その16 悲痛




「まさか……

 もう、復活してやがるのか。奴は!?」


 鎮まるどころか、より激しく波立つ湖面。その水中には確かに見えた──

 湖の底に巨大な円状に描かれた、光の魔陣が。

 光といってもそれは、異形の禍々しさしか感じられない。いつも目にしている太陽光とは全く逆の、異質なものだ。

 悠季はダガーを構えて下からの攻撃に備えようとしたが、既にその手さえ震えだしている。それは激痛のせいか、それとも──

 橋から身を乗り出しかけた、その時。


「……ぐっ!?」


 心臓を氷の刃で貫かれたかの如き痛みに、思わず胸を押さえて座り込む。

 これまで受けたどんな斬撃とも、比較にならぬほどの激痛。心臓が破裂したかというほどの痛みは、血の流れに沿うように全身へと一気に拡大していく。

 それは氷のように冷たい刺で血管という血管を刺してきたが、酷い熱さすら感じる。

 あまりの激痛に悠季はそのまま倒れ伏し、思わず胸元をかきむしっていた。


「あ、あ、ああぁあああぁぁ、が、うああああぁああぁああぁあ!!!」


 潰れた心臓が口から転がり出そうだ。

 苦痛に身をよじらせながらも、悠季はすぐに思い当たった。


 ──原因は、こいつか。


 ワイシャツの襟ぐりを肌着ごと引きちぎり、胸元を確認する。胸に埋め込まれているはずの、虚無石を。


「……畜生。

 なんてこったい」


 それだけ呟くのが、精一杯だった。

 漆黒の虚無石は悠季の胸でいよいよその輝きを増し、おまけに埋め込まれた当初の3倍ほどまで膨張していた。

 焼け付くように熱いが、刺すように冷たい苦痛。その感覚の正体は間違いなくこいつだ。

 しかも埋め込まれた石の周囲の血管はどす黒く膨れ上がり、急速にその黒は全身へと侵食しつつある。既に鎖骨や臍のあたりまで、醜悪な入れ墨にも似た黒が蠢いていた。

 その中心で、虚無石は悠季の心音に反応するかの如く、ドクドクと波打っている。

 いや──心臓の方が石の動きに合わせて、異常に鼓動を早められている。弱り切ってしまった悠季の身体を、一気に喰らい尽くすかのように。

 そして──

 強制的に高められていく悠季の心音に合わせ、湖の中に描かれた陣は光を増していく。


 ──まずい。

 このままじゃ、俺が死力陣の中心に……

 ビースト復活の贄にされちまう!


 汗だくになりながら、何とか立ち上がろうとする悠季。

 しかし両脚とも痛みでがくがく震え、ろくに動かない。

 その間にも、湖底の魔陣は加速度的にエネルギーを蓄えていく。湖が波立つごとに、心音が高まるごとに、天までがどす黒く染まっていく。

 生理的嫌悪さえ感じるその波動に、周囲の森さえざわめき、鳥たちが黒煙と共に飛び立っていた。

 未だ爆炎に包まれている上空からは、僅かにまだ気配が感じられた──

 しつこく生きてやがる、あのスレイヴどもは。


 ──駄目だ。まだ駄目だ、倒れちゃ。

 さっさと立てよ。元々俺の取り柄なんて、脚ぐらいなんだから。


 身体中走り続ける痛みを奥歯で噛み殺し、悠季はよろよろと立ち上がる。

 だが



 ドンッという撃発音。

 同時に、右横腹に強烈な打撃が走った。



 噴水の如く、宙に盛大に噴出する血飛沫。

 既に裂傷を負っていた右の横腹、その部分の肉も骨も、全て抉り取るが如き打撃。

 何が起こったのか理解出来ず、悠季はぽかんと口を半開きにしたまま、自分の血飛沫を見つめるしか出来ない。


「な……

 何で……? どっから?」


 立ち上がりかけていた身体が、ぐらりと大きく揺れる。

 それは、予想もしなかった方向からの攻撃だった。

 殺気が全く感じられなかったはずの、背後の森。そこには今も防衛隊がいたはずだが──


 咄嗟に右腹を抑えながら背後を確認する。

 そして悠季は見た──

 味方だったはずの防衛隊員が、どういうわけか自分に向けて小銃を構えている姿を。


「おい……」


 冗談だろ。

 そう呟きかけた唇から、ごぼりと大量の血が噴き出した。

 森の中でふらふらと突っ立ったまま、小銃を構える防衛隊員。その数はおよそ数名ほどだったが、それでも今の悠季にとっては十分脅威となりうる。

 隊員らの目は開いてはいたが、視線はどこも見てはいなかった。



 ──そうか。悠季は即座に思い当たった。

 邪神の術には、倒れた者を自分の思い通りの人形にしてしまうというろくでもないモンがある。仲間が一度でも倒れれば、目にも止まらぬ速さでその仲間の魂を掠め取り、そいつを操り人形にしてしまう。

