第16話 悟 る と天逆毎


 天逆毎あまのざこ


 天狗てんぐ天邪鬼あまのじゃくの祖ともいわれる神。

 たとえ相手が神であっても、自分が気に食わないと感じれば千里の彼方まで投げ飛ばし、矛でズタズタにしたという記述が見受けられる通り、神の中でも力を持った一柱。

 神としての在り方も、何でもあべこべにしなければ気が済まず、非常に気まぐれで獰猛な女神様だ。


(口を開けば歯が鳴ってしまいそうだ)


 ゴクリと唾を飲み込む。


 獣の顔を持ち女性の体を持つ。

 天狗のように鼻は高く、口からは鋭い牙を覗かせていながらも、体には神御衣をまとっている。


(仙狸は……ああ。よかった)


 背後に気配を感じ、何かにしがみつかれている感覚がある。

 野生動物の感だろうか。格の違いを感じ取ってしまったのだろう。

 目を向ける事もできず、後ろに隠れてしまったようだ。震えが伝わってくる。


(仙狸の暴走だけが不安だった。少し力があるだけでは全く意味が無い)


 仙狸が百人いたところで勝負にもならないだろう。

 相手はそういう存在だ。

 張りつめるような圧迫感を垂れ流しにしつつ、天逆毎はボソリと呟いた。


「釣りを……な。していたのだ」


「は?」


 意味の分からない言葉が聞こえ、改めて両眼で見据える。


(コイツ!? こちらの存在を気にも止めていないのか?)


 天逆毎はこちらに目もくれず俯いている。

 誰かに話しかけているというよりは、独り言なのだろう。

 心に浮かんできた言葉を、そのままこぼすように吐き出していた。


「暇つぶしに、な。このような遊びをしておれば、どこかの神がちょっかいでもかけてくれると思うたが」


 初めて天逆毎がこちらを見た。


「まさか釣れたのがニンゲンと畜生の二匹とはなぁ」


(うっ)


 心臓がすくみ上がると同時にズキンと、右目に痛みが走る。




『  』




 空白の心に浮かび上がる、たった一つの異常な心情。

 精神性があまりに違う。

 理解できない心を見透かそうとした目が痛む。

 これ以上、右目を開けている事ができない。


(神の心は覗けない……のか? 体への負担が大きすぎる)


「ん? ほう。読心の猿の目か。此方の心を覗くなど不遜だぞ? そもそもなぁ」


 少しだけ笑いながらそう告げたと思えば、瞬きの間に気配が一変した。


「此方の前で、頭が高いであろう?  平伏しろ!!」


 般若の形相。

 怒気だけで人を殺せそうな圧力が重みを持って悟を貫く。

 曼珠沙華の花が一斉に頭を垂れる。

 背後で仙狸がへたり込む気配がした。


 「ひざまずき許しをうしかない」と理性ではなく、本能で反射的に従いそうになるのを必死で堪えて言葉を返す。


「っ!! 断る!」


 永遠とも思える一瞬の時間の後に、天逆毎は笑った。


「最低限の胆力は持ち合わせているか。素直に従えば楽にしてやったものを、な。此方の挨拶に耐えたのだ。会話くらい付き合ってやるぞ?」



(危なかった)


 天逆毎は沈黙しながらこちら見つめている。


 選択を間違えなかった事に安堵し、従った場合の事を想像して肝を冷やす。


(従うことを良しとしない。伝承は本当だったのか? だがどうする? やる事なす事、真逆に返事をしていけばいいのか?)


 どう交渉すればわからない。


 覚の右目は使用できず。

 前といえば後ろ。右といえば左。

 気性が荒く、気分屋であり、気に入らない者に容赦しない。

 何でも意のままにならないと気が済まない妖怪神に、現在の手札で抗う手立てなど無かった。

 内心の動揺を表に出さず、切り返す言葉を瞬時に模索する。


 だが……残念ながら行動を起こすのは天逆毎の方が早かった。


「なんだ。ただそれだけか。つまらん、な。さっさと処分して次の暇つぶしでも考えるか」


「!?」


(何が起こった? 俺はまだ何も言ってないぞ!?)

