第26話 悟ると隠し神
都心から車で走りしばらくすると、見慣れた街並みから景色が徐々に変わっていく。家屋などの人工物はだんだん少なくなっていき、視界を緑色が占める割合が多くなってくる。
(朝晩は涼しくなってきたけど日中はまだ気温が高い。しかし元気だなぁ。これが若さか)
車内はいつもと比べて大分にぎやかだった。
朝からテンションが高い縁と仙狸、元から元気な結以外に本日は同乗者がいた。頼まれていた天文部の送迎の件である。
車に乗り込む前に縁から紹介があったが、今年入ってきた一年生らしい。
元気よく活発な方が兄の
(今後は接点もないだろうし、とにかく今回安全運転で送迎をこなして……あとは自由を満喫しよう)
盛り上がっている車内に反して、スピーカーから流れるのは秋を感じる少ししっとりした曲、周囲は街というより自然と言った方がいい風景にいつの間にか変わっている。
(キャンプ場までもうすぐだ。気を引き締めていこう)
笑い声が響く車は、一同を人が支配する地域から少しだけ力が及ばない、不思議がいまだに幅をきかせる領域へと連れて行く。
「忘れ物はないか?」
「悟さん。ありがとうございました! 何かすいません」
「ありがとうございました!」と縁に続いて秋原兄妹二人の声が続く。
「ああ。三人はこのあと荷物の搬送やら部活の準備とかあるんだろ? こっちはこっちで好きにしているからもう大丈夫だよ」
「流星群の時期であれば、悟さん達にも楽しんでもらえたんでしょうけど、今回は学校の日程の都合上タイミング合わなくて……」
少し申し訳なさそうにしている縁の言葉を全て聞き届けず、被せるように言葉を重ねた。
「気にすんな。俺たちも十分に楽しみにしてたさ。それより三人ともせっかくの合宿なんだ。楽しんでこい」
「ありがとうございます! 自由な時間もけっこうあるので遊びにきますね!」
「縁ちゃんまたあとでねー」
荷物を持ってコテージの方へ去って行く三人に結が手を振っている。
時刻はまだ昼を過ぎたところで、夜はコテージの方に結も宿泊する予定である。
里帰りでもした気分なのか、仙狸もテンションが上がって興奮気味だ。
「すごい広い」
「ああ。たき火と簡単な料理もするから、なるべく人がいないところを探して先にテントを設営しよう」
(運がいいな。連休中なのに人が全然いないぞ)
都心から離れているとはいえ、近くには川もあり広々としていて景色もいい。
キャンプ初心者のための宿泊施設や、天文部員が予約しているコテージなど設備もしっかりしている。
休みとなれば賑わいそうなものだが、人の姿はなぜかほとんど見受けられなかった。
(たき火や料理は事前に調べて問題ない事を確認していたが、人がたくさんいたら気をつかうしな。なんか分からんがラッキーだ。これならある程度好き勝手しても問題ないだろう)
人がいた場合匂いの問題や、火の粉の問題もある。
風によって火の粉が舞い、テントに穴を開けてしまったり……風向きと人の密度によっては色々断念しようと思っていただけにこの幸運に感謝した。
「ここら辺でいいか。結! そっち持ってくれ」
「はーい。こんな感じ?」
「そ。そんな感じ。しばらく持っておいてくれ」
ふと視線を感じてそちらを見る。
仙狸である。
(めっちゃ見てる)
表情はいつも通りだが、耳と尾の動きで何がしたいのか分かってしまった。
「……仙狸にも手伝ってもらおうかな。それ持ってきてくれるか?」
「っ! わかった!」
「じゃ、立てちゃうから仙狸もコレ支えておいてくれ」
これも良い経験になるだろう。
結はコテージ泊だが仙狸はこちらでテント泊になる。自分の住む場所……巣作りともなれば気合いも入るだろう。この子の場合ただ好奇心でやってみたいだけだろうが。
(二~三人用といえど狭いのは変わらないから、寝る時は元の猫の姿になってもらわないとな。そうすればスペースも気にする必要ないだろうし)
ペグを打ち込み、シートを被せて固定する。
三人で協力して行った分予想以上の早さでテント設営は完了した。
「おおっ。やっぱり自分で立てると達成感あるね! 写真とっておこ」
「写真もいいけど次は火の準備だな。昼飯食ってないから腹減ってるだろ? 食材は仙狸がいるから多めに用意してきた。昼食と夕食の準備をしてしまおう」
先に準備をして昼飯がてらに一回軽く肉を焼く。
二人が満足したら、彼女たちは遊びに行かせて俺は火の番をしながら好き勝手させてもらうという寸法である。
夕方頃にメニューを変えて、簡単な料理とバーベキューの続きでもすれば満足してもらえるだろう。
周囲にまったく人がいない環境も手伝って気を遣う必要もあまりない。
