八尾 響

第17話 悟ると夏休み


 見送り、見送り、見送り、見送り……。


 一体、どれだけそうしてきただろう。


 些細な好奇心だった。

 こんな事を考えなしにするのではなかった。

 終わらない後悔と終わらない……。


 いつしか心は錆び付いて、何もかもが空虚となり、そして全てを失った。

 残ったモノは空っぽの心と張り付いた仮面だけ。


 惰性で暮らす毎日の中、いつかの自分に似た青年と出会う。


『あの時の自分はこの景色を見て、何を思ったんだっけ』


 もはや、ガラス玉の両眼では何も捉える事は叶わず。

 ふと思い立った些細な好奇心でソレを実行することにした。







 「めっちゃかわいいっ!!」


 結が猫の姿の仙狸をモフっている。

 驚きの声をあげさせる事が出来て、一定の満足を得る事ができた俺は中断していた報告書の作成に戻っていた。


(何を考えているんだか。まるで分からん)


 コーヒーを片手に、無表情で結のなすがままになっている仙狸を見る。

 人形が隣にあることで二本の尾が見えているのだろう。

 興味深そうに触ったりつついたりしながら反応を楽しんでいるようだ。


「せっちゃんは大人しくてかわいいねぇ」


(仙狸は妖怪の名称であって名前ではないんだが……名前とかあるのだろうか?)


 俺の仙狸呼びに名前だと勘違いしている様子だ。

 本当の名前など知らないと言えば、また結が騒いで「名前をつけてあげよう!!」とか言い出しかねない。

 怪異に関わる物にとって名は重要な意味を持つ。

 安易に名付けてまた面倒を起こしたらたまらない。


(勘違いさせたままにしておこう)


 報告書を作成しながらも横目で仙狸の様子をうかがう。


(共に危地を乗り切った中だ。身内にいきなり危害を加えたりしないとは思うけど)


 元を正せば野生の猫。

 試しに肉をあげてみたら喜んで食べていたし、山精に飛び掛かった事からも分かるようにわりと武闘派な猫耳少女だ。


 少し不安になりながらも、猫の姿のため普段より表情が読めなくなっている仙狸のおかげで、報告書の作成は幾分か遅れてしまうのであった。



(ん?)


 携帯の着信に気づき作業を中断する。


「はい」


「お疲れ様。どうだ調子のほうは?」


 昨日一日連絡をしなかったためか所長からのようだ。かなり責任を感じていたみたいだから不安になって連絡をよこしたのかもしれない。

 少しばかり申し訳なく感じながら口を開く。


「ええ。丸一日休んだお陰でなんとか。ご心配をお掛けしました」


「いいぞ。気にするな。元々はこっちの落ち度だ。悟には八月の初めまで依頼は休んでもらうつもりだ。休みもたまってるし夏休み……欲しいだろ?」


「いいんですか? そりゃ嬉しいですけど怪異がらみの異変増えてるんじゃ」


 内心ガッツポーズをとりながらも平静を装って応える。誰だって休みは嬉しいのだ。


「そちらは気にするな。獏の件も片付いたから黒木も手が空くしな」


「ありがとうございます」


「そうだ。休みに入る前に一度顔を出せるか? 出来れば協力してくれた妖怪、仙狸も連れて来て欲しいんだが」


「ええ。分かりました。丁度あと少しで報告書も出来上がるのでそれをメールした後に家を出ます」


「悪いな。じゃあ会社で待ってるぞ」


 電話を切った後、報告書の仕上げに入り完成した物を会社に送る。

 いつの間に人間の姿に化け、結と何か話している様子の仙狸へ声を掛けた。


「仙狸。ちょっといいか?」


「どうしたの?」


 仙狸に先程の事情を話す。

 終始黙って聞いていた仙狸はコクリとうなずいた。


「わかった」


「そうか? じゃあすぐに出るから準備してくれ」


 表情が変わらないから理解できているか怪しいが、今までの付き合いから決して頭は悪くない事は分かっている。


 今回の顔合わせは仙狸にとっても意味がある。

 所長は怪異に関係する会社を営んでいるだけあって、その方面には非常に顔が広い。

 人間に害を与えず利する事がわかれば今よりは人の世界で生きやすくなるだろう。


「それと結。聞きそびれていたが今日は何か用事があったのか?」


 ぼーっと俺と仙狸のやり取りを聞いていた結が思い出すように返事をする。


「あ。うん! 悟くん来週海行こうよ。もちろん縁ちゃんとせっちゃんも一緒に。休みもらえるんでしょ?」


「んー。正直あまり気が進まない」


 異界との境界が曖昧になり異常を引き起こした山が脳裏に焼きついている。

 海は山とはまた違う異界に近い場所だ。

 人の文明と切り離された場所ほど怪異の動きは活発になる。


(最もあれは天逆毎のせいだったがな)


 乗り気でないのが伝わったのだろう。

 口を尖らせた結が不満げに言う。


「えー。いいじゃん! 夏と言えば海!! 海行きたい!」


「他の友達と行ってこいよ……」


「車出してよ! それに学校だと縁ちゃん普段通りに振る舞ってるけど、よく見ると元気ないから気分転換にと思って。事情知ってる人で行った方がいいでしょ! ね?」


「うーん」


(正直それを言われると弱いんだけど。こんなこと前もあったな)


 チャンスだと思ったのか結が話をたたみかけるように話す。


「それにせっちゃんも海見た事ないから見たいって!! だよね? せっちゃん」


「みたい」


 結の言葉に仙狸が同意を示す。

 元々好奇心で山を下りて来た山猫である。


(仙狸を味方につけたか。二人でこそこそ話していたのはこれだな。結はこういう頭は回るんだよなぁ)


