第20話 悟ると八百比丘尼


 八百比丘尼やおびくにの伝説。


 元を正せば普通の一般人であった彼女は、ふとしたきっかけで人魚の肉を食べた事により不老不死の力を得てしまった。

 老いる事の無い身体。永遠につきる事のない寿命。


 最愛の家族や心の置ける友人に次々に先立たれても尚、終わらない永劫の時間。

 同じ場所に留まれば、周囲の人とは違う時を生きる彼女は気味悪がられ、嫉妬され、嫌悪され、彼女は俗世を捨て僧になり全国各地を回る。


 伝承によっては不死ではなく不老長寿ともあり、最期は誰かに寿命をを譲ったり、尼僧として入定したという逸話が多い。だが……。


「悟ちゃんもそんな所に立ってないで、こっち来て座りなよぉ」


 今も日本各地に言い伝えを残した存在が目の前で微笑んでいる。

 若々しい外見とは裏腹に、長い髪は色が抜け落ちて真っ白になっていた。

 ため息をつきながら近くに寄り腰を下ろす。

 相変わらず海は幻想的な青い光を放っている。


「どうしてこんな誘拐みたいな真似したんです?」


「偶然海辺で見かけてね。ただ悟ちゃんは気持ちよさそうに寝ていたからねぇ。カニ獲りをしていた猫の子にはお話ししたよ? 少しの間だけ借りたいって。知り合いだと話したら元気よく頷いていたんだけどねぇ」


「……あの子は、人里に降りてきて日が浅いんです。多分あまり意味分かっていない」


 そういえば捕まえた蟹に興奮していた。きっと頭から抜け落ちてしまったに違いない。


(頭は悪くないと思うんだがなぁ。はぁ。タイミングと場所と相手が最悪だ)

 仙狸の様子を思い浮かべながら言葉を探る。


「それに旅館にも迷惑がかかるでしょう? もう少し相手の事情も考えて下さいよ」


(ホテルならまだしも旅館だ。フロントにカギを預けたまま行方不明。捜索願いなんて出されたらどうしてくれるんだ? この婆さん)


「あの海辺の旅館でしょう? それなら心配いらないよぉ。顔が広いって何度も言ってるでしょう?」


 そう言って目の前の怪人は笑っている。


 長すぎる年月を生きてしまった彼女は、どこか感覚がズレていてあまり人の迷惑を考えない。

 彼女は一拍置いた後に続ける。


「それに理由だっけ? 悟ちゃんには何度も言ってるじゃないか。わたしには隠す事なんか何もないんだよぉ? 手っ取り早く見ても構わないって」


「……」


 さとりと右目を交換し異能を授かった俺と、人魚の肉を食べ不老不死の怪人に変貌してしまった彼女。

 経緯や相手、生まれた時代さえ違う俺たちは一つだけ共通していることがある。


 それは怪異によって文字通り人生、生き方を変えられてしまった事。

 その共通した一点だけで、俺は目の前の女性から妙な仲間意識を持たれていた。


 初めてこの人の心を見た時の事を思い返す。

 大切な人を失い続け、長すぎる年月に彼女の心は摩耗した。

 幾度となく自害を試みても失敗し続けた女の心は空っぽで空白だった。


(この人はもう壊れている)


