その20 そこに命賭けちゃいけない理由、ある?




 何が起こったのか、理解出来なかった。

 遥か空の彼方で、何かが光った気がした。その瞬間──

 目も眩むような緋の閃光が、真っすぐに胸を貫いた。胸から全身を蝕んでいた、黒く爛れた呪いの石を。

 自分を嗤い続けていたスレイヴ共の目が、マントの下で見事に歪んだと思ったら──



 悠季の──

 イーグルの力を封じ続けていた虚無の石が、光と共に爆発四散した。

 これまで縛られ続けてきた力を一気に解放するかのように、胸元から光が溢れていく。

 身体を拘束していた鎖は一瞬にしてちぎれ、あれだけ忌まわしかった黒い石は炭のように砕け散り、光の中へ消滅していく。



 ほぼ同時に、自分が頭からまたもや水へと落とされていく感覚がした。

 だがそれも、もう不快ではない。傷つけられた身体に浸み込んでいく、治癒の青い光。

 これは多分──水術の力だ。その証拠に、この水の中にいても、ちっとも苦しくない。

 俺の身体──やっと、治癒術を受けられるようになったんだな。

 抉られた傷が、破壊された骨が、切り裂かれた皮膚が、青く煌めく光で少しずつ癒されていく。

 傷口に無理矢理注ぎ込まれた毒素すらも浄化していくように、水の中を舞い踊る光は次々に身体中に纏わり、傷を洗っていく。こびりついていた血塊も泥も、見る間に剥がれ落ちていった。

 ふと水面を見上げると──

 空は曇っていたはずなのに、目も眩むようなまばゆい光が見える。

 その上から、確かに、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。

 それは、今は聞こえるはずのない、今ここにいるはずのない、彼女の声。



 ──どうして。

 何で、お前、まだ、そこにいるんだよ。



 心でそう呟きながらも、悠季の手は自然と、声のする方へ伸ばされていく。

 その手を掴んだものは──

 いつの日か、全てを焼き尽くすあの閃光から、俺を救ってくれた、あの手。

 あの世へ吹き飛ばされかけた俺を、力づくでも引き留めた、あいつの手。

 絶対に離さないとばかりに、手首を握りしめてくるその手を──

 悠季は思わず、負けじと強く強く握り返した。

 その瞬間──






 神城悠季は、戻ってきた。

 天木葉子に、引き戻されて。






「悠季……良かった!!

 悠季、悠季、悠季!!!」


 頭の上から、声がする。

 いつも当たり前のように聞いていたはずなのに、懐かしい声が。

 力いっぱい、ぎゅっと自分を抱きしめてくる細い腕。そしていつの間にか、やや豊満で柔らかな胸に、自分の頭が見事に埋まっている──

 久しぶりに肺に流れ込んでくる、清浄な空気。

 暖かな体温と、激しく鳴っている心音を感じながら。

 悠季は、こう呟くのが精一杯だった。


「葉子……何で……?

 何で、逃げなかったんだよ。お前」




 *******




 湖のほとりに敷かれた、みなとの水妖陣。

 クッションのように柔らかくなった水面に支えられながら、葉子はひたすら悠季を抱きしめていた。

 後ろでは沙織とみなと。そしてヘリから降りてきた広瀬が、静かに二人を見守っている。



 やっと会えた。探し出せた。助け出せた。

 やっと、やっと──!!



 胸が詰まってなかなか声が出せず、悠季の身体を抱きしめられるだけ抱きしめる葉子。

 そんな彼女に抗うように、悠季は声を振り絞る。


「俺、逃げろって言ったろ!

 何で葉子がここにいるんだよ。俺、もう、お前だけは巻き込みたくなかったのに。

 大事な奴を巻き込んで……また、何かあったら……

 俺、もう……!!」


 良かった。言葉も、ちゃんと取り戻している。

 心の底からほっとする葉子。

 腕の中で必死に首を振りながら、悠季は拳でその胸を軽く叩き続けていた。

 そのさまはまるで、駄々をこねる子供のようにしか見えない。

 抱きしめたその身体はやはり華奢で、ずぶ濡れの小鳥のように小刻みに震えている。

 それでも葉子は、そっと悠季の耳元で囁いた。


「逃げられるわけ、ないじゃない。

 悠季……本当に、よく頑張ったね」


 言いながら葉子は、彼の背中の傷跡をそっと撫ぜた。

 胸から下がほぼ引きちぎられたワイシャツは、癒しの水術を浴びてびっしょりと肌にくっついている。

 露わになったその背中には、焼け焦げた鎖の痕が幾つも重なり、くっきりと残されていた。

 葉子は一旦悠季をその身から離すと、状態を確認する。

 バイザーに映るステータス画面は、HPこそ全回復していたが──

 LPは未だ、小数点の右側にゼロが無数に並び(しかも表示限界を超えたのか、途中が省略されている)、最右端に1が表示されたチート状態のままだ。

 みなとの施した治癒の水術は強力だが、さすがにLPを回復するほどの効果はないのだろう。現に背中だけでなく、まだ胸にも腕にも赤黒い鎖の痕が幾筋も刻まれている。

 胸元の虚無石は綺麗に砕け散ってはいたが、石が刻み込まれ胸部全体を覆い尽くした痕は、透けたワイシャツごしですらはっきり見えた。

 そして、右の脇腹には黒く抉られた銃創が見えた。未だに治癒していないのか、そこからはじわじわと出血が続き、葉子のスカートまでも汚している。

 腰から下はまだ、治癒の水の中に浸かっていたが──

 左の足首が不自然に折れ曲がっているのは、葉子にも分かる。

 治りきらず腫れあがっている無数の黒い痣に、破れた服の間から覗く裂傷──


 ──私たちが到着するまで、一体どれほど痛めつけられたのか。


「悠季、ごめんね。

 私がもう少し早く、貴方のメッセージに気が付いていれば。

 こんな酷い目に遭う前に、助けられたかも知れないのに」


 そんな葉子の言葉に、悠季はじっと俯きながら激しく首を振った。

 髪から零れ落ちた雫が、術力の青い光で硝子玉のように煌めく。


「違う……違うんだって!