 勝利を確信したようなニヤニヤした笑みを浮かべ結がこちらを見ている。


「わかった」


「やった! もちろん一泊二日ね! そうしないと遠いからあまり遊べないでしょ?」


「泊まりかよ……ちゃんと家族に了解をもらってこいよ。面倒なのは勘弁してくれ本当に」


「分かってるよ! ううん? どこの旅館がいいかなー」


(最低でも二部屋とらなゃいけないよな。俺が払うんだろうなぁ)


 怪異案件の急増により臨時賞与も貰える事になっているため、未成年にあまりケチくさい事もいいたくない。

 皆には世話になっているからこの辺で還元しておくのもいいだろう。


「とにかく結。別にウチで宿選びしていてもいいが、帰るときは戸締まりしてから帰れよ。俺たちはもう出る」


「はーい」


 生返事になっている結に呆れながら、俺は仙狸を伴い会社へと出発した。




(落ち着いたら服を何とかしないとな。変化で変えられるか?)


 人化している時の仙狸は白い粗末なワンピースっぽい貫頭衣を着用している。

 おそらく仙狸の服に対するこだわりがないから適当に真似ているためだろう。

 都心では少し浮いてしまうし、一緒に歩いていると下手したら俺が職質を受ける恐れがある。


(まぁ、そうなったら所長に頼めばいいか)


 ウチの会社の所長は国家権力に対して相当太いコネクションがある。

 混乱を乱すため一般人には秘匿されている案件を扱う会社だ。

 お偉いさんから直接依頼を持ち込まれるケースもあるし、実際俺自身もそれらに携わった事がある。


(あまりやりたい事ではないけどな)


 覚の目は現代社会において非常に強力な武器だ。

 俺自身があまり表に露出しすぎると当然危険視されるだろう。

 それら諸々を考慮して選んだ上で所長は仕事を回してくれるため、俺はあの人に頭が上がらないのだ。


 都心のオフィス街の一角にある小さな会社へ辿り着き、所長への引き合わせは平穏無事に終了した。

 目の前で変化をみても流石に怪異慣れしているだけあって平然としていた。

 外見は四十歳を少しこえたぐらいの男性だ。

 特徴らしい特徴は一切無い。

 キャラはともかく人相については普通という言葉がぴったりハマる人物だろう。


(相変わらず恐ろしい人だ)


 しかし付き合いが深い人物はこの男の異常性に気づく。

 を記憶できないのだ。

 この部屋を出てしまえばこの人物の人相はあやふやになる。

 人相も本名すらあやふやな謎の人物。それこそが我が社の代表である所長であった。


「悟! この子は面白いな! ウチのアルバイトとして雇っていいか? お前が面倒みてるんだろ?」


「……本人がよければいいんじゃないですか? 好きにしてくださいよ」


「おお! そうか。じゃあ少し借りるぞ!」


 拙い言葉と容姿から忘れそうになるが、恐らく仙狸は俺よりも年を重ねている。

 所長も非常に怪しい人物だが身内を陥れるような事は絶対しない。

 人間社会で生きていくのであれば今後の仙狸の人生? のためにも当事者同士で話すべきだろう。


(相談されたときに相談にのればいいだろ)


 話が長くなりそうだったので近くで作業していた黒木に声を掛ける。


「よ。今日は黒木だけか? 本当にみんな出てるんだな」


「ああ。相当手が足りないらしい。お前も大変だったそうだな?」


 黒木と雑談して時間を潰す。

 三十分くらいたった頃だろうか。仙狸と話がついたのだろうようやく声が掛かる。


「悪い。待たせたな。報告書も確認したが事後処理はこちらで何とか出来そうだ。言った通り八月初めまでお前は休んでくれ」


「ありがとうございます。仙狸はどうする事になりましたか?」


「随分興味をもってくれてな! まだ本決まりではないが悟の休み明けから失せ物探しのような簡単な依頼を試験的に頼もうと思う」


「ああ。案外向いてるかもしれませんね」


 五感は人よりも何倍も優れているし怪異を見分ける事が出来る目を持ってる。

 そういう依頼にはピッタリだろう。


「そうだ。この子から聞いたが夏休みは海に行くらしいな」


「ええ。従妹から頼まれまして」


「だったらもし、八尾さんに会えたら一度会社に連絡するように言ってくれないか?」


「……俺、八尾の婆さん苦手なんですよね」


「頼むよ。悟が山の依頼を受けている間、彼女には海の依頼をこなしてもらった。依頼は達成したようだがその後音信不通で行方不明になってる」


「あの人なら何があっても大丈夫ですよ」


「そう言わないで頼むよ。勿論見かけたらで構わないからな! 八尾さんはお前の事気に入っているみたいだしひょっこり姿をみせるかもしれない」


「はぁ。わかりました。でも率先して探したりしないですからね?」


「それでいい。ゆっくり休んでこい」






 二人一緒に会社を出て帰路を辿る。

 なんとなく機嫌のよさそうな仙狸に声をかける。


「なぁ。海、楽しみか?」


「うん。悟は?」


「俺はそうでも……って名前」


 初めて名前を呼ばれた気がしてふと尋ね返す。


「結もあのおじさんもみんな言ってた。ちがった?」


「……いや。あってるよ。それでいい」


「そう。よかった」


 仙狸は相も変わらず楽しそうだ。

 俺の様子など気にも止めていない。

 好奇心だけで山から下りてくるだけの事はある。

 きっと毎日が刺激に溢れて楽しいのだろう。


(コイツも結も楽しみにしているんだ。そうだな。俺も素直に楽しもう。家に帰ったら楽しむための準備をしないとな。水を差されたらたまらない)


 海の怪異事典を頭に思い浮かべながらこれからの事を思う。




 夏休みはまだ始まったばかりだ。









































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