その2 能力開発されるべきは




 装置から手を引き抜いてトレイを戻しながら、悠季は私にウィンクして見せた。

「レストアの術、使ってみた。

 一時しのぎにしかならんが……多分これで、うまくいくと思う」

 見ると、FAXは何事もなかったかのように、溜め込まれた情報を次から次へと紙へ吐き出し始めている。

 何とか直ったんだ──安心のあまり、私はほっと胸を撫でおろす。

「あ、ありがとうございます。助かりました」

「いいってことよ」

 思わずぺこりと頭を下げた私の横で、悠季は再びチームを睨みつけながら吐き捨てた。


「私はFAX係じゃないって……

 葉子に何もかも押しつけておいて、よく言うぜ」


 葉子?

 会社で、しかもこのチームで、下の名前を呼ばれた?

 私は一瞬状況を理解出来ず、じっと悠季の横顔を見つめてしまっていた。

 その紫の瞳は、明確な怒りに燃えている。頭頂部のアホ毛は、感情の昂ぶりを示すかのように避雷針の如く突き立っていた。


 ──やっぱり、貴方は、「イーグル」?


 しかし、そんな思考を切り捨てるかのような声が、私と悠季の背後から流れてきた。


「天木さんに何もかも押し付けられてるの、私たちなんですけど。

『異世界人』だからって、あまり大きな顔しないでくださいね」


 その声に、私の身体は反射的に凝固してしまう。

 恐る恐る、声のした方向をチラ見してみると──

 礼野先輩が、こちらを全く見もせずキーボードを叩き続けながら、悠季に言葉を投げつけていた。


「神城さん。私たちは何も、天木さんをいじめているわけではありませんよ。

 私たちはみんな、チーム一丸となって天木さんに仕事を教えてきました。日々増え続ける仕事を、彼女にも担ってほしくて。

 その期待に彼女は答えられなかった、だから今がある。それは貴方もご存知のはずでは?」


 ──礼野先輩の言うとおりだ。

 彼女には返す言葉もない。私は俯くしかない。


 年齢の割に笑顔が可愛いと評判の、サバサバ系の彼女。ウェーブのかかった長い髪は、仕事中はきちんと可愛らしいシュシュでまとめられている。普段が朗らかで頼もしく、チーム内の発言力はピカイチな彼女だけに、その冷たい言葉はより鋭い刃となって胸に刺しこんでくる。

 彼女がこういう言葉を投げるのは──常識外れの電話相手と、私にだけだ。

 しかしそんな彼女にも物おじせず、悠季は腕組みしながら礼野先輩の席に近づいた。


「っていうか、あんたさ。こっち向いて喋れよ。

 いくら忙しいったって、それが人にもの話す態度か。

 それともあんた葉子のこと、人とも思ってないってか?」


 そんな悠季の気配に気づいたのか。

 先輩はくるりと椅子を回すと、悠季のそばをすり抜けるように立ち上がり、恐ろしい速さでデスク横にあった共用フォルダを引っ掴む。チーム全員で使う書類を、まとめてしまっておく紙製のボックスだ。

 そのうち一つを取り上げた先輩は、悠季を完全に無視して私に箱を突きつけた。箱で顔を殴られるかというほどの勢いで。


「天木さん。私、何度も言いましたよね。

 共用フォルダの整理ぐらい、ちゃんとやってくださいって」

「えっ?

 いや……私、毎日やっているはずですけど……?」

「やってないですよ。

 ファイルは種類ごとに必ず輪ゴムをかけてくださいって言ったじゃないですか。それなのにこのフォルダの中のファイル、殆ど輪ゴム外れてます!」


 そんな馬鹿な。そう言いかけてボックスの中を見ると──

 先輩の言うとおり、書類をきちんとまとめておいたはずの輪ゴムが、ほぼ全部なくなっていた。

 箱を押し付けられたまま、茫然と立ち尽くすしかない私。そんな私を無視して、さっさと席に戻っていく先輩。

 だがその時、悠季がひょいと私の横から箱を覗き込んだ。

 そして何かを察したのか。悪戯っぽい笑みすらその唇に浮かべながら、呟いた。


「ふぅ~ん。なぁるほどねぇ」


 悠季はそのまま私の手から箱を取ると、ずかずかと礼野先輩の椅子に大股で近づき、その眼前にどんと音を立てて箱を置いた。

 やっぱり悠季を見もせず、ひたすらキーボードを叩いている先輩。


「──業務の邪魔です。除けてください」

「そうはいかないね。

 その箱の底、よく見てみなよ。葉子が一生懸命かけたゴム、その死骸がみっちり詰まってるぜ?」


 悠季の言うとおり、箱の底には大量に、ファイルから外れた輪ゴムが散らばっていた。

 FAXと同様、この会社の備品も総じて古い。輪ゴムのような消耗品でさえもあまり頻繁には補充されず、同じものを何回も繰り返し使うことが多い。その結果──

 悠季の言葉は続く。


「殆どが劣化で切れて、ファイルから外れちまったものだ。

 葉子がいくらゴムでまとめても、しばらくすると自然に切れちまってこのザマってわけ。

 あんた、この部の備品事情知らないわけじゃないだろ? この件について責めるなら、葉子よりプロキュアメント部門じゃねぇかなぁ」

「切れたらそのたびに天木さんが確認してまとめ直せばいいだけのことです。

 その程度の余裕はあるはずですよ」

「わざと切る奴がいなけりゃ、それでもいいけどな」


 挑発にも似た、悠季の言葉。

 ちょっと待って。いくら何でも、それはあまりにも──

 案の定、礼野先輩の顔が怒りで紅潮し、その大きな目は初めてじろりと悠季を見上げた。

 それでもなお悠季は得意げに腕組みをしたまま、先輩を見下げている。


「いずれにせよ、あんたは輪ゴムの劣化にも気づかない馬鹿か。

 もしくは、こんな小さなことで葉子をハメようとしている卑怯者かだ」


 先輩に遠慮なく突きつけられる、悠季の言葉。

 私はその背後から、固唾を呑んで光景を見守っている。

 他のチームメンバーたちは皆背中を向け、何も知らないふりで仕事に邁進しているように見えるが──

 全員、間違いなく会話は聞こえているはずだ。


「随分、天木さんの肩をお持ちなんですね。

 神城さんは、彼女がどれだけ私たちの足を引っ張っているかご存じないから、そんなことが言えるんです。

 もう一度言います。私たちは決して、彼女をいじめているわけではありません」

「誰もんなこと言ってねぇだろうが。

 そんな言葉が出るってことは、葉子をいじめてるって自覚があるから。

 少なくとも、いじめているように見える可能性があると思ってるから、じゃねぇのかい?」


 私と、悠季と、礼野先輩の間で。

 呼吸も出来なくなるほど、異様な緊張が張り詰める。

 しかし悠季はそんな雰囲気すら楽しむかのように一つ鼻を鳴らし、栗色の前髪をかきあげた。


「ま、いいさ。とりあえずこの件は置いておくよ。

 だが、覚えといてくれ。

 葉子が今こうなっている原因だけどさ。俺は絶対に、葉子だけが悪いわけじゃないと思ってる──

 むしろ、能力開発されるべきなのは、お前らなんじゃないかってね」



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