 急激に関心を失った天逆毎の様子に内心取り乱す。

 動転した脳裏を稲妻のような閃きが走った。


(ああ……)


 天狗の祖。

 天狗は神通力を持ち、大天狗は読心能力すらも意のままに操る。

 天邪鬼の祖。

 反転する行動、直前の言動すらもひっくり返す。


 興味を失っていた様子の天逆毎が……嗤った。


(ちくしょう)


 神を欺き人間の思惑通りに事を運ぶなど最初から不可能だったのだ。

 密度を増した怒気が殺気に変わり空間を支配する。

 背後の仙狸をつき飛ばし彼女を逃がした後、天逆毎の前に立ち塞がる。

 彼女も次の瞬間には殺されてしまうだろう。寿命が数秒延びただけだ。


「では、な」


 いつの間にか天逆毎の右手に現れていた矛が、横薙ぎに振るわれた。


 次の瞬間には訪れるであろう最期に、諦めて目を閉じる。



 その瞬間、なぜかつり上がった自分自身の口角から意図しない言葉がもれていた。



『----------』



 いつまでもやってこない衝撃に、恐る恐る目を開ける。

 矛は、首の間近で止められていた。

 どういう意図があるのか、視線を前方に向ければ呆然としている天逆毎と目が合う。


「どういうつもりだ?」


「…………ふふふ」


 矛を収め距離をとったかと思えば、懐から扇を取り出し口元を隠して笑っている。

 状況を理解できずに見つめるも、こちらに構う事なく天逆毎は独りしばらく笑い続けた。


「見逃してやろう」


「……」


 ひとしきり笑い終えた後、天逆毎から告げられる。

 猛獣のような顔をしているが、一目見て分かる。随分機嫌が良い。


(なんのつもりだ? また言葉を翻して襲うつもりか? それならさっきそうすればよかったはず)


「そんなことはせん。此方を楽しませてくれた礼だ。褒美もとらせてやろうぞ?」


 自然に心を読まれている。

 最早、天逆毎かみさまの内心を予想することを諦め投げやりに言い放った。


「俺は目を瞑っていただけだ」


「ふふふっ。あまり笑わせるな。気に入った。名をなんと申す?」


(……)


「悟か。褒美は何がよい?」


 あきらめて、ため息をつきながら言葉を返す。


「褒美なんかいらない。だから今回の騒動の原因となった怪異を元に戻せ」


「そんなことで良いのか? つまらん、な」


(手を出さないというならさっさとどこかに行ってくれ……地雷原の上で、タップダンスでも踊っている気分なんだ)


「つれないのぅ。此方は興味津々だというのに」


「意味が分からなさすぎて生きた心地がしないんだよ」


「よかろう。其方の望みだというのであれば、戻そうぞ」


「ああ。それしか望まない。だから早く在るべき場所に帰れ。このままだと周囲に影響が出る」


 意識せずとも発せられる神の気配は、山の在り方その物を変えてしまう。

 了解してくれたのか発せられる気配が徐々に弱まり、天逆毎の姿は周囲に溶けるように消えていく。


「ふふ。でもそれだけだとやはりつまらんから、な。コレを渡しておこう」


 そういいながら消える直前に先程使用していた扇を渡された。


(いらない……その辺に置いて帰っ)


「くれぐれも大切に、な。適当に扱われたら悲しくて殺してしまうかもしれん」


 そう言いながら天逆毎の気配は完全に消失した。



「一体なんだったんだ」


 緊張の糸が途切れ背後に倒れ込む。


(やっぱり神なんて碌な奴がいない。今回はとびきり訳が分からなかった。なぜ俺は助かったのだろう?)


