第35話 悟ると学校の怪 前編


「……ぐっ……うぅ……」


 落ちてきた生徒が、うめき声を上げながら体を丸めている。

 急所は八尾さんが文字通りクッションになる事で守り通したようだが、四階からパニックを起こして転落したのだ。致命傷は避けられても、人一人が体を張ったところで無傷で済む訳がなかった。




「――――――――おぇっ」


 ……そこまである程度時間をかけて二人を確認したところで、俺はあまりの情報量に胃液がこみ上げてきて口を押さえる。吐くものが胃に残っていなかったから、からえずきで済んだが、昨晩の廃墟騒動で晩飯を食べ損ねていなかったら確実に戻していただろう。

 現場慣れしているつなぐから見ても状況は混沌としている。素人でも即死を判断できそうな状態のひびきと、辺りに漂っている血のにおい、学校の中からはいまだに助けを求める声が聞こえてくる。


(――――最低だ)


「悟っ! 彼女はだな」


 だから繋は悟を気づかい、一度状況を説明するために言葉を発したのだが、その台詞せりふを手をあげて途中でさえぎったのは気づかった相手、他ならぬ顔を青くした悟自身だった。


「――気づかいありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。夏木さん。グロテスクな物は怪異で普通の人よりは慣れてます。吐きそうになったのは、別に、この悲惨な状況を目の当たりにしたから……それだけが理由じゃないんです」


 困惑する夏木さんに俺は、関係者しか知らない情報をそのまま要点だけを絞って告げた。


「――――全部分かってます。問答している時間が惜しいです。この学生の救助は、それ専門の後ろの方々に任せて俺たちは上に行きましょう……バックアップ来てるんですよね?」


 目を見開く繋をよそに唾液だえきで濡れた口元をぬぐい、無残な姿になった響を両眼で見つめながら会話を続ける。

 苦悶の声を上げている学生はともかく、響は誰が見ても明らかに助からない。 

 生徒を直接受け止めた胴体は言わずもがな、身体すべてを落ちてくる生徒を守る事だけに差し出したため、守っていない頭部は彼を受け止めた衝撃の反動でアスファルトに強く打ち付けたのか、かなり悲惨なことになっている。


「でも正直、八尾さんとはあまり仲良くできそうに無いです……早く行きましょう。夏木さん」



「…………お前……」


 そう言いながら、ふと、思い立ち持ってきた道具の中から紙とペンを取り出して走り書きでメモを残す。


(念のため保険はあった方がいいだろ……このままサボりは許さないからな)


 書き殴ったメモ用紙を破り、切れ端をその場に残した。唖然あぜんとしながらこちらの様子をうかがっていた繋に声を掛け校舎へ急行する。走りながら気になって後ろを振り返って見ると、物言わぬむくろとなったはずの響の口元は、三日月のようにつり上がっていた。


(…………っ。いや、気持ちを切り替えていこう。もうはしない)



 校舎に入ってすぐに目に入った階段を、先行する夏木さんを追うかたちで駆け上がる。先ほどの生徒は四階のベランダから身を投げ出した。繋はその事から、原因は四階にあると判断して真っ先にその場所を目指しているのだろう。俺自身も異論は無かったので素直に追走している。

 そんなかたちで階段を上っていたところ、途中で何事かをわめきながら、駆け下りてくる男性と遭遇した。夏木さんが声を掛ける。


「おいっ。どうしたっ! 何があった!!」


「ば、化け物だっ。幽霊!! 本当にいたっ! た、助けてっっ! このままじゃ、ヤバいっ。殺されるっっ」


「それだけじゃあ、わかんねぇんだよっ! 落ち着いて詳しく話せっ」


 助けを求め、震えている男性は繋に急かされながらもポツポツと状況を説明する。曰く男性は怪奇現象が起こっているクラスの担任教師であり、生徒たちの引率と俺たちとの仲介役で今日は登校していたとのこと。そして俺たちが到着するのを、教室で例の五人の生徒と待っている間に、異様なモノに遭遇したのだと興奮しながらまくし立てていた。


 チクリ、と右目に違和感を覚えた俺は……途中から問答している二人の言葉は一切、耳に入れないようにして意識を目に集中する。

 そうこうしている内に、ある程度情報を聞き終えた繋が声を上げた。


「なるほどな。だいたい分かった。よしっ、逃げるなら学校の外の駐車場の辺りまでいけっ。俺らの仲間が待機してるっ」


(っ。ダメだ! それはまずいっ)


「――いや、夏木さん。問題の教室まで案内してもらいましょう。四階に行って探しながらだと時間もかかります。今は一刻を争う。原因となった場所が分かってれば初めから警戒できますし……」


(この先生は本来、無関係な人。巻き込まれているだけの被害者。なら真っ先に避難させなければならない一般人。これで夏木さんを納得させるのは無理があるか?)


