第27話 悟ると武

 ー誰かの追憶ー


 ある病室にて


『最近、体の具合はどうだ?』


『うん。お陰様でだいぶ調子はいいかな』


『無理すんなよ。このところ気温の変化が激しい』


『全く心配性なんだから……こんなのもう慣れっこだよ』


『そうか。オレが代わってやる事ができれば……』


『もうっ!! またそんな顔する。私は充分よくしてもらってるよ。それよりお兄ちゃん。高校には慣れた? 友達できた?』


『……ああ。ボチボチだな』


『もう…………私は心配だよ。お兄ちゃん本当はすっごく優しいのに、その大きい体と口下手なせいでいつも勘違いされちゃうから。いつか分かってくれる友達が出来ればいいんだけど』


『おいっ! 別に友達がいないとは言ってないだろ!』


『ムキにならなくても分かるよ。だってお兄ちゃんの事だもん』


『……』


『うん。それより今回はどこに行ってきたの?』


『……ああ。今回はだな…………』


 どこか安心したように語り出す兄と、その話を本当に楽しそうに聞き入る妹。


 兄は、生まれつき身体が弱く入退院を繰り返す妹に、少しでも病院以外の世界を知ってもらえるよう、自分の自由な時間はできる限り妹のために捧げてきた。


 子供ながらに自分の足や自転車で各地を回り、そこで体験した事を口下手ながらに妹に語って聞かせる。全ては自由に出歩くことができない妹のために。


 妹は、既に自分に残された時間があと残り少ない事に気づいていた。

 が、そんな不器用な兄の気づかいを心の底から楽しみ、同時に今の自分では兄に何も返せないで終わってしまうことを、常に不甲斐なく思っていた。

 自分が兄にできる事は何だろうか? 妹の人生の思考の大半はほぼその事で埋め尽くされている。


(いつかお兄ちゃんが、心の底から笑える日が訪れますように)


 自分の人生を妹のために捧げ続けた少年と、自身の死後の兄の幸せのみを願い続けた妹。



『ああ。どうか、この優しい時間よ永遠となれ』


 どこかのナニカが願った祈りは少しいびつな形で叶えられることになる。


 現在分かっている事は、このやりとりの半年後……最期まで兄のことを心配し続けた妹は人間としての生を終えた。




 -悟の視点-



 かくがみ


 夕方の時間帯に現れる妖怪であり、遅くまで遊んでいる子供をさらってしまう人さらいの怪物。その歴史は古く、日本の様々な地域に伝承や俗信が残っている。


 中でも東北地方で、油取あぶらとりと呼ばれた隠し神から派生したと思われる妖怪は有名であろう。

 行方不明になって、そのまま帰って来なくなるのではない。

 誘拐した子供の体を絞って、油を取る事からその名がついた正真正銘の化け物である。被害者が無事かどうかなど考えるまでもない。


 実際、明治時代あたりの近代においても油取りが現れたと、東北地方でパニック騒動を引き起こしている。人々から非常に恐れられていた怪異と言えるだろう。



「そっちはどうだ? 見つかったか?」


「ダメです。一応ほかの天文部員と先生、保護者の人達でも探しているんですが、もう警察に連絡したほうがいいんじゃないかって意見もあるみたいで」


 縁の返答を聞きながらも大分お酒を飲んでしまっているため、いつもより判断力が衰えている頭脳で懸命に考える。


(もう完全に日が暮れる。……逢魔時おうまがときか。もし見つからないなら、方向性を変えて俺にしかできない探し方をした方がいいな)


 一人で贅沢を楽しんでいた俺は、縁と結の二人が血相を変えて顔を見せた時、この平穏な時間の終わりが来た事を半ば確信した。

 事情を聞いて捜索を開始してから数十分、人海戦術により粗方あらかたの場所は探し尽くされ、現在は警察の介入も視野に話が進んでいるようだ。


(全てオカルトに結びつけるのは良くないが、もう俺たちで探せる場所はない。話が大事になる前に出来ることはやっておく。もし、そうだった場合時間の余裕もない)