(アウトドア関連は片付けが一番大変だし時間がかかる。いくら人が居ないとはいえ、マナーの問題だからな。次使う人のために明るいうちに切り上げて、入念に片付けだけはやっておかないと……結たちにも夕飯は早めにするっていっておくか)
薪を用意しながらボンヤリしていると、二人はその様子を興味深そうに見守っていた。
昼間はまだ気温の高く、日射しもいまだに強い九月。
とあるキャンプ場にジュージューと肉の焼ける音がこだまする。
鉄網の上で次々と焼けていく肉は、炭の匂いと混ざり合い、大自然の中で吹き渡る風がその独特な香りを鼻先まで運んでくる。
「やけてる。うまい」
「あー!! せっちゃんそれあたしが育ててた肉なのに! ひどいっ。なんて事すんの!?」
「……ボクの肉さっきとった。お返し」
「いいよ-。そういう事言うならせっちゃんの猪肉ちょっと貰っちゃお」
「っ!!」
少し目を離せば
ため息を吐きながら仲裁に入る。
「こらこら。馬鹿なことしてないでこっちにもまだまだ肉はあるんだ。焼くの代わるから、まずコレでも食っとけ」
「悟くん! ありがと」
「ありがとう」
用意していた肉がどんどん消化されていく。
自分でも余ってしまうのではないかと不安を感じていた量であり、天文部への差し入れも検討していたが、夕飯の事も考えればその心配もなさそうだった。
「あっちに川もあるしここは景色もいい。せっかくだ、落ち着いたら少し散策してきたらどうだ? 小腹が空いたら戻ってきてまた何か焼けばいい。火は俺がみてるよ」
「いいねっ。食べた分運動しなきゃ! 映える写真とって友達に自慢しよっ。いこ? せっちゃん」
「うん!」
(あれだけ食ってよく直ぐに動けるな)
去って行く二人を眺めながら苦笑する。
(よしっ。うるさいのを追い払ったところで俺は……コレだ!)
隠していたクーラーボックスからあるものを取り出す。
アワビ、サザエ、ハマグリ、ホタテなどの貝類とビールや日本酒などの酒類である。
(下処理も隠れて完璧に行ってきた。仙狸には食べさせられないしな。一人貝祭りをせいぜい楽しむとしよう)
おもむろにサザエを取りだし、網の上に穴を上向きにしてゆっくり焼いていく。
ビールを飲みつつ穴を眺め焼け具合を確認する。中身が煮たってきたら、バターと醤油を垂らしてつぼ焼きの完成である。
バーベキューの串でフタごと中身を取り出して、ひと思いに口にいれればサザエ独特のうま味と風味が口の中に広がった。
(あー。来てよかった……やばいな。これ、最高だ! 次はハマグリのホイル焼きにしようかなっと。それとも肉いっちゃうか?)
乾いたのどをビールで潤しながら次のレシピを思案する。
夜までの時間はまだまだあり、珍しいことに悟は存分に休日を満喫していた。
ー双子の視点ー
「すっげー夕焼けだな。雲が少し多いけど、予報だと夜は快晴らしいし良い星空が見られそうだ!」
「うん。来てよかったね!」
天文部で作った夕飯を食べ終えた秋原兄妹は、食後の運動も兼ねて天体観測場所の下見に訪れていた。
観測地点は開けた場所になっているが、予定している場所に着くためには少し林道を通る必要がありこの時間だとすでに薄暗くなっている。
「下見にきて正解だったな。こりゃ夜だと何も見えないぞ! 懐中電灯とかあるだけ持ってこないと危ないって先輩たちに言っておかないと」
「……うん。今でもちょっと怖いもんね。なんか出そうだもん」
「まったく相変わらず凪は怖がりだな! 夕日も差し込んでるし、まだ全然明るいだろ? 綺麗なのは分かるけど、怖いってのは気が早すぎんだろ」
「ーー」
「あ! それよりさ今日連れてきてくれた倉木さん、確かランタンとか持ってたよな? 移動の時だけ借りる事できないか聞いてみようぜ? たき火するとか言ってたし、少しぐらい貸してくれるだろ。なぁ? …………凪?」
返事がない事を不審に思い、颯は見入っていた空から視点を移す。
いつの間にか横を歩いていたはずの凪の姿は
周囲を見渡しても自分以外の人影はまったく見当たらない。
「……あれ? 凪?」
彼等は知らなかった。
人里を離れてしまったら、人間の常識など簡単に通用しなくなるという事を。
彼等は知らなかった。
気づかないだけで、身の回りには神秘や怪異というものが常に潜んでいるということを。
彼等は知らなかった。
怪異が活発になるのは別に夜だけではないという事を。
それは昼と夜の移り変わる時刻。黄昏どき。世界が切り替わる
かつては、人でないものに遭遇すると呼ばれた魔の時間帯。
昔の人々が畏敬を込めて、
彼等は知っておかなければならなかった。
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