第3話 悟ると童子
「嘘だろ」
思わず呟く。
小袖を着たおかっぱの女の子は何が楽しいのか、こちらを機嫌よさげに眺めている。
「いきなりどったの? びっくりするじゃん」
結がこちらに近づいてくる。
結を無視して右目を閉じて、もう一人の冬木と名乗った女の子に声をかけた。
「冬木さん」
冬木と名乗った子はベランダの方を見ながら顔を青くしているようだ。先程よりもはっきりした声で呼びかける。
「冬木さん」
顔色は
「さっき見えるって言ってた幽霊ってベランダにいるあの子?」
「見えるんですか!?」
まるで迷い子が母親でも見つけたような顔で彼女は俺を見る。
「うん。怖かったね。大変だったでしょ?」
「~~」
冬木さんは声をつまらせると、
誰にも信じてもらえず相当怖かったのだろう。
結が冬木さんを
二人に気付かれ無いように、右目を開け不思議そうにこちらの様子を眺めているおかっぱの女の子に、背後に聞こえないよう静かに声をかけた。
「ありがとうな」
少し言葉を交わした後、この場はお引き取り願い自身もベランダを後にする。
戸締まりした後にカーテンを閉めようとすれば、流石にこちらの様子に気づいたのか結から声がかかった。
「だ、大丈夫なの?」
結の背後には怯えた様子でこちらを窺う冬木さんの姿も見える。
「ん。あの子は問題ないよ。とりあえず冬木さん、少し事情を聞かせてもらえるかな?」
「は、はい」
まだ、少しばかり動揺しているようだが、声を詰まらせながらも最近起こりはじめた奇怪な出来事を話し始めた。
時折その時の恐怖を思い出してか、声を震わせながら懸命に説明してくれる彼女に対して、俺は優しく
そんな俺を、結は
怪奇現象が起こり始めたのはここ一ヶ月あまりの事。
最初は、誰かに見られているような変な気配を感じた事だったらしい。気のせいだと気にしないようにしていたが、ここ最近では夜に誰かが家の中を走り回る様な物音や、深夜窓を叩く音など次第にエスカレートしていき、昨夜など寝ている時に圧迫感を感じ目を覚ますと、先程の子が自分に
恐怖で動けなくなって固まっている内に、空間にとけるように消えてしまったらしい。ベランダの一件で顔を青くしていたのも、そういう経緯があったからだろう。
両親と妹二人の五人で住んでいるそうだが、怪奇現象に
相談しても心配はしてくれるが、学校生活のストレスが原因じゃないかと生活面を心配され途方に暮れていたようだ。
一通りの話を聞き終えた後、おかっぱの髪の子を見た当初から思っていた事を聞いてみる。
「最近、どこか旅行とか行ったりした? 例えば、東北とか」
あの子の話は、あまりこの辺では聞かない。
少し驚いた顔をして冬木さんは答える。
「はい。旅行では無いんですが、二ヶ月前におじいちゃんが亡くなって」
(なるほど)
「どのくらいそこに居たの?」
「おじいちゃん一人暮らしだったから。ちょうど春休みで片付けもあって、二週間近く滞在したと思います」
「そこにいた時は変な事は起こらなかった?」
「はい。まったく」
少し質問を変えてみる。
「じゃあ、滞在中に特に印象に残ってる事とかない?」
少し考える素振りを見せ冬木さんは答える。
「……。おじいちゃんの事ばかりですね。やっぱり。ずっと妹達と泣いてたんですけど、私が一番お姉ちゃんだしこのままではいけないって。そう思って」
うなずきながら続きを促す。
「気持ちを誤魔化すために、片付けも率先してやってる内に気持ちが少し上向いてきて、妹達も少し元気になってきて、最終日にはほんのちょっとだけ前向きになれました」
「ごめん。そうだよな……大変だったね」
「いえ。滞在中は、やはりおじいちゃんの事ばかりだったと思います」
(そうか)
「あっ」
ふと、少し驚いた様子で冬木さんが声をあげる。口に手を当てて、今まで忘れていた大事な何かを唐突に思い出した、そんな仕草をしていた。
「どうしたの?」
「印象深いと言えば、最終日の前日。おじいちゃんがいた風景を忘れないようにしようと思って、その村を散策したんです。
「うん」
