第33話 悟ると動物霊


 ーー過去の夢ーー


 夜行性。その生活スタイルの関係で、中々出会うことは少ないが、実際は人目から逃れながら都内であっても多く暮らす生き物。

 元々は森に住まう者達だったが、人の社会に紛れ込みグループ行動で縄張りを持って農作物に被害を出し始める。独特な排泄はいせつを行って、それらの排泄物を目印に行動するため人々から嫌われ駆除の対象になっている動物。


 人の世界で生きてきたその獣にとってこの運命は必然だったのかもしれない。


 薄汚れた獣が一匹、命の灯火を静かに消そうとしている。


 獣に人の法は理解できない。


 繁華街や大通りを外れているとはいえ車通りはゼロではない。脇道だとしても、都会であればかなりの交通量である。

 それは、朝日が昇りねぐらに戻ってそろそろ休もうかと思案しているタイミングで起こった。獣からすれば自分より遙かに巨大で頑丈な、鉄の化け物が飛び出してきたかのように感じただろう。鉄の化け物……車は自分の事など意に介さずにそのまま走り去ってしまった。

 共に行動していた者たちは「これは助からない」と早々に見切りをつけて立ち去ってしまう。残酷かもしれないが、野生で生きる者にとって当然の選択だった。

 

 身体の感覚は既に無く、意識は朦朧もうろうとしている。仲間たちにすら見捨てられた獣は最期にとても奇妙で鮮烈な体験をした。それは、自分たちの明確な敵だったはずの人間の不可解な行動。


 止めようとする大柄の男と、制止を振り切って近づく子供。


 差し伸べられた手と、子供特有の見返りを求めない無垢むくな優しさ。

 動かなくなってしまった身体と、徐々に薄れゆく意識の中でその者は何を思ったのか。

 命を奪ったのが人間であるならば、その者を救おうとしたのもまた人間だった。


 その行為は決してその生き物の命を救うことは無かったけれど、同族にすら見離されたこの者にとっては……唯一のとてもかけがえのない行動に思えたのだ。


 ならお話はここで終わり。助けようとしたの少女。子供故の無力により車にかれた動物を救うことは叶わず、その手の中で汚れた獣は息を引き取った。


 しかし居合わせた人物、持ち合わせたその名はむすぶことを意味する名。その名前の持つ力は刹那せつなの離別を許さない。そして助けられなかった動物は、遙か昔より神秘を内包しその血を引き継いできた生き物。


 だからこそ、その命の火が消えた瞬間に極めて例外的な奇跡は起こった。神秘は肉体を解き放たれ怪異となって少女を見守ることになる。くのではなく、たたることも無く……ただ、静かに影からずっと、ずっと見守っていた。





(……今のは……夢?)


 とても不思議な光景を見ていた気がする。自分が自分でなかったような、まるで……右目を通して相手の心を覗いた時に感じる独特な感覚だった。


(無事だったみたいだけど……どこだよ? ここ)


 頭を振りながら体を起こす。見慣れない部屋。窓からは日射しが差し込んでおり、気を失ってから幾ばくかの時間が経っている事を教えてくれた。周囲を見渡して見ても特に個性の無い部屋である。見回した感じ一般家庭のようには見えない。無駄な物がほとんど無く生活感は感じられなかった。

 立ち上がり体をほぐしながら記憶を整理する。廃墟での肝試し、遭遇そうぐうした地縛霊とその顛末てんまつ、そして……狸囃子たぬきばやしに導かれるように踏み入れた神社で会った女の子。


(俺はあの子を。心の奥底。魂に絡みついているモノもはっきりと……たったそれだけで意識を失ったっていうのか。よく無事だったな。あれは、無理だ。助けられない。あの子はどうなってしまったのだろう?)


