第28話 悟ると星が降る夜


 ー誰かの追憶ー


『あのな。何かお願い……いや、やってみたい事とかないか?』


『えぇ? いきなりどうしたの? お兄ちゃん』


 唐突な質問に妹は苦笑を浮かべる。兄もつられて笑みを返す。だがその笑顔は、どこか無理して作ったのか引きつっている。もちろん妹はソレに気づいていたが、気づかないフリをして言葉を続けた。


『いつも言ってるでしょ? 私は本当に良くしてもらったって。これ以上、お兄ちゃんに何かしてもらったら、神さまのばちが当たっちゃう』


 妹はそう言って穏やかに笑った。まだ十代という年齢にそぐわないどこか達観した笑み。長い年月を生きた老人がするような、とても静かな表情だった。


『……。なんだっていいんだ。そうだ。元気になったらしてみたい事でもいいぞ?』


 だからこそ兄は焦っていた。今日は調子がいいようだが、妹の体調は少しづつ悪化の一途を辿たどっている。にもかかわらず、老成し全てを受け入れてしまったような妹の穏やかな眼差しに。一人で勝手に納得して、どこか自分の知らないところへ旅立ってしまうそんな雰囲気に。そんなものは……断じて許せるものではなかった。


『……。うーん。そうだなぁ。あ! そうだ』


『どうした? 何かあるのか?』


 つけっぱなしのテレビからはニュースが流れている。困ってそちらに視線を向けた妹の目には、とても魅力的な光景が映っていた。


『もし……。もし、元気になったら私お兄ちゃんとコレが見たいな』


『!! そうか! よしっ。じゃあ、頑張って治さないとなっ! オレはその時まで貯金して道具を準備しとく! コレ見ながらキャンプなんてどうだ? きっと楽しいぞ! 約束だ』


 口下手なはずの兄が、珍しく興奮して喜んでいる。兄は、弱っていく妹を見ながら何もできない自分に鬱屈うっくつしていた。だが自分にもまだできる事があるかもしれない、とソレに希望を見出だしたのだ。


 妹は、ソレが叶わぬ約束になるだろうと半ば確信していた。だが喜ぶ兄と、テレビに映し出される綺麗な光景に結局なにも言うことが出来なかった。


 この約束は妹が予想していた通り、妹が元気になって叶えられるという事にはならなかった。


 だが……この約束は数年後、違った形で果たされる事になるという事を、一体誰が予想できただろうか。もちろんこの時の二人は知るよしもない。


 テレビでしきりに、双子座流星群到来のニュースを告げるキャスターと、それを話題に久しぶりに盛り上がる仲の良い兄妹の姿だけが……そのモノの記憶に鮮明に刻印されていた。



 ー悟の視点ー


「にっく。肉っ。……かに」


「コラっ! せっちゃん! 蟹はダメって言われたでしょ? それはおあずけ……。しょうがない、あたしが食べてしんぜよう」


「結。そればっかり。キライ」


「しょうがないじゃん。ホラこれで機嫌なおして」



 滅多にみれない星空。だが早々に飽きた二人は、バーベキューを再開している。どうやらクーラーボックスの奥へ念入りに隠していた海産物が、仙狸の嗅覚により発見されてしまったようだ。

 機嫌を損ねた仙狸に対して、またしても隠していたはずの高級な肉が結の手によって振る舞われていく……なんてことだ。


 ご機嫌な二人から少し離れた場所に天文部の三人がいた。流石にバーベキューの匂いが気になるのか距離をとっている。三人は熱心に空を見上げながら言葉を交わしていた。


「すっげぇな」


「……うん。こんな星空、見たことない……。縁先輩はどうですか?」


「私も初めて見るよ。本当に来てよかった!」


「でも、流星群の時期じゃないっすよね? なのにどうして?」


「そうだね。でも颯くん。凪ちゃん。世の中には知らないだけで、きっと不思議なことはたくさんあるんだよ」


 縁は二人に対していい聞かせるようにそう言葉をかけ、笑いながら視線をこちらに向けた。なんと言っていいか分からず、曖昧な苦笑を返し手をあげて挨拶をする。

 専門的な用語も飛び交って、随分熱中しているようなので邪魔しないほうがいいだろう。



 雪のように舞う妖怪が生み出した、不思議な時間は終わる兆しをみせない。

 はしゃぐ天文部員たちを横目に見ながら、俺は最後にいまだに口を開けて呆けた表情の同僚の元に歩みをすすめた。


「よう。黒木、ほら」


 声をかけつつ持参したビールを渡す。呆然と空をみていた黒木は、それでようやく意識を取り戻したかのように、空から視線を戻しビールを受け取った。


「ああ。悪いな」


 自身もプルタブを起こし二人黙って空を見ながら酒を飲む。目の前に広がる信じられないような景色に、無言で酒を傾けるだけの時間が続く。


(さて。最後の用事を済ませるとしよう)


 星が流れ始めてから、ずっと続いていた右目の微かな違和感。その小さな自己主張の原因をゆっくり辿ってみると、黒木 武に行きつく。正確にはその背後から発せられていた。


 黒木本人に気づかれないようにビールを飲みながらソレを盗み見る。黒木の背後の存在は、肯定を示すように一つ小さく頷いた。本人たっての願いだ。


 俺は覚の右目をゆっくり開けた。



 守護霊はいている本人にだけは。 本人を守るため背後に半ば一体化するように、くっついているためだ。言葉を発する事も守護霊にはできないため、黒木はその守護霊と今まで意思疎通を図る事ができなかった。


 だが黒木も同業者である。自分に憑いているモノくらいは、とうの昔に調べてソレが何者なのか『誰なのか』理解しているのだろう。

 知識だけであれば俺よりも断然詳しい。そうなった理由は知らない。だが幽霊については狂ったように勉強しないと持っていないような、それこそ常軌を逸した知識量を保持していた。


(愛されてるな……お互いに)



「伝言だ。よく分からんが『約束。一緒に見れたね。お兄ちゃん』だとさ」


「っ!」



 その時の黒木の顔を、俺は忘れる事はないだろう。


 あまり表情を出さずに口下手な男だった。


 ゆずるの件があるまでは、正直何を考えているのか分からず付き合いづらいとさえ思っていた。


 そんな男がその一言を告げただけで、救われたような、悲しいような……一言で言い表すことが出来ない顔をさらしていた。


「うっ……。悪い。倉木っ、少し一人にさせてくれ」


「……。ああ。落ち着いたら来い。酒も肉もまだたっぷりあるんだ」


 黒木がこちらに背を向ける。彼の背後にぴったりくっつく守護霊と目が合った。

 彼女はこちらに小さく会釈した後、困ったような笑顔を浮かべながら黒木の事をずっと見つめていた。


 後ろから微かに聞こえてくる、押し殺した嗚咽おえつ。聞こえないフリしながら、未だに騒がしくはしゃいでいる面々を目指して歩みをすすめる。


 空を見上げれば、誰かを祝福するような流星の雨はいつの間にか止んでいた。




『お兄ちゃんはずっと私のことを後悔している。倉木さんの右目の存在を知った時からずっと私の事を見てもらいたがっていた。でも私の心を知るのが怖いから……ずっと悶々もんもんとしている。図体ばかり大きくって繊細なの。だから倉木さんお願い。たった一言だけ、お兄ちゃんに伝えて。それで全て伝わる』



「家族愛か。敵わないな……。まったく」


「ん? 悟くんなんか言った?」


「なんでもないよ」


 流星群が終わり天文部員もバーベキューに合流をはじめる。


 空を見上げれば、いつもより澄んだ星空がこのキャンプを祝福するように輝いていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る