第13話 悟ると仙狸2

 閉じた右目に反応がある。

 山の妖怪だというのはその感覚で分かった。


 仙狸せんり

 年を経た山猫。人に化け人の精気を吸う妖怪。

 猫又の起源という説もある怪異。

 山というのは未だに人の手が入っていない部分が多く、人の住む世界とは異なる異界との境界が曖昧な場所である。

 コイツはその異界の山から渡ってきた口だろう。

 日本の本州に純粋な山猫などいないはずだ。


 たどたどしい喋り方や、人に化けてもほとんど動かない表情筋から妖怪化してまだ間もないというのが感じられる。

 人としての振る舞いに慣れていない。

 それでも妖怪化するには長く生きる必要があるから、俺よりも生きている可能性は充分に考えられる。


(関わらないに越したことは無い)


「あー。悪いが立て込んでいるんだ。他を当たってくれ」


 言いながら背を向け再び帰路につく。

 酔いのせいか多少フラついたが何とか足を踏み出した。


「困る。待って」


 ……。

 真横から声が聞こえる。

 最近の出来事がふと頭をよぎり、足を止めてしまった。


(結や縁と譲……あいつらだったらきっと放っておかないだろうな)


 お人好し達の顔が脳裏を巡る。

 変わらず人は苦手だ。


 ただ自分が一緒にいて居心地がいい連中は、こういう時行動を起こすのだろう。


(俺も、変わりたいんだろうか?)


 自問自答しながら向き直り、事情を聞くことにする。

 こぼれそうになるため息はなんとかこらえた。


「いったいどうして俺なんだ?」


「猿に教えてもらった」


 猿? ……さとりか!?


「あいつは一体どこにいる!?」


 奴には言いたい事が山ほどあり、どうしても聞かなければいけない事もある。


「すぐ別れた。わからない」


 せっかく掴めたと思った手がかりが遠のき、歯を噛みしめていると淡々と仙狸の少女は続ける。


「伝言を預かった」


「教えてくれ。覚は何て言っていた」


「思い出せない」


(……コイツは一体何を言っているんだ?)


 あまりにも噛み合わない会話にやきもきする。


(まどろっこしいな。提案だけしてみるか)


「今から覚の目でお前を見る。いいか?」


「いい」


 即答である。

 相手が怪異であっても、敵対していない限りは一言入れる。

 人間ほどではないが、心を読まれるのは人を騙し欺くタイプの怪異は当然嫌がる。

 反面、動物型や本人が意思を伝えられないタイプの物からは希に歓迎される場合もある。

 少なくともコイツは俺を害する気が今のところはないのだろう。


 右目を開く。


(なんだ? コレは……)


 確かに嘘は言っていない。

 そして相手が何を探して何を求めているのかも全て理解する。

 仙狸は言う。


「そう。ボクの無くなってしまった記憶。それを取り戻してほしい」






(結局連れて来てしまった)


 仙狸の少女は物珍しげに辺りを見回して、猫耳をピコピコ動かしている。

 本人の自己申告と心を覗いた結果の照合によると、彼女の記憶はまるで虫食いのように所々欠けていた。


「これ。なに?」


「あんまり乱暴に扱うなよ?  怒られるの俺なんだから」


 市松人形に手を伸ばそうとする仙狸を注意する。

 お市さんからは嬉しそうな気配が伝わってきた。

 元々小さい女の子用に作られた人形である。

 遊んでくれる子供がおらず、蔵で長年放置されて拗ねてしまった人形だ。

 構ってくれる相手が増えて嬉しいのだろう。


 残念ながら人ではなく座敷わらしと仙狸だが。


 問題がなさそうなので思考を続ける。


(本人が大切だと思っている記憶だけ無くなっているのか?)


 覚の目は本人が自覚していない心の奥まで見透かす事ができる。

 笹木譲の件がそうだ。


(この子の場合、まるで初めから存在してなかったかのように所々欠けている)


 自覚したのは今朝目覚めた時。

 気持ち悪い違和感を感じて、考えれば考えるほどにおかしな事に気づいたという。


(覚に伝言は頼まれ、内容は無くなった……か)


 昨夜は本来の猫の姿で公園で体を休めていたらしく、根城にしていた場所も思い出せなくなっておりココに招いたという訳だ。


(行く場所も無く、所々記憶を無くした仙狸か)


 酔いであまり頭が回らない。


(今日は休むべきだな。明日また考えよう)


「ほら。その人形持ってきていいから。こっちだ」


 人形を手に持ったまま、コクリと頷いて素直についてくる仙狸を客間に案内する。

 独り暮らしにしては広い部屋を借りているのは、純粋に特殊な専門職のため給料がいいからだ。

 布団を適当に敷いてやり右目を開けて念のため尋ねる。


「部屋にある物は好きに使っていいが、悪いことはするなよ? 人の精気を吸うのも禁止だ」


「そんなことはしない」


(嘘は言ってないか。じゃあ大丈夫だろ)


 頭がフラフラする。どうやら俺も限界のようだ。

 ドアを閉めて自室に戻る。

 時計を見れば時刻は深夜の二時を回った所だった。


(仙狸って食事はするのだろうか……)