 お前までここに来ること、なかっただろ。

 俺の術力が解放されりゃ、俺とハルマだけでも……!!」


 悠季の叫びに、後ろでみなとがわざとらしくゲンナリと肩を落とす。


「はぁ~あ……そんなこったろうと思いましたけどね。

 復活して増力した上、しかも倍増したスレイヴ共を、私と兄さんだけで相手しようって、無茶ッスよ。3体だけだった昔だって、不用意に向かっていけば一瞬でやられた相手ですぜ?

 葉子さんを傷つけたくないのは十分分かりますが、ちったぁ私の負担考えてほしかったスねぇ」

「分かってる……!

 でも、ハルマ。俺はお前だって巻き込みたくなかったんだ。

 力さえ元に戻りゃ、後は俺だけでだって……ぐっ……!!」


 思わず身を乗り出そうとして、途端に痛みが走ったのか。そのまま悠季はまた、葉子の腕へと崩れ落ちてしまった。

 そんな彼らの背後から、広瀬がそっと声をかける。


「神城。君の経歴から考えれば──

 天木さんや仁志たちを遠ざけようとするのは、理解出来る。

 しかし、私は忠告したはずだ。

 君の力は、天木葉子との絆あってのものだとね」


 そんな広瀬の言葉に、葉子はふと首を傾げた。

 仲間を遠ざけようとするほどの、悠季の過去?

 一体なんだろう。少なくともゲーム内では、そこまでイーグルが掘り下げられたことはなかったのに。


「それに奴らは、君と仁志の二人だけでどうにかなる異形ではない。

 そう判断したから、私は天木さんと須皇さんを、ここまで連れてきた。

 これで彼女たちに何かあるようなら──

 遠慮なく、私を殴ってくれて構わない」


 両手をポケットに突っこんだまま、飄々と言ってのける広瀬。

 そんな彼に何も反論出来ず、悠季はぎりっと唇を噛みしめた。


「てめぇ……覚えとけよ、その言葉。

 葉子に何かあったら、マジその眼鏡叩き割って……

 って、痛てて!!」


 精一杯怒鳴ろうとしても、痛みに耐えきれず葉子に縋りつくしかない悠季。

 そんな彼の背中を、葉子はもう一度、しっかりと抱きしめる。


「無理しちゃ、駄目。

 私、本当に嬉しいんだよ?

 いつも助けられてばかりだった私が、こうして悠季を助けられて」

「だけど……!」

「私が、悠季を、助けたかったの。

 そこに、命賭けちゃいけない理由、ある?」


 一言一句はっきりと、悠季に告げる葉子。

 奇しくもその言葉は、いつか悠季が葉子をモラハラから救い出した時にかけたものと、同じだった。


「悠季、言ってたよね。

 自分だけが犠牲になればなんて考え方、やめろって。

 そっくりそのまま──返すよ」


 俯いたままの悠季の頬を、そっと撫ぜる。

 頬にまで刻まれた鎖の痕が、酷く痛々しかったが──

 それでも悠季はゆっくり顔を上げ、じっと葉子を見つめた。



 ──俺だって、葉子を助けたかった。

 あんたが俺を助けたかったのと、全く同じに。

 そこに命賭けちゃいけない理由、あるか?



 そんな自分の言葉を、思い出したのか。

 アメジストの瞳に少しずつ、いつもの力強い輝きが戻ってくる。


「……ホントだな。

 俺、自分で忘れてたぜ。自分の言ったこと。

 エラソーに葉子に説教しといて……マジ、情けねぇや」


 まだ血で汚れたままの唇で、それでも悠季は、笑った。

 それは久しぶりに見るような気がする、心からの、彼の笑顔。

 葉子が彼を抱くのと同じくらい、いやそれ以上の力で、悠季はぎゅっと彼女を抱きしめる。

 華奢な外見からは予想外なほどの腕力。それは確かに、鍛え抜かれた男性の筋力だった。


「ありがとな、葉子。

 俺、ホントは……お前のこと、待ってたのかも知れない」


 悠季の、心からの素直な言葉。

 傷だらけの顔で、それでも彼は葉子を見上げながら、少し照れくさそうに微笑む。



「お前に逃げてほしいって思いながら。

 心のどこかで、ずっと待ってた──葉子を」



 言ってしまってから悠季は、自分らしくもない台詞に思わず顔を赤らめる。

 やや上目遣いのそんな表情をじっと見ているうちに──

 葉子も思わず、顔が紅潮していくのを感じていた。



 ちょっと待って。

 私、今……もしかして。

 ほぼ半裸の推しに、抱きつかれてる?




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