その3 鬼に変わった菩薩様
「礼野って女、一体なんなんだ?
何であいつ、あそこまであんたを敵視してんだ」
午前中の電話ラッシュがようやく終わり。
私と悠季は、ミーティングという体でオフィス横の会議室を借り、一息ついていた。
自販機から取り出した缶コーヒーを、私の頬にちょいとくっつけてくる悠季。冷たさが心地よかった。
今日初めて会ったはずなのに、そんな気がしない。これほど距離が近くても、何故か違和感を覚えない。大概の他人にはどもりがちで話す私も、どういうわけか悠季に対してはかなり流暢に話すことが出来ていた。敬語すら殆ど使わずに。
「礼野先輩は……この部署に配属された時の、私の教育係だった。
最初はとても優しい、菩薩みたいな人だったの。すごく丁寧に色々教えてくれて。
ここまでちゃんと教えてくれるのなら、絶対半年で一人前になれるだろうって……
そう思ってた」
「半年で一人前……ねぇ。
てか、アレが菩薩? 俺には、下水路でよくたむろしてた女バンパイア崩れにしか見えなかったね。厚化粧までそっくりだ」
「そんなこと言わないで。最初は本当に親切だったんだから。
でも……数カ月して、私がちゃんと仕事を覚えられないって分かってから、どんどん態度が冷たくなっていったの」
「具体的には?」
「よく言われたのが……
一度教えたはずのことを二度も三度も聞いてくる、ってこと」
「うーん。そりゃ確かに、何度もやられたらイラっと来るかもな。
ちゃんとメモは取っていたのか?」
「勿論。
これまでにも仕事がうまく覚えられなくて、周りに迷惑をかけることは何度もあったから。だから今度の部署は絶対にうまくやろうって、決めてた」
うんうんと頷きながら、悠季は真剣に私の話を聞いている。
「先輩に教えられるたびに、手書きのメモだけじゃなくてきちんとエクセルシートにもメモして、必要になった時にすぐ検索して見返せるようにしてた」
「そのメモならさっき、あんたのパソコンでちょっと覗かせてもらったぜ」
「えっ? いつの間に」
「シーフなめるなよ。あんたの手元見てパスワード覚えるくらい朝飯前さ。
随分と膨大なメモだったけど、確かにあれだったら、分からないことがあっても検索をかければすぐに解決するようにはなってたな。
それでも礼野が文句言ってきたってのか?」
「うん……
教えられた覚えもないし、当然メモもしていないことを、何度も教えたって言われて」
「はぁ?
教えられてないのに、何度も教えたって? 無茶苦茶だろ。
それ、上司には相談したのか?」
心底驚いて眉を顰める悠季。私は力なく首を横に振る。
「一度相談してはみたの。
でも、ミスばかりの私の言うことを、上司が信頼してくれるわけもないし」
「むぅ……まぁ、確かに。
あんたと、海千山千の先輩とじゃ、分が悪すぎるだろうしな」
「そんなことが何度もあって、私も自分を信じられなくなった。
きっと私が先輩の言葉をメモり忘れたか、メモっていたのに検索で探し出せなかったか、どっちかなんだって……
実際、メモしていたはずなのに聞いちゃったことも何度かあるし」
完全に俯いてしまった私の肩を、悠季はぽんと軽くたたいてくれた。
「自分を卑下すんなよ。
あんたが本気になったら誰より凄いんだって、俺が一番分かってるからさ」
そんな彼の言葉に、私は思わず顔を上げた。
どこまでも自信に満ちた紫の瞳が、目の前にある。
やっぱりこの人は、私の──!
奇妙な確信が胸に溢れてきたその時、ノックの音が響いた。
「天木さーん。もうお昼だよ~」
「あぁ、神城君も一緒なんだ。せっかくだから、ご一緒にどうですか?」
藤田さんと吉原さんが、会議室のドアを開けて入ってきた。この会社では非常にレアな、私に同情的な二人だ。
同じチームではないが、近くの部署に勤務している。仲がいいというか、お昼に仕事の愚痴を言い合ってストレス解消する仲といったところか。
その二人を見て、悠季はすっと身を引いた。
「そっか、もう昼か。ずっと俺とばかりいて、あんたも疲れたろ?
この世界じゃ俺たち、一応初対面なんだし」
「え?
い、いや……疲れるなんて、そんなこと」
「いいって。愚痴の言い合いも、あんたにゃ必要な時間だ。
俺は外で食うよ。ゆっくり休んでな」
*******
「あの人が、天木さんの「異世界人」かぁ。
正直、あんまり頼りにならない感じ」
悠季の姿を見た二人に、一体何を言われるかと少しびくびくしていたが──
それは予想外の、藤田さんの一言だった。
は?と声を上げる前に、吉原さんも彼女に同意する。
「そうねぇ……なんだか垢抜けなくて、ぼんやりした顔してるわねぇ。
あの人が担当だと、天木さんがちょっと可哀想」
へ? いや、あの、え?
私午前中だけでも、随分悠季に助けられましたけど?
悠季、ちょっと幼さは残ってるけど、十分イケメンと言ってもいい顔立ちだと思いますけど? ジャ〇ーズなんか目じゃないレベルの美形だと思いますけど??
ってかアンタら、人様の担当者に向かってナニほざいてくれちゃってんの。
思わず唇が尖る。
しかし反論する前に、私は思い出した──
この会社で「異世界PIP」を受けているのは私だけではない。私と同様に、異世界PIPの担当者が常にくっついている社員を、何人か見かけている。
一人の社員に常に誰かがくっついて一緒に勤務している姿は、そこそこ異様だったはず。
なのに、当該社員の顔ははっきり思い出せても、今考えてみると、一緒にいた担当者の容姿は殆ど思い出せなかった。
ということは──
何らかの術を使って、悠季たち異世界人は通常は巧みに気配を隠しているのかも知れない。そして、必要時だけその存在をはっきりと相手に示す。私みたいなPIP対象者は勿論、礼野先輩と対峙した時のように。
吉原さんは年配者らしい余裕を見せながら、私に微笑んだ。
「やだ、そう怒らないで。
もし神城君がイケメンだったら、部署のみんなが放っとくわけないでしょ? だから、これでいいの」
──ごもっとも。
この職場は女性が8割超だ。男性社員は非常にいづらく、フロアの男子トイレも女子トイレに改造されていて、上階に行かねば男はトイレにも行けない。正直、男子にとっては地獄だろうと思う。
藤田さんの部署にも一人、若手の男子社員がいるが──
早朝から深夜まで可哀想なくらいこき使われては始終怒鳴られ、セクハラギリギリの接触を毎日超ベテランのオバ……否、女子社員からされており、一目で分かるほどストレスで痩せ細っている。
私のチームの田中君にしても似たようなものだ。あれは最早礼野先輩の奴隷と言ってもいい。先輩は当然のように田中君を顎でこきつかい、田中君は先輩に絶対服従。
チームの中でも外でも、誰もがその状態を当たり前と思っていた。
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