 気を失った自分はどうやら何者かに助けられたらしい。拘束こうそくをうけている様子もないし、荷物もまとめられている。中身も軽く確認したが、財布を始め貴重品の類いは全て揃っている。

 ガサゴソと自分の荷物を確認していると、その音を聞きつけたのか突然部屋が開け放たれた。


「おっ。目が覚めたかっ! どうだ? 意識ははっきりしてるか? ぱっと見、怪我はないようだから会社の仮眠室で寝かせておいたが、どうやら大丈夫だったみたいだなっ! さっそくで悪いがお前に聞きたいことがあるんだよっ!」


 近づいてきた大柄な男からバシバシと肩を叩かれる。見ると年齢は大分いってそうだが、服の上からでも分かる鍛えぬかれた肉体がそれを感じさせない。迫力のある人である。その体躯たいくに似合うデカい声と加減のないいたわりが、目を覚ましたばかりの脳を揺さぶった。


(……この人、会った事がある。まだ小さかった頃だが、親戚の葬儀そうぎで目立っていたから、よく覚えている)


 頭を軽く振りながら記憶を掘り起こす。さとりの右目になってから、基本的に避けられそうな全ての人付き合いを避けていた。親戚付き合いも同様である。

 だが、この男と会ったのはそれ以前、怪異というものと接点がなかった頃だ。親族の葬式で坊さんの読経に合わせて、終始大きな声でお経を唱えており、かなり悪目立ちしていたので記憶に残っている。


(すぐに思い出せたのは、強烈なキャラクターとあの印象的で力のある。そうなってくると成長していたから分からなかったが、どこか見覚えのあった神社のあの子は……)


 肩をさすりながら、昨日の出来事について再び考えを巡らせようとすれば、目の前に立つ男の背後から若い女性の声が掛かった。


つなぐちゃん。いきなり大きい声出さないの。その子もびっくりしてるでしょ? ごめんねぇ。わたしは八尾はちお ひびき。こっちの色々デカい子は夏木なつき つなぐ。……それで貴方のお名前は? あんなところで何してたの?」


 こちらも随分不思議な女性である。見た目の年齢は二十歳前後で俺と変わらないはずなのに、間延びした老人のような喋り方、完全に色の抜けた真っ白な髪。壮年男性を子供のようにたしなめる態度と、なぜかそれを当然のように受け入れている男性。おかしな関係性である。

 昨日から変なことばかり立て続けに遭遇しているから普通の基準が分からなくなってしまいそうだ。とりあえず、呆気にとられてまだお礼を言っていなかったため二人に向き合い慌てて返事をした。


「この度はありがとうございました。倉木 悟と申します。友人と肝試しをしていてはぐれてしまって……ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 倉木と名乗った瞬間、一瞬呆けた顔をした夏木さんはニヤリと笑って質問を飛ばしてきた。十年以上会っていなかったため確信を持てなかったようだが、近況の報告と情報交換わしながらしばらく会話をしていたところ、どうやら俺のことを思い出してもらえたらしい。


(あまり変わらない大人と成長期の子供の十年じゃ、全然違うもんな)


 ここは会社の仮眠室になっているらしい。

 聞いた話によると、かなり特殊な業務体系の会社に勤める二人は昨日、八尾さんが担当する例の廃墟の保守管理の仕事と、夏木さんの野暮用が重なって二人揃って現地に出向いたところ、偶然倒れている俺を発見、保護したという流れのようだ。


(ああ。あの意識を失う前に聞いた車の音か。運が良かった。しかし、特殊な仕事内容ね……あんな夜中に廃墟の保守管理。これは確定かな)


 そんな風に意識を巡らせていたところ、今まで黙って話を聞いていた八尾と名乗った白髪の女性から質問が飛ぶ。


「それでねぇ。私たちも仕事だから聞かなきゃいけないんだけど……あの廃墟のをしたの倉木さんってことで合ってるのかなぁ」


(この二人の仕事は怪異関連でまず間違いない。荷物の中身を見られていた場合、言い逃れはできない。余計に話がこじれる前に素直に認めてしまった方がいいだろう)