「夜になって、裏山に懐中電灯を持って天体観測に行きました。明かりもほとんど無くて少し怖かったけど、この村に遊びに来た時はおじいちゃんとよく行った場所だったから」
「私、天文部なんです」と冬木さんは続ける。
「少し登ったところに開けた場所があって、そこで見た星が忘れられないくらい印象に残っています」
その時の光景を思い出しているのか、初めて笑みを浮かべ冬木さんは思い出したようにつけ加えた。
「そういえば、山から下りて帰る時にとても親切な女の方にも出会う事が出来ましたし。その日が滞在中で唯一楽しい日でしたね」
「女の人? 夜の山に?」
冬木さんも
「ええ。山と行ってもかなり低くて。ただ、私自身も私以外の人間がいるとは思わなかったから、流石に出会った時は怖かったですけど……その人、今まで見たことないくらい凄く綺麗な方で」
昼の時間もほとんど人と会わなかったし変な話ですよねと冬木さんは笑う。
(…………)
「相手の方も私に驚いていたんですけど、その時警戒する私にも色々親切にしてくれました」
「それで、その方とは何かあった?」
「え? 特に何もありません。少し話をして別れました」
「話?」
「おじいちゃんの事とか。学校の話とか。ついつい話したくなる不思議な人だったんですよね」
別れる際に「是非次は遊びに来てください」と誘われたけど、もう帰る予定だったし結局行けなかったなぁと冬木さんはこぼした。
時計を見上げるともう十九時近くなっている事に気づいた。
親御さんとも付き合いのある結はまだしも、冬木さんは帰さないと門限もあるかもしれない。
「暗くなってきたしもう帰ったほうがいい」
冬木さんが不安そうな顔で尋ねてくる。
「あの、大丈夫でしょうか?」
何が? とは聞かない。安心させるよう笑いながら気軽に言葉を返す。
「うん。あの子の事は心配しなくていいよ。絶対に悪いことはしないから」
話はしてある。あの子は大丈夫だ。
「もし不安だったらいつでも連絡をしてくれ。相談に乗ろう」
やはり不安なのだろう。少し悩む
だが残念ながら、現時点で出来る事はもう無い。結がいるとはいえ、初めて会ったばかりの男の家にこれ以上滞在させるのはマズいだろう。
今までずっと静かにしていた結がここで口を開く。
「んじゃ、あたしが帰り送ったげるね。何だったら明日一緒に学校いこ?」
「ほんと? ありがとう。結ちゃん」
内心ほっと息をつきながら動向を見守る。
二人で話しが進んでいき、どうやら結が当面面倒を見てくれるようだ。
話がついたのか冬木さんがこちらに向き直る。
「あの、いきなり押しかけたのに相談まで乗ってもらい本当にありがとうございました!」
「結の友達だしね。まぁ、何かあったら相談してよ。気をつけて帰ってね」
立ち上がり玄関まで見送る。
ここでふと結が口を開いた。
「あ。縁ちゃん少し外で待っててくれる? 悟くんに用事があんの」
「うん。あ、倉木さん本当にありがとうございました!」
ヒラヒラと手を振りながら冬木さんを見送った後、扉が閉まったのを確認してから口を開く。
「一体どうしたんだ?」
「縁ちゃん……ヤバいの?」
一瞬表情が固まるが何とか取り繕う。
努めて明るく言葉を発した。
「何言ってんだ。結も聞いてただろう? 冬木さんが言ってる女の子については大丈夫だ。話もつけた」
嘘は言ってない。
「だって悟くん。基本、塩対応じゃん。ベランダに行った後に急に縁ちゃんに優しくなったし」
結は言葉を続ける。
「前の時も本当にヤバい時は優しかったし……本当に信じていいんだよね?」
何も考えていないようで良く見ている。
ため息をつきながら言葉を返した。
「一つお願いを聞くって約束だしな。何とかするさ」
そう言ってやれば、ようやく安心したように結は笑った。
「ありがとね。悟くん!」
結が帰った後、居間に戻り食べかけの伸びまくったカップ麺を目にしもう一度大きくため息をつく。
市松人形のお市さんだけがその姿を見つめていた。
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