「あっちにもいなかった」


 丁度、川の方面を捜索していた仙狸が顔を出す。

 行方不明になった場所から比較的距離があったが、川でおぼれていたりするような、命に直結する場所をまず仙狸には潰してもらっていた。


「よし。仙狸もう一度、秋原さんが行方不明になった場所に行ってみよう。確か急に匂いが途切れてしまった場所があったんだよな? そこから怪異方面の可能性を念頭においてもう一度探してみる」


「わかった」


「あ! 私も行きます!」



 行方不明になった場所に再度来てみると、暗がりの中明かりもつけずに必死で探すはやての姿があった。


『本当に数秒前までとなりにいたんだっ!! 少し見ない間に消えちまった! 嘘じゃねぇよ! 信じてくれ!』


 聞いた話では、そう言って部員たちの前で半分パニックに陥っていたらしい。

 仙狸の嗅覚から匂いはここで途絶えていたため、俺はこの場を颯に任せ、より範囲を広げて危険な場所を見回っていた次第である。


(秋原くんは妖怪の存在を知らない。妹がいなくなった時に仙狸の嗅覚がどうとか、そんな話をしても信じる事はできないだろうからな)


 瞳に涙を浮かべながらも懸命に声を上げ探している颯に声を掛け、自分たちもこの場所の捜索に参加する旨を伝える。心配で仕方ないのだろう、感情の制御も上手くいかないのか泣きながら感謝されたが、辺りは暗くなっており時間の余裕もない。

 挨拶もそこそこに秋原 凪の捜索活動を再び再開した。


 探し始めて十分ほど経過した頃合いだろうか。

 匂いが消えた場所から、少し林の中に足を踏み入れた場所を見て回っていたときの事だ。

 急に仙狸が足を止め厳しい視線を暗がりに向けた。


「何か……来る」


「!? わかった。警戒しろ」


 まだ、俺の耳に物音は聞こえない。

 しかし猫耳の動きと仙狸の様子から、尋常な状況ではない事を理解する。

 周囲にいる人間には身振りで合図を出し、声を出さないように注意を促す。

 もし、油取りのような危険な怪異だった場合この暗がりだ。俺や仙狸がいるとはいえ、不意を突かれた場合二次的な被害の可能性は十分に有り得る。


 だが……。


 急に、仙狸の猫耳はふにゃりと脱力し二本の尾も力を失ったように垂れ下がる。

 緊張で全身に力が入っていたのが見てとれた肉体は、完全に弛緩してしまっているようだ。率直に言ってまるでやる気が感じられない。それどころか。


(おいっ!? 何よそ見してるんだ!?)


 途端に興味を失ってしまったかのように、仙狸は警戒を解いている。

 そして、あろうことかその視線は俺の肩の辺りに注がれていた。


 前方から何者かの足音と、草をかき分けるようなが音がついに俺たち人間の耳にも届き始め、少し離れた場所にいて遅れて状況を感じ取った颯にも緊張が走る。

 当初この辺りは集中して捜索されており、現在は範囲を拡大して手分けして捜索に当たっているため、関係者である可能性は低い。何よりこの暗がりの中、懐中電灯も持たず暗がりを進んでいるのだ。明らかに普通ではない。


(くそっ)