「俺はもう貴方の心は見ませんよ」


「……そんな顔しないでよぉ。今は悟ちゃんや会社の変わった人達のお陰で少しは前向きになれたんだから。それに、ねぇ」


 一度彼女は言葉を止め青く光る海に目を向ける。


「この景色は特別なんだぁ。人や時代が変わってもずっと変わらない。何百年か前に見た時は心を動かされたんだけどねぇ。忘れないうちに悟ちゃんにも見てほしくて」





 夜が明けようとしている


 まだ空には星が輝いて


 しかし水平線からは太陽が覗き空との境界を曖昧にして


 青い光を放つ海を黄金に染めていく


 今も姿を見せずに歌い続ける楽しげな人魚。その歌声に釣られたのか、何処かから海座頭うみざとうの奏でる琵琶びわの音色が聞こえた。



「ーー」



 この世の物とは思えない絶景に息をのんでいるとふと視線を感じる。


「……どうしたんですか」


「……ううん。なんでもないよぉ? どう? いい景色でしょ」


 彼女が初めて見せる違和感のある笑顔。

 仮面のように完璧に作られた笑顔とは少し違う。

 何かを思い出したかのような、ぎこちない笑みがそこにはあった。

 俺が何かを言う前に彼女は続ける。


「この景色はね。昔、海をユラユラ漂っている時に偶然みかけてねぇ。あの時は何か感じたんだけどね。それを思い出したくてねぇ」


 なぜ海を漂っていたのか。


(それは聞くまでも無いだろう)



「何かを思い出す事は出来ましたか?」


「ううん。まったく。ただ……きっとさっきの悟ちゃんみたいな顔だったんだろうなぁって。そう。それだけ」


 沈黙が流れ、俺はまた目の前の光景を目に焼き付ける。

 独り言をこぼすように彼女は言った。



「響って名前はねぇ。いつかまた、このからっぽの心になにか響く物があるようにって。そういう願いを込めて名乗ってるんだぁ。本当につまらないわたしのたった一つの願い事。わたし達にとって名前は重要でしょう?」



(そうか。この人はまだ)



「だから、悟ちゃんにもできればそう呼んでほしいなぁ」


「……はぁ。分かりましたよ。響さん」


 そう言って呼んでやれば彼女はとても嬉しそうに笑う。

 それは全てを諦めて全てを失って尚、少しだけでも前向きに生きようと努力する彼女に相応しい笑顔だった。




 結局あの後、少しばかり景色を堪能して旅館に帰る事になった。

 響が赤えいにボソボソと何事か呟けば、巨大魚は再び動き出す。

 行きはとても時間が掛かったように感じたが、聞いたところによると朝焼けになるまでの時間は近海をグルグル周回していただけらしい。

 行きと違い帰りはとてもスムーズに旅館へ辿り着く事が出来た。


 旅館に戻った時には、まだ早朝と呼べる時間で内心戦々恐々としていた騒ぎにもなっていなかった。

 フロントに彼女が小声で一言告げただけで、すぐにカギを返却してもらうことが出来て思わず拍子抜けしたほどである。


「じゃあ、わたしはここで。また会社でよろしくねぇ。悟ちゃん」


 そう言った後、いつもの完璧な作り笑いを浮かべて彼女は去って行く。

 現れた時と同じように、去り際まで徹底して唐突で気まぐれに行動していた。


(本当におかしいだろ。そして困った人……苦手だ。やっぱり)


 部屋に戻る前に結たちの部屋に顔を出す。

 仙狸は昨夜、そのまま結たちの部屋に泊まったようで彼女達は揃って俺が失踪している事に気づいていなかったらしい。

 話している最中仙狸は少し挙動不審な様子を見せたが、気づかないフリをした。


 そして現在。

 旅館からチェックアウトを済ませ、ビーチパラソルの下で海で遊ぶ三人を眺めながら俺は微睡まどろんでいる。

 チェックアウトまでの時間は流石に寝ていたが睡眠時間が足りていない。

 そんな時、結たちから声が掛かる。


「もー! 悟くん海にきてからずっと横になってばかりじゃない。皆で遊ぼうよ!」


「勘弁してくれ。疲れてるんだ。三人で遊べばいいだろう?」



「……海。つまらなかった?」



 波打ち際の方に目を向ければ、手を止めて不安そうな顔をした三人と目が合う。


 一瞬、昨日からの出来事が走馬灯のように頭を駆け巡る。




「……いや。良い思い出になったし、いい夏休みだった。来年も遊びに来たいと思ったよ」



 そう言いながら俺は立ち上がり、笑っている三人の方へ足を向けた。




























































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