その4 私が無能になった理由


「ご名答。やっぱあんた、頭いいな」


 昼休みが終わり戻ってきた悠季に、吉原さんたちとの話と私の想像を伝えると──

 やっぱり、予想通りの答えが返ってきた。


「俺たちの間では、『擬態』って呼んでる。

 異世界人はこの世界で無用なトラブルを起こさないように、出来るだけ存在を隠す必要があるからな。でなきゃ俺たちの力はあっという間に、ろくでもないことに使われちまう」


 当たり前のように私の隣に腰かけると、悠季はデスクの右脇に立てかけてあった分厚いファイルに目をやった。厚さ10センチはあるその青いファイルの背には、ゴシック体で無造作に「契約書類取扱マニュアル」とある。


「さっきのあんたの話で、ちょっと考えてたんだけどさ。

 そのマニュアル、参考になんねぇのか? あいつと言った言わないの騒ぎになるより、マニュアルに書いた通りにやれば安全確実だろ」


 あいつ、というのは勿論礼野先輩のことだ。

「あぁ……これか」

 私はため息をつきながら、マニュアルを引きずり出した。持ち上げるだけでも重い。

「これね、必要最低限のことしか書いてないの」

「へ? こ、この分厚さでか?」

「このマニュアルが基本中の基本で、後は先輩みたいなトレーナーから全部教えられながら覚える、ってことになってる。

 それをみんな半年間必死で覚えて、何とか今の仕事をやってる。部長が言ってたけど、みんな職人みたいに、先輩の仕事を見て覚えていくのがこのチームなの。

 それが出来なかったのは──

 チーム始まって以来、私だけなんだって」


「おいおい……マジか。

 こんな大量のマニュアル、最高次の記憶伝播術使ったって半年じゃ覚えきれねぇぞ?

 俺の世界じゃそんな術使えるの、皇帝直属の宮廷魔術師ぐらいだぜ。

 しかもそれが基本中の基本? 後はあいつらに聞いて覚える? あんた以外の全員がそれをこなしてる?」


「それをこなして初めて、契約書類を一人で扱うことが出来る──

 つまり、一人前の職人になれるってことになってる。

 それがこのチームのやり方」


 私はパソコンの画面上に、業務で使う契約書類とチェック用のツールを提示してみせた。ウィンドウが幾つも開き、顧客から送付された書類が画像ファイルとなって画面に出てくる。


