第5話 悟ると山姥

  -縁の視点-


 「お久しぶりですね。随分と顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」


 以前裏山で会った綺麗な女性である。あの時は少し話をして別れたが、こちらの事を覚えて気にかけてくれているようだ。

 まだ少し気分が悪いが心配をかけてはいけない。

 何とか頷き、大丈夫だと伝える。


「あれからお会いする機会もなく、少し残念に思っていました」


 女性は親しげな笑みを浮かべ話し続けている。

 話がよく頭に入ってこない。

 意識がまたぼんやりとしてくる。

 私はさっきまで恐れていたのだろう?


「まだ少し具合が悪そうですね。そうだ。前にご提案した事覚えてます?」


 人好きのする笑みを浮かべ、女性が尋ねるが一体何の事だろう?

 疑問が顔に出ていたのだろう。女性が続ける。


「是非、わたしの家に遊びに来てくださいって。体調が戻るまで少し家で休んでください」


 流石に悪いと断りをいれるが、女性も笑いながら答える。


「一人暮らしですし、わたしもお話できる相手が欲しかったんです。ここからそう遠くありませんし、是非に」


 何度も断っても悪いし、頭がぼんやりしているのも本当だ。

 お言葉に甘え頷いて見せれば「ご案内します」と笑いがら歩きだす。

 何も考える気になれず女性に同行する。歩みは山の方角へ向かっていた。

 

 山道を登る。

 どのくらい歩いただろう。

 最初は饒舌じょうぜつだった女性もあまり話題がなくなったのか、しだいに口数が少なくなっていく。

 流石に疑問に思い問いかける。


「あの。あとどのくらいで着きますか?」


 女性は前を見つめ歩きながら答える。


「もう少しですから」


 もう大分歩いたはずだ。

 道も険しくなってきた。依然、頭はかすみがかかったようになってしまい、上手く思考がまとまらずボーッとしている。

 身体も少し疲れてきた。


 そんな時だ。


 何かに足をとられ転んでしまう。

 女性は気づく様子もなく先導して歩いていく。


(おいて行かれる)


 慌てて立ち上がり追いかけようとすれば……何者かにそでを引かれた。


 咄嗟とっさに後ろを振り向けば、おかっぱ頭の童子が無表情でこちらを見つめている。


「ついて行ったら駄目」


「ひッ」


 悲鳴がもれる。

 身体が硬直し一瞬思考が白く染まる。

 になった頭で瞬時に置かれている状況を理解する。


(あの子供のっ! 幽霊!? どうして!?)


 強い力でつかまれている訳ではないが、なぜだか振り払う事が出来ない。

 硬直したまま何も出来ず見つめ合うこと数秒。

 私がついてきていない事に気づいたのか、女性が引き返してくる音が聞こえる。


(助かったっ!)


 助けを求めるため、童子から視線を切り女性に顔を向ければ……。



 出刃包丁を片手に持った醜悪しゅうあくな老婆が、忌々いまいましげなこの世のものとは思えない表情で、私達をにらみつけていた。


 

 (~~っ! ~~!)


 逃げる! 逃げる! 後ろからしゃがれた怒鳴り声が聞こえる。


「何処へ行った!? 糞っ! あの餓鬼がきっ! 何度も何度も! 邪魔をして!」


 もの凄い勢いで鬼のような顔をした老婆が追いかけてくる。

 ボロボロの粗末な布切れをまとい、無造作に伸びきった長い髪を振り回しながら、そのしわだらけの顔を禍々しくゆがめて、大きな包丁片手にどこまでも追ってくる。


(何で!? どうして!?)


 意味がわからない。涙がこぼれるが足は止めずに懸命に走る。走る。

 だんだん距離が詰められる。とても老人が山を駆け下りるスピードではない。


「あの餓鬼っ! が邪魔しなければっ! もっと早く、楽にっ! 喰らえたものをっ」


 涙で視界がにじむ。

 なぜ、私がこんな目に遭わなければいけないのだろう?

 なぜ、私ばかりがこんなっ! こんな理不尽な目に遭わなければいけないのだろう?

 なぜ、私が……私が何か悪いことをしてしまったのだろうか?

 恐怖と色々な感情がごちゃ混ぜになりながら、懸命に足を動かす。

 下る。下る。必死に。懸命に。


(誰か! 助けて!!)


 祈りは届かず、ついにこの逃走にも終わりがくる。

 涙でグチャグチャになった視界と、体力もとうの昔に限界だったのだろう。

 足を捻り派手に転ぶ。山道を転げ落ちる。

 痛みで起き上がる事もできない。


 少し離れた場所から声が聞こえた。


「やっとか……手こずらせやがって」


 何かを吐き捨てるように呟く老婆が、ゆっくり近づいてくる。だが、その言葉とは裏腹にその口元は、これから自身が起こす結末を期待してはっきりと愉悦のかたちに歪んでいる。

 その手にはまだ、しっかりと包丁が握られていた。



(ああ……ここで殺される)



 両親の笑顔が浮かぶ。妹達との楽しかった日々を思い出す。

 友達の事。部活の事。学校の事。次々に浮かんでは消えていく。


 みにわらう老婆が視界に入る。


 振り上げられる包丁が見えた。


 意味が分からない理不尽な最期に、悔しくてあふれる涙をこぼしながら目を閉じる。


(おとうさん、おかあさん。……親不孝してごめんなさい)






「最低だ」






 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 目を開ける。包丁は振り上げられたままの状態で止まっている。

 老婆を見る。

 呆然とした顔をして、声がした方角を見て固まっている。


 表情には驚愕きょうがく畏怖いふ、そして…怯え?


 止まらない涙で赤くなった瞳をそちらに向けてみれば、つい最近知り合ったばかりの男の人の姿。


 倉木 悟がおかっぱ頭の童子の手を引き、両眼でこちらを見据えながら、ゆっくり近づいてくるところだった。






























 

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