その17 生命




 急激に黒く染まっていく空。

 湖の中から、ざばざば水柱を立てて次々に飛び出してくる6体の赤マント。

 どれほど頭を潰され、撃たれ、血に染まろうとも──

 異形たちは執拗に蘇り、悠季の周囲をぐるりと取り囲む。まるで、傷つき飛べなくなった小鳥を見て、ゆっくり舌舐めずりする獣どものように。

 そのうち1体──『破壊』から、異様な殺気が突出する。

 だが、動きが分かっていても、今の悠季にはどうすることも出来ない。


「──!!」


『破壊』のマントの下から飛び出したものは、先ほどよりやや小さめの鉄球がついた鎖。

 それはまるで意思を持った触手の如く、いとも簡単に悠季の上半身と左脚に絡みつく。

 一気に動きの全てを拘束され──

 その姿を目に、『破壊』のマントの奥で、紅の眼球が明確に歪んだ。笑いの形に。

 次の瞬間には、細い身体は鎖と共に空高く放り投げられ──

 0.5秒後には情け容赦なく、湖面に叩きつけられていた。




 それだけでは飽き足らず、『破壊』は鉄球を地面に叩きつけると全く同じ要領で、悠季をそのまま湖の底まで沈めていく。

 巻き付いた鉄球は比較的小さかったものの、その重量は少なくとも悠季の体重ぐらいは軽く超えており。

 一瞬で湖底まで叩きつけられ、肺から血の塊と一緒に空気が泡となって飛び出した。


「がはっ……!!」


 鎖はさらに強く悠季の身を絞め上げ、空気を求めて喘いだ口元にすら巻き付いていく。

 だが、地獄は終わらない。むしろ始まりだった。

 鉄球の重量に任せ、『破壊』は鎖を好き放題に振り回す──

 結果、悠季の身体はそのまま湖底を粗暴に引きずられ、何度も何度も身体は岩に、泥に、尖ったガラス片に激突し。

 そのたびに皮膚も肉も削られ、骨は砕け、肺は血に満たされていく。

 だが決して、悠季は意識を失わなかった。いや、失えなかった。

 身体がちぎれようとするたびに虚無石は妖しく光り、遠くなりかかる悠季の意識にちりっと衝撃を与えては、無理矢理に現実へと引きずり戻していく。



 ──葉子!



 水中でどれほど叫ぼうとしても、自身でさえその声は聞こえない。

 やがて不意に鎖の動きが止まったかと思うと、左脚から強烈な力で鎖が引っ張り上げられる。

 既に砕かれた足が、メキメキ音を立ててさらに粉砕されていくのが分かる。

 そのまま水の上に引きずりだされた悠季は──

 逆さに空中へ吊り上げられ、ずぶ濡れの身体を全くの無防備でスレイヴたちの前に晒すことになった。

 重力に任せて下へと垂れ下がった髪から、大量の泥水と一緒に血が滴り落ちる。本来の方向とは逆向きに身体を流れる泥が、ひたすら気持ち悪かった。

 絡んでいる鎖の本数はいつの間にかその数を増やし、腕に脚に首、あらゆる部分に巻き付いて悠季の動きを奪う。

 それでもまだ右手に握りしめていた短剣で、何とか鎖を切ろうとあがく悠季。しかし──


「──!!」


 バチバチ音を立てて、激しい電撃が鎖を通じて悠季を直撃した。


 ──葉……ッ!!


 心で彼女の名を叫ぶことさえ許さず、電撃は容赦なく身体中を駆け抜け、神経を麻痺させる。



「さぁ、苦しめ!

 泣き、喚き、命乞いをするがいい!

 これは神罰。神を汚した貴様の悲鳴こそが、最高の供物となるのだ!!」



 そんな『撃滅』の哄笑と共に。

 悠季の身体は再び空中へと大きく振り上げられ、湖へと叩きつけられていった。




 *******




 葉子と沙織がビル屋上に出た時には、既に防衛隊の輸送ヘリが到着していた。

 警備員に頼んで屋上に出るのさえ初めてだったが、ヘリコプターとは。二人とも初めての経験だったが、戸惑う時間も彼女らには与えられない。

 ドアが開かれた途端、突風の中飛び出してきた声は。


「お久しぶりです、沙織さん、葉子さん!!

