その5 自分だけでは見えない「自分」
心の中で揺れまくる私をよそに、広瀬さんは静かに告げた。
「だが――
神城たちにも言ったとおり、うまくいけば心の底に潜んだ鬱屈や傷を解明することも勿論可能だ。そして、サイコダイブを一定以上乗り越えた者同士は――
互いに理解を深め、よりその絆が強固になる事例が殆どだ」
絆が……
それは、悠季との心の絆が、ってことか。
「無為無策のまま心に侵入するのは危険、とだけ分かってくれればそれでいい。
本人たちの了承さえ得られれば、今すぐにでもサイコダイブは可能だよ」
「「え、えぇ!? 今、すぐ?」」
思わず私も沙織さんも仰天してしまう。
こういうの、事前の健康チェックとか心理テストとか色々やって、数日後に改めてやるものなんじゃないの?
そんな私たちの心を見透かしていたかのように、三枝先生は爆笑した。
「ナッハッハ~。お嬢ちゃんたち、多分仕事でもそんなんだな?
今日それが来るとは思わなかった、まさか今やられるとは思わなかった。
大事なイベントを先へ先へと延ばしたがりだから、そういう風になりがちなんじゃねぇのかい?」
うぅ。悔しいけど、当たってるかも知れない……
「ま、事前の体調チェックはあるが、簡単なもんだ。特に対象者――
つまりお嬢ちゃん二人は、ぶっちゃけ寝てるだけですべてが終わる。
手術と似たようなもんだぜ。メスを握るのは医者じゃなく、トサカ頭と糸目小僧だけどな」
沙織さんとみなと君が、不安を露わにしてお互いの顔を見合わせた。
「だから余計怖いんだけど……」
「私が言うのもなんですが、完全同意っス……」
だけど、先生は余裕の表情。
「心配すんな、今日はまだ最初だからな。お試し期間みたいなもんよ。
そこまで深く潜らせやしねぇから安心しろ。それに、万一危なくなったらいつでも俺が引き上げる」
「引き上げる? あんたが?」
悠季が少し眉根を寄せ、疑り深げにじっと先生を見つめた。
「そ。お前が危なくなったら、すぐにそのトサカ掴んで引っ張り上げてやるって意味だよ」
「トサカ言うな。葉子に危険が及んだらすぐに中止できるのかって聞いてんだギョロ目」
あぁ、先生にそんな乱暴なこと言っちゃ駄目、悠季。いざという時助けてもらえなくなっちゃうよ?
案の定、三枝先生の大きな眼球がほんの少し吊り上がる。
首一つ分ぐらい身長差がある悠季を舐めるように見上げながら、先生は言う。
「神城――
他人の心の中ってのは、異世界以上に異世界だ。
お前がこの世界を初めて見た時以上の衝撃をもって、彼女の世界はお前に向かって展開される。それぐらいは覚えておけよ」
ネクタイを掴みかねないほどの距離まで顔を寄せて来た先生に向かって、悠季も堂々と言い放った。
「それぐらい分かってる。
人の心がどんだけ醜いかなんて、散々見て来たんだ。今更葉子のナニを見たって、どうってことねぇよ」
「へへ。その言葉、覚えとくぜ。
あとでどんだけ吠え面かいても知らねぇぞ?」
「そっちこそ、葉子におかしな真似したらぶっ飛ばす」
どこのヤンキーのやり取りだろうか。
そんな会話を聞いていられなくなったのか、広瀬さんが割り込んだ。
「つまり……ダイブ中に神城や仁志が危険にさらされることはたびたびあるだろうが、本当に危険と判断したらすぐに先生がサイコダイブを強制中断させる。
だから基本的には、そう滅多なことは起こらないと考えていい」
それを聞いて、沙織さんも覚悟を決めたように腕組みした。
「ひ……広瀬さんが言うなら、信じるわよ。みなともでしょ?」
「は、はい、です……
というか私の場合、既にハッチャメチャのクチャだろうってほぼ分かってる場所に行くわけですから、まぁそれなりに覚悟決まってますぜ」
「だからどーいう意味よ!!」
そんなやりとりに――
三枝先生はぽんとひとつ手を叩いた。
「ふん……じゃあ決まりだな。お前ら、早速別室に移動だ。
一応、トサカ組と糸目組とで部屋は別だから、注意してくれよ」
あぁ。悠季とみなと君の新たなあだ名が決まってしまったようだ。
******
三枝先生の容貌から、若干警戒してはいたけれど――
案内された部屋は特におかしな飾りつけもない、普通の小さめの診察室に見える場所だった。先生用のデスクがあり、そばには二人分のベッドがある。
よくあるような白い殺風景な診察室ではなく、壁は落ち着いた暖かい雰囲気のレンガ色。枕元には可愛い黒猫のぬいぐるみもあった。
検温やら脈拍チェックやらをごく簡単にすませると、私と悠季はそれぞれヘッドホンを渡された。悠季が紫、そして私が緑のヘッドホンだ。
「色は何でもいいんだが、まぁイメージ的にコレがいいかと思ってな。嫌なら言ってくれよ?」
とは三枝先生の言葉。
見たところ、特に何の変哲もない。ただ、二つのヘッドホンは――
長めに伸びたコードの先で一つに束ねられ、さらにその先で先生のデスクの下、黒い箱の謎の装置につながっていた。
一見、ちょっと古めのオーディオコンポのようにも見える。中央に2つある小さなウインドウに謎の波形が浮かび上がり、それが心拍のように波打っている。
多分あれがサイコダイブ装置の本体なのだろうけど、私には謎の装置としか言いようがない。
いくつもくっついている意味の分からないツマミを手早く調整しながら、先生は説明を続けた。
「一回のダイブにかかる時間はそう長くねぇ。かかっても30分ってところだ。
だが『探索者』――つまりトサカ頭。お前が感じる体感時間は多分、それよりかなり長くなる。
時々、ダイブしてもすぐ追い出されて何も成果がない時なんかもあったりする。そんな時は1分もなかったように思えるが……
うまく心に潜り込めた場合、大抵1日、2日……あるいはそれ以上の時間経過を感じてもおかしくない。
中にはダイブ中、100年の時間を過ごさせられたなんて例もあったくらいだからな」
え、ええ? そんなことまでありうるの?
慌てて悠季を見つめてしまったが、彼は既に覚悟が決まっているかのように落ち着いていた。
「葉子の中だったら、1000年過ごしたって平気だぜ。
どんだけ俺が葉子に鍛えられたと思ってんだよ」
「ほぉ~……なかなか肝据わってるじゃねぇか」
「俺はその、何の成果もあげられず1分で追い出されたってパターンの方がよっぽど嫌だね。
だが一番嫌なのは、葉子自身に危険が及ぶことだ。それさえなければ、俺は何されたって構わねぇよ」
「よし。なら信じるぜ、その言葉」
少し感心したように悠季を見つめる三枝先生。
それに比べ……自分でも分かるけど、私の肝は全く据わってない。
先生の言ったように、1分で悠季を弾き飛ばしちゃったらどうしよう。
逆に、100年も200年も悠季を閉じ込めちゃったらどうしよう。
悠季はそれでもいいって言うけれど、そんなことになったら私の方がたまったもんじゃない――
そんな私に追い打ちをかけるように、先生が言う。
「あ~……それと、神城。
お嬢ちゃんの心の中で見たことは、基本、他言無用だ。
俺にだったら言っても構わねぇが、他人には――
特に嬢ちゃん本人には、なるべく言わない方がいい」
「「えっ?」」
私も悠季も、ほぼ同時に声をあげてしまう。
じゃあ本当に、自分の心は自分では分からないってこと?
悠季が分かってるのに?
「そいつは不公平じゃねぇのか?
確かに自分の内臓を自分で見るのは無理だけど、医者から写真とかで見せられることはあるんだろ? というか、それが患者の権利なんだろ? こっちの世界なら」
「それがまた、サイコダイブの難しいところでな。
内臓と違って、精神世界ってのは他人のちょっとした言葉や行動で、瞬時に大幅な変化を遂げることもある。
お前が精神世界で見たことをお嬢ちゃん本人に言えば、あっという間に世界がガラリと変わることもありうる。そうなると、本来ならあったはずの心的外傷もさらに深い場所に隠され、発見出来なくなってしまうことさえあるんだ。
そんな事態になれば、さらに深いところに傷を負わせて取り返しがつかなくなるケースもザラだ」
そう言われると、私は勿論悠季も突っ込めない。
ということは――
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