 未だによそ見している仙狸と、縁たちをかばい前に出る。

 右目を真っ暗で見通す事のできない林の奥へ向け精一杯、声を張り上げ誰何すいかする。


「止まれ! 誰だ!!」




 足音が止まる。

 草むらから何者かの驚くような気配が伝わってきた。





「その声、倉木か?」


「え? 倉木さんですか? よかったぁ」


 状況がまったく理解できなくなる。


 返ってきたのは、この場では聞こえる筈の無い聞き慣れた会社の同僚の声と、現在みんなが必死になって探していた人物の安堵した声であった。


 黒木くろき たける秋原あきはら なぎの二名が林道の暗がりから姿を現す。



「……は? 黒木? お前なにやってんだ。それに……」


「凪っ! おいっ! 大丈夫か!!」


 颯が凪に駆け寄り抱きしめる。

 目を白黒させる妹の無事を瞬時に確認したのだろう。

 今度は黒木から彼女を庇うように立ち塞がり、敵意がこもった目で彼の事を睨みつけた。

 今にも殴りかかってしまいそうな険悪な雰囲気である。


「お前が凪をさらった犯人かっ」


 黒木に対して飛びかかって行く颯であったが、服を引っ張られその蛮行はそのすぐ背後にいた人物によって止められる。

 勢いよく颯が止めに入った人物を振り返ってみれば、必死な表情で颯を止めていたのは他ならぬ妹の凪だった。


「違うのっ! 黒木さんは命の恩人! わたしのこと助けてくれたんだよっ」


「へ?」



 黙って様子を見ていた黒木が口を開く。

 とても珍しい事にその口元には笑みが浮かんでいた。


「この子の兄貴か?」


「え? あ? ああ。…………いや、はい。そうだ……そうですけど」


 困惑し感情が追いつかないのだろう。

 黒木に対してどうリアクションを取ればいいのか未だに迷っているようだ。


「詳しい事情は妹から聞け。俺は口が上手くない……妹の事は大切にな」



 そう言うだけ言ってあっさり黒木は秋原兄妹に背を向け、俺に向き直った。

 黒木自身も事情がわからないのだろう。あまり見せないような珍しく困った表情を浮かべながら、声を掛けられた。


「倉木、説明してもらえるか?」


「……ああ。こっちも聞きたい事が山ほどある。まず秋原さんが見つかった事だけ連絡するから、それが終わったらでいいか?」


「もちろんだ」





 あの後、俺たちは捜索に出ていた人達に連絡を取りキャンプしている場所に戻ってきていた。本人に怪我もなく、意識がはっきりしている事もあり詳しい事情についても本人の口から語られる事になるだろう。

 現在は黒木とお互いの事情について確認している最中である。


「確かに、この辺りの依頼を受けているってのは聞いていたが……なんてだよ」


「元々、付近の家畜が犠牲になっていた。人間の犠牲者が出る前にとオレが呼ばれた訳だが、今回はギリギリで間に合ったようだな」


 凪は確かに人さらいの怪異にさらわれた。


 だが、その妖怪にとっての不運は拠点としていた場所には、ウチの会社の荒事担当である黒木が既に張り込んでいたのだった。


(俺や、響さんなら秋原さんは怪我をしていた可能性がある。今回は黒木だったから全て上手くいったんだ)



 黒木 武は怪異にとっての猛毒である。

 それは基本的に好奇心旺盛で、人懐っこい仙狸が未だに『大きい人』と呼び距離をとっている理由でもあった。


 その毒の正体は、武に憑いている強力な守護霊の存在。

 守護神とも呼んでもいいような力をもったソレは、もはや妖怪の善悪に関わらず怪異全てを駆逐する。

 ある程度は武の意思により、コントロールできるため仙狸も同じ会社に所属出来ているが、仙狸いわく近くにずっといると気分が悪くなってしまうそうだ。


『誰であろうとこの人は傷つけさせない』


 悪意を持った妖怪に対して退魔の意思を持って触れれば、問答無用でその怪異に致命的なダメージを与える。力を持った大妖怪や、神でもない限りたけるを傷つける事は出来ない。


 それが悟の会社の荒事担当であり、黒木 武の力の正体だった。


(だがここ最近が異常なんだ。本来、妖怪騒動で人手が不足する以前は今よりも安全に依頼を受けてた訳だし)


 不死身の肉体を持つひびきが初期調査を行い、大まかな危険性を報告する。心を見透かすさとるは最終的な害意の有無を判断し、たけるがその力を持って処断する。

 以前はそのような役割分担が為されており、比較的安全に怪異や妖怪の事象に取り組むことが出来ていた。


(そもそも所長が仙狸を勧誘したのも人手不足の解消もあるだろうが、長期的に見てより安全にする為だ。あの人ならそうする)


