第6話 悟ると覚

 少し時間はさかのぼる。


 時刻は土曜の早朝、冬木 縁が慌てて家を出た頃、俺はまだ眠りについていた。

 見ていた夢はよりにもよって最悪の夢。何年たっても繰り返す後悔の記憶。

 俺の人生の転機となる、あの人語を解する猿と初めて遭った時の夢である。


「我と少しばかり取引せんか?」


 素晴らしい提案とこの猿の化け物は言っていた。


「取引……何だ? なんかくれるのか?」


 虫の一件で気を許していた俺は、前のめりになりながら話を促す。


「我はさとりという所謂いわゆる、妖怪での。相手の心を見透かし読む事ができる」


 妖怪? おばけって事? それに心を読む?? 人の言葉を話している時点で充分おかしいのだが……

 流石にすぐに言葉を返す事ができず、出かかった言葉が口の中で止まる。

 覚と名乗った化け物が、その湧き上がった感情を引き取った。


「疑ったのぉ? 


 驚愕である。勿論疑ったのは事実だがそれは恐らく表情にも出ていた。

 だが俺は、名を名乗っていない。


「驚いたか。何、そんなに怯えなくてもよい」


 すぐに心に湧き上がった感情を言い当てられる。とても……とても恐ろしい。


「無理もない。だが取引というのはの、この力をお前に分けてやろうと思っての」


 力って? 心を読む力? 


「正確には見透かす事をできる目だがの。便利じゃぞ? 人気者にもなれよう」


 そうか。相手の心が分かれば両親にも叱られずにすむし、友達に何をしてあげれば喜んでもらえるか分かる。事前に答えを知っているんだから。


 ……誰にも嫌われずにすむかもしれない。


「そう。そう。だけは保証しよう」


 だがそんなに良い物、取引って言ってたし差し出せる物がない。


「何。単純な話だ。我の右目を与えよう。その代わりお前の右目を頂きたい」


 俺の右目? 目は良い方だが……大丈夫なのだろうか。

 痛みを想像して顔をしかめる。


「痛みは恐らく無いだろう。我とお前は相性がいい。お前のがソレを証明している」


 だから姿を現し取引を持ちかけたのだと、覚は締めくくった。

 言っている事は理解できなかったが、痛みがないのであれば悩むまでもないだろう。


 子供だった俺は深く考えもせずに奴の取引に応じた。

 交換は驚くほどあっけなく行われ俺の右目は無事、覚の目になった。

 感謝を告げるため覚を見つめる。

 奴の言った通り心を見透かす事ができた。

 言葉では言い表すことができない感覚で、使い慣れていなかった事もあり、細部まで意識できなかった俺の脳は、まだ複雑な感情を処理できないようだ。

 だが、一つだけ意識せずとも読み取れた強烈な心の中の動き。


 大きすぎるその感情は、歓喜。


「おぉ。おぉ。見えない。見えないぞ!」


 まだ、詳細までは読み取れないがとても喜んでいるようだ。

 右目で見るまでもなく、声を出してはしゃいでいる。

 こちらも嬉しくなってくる。まさにwin-winの関係だな。


「感謝するぞ。悟」


 そう言ったかと思えば、止める間もなく奴は山の中に消えていった。


 虫を回収した後、探していた両親と合流しもの凄く叱られる。

 ただ、覚の目のお陰で怒りの中に俺のことを心から心配する感情が見え、大人しく心の底からお詫びする。

 いつもと違う殊勝しゅしょうな態度に、両親は不思議そうに首を傾げていた。

 家についた後は自分なりに覚について調べてみる。

 実は悪い妖怪だったらどうしようと、後になって不安を覚えたためだ。


 覚……心を見透かす。心を読む妖怪。


 隙をみて人を取って食うという紹介もあれば、山神の化身の童子が零落れいらくした姿という紹介もあり、実に様々な物だった。


(こんな便利な力を持ってるなら、元、神様っていうのも納得かな)


 人を食うという記述にはさすがに怖いと思ったが、奴の心は俺に対して感謝しかしていなかった。

 今後どうこうという事もなさそうである。


(明日からの生活が楽しみだ!)


 結論から言えば奴の言った通りになった。


 一週間でクラスの人気者になった。

 一ヶ月で誰もが認める優等生として認知され、先生や両親から期待が嬉しかった。


 ただ一年後、俺の周りには誰もいなかった。

 確かに覚は嘘はつかなった。


 人に嫌われる事は無くなったが……俺が人を嫌いになっていた。




(……っ)


 腹部に衝撃を感じて目を覚ます。

 最悪の目覚めだ。

 夢見が悪かったのもあるが、それはよくあることである。

 目をあけ体を起こそうとすれば、何者かが自身にまたがっている。


(冬木さんにいているか。今日はどうしたんだ?)