「お客様から預かった契約書類を営業社員がこのチームに送付してくるのは、知ってるよね。

 それはまず全部、機械による一次チェックを通すんだけど──

 今パソコンに表示された契約書類は、機械での自動チェックで引っかかってきたものなの。

 つまり、どこかしらおかしい点がある書類だから、人の目でちゃんと見なくちゃいけない。

 チェックの結果、不備があれば営業社員にすぐ伝えて、お客様に書き直してもらう必要がある」

「うん、それは分かる」

「問題がないと判断されれば、契約はそのまま成立するって流れ。

 その判断をこなしているのがこのチームってわけ」


 そう説明すると、私は肩を落とした。


「……で、私は判断が出来ない人間と見做されて。

 今は新規で開拓されたばかりの、すごく小さなチャネルしか担当させてもらえてない。

 それも必ず、私の判断以外に上司や同僚の確認が必要なの」

「ん?」


 そこで悠季は、心底不思議そうにじっと私の顔を覗き込んだ。

 大きく見開かれた紫の瞳には、はっきりと疑いと憤りの色が見える。


「ちょっと待てよ。

 上司の確認が必要なのって、あんたの担当した書類だけ?」

「うん」

「つまり、あんた以外の連中が担当した書類は、上司の確認が必要ないってことか?」

「うん。基本、ダブルチェックはなし。

 勿論、金額が大きくなったらリーダーや部長の承認が必要になることもあるけど」

「……ってことは」


 礼野先輩の方へ顎をしゃくりながら、悠季は声を潜めた。


「あいつのチェックがもし間違ってたとしても、あいつがOK出したらその時点で書類はそのまま通るってことか?」

「そういうこと。

 そうする権限があると認められたのが私以外のメンバーで、私はその権限が与えられなかった」


 そう。私以外のメンバーはプロであり、私はそうなれなかった。それだけの──

 しかし私がそう呟きかけた時、悠季は激しく頭を振りながら机を叩いた。


「冗談じゃない。

 血判状だろうが花売り娘のラブレターだろうが、金が絡む限りどこのシーフギルドでも二重三重のチェックは欠かせねぇよ。常識だろうが」

「え? ゆ、悠季?」

「ましてやこの書類、軽く数百万単位の商売じゃねぇか。

 ここまで来たら、客の命の一部を預かってるも同然の金額だ。それをノーチェックで、たった一人の人間が見ただけで通すってのか?」

「言ったでしょ。ここに来る前に機械で自動チェックされて、通らなかった書類だけを……」

「だったらなおのこと、慎重に調べる必要があるんじゃねぇのか。

 機械で通ったらOKってのも納得いかんが、それで不備がでたものまで一度のチェックで通すって、ありえねぇ。

 契約書自体にどんな呪術がかけられてるかも分からねぇだろ」

「そんな物騒なもの、こっちの世界にはないから」

「似たような罠があるから、チェックする人間が必要なんじゃねぇのかい」


 お願いだから黙って。そう言いたくなるのを、私は喉元でこらえた。

 他のメンバーは悠季の声が聞こえていないかのように、それぞれの業務に邁進している。


「……仕方がないの。

 ここに到着する契約書類は、日によっては1000件超えることもある。

 それをいちいちダブルチェックしていたら、時間がいくらあっても足りない。

 今、全社的に残業規制が厳しくなってるのは知ってるでしょう?」


 悠季はそれでも不服そうに頬を膨らませ、上げかけていた腰をどすっと椅子に下ろした。

 その背後では、礼野先輩が電話口で、営業社員相手に喧嘩ごしで会話している。


「──ですから、確認書の日付がないものはどうしてもお受けできないんです。

 何とかと言われてもこちらでは絶対にお受けできませんので。

 失礼します」


 いかにも面倒そうに吐き捨てると、彼女は一方的に電話を叩き切った。

 その直後から、先輩は髪を振り乱しながら怒声を張り上げる。


「あー、もー、嫌ぁ! あいつの電話、これでもう何回目よ!?

 毎回毎回おんなじ不備出してきて、そのたびに何とかしてくれって言われてもどうにもならないんだって。本物の馬鹿よ、馬鹿!! 分かる!?」


 先輩の隣に座る田中君は、そんな彼女を見ながらへらへらと愛想笑いするばかり。

 その絶叫を聞きながら、私の胸もちくりと痛んだ。


 ──この彼女の言葉はきっと、私にも向けられている。


 酷く重いため息をつきながら、私は画面に向き直った。

 ちゃんと、自分の仕事に戻らねば──

 とはいっても、既に私の今日の仕事は午前中でほぼ終わってしまっている。担当チャネルが非常にわずかなので、仕事も短時間で終わってしまうのだ。

 余った時間は──勉強の為、他メンバーがチェックした契約書類を眺めていることしか、私には許されていない。

 チェック用ツールを通してなら、他のメンバーのチェック結果も容易に見ることは出来る。

 分厚いマニュアルと、自分で作ったエクセルのマニュアル。そしてツールに表示された他メンバーの仕事を見比べながら、改めて勉強をし直す。

 午後は電話番もする必要なしと言われている今、それが私に許された唯一の業務だった。

 そんな私を見ながら、悠季はそっと言ってくれた。


「やっぱ凄いよ、あんたは」

「何が?」

「こんなところでも逃げ出さずに、ちゃんと自分の出来ることを全うしようとしてる。

 俺ならメンバー全員から有り金巻き上げてトンズラだね」

「凄いわけない。

 逃げたくても逃げられないから、いるだけ」


 悠季の励ましは素直に嬉しい。だが今は、やれることをやるしかない──

 そう思いながら、メンバーのチェックした書類を丹念に調べていく。悠季もずっとそれに付き合ってくれた。


 だが──

 2時間ほど経過した時、事件は起きた。




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