その7 あるはずのない、彼女の「違和感」
「な、何だこれ……?」
突然明滅を始めた、葉子のパソコン。
まるで内側から悠季を招くように、奇妙な青い光を放っている。
一瞬飛び退きかけた悠季だったが、すぐに気づいた――
光と共に、微かな声まで聞こえることに。
「……来い、ってのか。俺に」
よく見ると、画面はいつもの無地の緑背景ではない。波立つ水面のようにきらきらと輝き、揺れている。
悠季は覚悟を決めてひとつ大きく息を吸い込むと、思い切ってパソコンの正面に身を乗り出した。
――よかった。
やっと、来て――くれるんだね。 ――イーグル。
何だ、この声。
葉子じゃない……激しいノイズのようなものが入っていてろくに聞き取れないが、明らかに葉子ではない、誰かの声。
ただ、聞き覚えがある。悠季自身の記憶のどこかを、激しく引っかくような。
これは……まさか。
悠季は反射的に、姿の見えない三枝に向かって叫んでいた。
「三枝!
葉子の心に、葉子が知らないはずの誰かがいるってことはありうるのか?」
その問いに少し遅れて、三枝の声が響く。
《そういうケースも皆無ってわけじゃないさ。
例えば、今は忘れていても昔出会ったはずの人物の記憶が、心の奥底に残っているということもある。
しかし……ちょっと待ってろ、これは……――》
だがその声にすら、奇妙な雑音が混じり始めた。
と同時に。
「!?」
殺気を感じ取り、身構えた悠季。
そんな彼の眼前で画面が、突如爆発したかのような光を放ち始める。
そこから――つまり画面の中から、粒子状の光が一斉に飛び出してきた。
空中に飛び出した光の粒子は急速に、質量を伴った物体に変化していく――それはやがて赤黒い不気味な色を帯び、無数の蛇にも似た縄状の光へと変わった。
その光は悠季を見つけた途端、一気に彼の身体へと襲いかかる。獲物を見つけたとばかりに。
思わず懐の短剣に手を出しかけた悠季だったが、すぐに思い直してじっと状況を見守る。
そもそも短剣は事前のボディチェックで没収されていたし、それに――
これも葉子の心の一部なら、下手に傷つけるのは絶対に良くない。そう判断した悠季は、その光にいったん全てを任せることにした。
ここが葉子の心なら――少なくとも表層部分であるなら、俺に危害を加えるようなことはそうそうないはずだ。
こいつの正体が何かは分からない。でも、これも葉子の一部なら!
そう信じ、身構えたままじっと動かず光を睨みつける悠季。
そんな彼に、触手状に変化した光はうねうねと宙を踊り、身体に触れていく。
意外と冷たく、そしてぬるっとした感触を持つ光に、思わず全身がぶるっと震えた。
一瞬で悠季の細い腰へと巻きつき、ワイシャツの裾までめくりながら直接ベルトへと触れ。
さらに胸元から巧みに侵入してきた光によって、背広を肩から無理やり袖のあたりまで脱がされていく。
奇妙な赤黒さを伴ったその光に、わずかな違和感はあったものの。
それでも、これも葉子だ。あいつが抱えているものが何であろうと――
それをどうにかする為に、俺はここに来たんじゃないのか。
だが、そんな悠季の心をあざ笑うかのように、声が悠季の脳裏に反響する。
明らかに葉子のそれではない、あの声が。
――ふふ。変わらないね、イーグル。
やっぱり君は、どこまでも人を想い続ける立派な奴だ。自分をどれだけ犠牲にしても。
伸びてきた光の触手に、いつの間にか全身を絡めとられた悠季。
その身体は音もなく宙へと浮き上がり、そのまま吸い込まれていく――
どういうわけかパソコンの画面、その内部へと。
原理がさっぱり分からないが、夢の中と似たようなものだと考えればこの現象もさほど違和感はない。
それより、四肢をきつく拘束してくる触手の感覚がやたら気持ち悪い。締めつけが強すぎるものそうだが、嫌なものを思い出す。
そう――これは、スレイヴどもにいいように痛めつけられていた、あの時の感覚だ。傷だらけの身体をがんじがらめに縛られ、湖底を引きずられたあの時の痛み。
葉子の中に、スレイヴが存在しているわけがないってのに。
三枝を呼ぼうとしたが、首元も既に絞め上げられてろくな声が出ない。
そんな悠季の中に、静かに響いた声は。
――でも、そんな君に。
本当に、彼女は、ふさわしいのかな?
そうか。やっぱり、この声は……
思い出したくなかった。違うと思っていたかった。けど……
やっぱりお前、「こっち」にいたのかよ。
悠季が声の正体に気づいた、その瞬間。
オフィスの光景が不意にかき消え、周囲が闇に閉ざされる。
底が全く見えない谷へと落とされたような感覚に、思わず悠季は身体を縮めた。
次の瞬間、全身を地表に叩きつけられたかのような衝撃が彼を襲い――
あぁ。心の中の世界であっても、結構痛みの感覚ってリアルなもんだな。
どこかでそんな呑気なことを考えながら――
悠季の意識は、急速に遠ざかっていった。
******
再び目を覚ました時、悠季が最初に目にしたものは――
見覚えのある薄暗い地下道だった。
ここは確か……マイスの地下。常に周辺には大量の下水が流されている、下層階級の住処。
悠季は思い出す。葉子のやってたゲームでも、マイス地下の様子は結構克明に描写されていた。俺たちのいた、盗賊団のアジトも含めて。
だからこそ葉子の精神世界たるこの場所でも、かなり忠実に再現されているのだろう。
しかし周辺の光景や水音は結構記憶通りではあったものの、下水の悪臭は悠季が覚えている強烈さとはほど遠い。ここが実際のマイスではなく、ゲームを元にして作られた世界だという証拠だろう。
しかも流れている水は殆ど濁っておらず、青く清冽な光さえ放ちながらきらきらと流れている。まるで春の雪解け水のようだ。
そんな清らかな水がある程度溜められた、地下道の隅に――悠季は拘束されていた。
冷たい石壁に背中を押しつけられ、両腕をあの赤黒い謎の光で縛られ吊り上げられた格好で、下半身はすっかり水に浸かっている。身体中に巻きついた光は消えることなく相変わらず悠季の身にぎゅうっと食い込み、下手に暴れようとすれば骨まで穿つ勢いでこちらを痛めつけてくる。
水の中の両脚を動かそうとしても、足首も太ももも光の縄でがんじがらめにされ、殆ど身動きが出来ない。
勿論全身びしょ濡れ。背中の石壁からは上からずっと水が滝のように流れ落ちてきて、悠季の上半身を洗いつづけていた。びっしょりと張りついた背広とネクタイが、やたら重い。
「……三枝!
どーいうことだよ、コレぇ!!」
悠季は暗い天井に向かって叫んでみたが、三枝の応答はない。
あいつ、逃げやがったか。ちょっとは頼りになるかと思ったのに。
悠季が思わず舌打ちをしかけた、その瞬間だった。
――悠季。
やっと、来てくれたんだね。
私の心に。
脳裏に響いたそんな声と共に、眼前の水面がボコボコと泡立った。
この声は、確かに葉子だ。確信はあったが――どうもいつもと違う。
やがて、泡と共に現れたものは――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます