夏木 結

第29話 結と蛇


『いいか? 結。困ったらアイツを頼れ』


 目の前にいる男があたしの頭を撫でながら豪快に笑う。

 あの日、自分が世界で一番頼れると思っていた人が消えてしまった日の記憶。今も繰り返しみる色褪いろあせない夢。


『俺に比べりゃあ、まだまだひよっこだ。経験も実力も足りん。上っ面は取りつくろっているが、性格は陰気だしなっ! ははっ! 誰に似たのか……細かい事に気づくお前だ。そのあたり見えてしまって苦手なんだろ? アイツのこと。いまだに人の優しさに戸惑ってる臆病者だ。頼りねぇって感じるのもまぁ分かる』


 六十過ぎとは思えないがっしりと引き締まった体躯たいく。その表情には隠しきれない自信が見え、いい年齢でありながらいつまでも落ち着くことなく……温和とは対極に位置する豪放磊落ごうほうらいらくな性格。


 細かいことは気にもとめず、自分の人生を謳歌おうかし意図せずとも他者を振り回す。きっと、あたしの性格はこの人に似たのだろう。そんな男……祖父がいつもの笑みを浮かべながら、珍しくどこか真剣な口調で言う。


『でも、だ。それでもアイツは信じられる。信頼できる。便利な力を悪用せず、人に嫌気が差していても逃げる事だけはしていない。弱っちいクセにそれでも、まだ人間を諦めていない。まぁ、そのせいでちぃと暗い性格にはなっちまったようだがな……。話してみて細けぇことは自分の目で確かめろ。できんだろ?』


『え? どっかいくの? 帰ってくるんだよね?』


 この時初めて、自分の祖父がいつもとほんの少し違う顔をしている事に気づいた。パッと見では気づけない些細ささいな違和感。その違和感の正体を探ろうとしたタイミングで祖父はあたしに背を向けた。


『悪いな。父ちゃん、母ちゃんの言うことちゃんと聞くんだぞ? 好き嫌いせずしっかりメシ食べろよ?』







「っ! 待ってよ!! ………………。なんだ。そっかぁ。夢かぁ」


 周囲を見回してみれば、白いカーテンに仕切られた真っ白な空間。

 カーテンを開けて、ベッドから抜け出してみれば響くチャイムの音。学校の保健室に自分はいるらしい。担当の先生は席を外しているようだ。


(えーと。体育の時間に縁ちゃんと校庭走ってて……そうだ。その時ーーを見つけ!? あーあ。マジかぁ。やっちゃったなぁ。もう)


 どうにか覚えている断片的な記憶を、窓の外のグラウンドを見ながら整理して、自分が陥っている状況をなんとか理解する。

 どうやら授業中に気を失って倒れてしまったようだ。この様子では縁を始め、色んな人に迷惑と心配を掛けてしまっていることだろう。


「自分ではもう割りきったと思ってたのに。最悪」


 呟きながらスマホを取り出す。アプリを起動して「大丈夫?」と身を案じる友人たちに、お礼とお詫びのメッセージを送る。休み時間だったようで、すぐに既読がつき返信が届いた。


 チャイムの音がふたたび鳴り、時間を確認する。本日最後の授業が始まったようだ。改めて窓の外に目を向けてみれば、いつの間にか校庭に違うクラスの生徒が集合していた。


 遠くから微かに聞こえる生徒達の声に背を向けて、ベッドに横になる。

 体調に全く問題はない。自分でも倒れた原因は精神的な物だと分かっている。

 だが、いまさら授業に戻る気にもなれなかった。保健室の先生が戻ってきたら早退させてもらうとしよう。


 あれからもうすぐ四年近い月日がたつ。克服していたと思っていた傷は未だに癒えておらず、だがソレを与えた原因となったモノの存在は、なぜかなりを潜めている。


「じいちゃん……」


 無意識に言葉を吐き出し目を閉じる。

 あの日を境に変わってしまった事は多い。悟との関係と縁をはじめとした新しい友人たち。

 あれほど悩まされていたと止まない怪奇現象は嘘のように消え去ってしまい、同時に大好きだった祖父は姿を消してしまった。別れの言葉すら交わすことなく……。


 もう十月も始まるというのに、時期外れのヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。その存在と、あの日からなにも変わらない自分自身を重ね合わせているうちに、結の意識はまたゆっくりと闇の中へ落ちていった。