 ここに人を超越する身体能力を有する仙狸を組み込めば、安全性は格段に増す。


(いきなり黒木に遭遇したのが、人さらいの怪異の運のつきだったな……それにしても今回、俺たちは運がいい)


 黒木が会社に解決した旨を連絡していたため、事後処理の専門班も近いうちに駆けつけるだろう。警察にも連絡する前だったため、後は放って置いても話が大きくなることはあるまい。





 結局、あの後すぐ連携している会社から情報処理のため人がやって来たり、保護者や顧問の先生などに挨拶している内にいい時間になってしまった。


「もう夜も遅い。黒木もよければメシ食ってけよ。今回は世話になったしな」


「いいのか? 助かる」


 再びキャンプに戻ってくると、腹を空かせた仙狸に抗議の視線を向けられる。

 すぐに火の準備を行い、支度をしていれば結と縁、秋原兄妹がこちらにやってきたところだった。

 どうやら、秋原兄妹が関係各所にお礼で回っているようで、交流のある縁たちが仲介で同行したようである。

 秋原兄妹からしきりに礼を言われ、助けを求めるような目でこちらを見てくる黒木をあえて無視しながら、俺は遅くなってしまった夕飯の準備を行いながら近くにいた縁に声を掛けた。


「縁もお疲れ様」


「はい。今回は誰にも被害が出ずにみんなが無事で良かったです」


「ああ。確かに。色々とケチがついてしまったけど無事で何よりだよ」


「本当にそうですね。ほんとよかった……でも、何か天体観測どころじゃなくなっちゃいましたね……それだけがちょっとだけ残念です」


 苦笑を浮かべながら、縁が言う。

 本当に楽しみにしている姿を知っているだけに、その言葉は本人が意図していなかったが重く伝わってしまった。


「そうだな……せっかくここまで来たからにはゆっくり星みたかったよな」


 少しだけ気まずい沈黙があたりを包んだ。

 お気に入りの肉の準備をしていた仙狸が空気を読まずに近づいてくる。

 なぜか、また視線は肩に向けられていた。


「悟。まだ肩についてる」


「え? 」


 仙狸からの唐突な発言に何かを考える前に視線を動かす。


 そこには確かに


 白い物体である。毛玉のようにフワフワとした物が悟の肩にくっついていた。


「は? まさかコレ……」


 白い毛玉は、悟が今し方望んだ願いを叶えるためにゆっくりと浮かびあがり……あっという間に見えなくなった。

 驚いている悟たちに、空を見ていた縁の呆然とした声が届き、同じように視線を上げる。


「うそ……え? なにあれ…………雪?」


「えー? 縁ちゃんなに言ってんの?」


 空から無数の白い物体が舞い降りる。


 数え切れない程に、ゆっくりと、フワフワと地面めがけて落ちてくる物。

 このキャンプ場での続く幸運な出来事を引き寄せていた物の正体。

 少し離れた場所に目線をやれば、あの黒木でさえ口を開けてこの光景を凝視していた。


「違う。あれは……ケサランパサランだ」


 一つ一つが小さな妖力を持ち、見つけた者に幸福を運んでくるモノ。それが最後の願いを叶える為に雪のように舞い降りてきていた。



 結など普通の人たちには認識できない。


 悟を始め、怪異にえんがある者にしかこの幻の景色は見えていない。


 だが……。



「うわっ!? すっげーぞ! 凪! おいっ見てるか!?」


「うん!! すごい……すっごい!! なにあれ!?」



 はずの秋原兄妹から歓声があがる。


 縁や結も目を輝かせながら、言葉すらも失ってその光景を見入っていた。


 流星群の時期外れで一つでも見られれば、なはずの流れ星。


 それがまるで、このキャンプを祝福するかのように、光の筋を描きながら幾重にも重なって地上に降り注ぐ。


 流星雨。流星群の極大日ですら目撃できないような、流れ星の雨が夜空全体に広がっていた。




 一つ一つはささやかな力しか持たない、幸福を呼ぶ白い小さな怪異が作り出した幻の雪景色により、悟の願いは聞き届けられここに結実した。



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