その19 あんまりこっちの人間、ナメんじゃないよ



 ヘリは予想外のスピードで、ぐんぐん雷霆湖へと接近していく。

 湖を不自然に覆い尽くす黒雲。雲の間には、バチバチと鳴る稲光さえ見えた。

 それを眺めつつ、血を取られたばかりの腕を軽く押さえながら──

 葉子はふと、広瀬に尋ねた。


「広瀬さん。

 悠季のメッセージの翻訳なんですけど……

 抜けていたところ、ありますよね」


 魔神銃を手にしつつも、じっと無言で葉子を眺める広瀬。

 今更何を聞くんだと蔑まれるかも知れない。それでも葉子は、確かめておきたかった。

 ──悠季の言葉の全てを。


「あのメッセージの中で。

『テオタ アナーノ』って……悠季は、何度も叫んでました。

 私たち、その言葉の意味だけは、分かったんです」


 静かに呟く葉子に賛同するように、沙織も頷く。

「そうね。ゲームでも使われていたし、それだけはあたしでも覚えてた」


 葉子の視線と、広瀬の鋭い眼光が、ヘリの中で軽くぶつかりあった。


「悠季は、言ってたんでしょう? 

『逃げろ』って。何度も、何度も、私たちに」


 広瀬は銃を調べる手を止め、やがて静かに言った。


「何故私がそこを省略して、貴方がたに伝えたのか、ということですか」

「……はい」

「逆にお聞きして申し訳ないが、天木さん。

 神城に逃げろと言われて、貴方はすんなり逃げましたか?」


 分かり切ったことだ。答えはNOに決まっている。


「……いえ。

 逃げられるわけ、ないじゃないですか。悠季一人置いて!」

「ですよね。

 あの時は、そこに触れて貴方がたを説得するのは時間の無駄だと判断した。

 それだけです」


 淡々とそれだけ話すと、広瀬は窓の外を眺めた。

 既にヘリは黒雲の中へ突入し、少しずつ高度を落とし始めている。

 数分もすると、雷霆湖──その湖面が見えてきた。

 葉子も沙織も、この湖には来たことがある。レンガ造りの取水塔が印象的で、緑の木々が美しい湖畔。

 しかし今は森のあちこちから黒煙が上がり、小さな火災がほうぼうで発生している。

 そして、上空から湖を眺めると──



「な、何アレ!?」

「ビースト覚醒の陣が……もう、こんなに!?」



 驚愕する沙織に、唇を噛むみなと。

 葉子にも勿論見えた。取水塔を中心として、湖の底に、禍々しく蠢く光の魔法陣が張り巡らされているのを。

 そして──


 既にヘッドセットを装着している葉子には分かった。

 バイザーの内側に表示されている、悠季のステータス。さっきまでほぼ反応がなく、ただの横棒で示されていただけの表示が、急に動き始める。

 正確な数値が算出されるまで、やや時間がかかっていたが──

 それでも葉子は身を乗り出し、ヘリの外、陣の輝く湖を睨みつけた。


 ──間違いない。

 悠季は、いる。あそこに。


 葉子がそう確信した瞬間。

 バイザーの中の画面が自動的に拡大され、取水塔の付近を大きく映し出す。

 塔のすぐ上空、大きく円を描くように浮かび上がっているのは──6体の赤マント。

 恐らくあれが、スレイヴと呼ばれる者たちだろう。ゲームでは何度叩きのめしたか知れない、邪神の下僕。

 そのうち2体のマントの下から、まるで蜘蛛の糸のように無数の鎖と触手が飛び出し、何かを湖の上へと吊り下げている。

 まるで蓑虫の如く鎖で吊られている、黒い泥の塊。

 よくよく見ると手足があるようにも思える、それは──



「……悠季!?」



 見たくなかった。理解したくなかった。

 だが葉子のHMDは容赦なく、正確な情報を彼女に伝えてくる。

 鎖と触手でがんじがらめに縛られ、今も執拗に電撃や炎を投げつけられ、スレイヴらのなすがままにされているその小さな土塊が──神城悠季だと。


「嘘……

 嘘、だよね?」


 そんな彼女の呟きを完全否定するように、バイザー内の画面はさらに急速に拡大され。

 それが間違いなく人であることを、葉子に伝える。

 さらに、その胸元で大きく露出し、湖の陣に反応するが如く異様に輝いている黒い光沢は──

 葉子も目撃した、あの呪いの石。虚無石だった。


「…………」


 葉子はぎりっと歯を食いしばる。

 バイザー内でスロットのように動いていたステータスが、次々と確定していく。