 ベッドに倒れこみどうでもいいことを考えていれば眠気はすぐにやってきた。




 翌日の日曜日は物音で目が覚めた。

 時計は午前八時を指している。


(朝から何やってるんだ)


 目薬をさしながら客間に向かう。


 扉を開けてみれば座敷わらしと向き合う仙狸がいた。


(縁のところの座敷わらしか)


 この座敷わらしがウチにくるのは珍しい事ではない。

 大抵は縁と一緒だが人形に会いに来るのだろう。一人でも家の中で見かける事がある。

 見つめあって硬直しており、間に挟まれている市松人形が非常にシュールだ。

 お互い無表情だから何を考えているのかも分からない。見方によっては喧嘩でも始まりそうだ。


(少々ルール違反だが)


 家主特権である。

 部屋の中で妖怪達に暴れられても面倒だ。

 両目で遠巻きに眺めたところ問題がないと判断して、少し笑いながらドアを閉めた。


 自室に戻ったところで携帯に着信が入る。

 相手は所長だ。


「はい」


「朝から悪い。今大丈夫か?」


「ええ。もしかして連続失踪事件で何か進捗でも?」


「ああ。黒木から聞いたか。四人目の被害が出た。今回は同業者という事で次は正式にウチが依頼を受ける。悟、頼めるか?」


(悪い予感は当たる物だな)


「分かりました。俺だけでしょうか? 追加の人員はいますか?」


「すまんな。他は手一杯でな。黒木にも別口の依頼を先ほど受けてもらった」


「また何かあったので?」


「ああ。ここ最近だが記憶に欠落が見られるという相談が数件来ていてな。医学的に説明がつかないという事でお上からこちらに話が来た」


「……なるほど」


(とても仙狸と無関係とは思えないな。だが黒木に任せておけば進展するだろ。あいつは優秀だ)



「分かりました」


「悪いな。いつ頃出られる? 出来ればなるべく早い方がいい」


「そうですね。今日一日準備に充てて、明日の早朝出ます」


「おお。助かる。給料は弾むからな!!」


 電話を切った後、居間に向かえば二人と一体で仲良く遊んでいる仙狸を見かける。

 少し申し訳なく思ったが、呼び止めて電話で聞いた事情をそのまま教えた。


「という訳だ。優秀な奴が担当するから近日中には解決するんじゃないかと思う。俺は明日には別件で曰くつきの山に出掛けなきゃならない。部屋は汚さなければ好きに使って構わないからな」


「……ボクもいく」


 少し考えるそぶりを見せた後、変わらない表情でそう言った。


「いや。完全な別件だぞ? 危険かもしれない。待ってた方が良くないか?」


「いい。山なら詳しい。手伝える」


 相変わらずの無表情だ。

 だが二本のしっぽはピンと立っており、何やらやる気が感じられる。


(まぁ。確かに山だったらコイツの方が断然詳しいだろうから役にたつかもな)


「分かったよ。明日の出発前に声をかける」


「わかった」



 仙狸を解放し明日の事前準備を行う。


(山に行くならまずコレだよな)


 巾着袋に塩をたっぷり入れた後、他に必要な物を揃えていく。

 準備を終え一息ついてから、休憩のコーヒーを入れて下調べに取りかかる。

 山にまつわる怪異の事典、伝承、歴史もろもろだ。

 勿論元々知っていたこともあるが、改めて今回の連続失踪事件に関係しそうな資料を手当たり次第に漁っていく。


(うーん。なんかパッとしないんだよな)


 気づかぬうちにかなり時間が経過したのだろう。

 冷めたコーヒーに顔をしかめて、再び怪異の辞典に目を落とす。


 その時だ。背中に衝撃を感じ手から事典を落としてしまう。


 後ろを振り返ると、少し申し訳なさそうな様子の座敷わらしと目が合った。

 はじめて同年代? の友人が出来テンションが上がってしまったのだろう。

 ヒラヒラと手を振り、大丈夫だと言いながら事典を拾い上げる。


 何気なく開かれたページに目を通す。

 あ行で事典の最初の方に記されたソレ。


(いやいやいや。そんな……まさかな)


 連続失踪事件。不特定多数の記憶喪失事件。


 今回の事件は全く違った怪異の仕業である。


 俺よりも何倍も経験のある所長がそう判断し別々に担当者を派遣した。


(ありえないだろ。考えすぎだ)


 だがもしも、もしも。今回の件にコレが関わっているのだとしたら事件は繋がってしまうのではないか。

 そんな自分でもありえないと思う妄想を馬鹿にしながらも、俺はこの怪異について調べる事を止める事は出来なかった。




 早めに就寝してしっかり休息をとったあと、予定している時間より少しだけ早く目を覚まして忘れ物が無いか確認を行う。

 まだ日も昇ってもいない月曜日のAM四時。

 体を休めていた仙狸に声をかけ、出発の準備をする。

 目的地は最近人を喰らうと悪評がたってしまった連続失踪事件の山である。


「じゃ、行くか」


「うん」


 そう仙狸の少女に告げ、俺は依頼の山へ向けて歩みを向けた。



















































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