこまでやれるか……いける所まで行ってみよう)


 現代の神社が隣接している山は通年ロープウェイも稼働しており、冬の登山など御免だった俺はそれを活用し楽をしようと企んでいた訳だがその目論見は見事に外れてしまった。


(あれ使えれば六分で山頂付近までいけたのに。うまくいかないな。まぁ、こんな所にそんなもんあるわけないし。春みたいに気温が高いだけマシか)


 内心小さくため息をつく。万が一の登山の備えが役にたってしまった形だった。


「よし。じゃあ出発だ」


 絶望した顔をしている結からお市さん以外の重量のありそうな荷物を引き取り、無表情に空模様から現在の時間を読み取ろうとしている仙狸を伴って――――俺たちは山精が指し示した方向に向けて足を進めた。




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