 若干時間はかかりましたが、夢見の宝弾、無事ゲットできたッスよ!!」

「み……みなと!?

 あんた、そのカッコ……?」


 ネズミの耳がついた桜色の三角帽子。それを風で飛ばされないように必死で押さえながら、ドアから首を突き出して叫んでいるのは、間違いなく仁志みなとだった。

 但しその恰好は、みなとと言うよりハルマと言った方が正しい。何しろいつもの小さなサイズの背広ではなく、えんじ色のダボダボのズボンに──多分現実ではアラビアンパンツと呼ばれるものだろう──、肩から腹のあたりまで覆い隠すほどの幅広のマフラー。

 魔術の紋様だろうか、魔法陣にも似た模様がマフラーにも前垂れにも編みこまれている。ベルトに装着された薄紫の腰ひもには、煌めく虹色の石が幾つも飾られていた。

 これはもう完全に、ゲームの世界からそのまま抜け出てきた、旅商──ハルマだ。


「驚いたッスよ……まさかこっちじゃ、こんなことになっとるとはねぇ。

 管理官からの要請で、無理にでも時間圧縮して良かったッス。

 おかげで、この恰好のまんま戻ってきちまいましたがね」

「時間圧縮?」


 みなとに手を引かれてヘリに乗り込みながら、葉子も沙織も首を傾げる。

 そんな彼女らに、機体前方から広瀬の声がかかった。


「仁志が宝弾を奪取するまでは本来5日かかっていますが、それを何とか1日まで縮めました。

 かなりの手間がかかりましたが、この際やむを得ない」


 既に中では防衛隊らしき操縦士が一人、それに広瀬、そして何故か看護師が一人、待機していた。

 操縦士に目で合図しながら、広瀬は後部座席からアタッシュケースを取り出し、乗り込んできた葉子と沙織に中を見せる。

 全く慣れない手つきでシートベルトをしながら、葉子も沙織も揃ってその中身を見せられたが──


「な、何ですか、これ?」


 アタッシュケースの中身は、赤いレンズの嵌ったゴーグルのようにも見えた。それが二人分。ただ、フレームに当たる部分が奇妙に分厚い上、ゴーグルとヘッドホンが一体化したかのような形状をしており、ヘッドセットと言った方が正しい。

 そしてヘッドセットには、どういうわけかゲームのコントローラーにも似た装置が接続されている。よくある黒ではなく、透明で内部装置が見えるコントローラーだ。

 広瀬は間髪入れず説明を始めた。


「いわゆるHMD(ヘッドマウントディスプレイ)ですよ。

 管理局ではこれを『ライフポイント・ジェネレーター』と呼んでいます」


「らい……何て?」

 唐突に出てきたその言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる沙織。

 しかし広瀬は有無を言わせず、その装置を葉子と沙織に手渡した。


「夢見の宝弾と同じく、これも現状を打破する鍵。

 まだ開発段階の試作品ですが、これをお二人に使っていただきます。

 まずは須皇さん。腕を出してください」

「腕? 何するの?」

「貴方の血液を採取します。

 この装置を扱うには、貴方がたの血液が絶対不可欠ですから」

「え? ちょ、待っ……!!」


 エンジン音を立てながら、空へと発進していく輸送ヘリ。

 そんな中で看護師は素早く動き、沙織の腕を押さえる。

 訳が分からず、一瞬みなとに助けを求めようとした彼女だったが──

 みなとは無言で沙織に頷き、その糸目でじっと彼女を見据えた。

 そんな彼の態度に、沙織もろくに言い返せず、言われるままに左腕を出す。


「仕方ないわね……

 この状況、四の五の言っちゃいられないし。

 あたしでも少しは役に立つんなら、何でもやってやる!」

「申し訳ない。多少強引ですが、時間がないんです。

 お願いします。天木さんも」


 葉子に目配せする広瀬。

 その横で、みなとが重そうに背中から一丁の銃を取り出した。みなとの背ほどもありそうな大型の銃を。

 形状はスナイパーライフルにも似ているが、グリップや銃身の至るところにアンティーク風の紋様が刻まれ、しかもそれが鈍く光っている。まるで血管のようにその光は銃の表面で波打っていた。