 その結果、邪神の攻撃と仲間の攻撃が連携しやがり集中爆撃喰らったことも、何度あったやら。


 恐らくスレイヴたちの仕掛けた死力陣がパワーを増した影響で、虚無石は俺の身体を食らい始め。

 防衛隊員たちは邪神の術──もしくはそれに類する術に絡めとられ、俺を撃った。

 この世界の人間は異世界の者を攻撃出来ないはずなのに、俺へのダメージが通ったのは──防衛隊員たちが邪神かスレイヴ共に操られている、何よりの証拠だろう。

 殺意が一切感じられなかったのは、既に倒れて気絶していたからか、それとももう──

 いずれにせよ撃った隊員は、自分が何をしているかさえ分かっちゃいない。



 原因に思い当たろうと、今の悠季にはなす術もなく。

 防衛隊員らの容赦ない銃撃を、よろよろと躱すぐらいが関の山だ。

 足元に銃弾が跳ねるたび、流れる血液が橋を汚す。そのうち何発かは悠季の身を掠め、皮膚や髪を削いでいった。



 *******


「馬鹿者!

 撃つな、あの少年を撃ってはならん!」


 崩壊しかけているテント内で、中隊長は隊員たちに必死で呼びかけていた。

 湖から漏れだしたおかしな光を浴びた。それと同時に──

 気絶していたはずの隊員たちが何故か突然起き上がり、命令を無視して悠季を銃撃している。

 このありえない事態に、中隊長を始め周囲の隊員らも驚愕を隠せなかったが──

 すぐに中隊長は指示を下した。


「止めろ! 一刻も早く銃撃を止めさせるんだ!

 殴っても構わん、これ以上攻撃させるな!!」


 テント内から即座に駆け出していく隊員たち。

 中隊長は食い入るように、カメラごしの映像を凝視する。

 悠季は──血みどろになりながら欄干にしがみつき、まだ倒れてはいなかった。


 先程からの鬼神の如き戦いぶりから、中隊長は確信していた

 ──異世界から来たというあの少年は、間違いなく味方だ。

 誰がどう疑おうと関係ない。6体もの化物を相手に、あれだけの傷を負いながらたった一人で果敢に立ち向かう者が、敵であろうはずがない。

 テントから飛び出した隊員たちが、銃撃を続けようとする隊員を次々に取り押さえていく。それでも強引に銃撃を続けようとする者、湖を渡ってまで砲弾を撃ち込もうとする者。

 狂ったとしか思えぬその挙動は、どれだけ押さえようとしても容易には止まらず、部隊は完全に混乱状態に陥った。

 最早、自分らに出来ることは何もない──

 そう悟った中隊長はスピーカーを通じ、大音声で悠季に直接呼びかけていた。例え、通じないと分かっていても。


「逃げろ、少年!

 今すぐ逃げるんだ!!」



 *******



 だが、中隊長の声も虚しく。

 取水塔に繋がる橋の上で、悠季はただうずくまりながら欄干の陰に隠れ、銃弾を防ぐしかなく──

 そのうちの一発が、無情にも左足首を直撃した。


「──ぎ……

 ぎゃああぁああああぁああっ!!!」


 自分のものとも思えぬ悲鳴を上げ、倒れ込む悠季。

 明らかに、くるぶしを砕かれた。まともに銃弾を受けた足首は、ありえない方向へ折れ曲がりながら煙を吐いている。

 最早どうやっても立ち上がれず、悠季は血の流れ続ける左脚を放り出したまま、痛みに震え続けるしかなかった。

 喉から、苦痛に満ちた絶叫が迸る。その目からはいつの間にか、ぼろぼろと涙が零れだしていた。


「あ、あぁ、ああぁああ………

 ああぁああぁあ!!!」




 俺が叫んでるのは、痛みのせいだけじゃない。

 多分──俺、悔しくて、悲しくて、情けなくて、どうしようもなくて。

 あの時と一緒だ。何一つ守れなくて、閃光に吹っ飛ばされちまったあの時と、同じだから。

 葉子。俺、お前にさえ、何も──




 何も出来ない自分への怒号と。

 あまりの激痛で狂ってしまった、獣の如き悲鳴。

 その二つが見事に入り混じった叫びが、虚しく天を裂いていく。

 何をどうやっても動かなくなってしまった足に無理に力を入れようとして、身体の下へさらに大きく血だまりが拡がる。

 そんな彼の前方から背後から、不意に剥き出しにされる6つの殺気。

 同時に、天高く響きわたる嗤い声は。



「良い悲鳴だ。

 だが、まだまだ聴かせてもらうぞ。我が主の流した血の分だけ──

 貴様の、恐怖と苦悶の狂騒曲を!!」


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