 物言いたげな表情の繋と一瞬視線が交錯こうさくする。


「……分かった。おいっ。やっぱり現場まで案内しろっ。なぁに、いざって時は俺らで守ってやるから安心しとけっ」


「え? ……えぇっ!!」


「絶対、嫌ですっ」と教師はかなり怯えてごねていたが、俺が取り残された生徒がいる可能性を示唆しさし説得している最中に、迫力ある繋に凄まれ渋々、きびすを返して俺たちの案内をした。



 三人で四階に辿り着き、二つの部屋を見送って三番目の教室。教師は静かに足をとめて半開きになっている一室を震えた指で指し示す。


 明らかに普通ではない雰囲気が漏れ出ているのをこの場所からでも感じ取れる。騒ぎの元凶はどうやらまだ教室内にいるようだ。

 怪異関連で一番怖いのは警戒していない意識の外からのだ。人間の常識で判断することはできないため、ここからは慎重に動く必要がある。


 二人から視線を向けられたため、辺りを一度見回したあとに小声で提案する。


「ここからは、経験豊富な夏木さんが先導して下さい。殿しんがりから俺が全体の注意を払います…………この場に一人だけ残しても危険なんで、先生は一番安全な真ん中で。先生、念のため逃げ遅れて倒れている生徒がいないか、床に注意を払ってもらえますか?」


 先生はもちろん逃げ出したかったに違いない。この人にとっては完全なイレギュラーな事態であり、再度逃げ出したこの場に連れて来られたことは予想していなかっただろう。自身の思い通りに行かず、先生が口を開こうとしたのが分かったため両目で静かに見据え、小声で呼びかける。


「――――大丈夫ですよ。危ない事は俺が、見逃さないですから安心して下さい」


 そう言ってやれば、先生は口をつぐみ諦めたように首を振った。そのやり取りを、なぜか全く口を挟まず静かに眺めていた繋が、一度全員を見回してからゆっくりと教室に近づく。


 そして中途半端に空いていた入り口の扉を勢いよく開いた。日中で天気も良く、日が差しているというのになぜか一瞬、底冷えのするようなヒンヤリとした空気が頬を撫でるように通り過ぎていく。

 二人に続き部屋に踏み込む。教室内はかなり荒れていた。机や椅子が所々倒れており、中に入っていたであろう教科書などの荷物が散乱している。

 ベランダに続く入り口は開け放たれており、カーテンがその入り口から入り込んでくる風によって、静かになびいている。


「……っ! 気をつけろっ」


「ひっ!?」


 それはひと目ではっきり分かるほど異常な光景だった。

 床に投げ出された机。元々は荷物が収まっていたはずの机の中の暗がり……そこから大量の長い毛髪が伸びており、一本一本に意思があるかのようにモゾモゾとうごめいている。

 グロテスクなイソギンチャクを彷彿ほうふつとさせるそれは、誰が見ても分かりやすい怪奇現象。


(あの机? いや、違うっ!?)


 身をすくませる先生と、何事かを呟きふところに手を伸ばしている繋。この場にいる俺以外の二人は意識を気味の悪い机に向けている――だから俺は、その机を見た瞬間に繋に向けて全力で駆けだし、勢いをそのままに体当たりの要領でぶつかり、もつれ合うように倒れ込んだ。


「ぐぅっっ!!? おい!? なんだっ!」


 何処からともかく現れた異様に細長い二本の半透明な手が、元々、繋が立っていた周辺へ伸びている。そのまま机に気を取られ、その場所に立ちつくしていればどうなっていただろう? ……ちょうど、繋のその首があった辺り、目標を見失ってしまったかのようにゆらゆら、ゆらゆら、と手はゆっくりと獲物を探しているように彷徨さまよっている。


「上ですっ!」


 教室の天井に、この様々な怪奇現象を起こしたその元凶が居た。


 天井全体に絵画のように張り付いている巨大な女の凶相。


 浮かんだ表情は、この世に存在する全ての痛みを凝縮して味わっているような苦悶の顔。まるで水責めにあった者が空気を求めあえぐように口を大きく開閉し、その白く濁った眼球をギョロギョロ左右に忙しなく動かして、教室の中にいる俺たちの一挙一動いっきょいちどうを逃さないように睥睨へいげいしていた。



「――――青行灯あおあんどん


 それは、語れば現れるとされる怪異。

 正体は……鬼女、もしくは蜘蛛くもとも言われているが実際のところ、よくわかっていない正体不明の妖怪。

 そもそも実体をもたないという伝承もあり、怪談の最中に引き起こされる全ての不可解な現象の総称ともされている。様々な怪現象が引き起こされるため……通常の方法で対処することは非常に難しい。



 しかし、ここに居合わせた人物。俺を含め、普通の人間ではない。



 立ち会った人間それぞれの特殊な事情。この場に現れた妖怪にとって相性は最悪と言える。怪異の勝機、それは意識の外から不意を突くしかない。

 そして現在、青行灯不意打ちは居合わせた俺の右目にその意図を読み取られ、失敗に終わった。



「…………悪い。世話になった。これ以上の無様はさらせねぇな」



 繋の手にいつの間にか経典が握られている。

 ブツブツと繋は自身でもお経を唱えながら、掲げた経典を宙空ちゅうくうにスライドさせ滑らせるようにそれを広げた。


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