「みなと君。それがもしかして……」

「そうです。こいつは『魔神銃』と言いましてね。

『夢見の宝弾』を撃てる唯一の銃なんスよ」


 みなとは少しだけ冷や汗をかきながら、震える手でグリップに触れている。

 どうやら彼自身、そこまでこの銃の扱いには慣れていなさそうだ。


「既に宝弾は装填しています。

 後は兄さんの虚無石に、こいつをぶち込むだけなんですが……

 状況から考えると恐らく兄さん、戦闘中ッスよね。そもそも簡単に合流出来るかどうかも分からんし、跳ねまわってる兄さんの胸を狙い撃つとか……無茶です。

 この弾にはそこそこの追尾性能があるとはいえ、少なくとも私にゃ、どう考えても……」


 唇を噛みながら黙ってしまうみなと。

 そんな彼の手から、広瀬はおもむろに銃を取り上げる。

 少なくともその動作は、みなとよりは大分銃の扱いに慣れているようだ。


「仁志。君には他にやってもらうことがある。

 この役目は私がやろう」


 当然のように言ってのける広瀬に、思わず目を剥くみなと。

 広瀬は軽く銃を構えつつ、その調子を見ている。


「か、かかかか管理官ッ!?

 弾は一発しかないんです、失敗は許されないんスよ!?」

「だからこそだ。

 君は明らかに銃に慣れていない。なら、慣れた者がやるのは当然だろう」

「ですが……

 こちらの人間では、異世界から召喚された者にダメージを与えるのは!」

「それは、異世界の者たちがこちらの攻撃を積極的に防御しようとした時のみだ。

 神城を『攻撃』するのではなく『救助』する為に撃つなら、恐らく問題ない」

「で、ですけど!」

「私はこの仕事について20年近くになる。

 その経験が信じられんというなら、今すぐ降りてもらって構わない」


 感情の見えない切れ長の目でそう言われると、みなとも引き下がるしかなかった。

 そんな彼らを横目に──

 沙織の血液採取が終わった。

 すぐに彼女はHMDを取り上げ、看護師に手伝ってもらいながら装着する。

 装着と同時に、HMDに接続された透明のコントローラーに一瞬光が注ぎ込まれ──

 1秒後には、コントローラー内部は体液にも似た薄紅の液体で満たされていた。

 そして、装着されたバイザーごしにみなとを眺め、思わず沙織は声を上げる。


「あれ……?

 これ、みなとのステータスまで見える?」

「えっ?」

「うわ、マジでゲーム画面みたいじゃん!

 HP780、腕力70に体力72、知力75に素早さ52……

 相変わらず素早さだけイマイチねぇ」


 一瞬状況を忘れ、少しだけその表示を楽しげに眺めていた沙織だったが──

 ふと何かに気づき、改めてみなとを見つめた。


「ね、ねぇみなと。

 あんた、ライフポイント……どうしたの?」


 ライフポイント──略してLP。

『エンパイア・ストーリーズ』のゲーム上では、HPと同様にそのキャラの残り体力を示した数値だ。

 HPが0になれば倒れて戦闘不能となり、LPが削られる。そしてLPが0になれば、そのキャラは重傷扱いとなり、一定期間ゲームに復帰することは出来なくなる。キャラによっては死亡となり、二度と復帰不可能になることさえある。