 ー悟の視点ー



「え? 結が倒れたって……大丈夫なのか?」


 朝晩は少々冷えるようになったため、鍋料理を作っていた手を止めて声が聞こえてきた居間へ向かう。

 つい先程インターホンが鳴り、対応を仙狸に任せっきりにしていたが、不穏な単語がキッチンまで聞こえてきたため、訪れていた縁にそこで初めて向き合った。学校帰りに直接寄ったらしく制服のままである。


「あ! いえ。結ちゃんからは心配いらないと連絡ありました。念のため早退するけど……サボれてラッキーとも言ってたので」


 とりあえず言動はいつも通りみたいなので安心する。だがそれとは逆に、落ち込んだ様子の縁が目についたため気になって尋ねた。


「で、どうしたんだ? その割りには浮かない顔だが」


「ええ。結ちゃんはただの貧血で、長距離走ったから具合が悪くなったって言ってたんですが……」


 聞く限りおかしいところはない。だが、縁は理由に納得がいってないのだろう。顔には不満がみてとれた。少し言葉をおいて縁が続ける。


「でも私、見たんです! 結ちゃんを見てからおかしくなって……。それが原因で多分倒れたんじゃないかって! でも、それを結ちゃんに聞いても何か誤魔化されている感じがして。悟さんなら、何か知ってるかなって思ってですね。それで寄ってみました……あれ? 悟さん?」


 全身に鳥肌がたち背筋が凍る。話を聞いている途中で、思わず膝から崩れ落ちそうになってしまった。

 いぶかしげにこちらを見ている縁に、なんとか表情を取り繕い、声が震えないように言葉を返す。


「…………そのヘビはどんなヘビだった? 大きさや特徴は? ……はあったか?」


「へ? ツノ? いえ、ちょっと大きかったですけど別に普通のヘビでしたよ? 周りの人もびっくりしてましたけど普通の反応でしたし。結ちゃんが倒れちゃったから、騒ぎになって気づいた時にはいなくなってましたけど」


 話を聞いたあと安堵のため息をつく。緊張ではりつめていた身体がゆっくりと弛緩していく。


(そうだ。アレはもう終わった。いるはずがない。あの人が命をかけて守ったんだ。ありえない。結はまだ……そうか。気づいてやれなかったな)


 気を取り直して顔をあげれば、縁と仙狸がこちらを見ている。二人は何も言ってこなかったが、目をみれば何が聞きたいのかすぐに分かった。


(そうだな。もう大丈夫だと思うけど、もしも何かあった時のために、二人には知っておいてもらった方がいいだろう。結はあれで頑固だし、弱みを見せる事を嫌うから俺から伝えておこうか)


「どこから話そうか」


「あの! もしかして、結ちゃんも何か良くない事に巻き込まれてるんですか!? 悪い妖怪に憑かれたりとか?」


 縁自身の経験と……譲の一件。なんだかんだで結が縁にしてきた事は大きい。縁の目からは結が困っているなら「今度は自分が力になる番だ」という意気込みが伝わってきた。


「いや。そうじゃないんだが……縁は神さまって信じているか?」


 あまりにも宗教っぽい語りだしに、自分で言っていて笑いが出そうになる。が……「カタリ」と市松人形と雲仙鏡の間に置いてあったが、一度大きく震え、笑いを引っ込める。

 それを見ていた三人がとったリアクションは様々だ。悟はあまり表情を変えず、結は驚き、そして仙狸は怯えていた。


 気にせず悟は語りだした。


 以前まで結にまとわりついていたモノ。そして解決したと思われる今も尚、彼女を苦しめている理不尽極まる存在についての話を。


























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