 未だ震えている手に持っている扇を眺めながら考えていると仙狸が近づいてくる。


「すごい。神様を追い払った」


 仙狸の目には崇拝にも近い尊敬の光があった。





 その後の事はトントン拍子で事が進んだ。

 気力が回復した後、俺たちは迷い家を出る。

 門の結界は消えていた。


 念のため仙狸に周囲の警戒を頼み、問題がない事を確認した後一人で下山する。

 仙狸には四人の警護で残ってもらった。

 携帯の電波が届くところまで下った後、緊急の応援を要請。

 怪異と遭遇する事もなく無事四人の引渡しを行った後、所長に電話で顛末てんまつを報告する。


「……悪かった。そして無事で本当に良かった」


 震えた所長の声が耳に残った。


 事情が事情のため、後日また正式に具体的な報告書の提出を求められたが、今日は直帰して構わないとの事だった。

「後は任せてくれ」と言ってくれた所長の好意に甘え素直に従う。

 車の中では流石に疲れたのか、仙狸は猫の姿で丸くなり大人しくしていた。


 そして現在。


 車を駐車場に停めて自宅への帰り道。

 仙狸と二人連れ立って歩く。

 周囲を歩く人の姿は無く時刻は既に深夜と呼べる時間である。


「聞きそびれていたが仙狸の記憶は戻ったか?」


「……」


 天逆毎は今回の件を元に戻すと約束してくれた。

 意味不明で天邪鬼の性質を持つ神だが、なぜか今回はいう事を聞いてくれる気がする。

 仙狸については記憶が戻るまで面倒をみるつもりだったがそれも必要ないかもしれない。


「……まだ戻ってない」


「ん? そうなのか?」


 仙狸の様子がおかしい。

 耳は忙しなく動いており二本の尾は振られていた。

 覚の件もあるので右目を使おうとして思い出す。


 初めて仙狸の心を見た時に残っていた記憶。


 大切な記憶や本人が大事だと思っていた記憶は、獏に食べられ虫食いのように欠けていた。

 残っていた記憶の彼女はずっと独りきりだった。


(……)


「分かったよ。約束は約束だ。記憶が戻ったら教えてくれ」


「わかった。すぐに教える」


 明らかにほっと息をつく仙狸に苦笑が漏れる。


(まぁ、あの猿のことだ。大した用でもなくただの嫌がらせか何かだろ)


 思考を打ちきりすぐ近くの自宅に足を運ぶ。

 偶然にも一昨日、家に連れ帰った時と同じシチュエーション。

 距離だけは二日前より縮まっている気がした。



 次の日は丸一日泥のように眠りそのさらに翌日。

 時刻は午前九時を回ったところ。

 俺は煎れたコーヒーを飲みながら今回の件の報告書を作っていた。

 仙狸は近くのソファーで猫の姿で丸まっている。

 お気に入りの市松人形は隣に置かれていた。

 ふと、彼女の耳が動く。


 玄関の鍵が開く音が聞こえる。


(またアイツは勝手に入ってきて)


 足音が近づいてくる。


「おっはよー」


「結。せめてインターホンを鳴らせ。学校は?」


「今日から夏休み……って! 何!? 悟くん猫飼い始めたの!? ってしっぽが二本ある!?」


(相変わらずうるさいし反省もしてない……そうだ。少し驚かせてやれ)


「仙狸、協力してくれ。こいつを化かしてやれ」


「へ? 悟くんなに言ってんの?」


 呆れたように欠伸をした後、仙狸は人間の姿に化ける。


 驚愕する結を笑いながら俺は改めて実感する。


(ああ。やっと日常に帰ってこれた)



















































 -天逆毎の視点-


(面白くなってきた!)


 飽いていた。

 全ての事がどうでも良かった。

 暇つぶしと称し神を潰す遊びも面倒になってきた時に、アレに出会った。


 悟とかいうニンゲンにまるで同化するように取り憑いていナニカ。

 強力な神たる此方の目でも見破る事のできぬ存在。

 あの時に呟かれた一言を天逆毎は何度も思い返す。




『ヨコドリハユルサナイ』




 この世界に現れてから初めての経験だった。


(まさか此方が恐怖を感じるなど)


 天逆毎はうっとりとしながらも獰猛に牙をだし嗤う。



「あれは此方の獲物だ! 誰にも渡さん!」



 狂ったように嗤い続ける天逆毎の様子など、この時の倉木悟は知るよしも無かった。














































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