 また、術力を使用する武器で大技を放つ時も、LPが消費される。

 そしてLPはHPや他のステータスと違い、最初からキャラごとに数値が定められ、基本的に最大値が変動することはない。

 要するにLPとは、キャラの生命力。寿命のようなものである。


 そのLPの数値はみなと──ハルマの場合、最大値が20。イーグルがその半分の10である。

 ハルマは足が遅い代わりに体力のあるキャラであり、それに比例してLPも全キャラ中トップクラスを誇る。

 だが今、沙織が見た、彼のLPは。


「あんた……

 何でLP最大値、17になってるのよ!?」


 慌てて両肩を掴んでくる沙織の剣幕に、少々引きながら頭をかくみなと。


「あ~……

 いや、その~……

 冥府の奥まで行くの、予想以上に手間でしてねぇ。今すぐ行きたいのであれば、お前の生命力を置いて行けと……大神様に言われまして」

「地獄の沙汰も金次第じゃなかったの?」

「実は道中、若干ドジっちまいまして。詐欺がバレてゴブリン軍団に追っかけられたりで、金も思うように集められなかったんスよ。

 やっぱり焦ると、いつも出来てたことでもミスるもんだし、トラブルって重なるもんなんスよね。だから金のかわりに、ちょいと命を……」


 ヘリ中に響く大音声で、沙織は怒鳴る。

「ちょいとじゃないわよ!

 あんた、自分が何したか分かってんの!?

 LPの最大値ってつまり、あんたの寿命でしょ。あんた、自分の命を──!!」

「いいんです」


 そんな彼女に、みなとは両拳をぎゅっと固めながら静かに呟いた。


「必要だと判断すれば、私しゃ金も命も削ります。

 沙織さん。私が金や命に執着するのはね──

 こういう時に必要になるからなんですよ」

「──そんな」


 茫然とみなとを見つめる沙織。

 肩を掴んで離そうとしないその手に触れながら、みなとはいつもの糸目の笑顔を崩さなかった。


「ありがとうございます、沙織さん。

 私みたいのでも、心配してくれてたんスね」

「何言ってんの……当たり前じゃない!

 あんただから心配だったんでしょうが!!」


 抑えに抑えてきた感情を、遂にこらえきれなくなったのか。

 沙織はそんな言葉と共に、ぎゅっとみなとを抱きしめていた。


 その光景を尻目に──

 広瀬はそっと、三人に告げた。


「天木さん、須皇さん。

 この装置は文字通り、『バディ』のLPを回復させるものです。

 つまり、天木さんなら神城の、須皇さんなら仁志のLPを回復できますし、ある程度遠隔でも、貴方がたから戦闘中の『バディ』に指示を出すことも出来る。

 但し、LP回復に関してはリスクがあります」


 広瀬はそこで一旦息をつき、改めて葉子と沙織を見据えた。


「例えば、神城のLPを10ポイント回復する場合、約100mlの血液が失われる。

 神城の、ではありません。天木さんの血液が、身体から失われることになります」

「……!!」

「人間は、全血液量の約20%以上──

 体重50キロの人間なら800ml以上が短時間に失われると、出血性ショックが起こり。

 それ以上になれば当然、生命の危機に瀕する。

 ですから天木さんの場合だと、神城のLPを全回復出来るのは恐らく、8回ほどが限度ですが──」


 それを聞いて、沙織が一気に青ざめて葉子を見つめる。

「って……

 あたしはまだいいけど、葉子。

 あんた普段から貧血、すごい時は結構すごくなかった?」

「そ、そうです……

 生理の時なんか毎月いつもふらふらで、会社休むこともあるくらいだし」


 広瀬はそれを聞いて、分厚い唇を少しばかり噛みしめた。


「だとすれば……

 天木さんがLP全回復を使えるのは、5回が限界と考えた方がいいでしょうね。

 それ以上無茶をすれば、生命の保障は出来ません」


 みなともそれを聞いて、身を乗り出してくる。


「じゃ、じゃあ兄さんのLPが危なくなったら、私のLPを譲渡しますよ!

 葉子さんにそんな無茶をさせるわけにいきません! ライフパサーの術を使えば……」

「仁志。その覚悟は結構だが……

 君のLPを全回復しようとすれば、今度は須皇さんが1回につき170mlの血液を失うんだ。それを忘れるなよ」

「ぐ……」


 みなとが言い返せなくなるのを尻目に、広瀬は魔神銃を手にしつつ空を眺める。

 スレイヴたちがケイオスビースト復活を目論む地──雷霆湖の方面は、快晴であるはずなのに、どういうわけか黒雲に覆われだしていた。

 それでも──

 葉子は静かに顔を上げ、看護師に腕を差し出す。


「構いません。やってください、広瀬さん。

 私が助けずに、一体誰がイーグルを──

 悠季を、助けられますか!」


 決然と宣言する葉子の瞳に、迷いは一切なかった。






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