その6 初めて見せる、私の「表層」
ほんの少し、沙織さんとみなと君が気になった。
沙織さんの心の中もみなと君にしか分からないし、みなと君はそれを誰にも明かせないってことか。沙織さん本人含めて――
なんだか残念な気もするけど、仕方ないよね。
「お嬢ちゃんも、そのへんの事情は分かってやるんだな。
自分の心で探索者が何を見たか、聞きたくなるのは分かる。だが探索者にあまりに多くを聞いてしまうと、最終的に一番困るのは自分だぜ?」
おどけたように、口元に人差し指を当てる先生。
「ただ、絶対に何も言わないってのは無理だろう。それに、本人に直接打ち明けなければ解決出来ないことも多々ある。
今日は初回だし、そこまで深くは潜らない。潜っても、俺が引き上げられるところまでだ。
そのあたりまでなら、恐らく本人に言っても大丈夫な部分も多いからな」
「――分かった」
こくりと頷き、ヘッドホンを装着する悠季。
もう、彼の覚悟はとうに決まっている。私も、腹を決めなきゃ。
大丈夫……何があっても、悠季は、私を、見捨てたりしない。
そう心に念じながら、私も恐る恐るヘッドホンを着けた。
先生の声。
「だから、後でどうしても嬢ちゃんに聞きたいことがあったら、まずは俺に相談しろ。
俺もある程度までは様子も分かるし介入も出来るから、アドバイスは出来る。
ただし、精神世界の中でどう行動するかは、トサカ頭。お前次第だ。
お前の行動ひとつで、お嬢ちゃんの心は破裂も分裂も復元もする。それだけは忘れるなよ」
「くどい。早くしろよ――
葉子の心が変わっちまう前にな」
そんな悠季の言葉と共に、ヘッドホンから心地の良い音楽が流れてくる。
と同時に、不意にふわっと眠気が襲ってきた。
あぁ……これ、麻酔みたいなものだろうか。
ぼんやりと横を見ると、もう悠季はベッドに横たわって静かに目をつぶっていた。
私もそれにならい、慌てて横になる。すると。
「それじゃあ――お二人さん、いってらっしゃ~い♪
よい旅を♪」
新婚旅行のつもりだろうか。
先生の、場にそぐわない呑気な声と共に――
私の意識は、春の陽気に溶け込むようにふわふわと遠くなっていった。
******
目覚めた時――
悠季は、葉子の会社――そのオフィス内に突っ立っていた。
いつもと変わらない、硬いタイルカーペット。社員各自に用意された、白い大きめのデスクが整然と並んでいるのも変わらない。
サイコダイブの件は全部夢だったのか。悠季が一瞬そう勘違いしてしまうほど、普段通りのオフィスだった。
ただ、いつもと大きく違う点が二つ。
一つは、オフィスがほぼ真っ暗闇に覆われているという点。照明は非常灯以外ほぼ消されている上、窓は全てブラインドで閉ざされ、外からの光も一切入っていない。
もう一つは――
人の気配が全くないという点だった。
まるで残業削減で全社が強制的に一斉消灯させられた直後みたいだ。悠季はふとそんなことを考えながら、じっと目をこらし神経を研ぎ澄ませる。
と、頭の中に直接声が聞こえて来た。
《おう、トサカ頭。聞こえるか?》
「!?」
思わず一人で身構えてしまう悠季。
だが声の主が三枝だとすぐに理解し、ほっと胸をなでおろした。
「お前かよ……びっくりさせんじゃねぇ。
ていうか、ここ、本当に葉子の中か?」
《ハハ。どうやら成功みたいだな~。
良かったなぁ。弾かれる時は本当に、なーんにも見ることなく弾かれちまうもんなんだぜ?
お前さん、確かにお嬢ちゃんからある程度の信頼は得ているらしい》
「……当たり前だ」
そう呟きつつも、悠季は少しだけ安心していた。
心から信じていたはずの葉子の心から、一瞬で弾かれてしまったら。そんな恐怖は、悠季自身もどこかに抱えていたから。
《俺はそちらの様子が直接見えるわけじゃねぇが、そこそこの誘導は出来る。
だがそれぐらいだ。何かが起こったら、基本的には探索者が自分で判断し、行動する。
天木葉子の為に、自分に何が出来るか。そいつをまず念頭に置くことだ》
「言われなくても、そうするさ。
それにしても……」
悠季は改めて周囲を見渡した。
視神経を痛めかねないほどまばゆい、非常灯の緑。それを頼りに目を凝らすと、次第に周囲の光景がはっきりしてくる。
机の上に乱雑に積まれた書類はどれも天井に届かんばかりに積まれており、中には床に散らばっているものさえある。
それを踏まないように注意して歩いていくと――
やがて、非常灯以外の光が見えてきた。
「あれは、葉子の……?」
既に見慣れた、葉子の部署。
その一角でただ一台だけ、画面がこうこうと光っているパソコンがあった。それは勿論、葉子がいつも使っているパソコン。
周りは他のデスク以上に書類が山積みで、椅子の周囲にさえも段ボールにまとめられた書類が何箱も積み上げられている。
そんな光景を見て、思わず悠季は頭をかいてしまった。
「想像はしてたけどさ……
実際見せつけられると、つれぇな」
毎日毎日仕事に追われ、精神的余裕が何もなくなっている葉子の心。
海の底に沈んだように仄暗いオフィスは、そのまま彼女の状況を示していると言える。積もり積もった書類は当然、処理出来ずにたまり切った仕事だ。
ここに誰もいないのも――
葉子自身、会社では誰も信用していないということの現れだろうか。
分かりやすいと言えば分かりやすいが、それでも――
こんな心を持ったまま会社で過ごすのは、辛いだろう。悠季にもそれは十分に分かった。
《ここは嬢ちゃんの心、その最も表層にあたる世界だ。
表層というのは、嬢ちゃん自身も認識しているし他からも認識しやすい世界。
サイコダイブで最初に入る場所はだいたいこの表層だ。
サイコダイブをすると分かっている場合、この表層意識がご丁寧にも心地のいいふんわりとしたお花畑に飾られてしまい、探索者を惑わすなんてケースも多いんだが……》
「花畑? んなもんがあるなら見てみたいぜ。
殆ど真っ暗にしか見えねぇけど……
っていうか、お前にはどこまで説明すりゃあいい? そっちには何も見えてないんだよな?」
《心配すんな。表層世界だったら、直接見えなくても大体のこたぁ分かる。説明が必要になったら聞くから、余計な気づかいはいらんよ》
「気づかいなんかしてねぇけど?」
《まぁ……とりあえず、天木葉子の心は。
サイコダイブに備えて心の中を整理したり飾り立てたりする余裕はほぼない……
それぐらいは、こっちにもありありと見えるぜ》
葉子のパソコンにそっと近づきながら、悠季はため息をついた。
「ある程度覚悟は出来てたけど……
葉子の心、ここまでヤバイことになってたとはな。
あのうすら寒いオフィスが、そのまま心を侵食してやがるとは……」
だがその途端、再び三枝の声が頭に響いた。
《おい。お前まさか、これが嬢ちゃんの全部だとか思っちゃいねぇだろうな?
こんなもんは入口にすぎないぜ?》
「えっ?」
そんな言葉と共に。
悠季の眼前で静かに光を放っていたパソコンが、どういうわけかひどく不規則な点滅を始めた――
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