「……ええ。そうです。とても不本意なのですが、人より少しだけ霊感がありまして。本来ならこのような事は絶対にしないのですが、必要に駆られまして……お二方のおをとってしまう形になり申し訳ございませんでした」


「……前の日に調べた感じだと、少し見えるくらいでどうにかなる代物じゃなかったはずなんだけどねぇ」


 八尾さんが困ったように笑っている。そこに夏木さんが「俺らも楽が出来たからいいじゃねぇか」と助け船を出してくれた。そのまま俺に向き直り子供に諭すように続ける。


「悟。今回は上手くやったようだが、素人があまり首を突っ込むな。あいつらは本当に恐ろしく危険なモノだ。見えるからって調子乗ってると、いつか取り返しのつかない痛い目にあうからなっ! もう、無茶すんのはやめとけよ?」


 顔は笑っているが目には深い後悔と悲しみが宿っている。


(まぁ、俺については右目が取り返しのつかない事になってしまっているが……無闇に言いふらす必要も無い……でも、そうか。この人にとっては現在進行形で孫が大変なことに巻き込まれているわけだもんな。アレを人がどうこうできるとも思わないが、あの子はどうなったんだろう? ……聞いてみるか)


「気をつけます……ひとつ気になったんですが、あのに女の子も一緒にいたと思うんですが……見間違いでなければ夏木さんのお孫さんですよね? あの、大丈夫でしたか?」


 先ほどまで笑顔を浮かべ話を聞いていた、八尾さんの目がスーッと細まる。それには気づかずに夏木さんが言葉を返した。


「神社? いや、お前ら二人とも廃墟の前に倒れていたんだが……結はちょっと訳ありでな。ああいうモノに呼ばれやすいんだ。俺が慌てて八尾さんに同行してあの場所に向かった理由でもある。ここ最近こんな事が立て続けに起こっているんだ。俺も一応専門家のつもりだったが……まったく原因も分からず手を焼いている。……実はこっちが本題でなっ。悟、率直に聞くがお前、祭りの音で何か気づいたことなかったか?」


「それが、俺が抱えている野暮用なんだ」と続けながら夏木さんは言葉を締めくくった。そのことでかなり苦悩しているのだろう。話を詳しく聞けば、孫の件の原因を探るため相当無茶を重ねていたようだ。結のことを語るその表情はとても沈痛なものになってしまっている。


 だからこそ、俺は深く考えもせずに昨日見たものをありのままに告げた。に対しての言及もあり、理解してもらえない事を共有できる数少ない人達に出会えて気が緩んでいたのかもしれない。


 あの神社での出来事が強烈だったため、それが本来決して人の目で見ることができない、無意識にで見てしまった内容だと気づきもせずに。

 その考え無しの一言こそが、今後の人生を変えてしまう重要な言葉だとこの時の俺は全く意識していなかったのだ。


「えぇと……はっきり見たのは神社ですね。恐らくはあのいびつな神社にまつられている何かに目をつけられているんだと思います。本人の奥底に深く絡みついたモノを見た限り……正体は多分、蛇でしょうか? それ以上は力の差があり過ぎて気を失ってしまって……あまりお力になれず申し訳ございません」


 言葉に出した後、ふいに一拍奇妙な間が生まれた。嫌な沈黙だったため、一瞬視線を彷徨さまよわせる。


「………………お前はいったい何をいってるんだ? 日本でもかなり特殊な力を持っている連中や、霊視に自信がある方々が揃って、原因が分からないとさじをなげられてしまったのが孫の結だぞ……ありえん」


 異変を感じ顔を上げれば、呆然としている様子の夏木さんと、反対に新しいおもちゃでも見つけたような嬉しそうな笑みを浮かべる八尾さんの顔が、俺の目に飛び込んできたのであった。





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