 腕力60に体力53、知力78に素早さ85──それらのステータスは奇しくも、イーグルを最も強く成長させた時のものと同じだった。

 そして、次に表示された数値は。



 HP:0/720 

 LP:0.0000000001/10



 ──目を疑った。

 これがゲームだったら、チートでも使わなければありえない数値だ。

 LPを示す数値に、本来出るはずのない小数点が表示されている。

 小数点の右側には、何個あるのか一瞬では数えられないほどのゼロ。しかもそのゼロは悠季がスレイヴの攻撃を受けるたび、数を増していく。

 だがその最右端に、いつまでも消えることなく強く煌めいている「1」。

 悠季がまだ確かに生きていることを示す、数値。

 それは虚無石の力によるものか、それとも──


 完全に青ざめてしまった葉子と、湖上の光景から、全てを察したのか。

 みなとが激昂のあまり糸目を見開き、両手の間に一気に術力を籠めた。


「ちっきしょう……!

 今すぐ吹っ飛ばしてやる、あいつら!!」


 普段の敬語すらかなぐり捨て、ぎらぎらと極大の光術を燃やすみなと。

 だがそれを背後から、強引に広瀬が止めた。


「やめろ、仁志」

「何でです!?

 とっとと降下して、兄さんを助けてくださいよ!

 早くせんと、兄さんが……兄さんが!!」

「今ここで無暗に攻撃すれば、反撃を食らって全員終わるだけだ」


 魔神銃を構えながら、広瀬は葉子と沙織に目配せした。

 それを見て、慌ててみなとは広瀬にくってかかる。


「ちょっと、管理官……

 まさか、ここから宝弾を撃つつもりで!?

 まだ兄さんの場所まで、1キロ近くありますよ!?」

「スナイパーライフルの世界最長記録は、3キロを軽く超える。

 追尾性能を備えたこの銃なら、1キロ程度、どうということはない」

「ですけど……!」


 みなとを片手で制しながら、広瀬はあくまで冷静に葉子たちに告げた。


「スレイヴたちの術力効果範囲を考える限り、ヘリによるこれ以上の接近は危険だ。

 天木さん、須皇さん。

 お願いします。先ほど伝えた手筈通りに!」


「……分かりました」

 こくりと頷く葉子と沙織。

 納得出来ないながらも、みなともそれ以上反論出来ず、黙り込んだ。

 その手の中でメラメラ燃えていた白い炎は、一瞬で青い光に切り替わる。術力を水術に切り替えたのだろう。

 それを合図に、みなとは勢いよくハッチを開放した。


「行きますよ、沙織さん、葉子さん!

 水妖陣・遠近両用術式、起動!!」

「了解!!」


 みなとの声に乗るかのように、勢いよく外へと飛び出していく沙織。

 葉子も驚いたが、その行動は殆ど躊躇がなかった。

 同時にみなとの放った水術がスライムのように沙織の身体を包み、彼女を空へ軽々と浮遊させていく。

 遥か下へと飛んでいく彼女を凝視しながら、さすがに葉子の足がすくむ。

 ヘリに乗るのも初めての経験だが、空中で旋回するヘリから飛び降りるのも当然初めてだ。


 ──でも、躊躇ってなんかいられない。


 葉子は震える足で思いきりヘリの床を蹴り飛ばすようにしながら、空中へ飛び出した。

 みなとの水術が、沙織と同じように葉子をも包んでいく。水に包まれたはずだが、何故か息は出来るし、服も濡れない。水で作った柔らかな球体、その中に一定の空間があるのだろう。

 一気に降下速度の落ちた球体の中から、ヘリを見上げると──

 同じようにスライム状の球に包まれながら、必死で叫びながら落ちてくるみなとが見えた。


「お願いします、管理官!

 外したらマジ、一生恨みますからね!!」


 そんな彼の叫びが聞こえているのか否か。

 広瀬はハッチから身を乗り出し狙いをつけながら、ただひたすらに湖を見据えている。

 取水塔付近に吊り下げられたままの、悠季を。それを取り囲むスレイヴらを。

 そして、その分厚い唇から飛び出した言葉は。



「お前らさぁ……

 あんまりこっちの人間、ナメんじゃないよ!」



 静かな憤怒を籠めたそんな呟きが、聞こえたような気がしたと同時に。

 魔神銃の銃口がフラッシュの如く閃き、緋を帯びた火線が天を裂きながら、一直線に湖へと飛んでいく。

 そして0.5秒後には──

 森ごと吹き飛ばすかのような爆光が、あたりを染めた。


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