 そう。前回ベランダに現れた子だ。

 怯えている冬木さんには申し訳なかったが、この子とは協力関係にあった。無論、彼女の幽霊騒動の件である。

 最初にこの子の心を見た時俺は全てを理解した。


 冬木さんが何か悪いモノに憑かれている。


 この子は元々、冬木さんの爺さんの家に憑いていた。

 だが、爺さんが亡くなり、家が無人になるのと同時にやってきた冬木さんの事をいたく気に入ったらしい。


 座敷わらしは家に憑く……が、まれに人に憑くケースがある。


 しかし、無人になってしまう家から離れ、一緒に引っ越しを企んでいる矢先に問題が起きた。

 お気に入りの彼女が、山で何か悪いモノに目をつけられた事を見抜いたのだ。


 座敷わらしはそれを阻止しようと必死に邪魔をしていた。


 悪い霊や妖怪に憑かれると普段ならともかく、意識がない睡眠中などに、もしばれたりすれば普通の人は抵抗できない。

 それを妨害した結果が、冬木さんが怖がっていた怪奇現象の真相である。


(冬木 だもんな。今回もが原因だったか)


 本人とっては理不尽だろうが、座敷わらしとえんを持てたのは本人にとって不幸中の幸いだろう。……冬木さんは事情がわからないため恐れているが、この子の正体を明かしてしまえば先方がどう動くか分からない。黒幕の存在にも確信が持てなかったため、彼女には可哀想だが曖昧あいまいな態度でやり過ごしていた。


 そんな座敷わらしが、俺に跨がって必死の形相でこちらを見ている。

 どうやら冬木さんに何かあったらしい。

 右目をあけ心を読む。


(ついに動きがあったか。荒事は自信がないが、山にいる妖怪や幽霊であれば何とかなるだろ……なるよな?)


 一応、落ちぶれても元・山神様という逸話のある妖怪の目を持っている。

 今まではコレで何とかなっていたため、山にまつわる怪異の依頼は俺に回ってくる事が多かった。

 この座敷わらしと初めてあった時、この子が嬉しそうにしていたのもソレが理由だ。


 急いで家を飛び出る。

 駐車場に止めてある車に乗り込み、すぐに発進させ高速道路に合流する。


(間に合えばいいが……)


 ここ数日座敷わらしの協力もあり、事前にできる準備は済ませておいた。

 原因となっている地域は車のカーナビに登録済みだし、何かあっても対応できるように下調べもしている。



 数時間かけて現地に辿り着き、そこから冬木さんに憑いている座敷らしの心を読んで、場所を特定する。

 人に憑いた座敷わらしだ。繋がりがあるため居場所は大体分かった。

 山の前にある空き地に車を停める。

 そこで座敷わらしが姿を消す。


 緊急事態らしい。


 急いで山を駆け上がる。

 そこまで体力には自信が無いが必死に走る。

 前方から何かが転げ落ちる音が聞こえ、一瞬足を止める。

 横にはいつ現れたのか座敷わらしがおり、袖を引っ張られる。近いっ!

 警戒しながら近づくと、聞く人間を不快にさせる嗄れた声が聞こえた。


「やっとか……手こずらせやがって」


 気配を消し近づけば、包丁を振り上げる醜悪な老婆と、涙を流し目をつむる冬木さんの姿があった。

 あまりな光景に思わず咄嗟とっさに声が出る。


「最低だ」


 二人がこちらを見る。


 一人は『驚愕きょうがく畏怖いふ・怯え』。一人は『混乱・困惑……安堵あんど


 見た瞬間に全てを理解し、醜悪な老婆……山姥やまうばに声をかけた。


「その子は俺の従妹の大切な友人なんだ。手を引いてほしい」


「……」


 山姥に反応はない。


 正直かなりギリギリの状況だった。肝が冷えた。

 端からみればまだ緊張状態は継続中……だが俺には、このいく先のが見えていた。


 うなだれた山姥は、振り上げたままの包丁をゆっくりと下げる。

 そうして驚く冬木さんをよそに、俺に頭を下げると落ち込んでいるような足取りで静かに山を登っていった。


 山姥は文字通り山に逸話のある妖怪である。三枚のお札のお話が有名であり、執念深く、人を喰らう妖怪としても有名だ。


 だが、違う側面として元々は山の神に仕える巫女が妖怪化したという話もある。


 勝算は微妙なラインだったが、山姥の逸話を考えれば話し合いくらいはできると踏んでいた。


(話し合いになれば覚の独壇場どくだんじょうだしな。今回は相手が良かった)


 幸福の座敷わらしが、こちらに居たのも大きいだろう。



 驚いた表情でこちらを見つめる冬木さんに近づく。

 逃げている最中、色々なところを切ったりぶつけたりしたのだろう。

 小さな傷が所々に見える。足も怪我しているようだ。


「ごめん。遅くなった。怖かったでしょ?」


 冬木さんはまだ俺の隣にいる座敷わらしに怯えたような顔をしていたが……俺とつないでいる手に視線をやり、ニコニコ笑っている座敷わらしに危険をを感じなかったのだろう。


 ゆっくりと俺に視線を合わせる。


 開けたままだった右目を静かに閉じる。


 計らずもウィンクのようになってしまい、苦笑がもれる。


 もう相手の心は分からない。


 静かに涙する冬木さんに安心させるように告げる。


「もう大丈夫だよ」


 何かが決壊したような、山に響く大きな声で冬木さんはしばらくの間泣き続けた。
























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