その15 反撃
戦闘開始から何分経過したか──
悠季は湖畔の森を駆け抜けながら、ひたすらスレイヴらの猛攻を躱し続けていた。
早くも森林の半分近くは黒煙に呑まれ、悠季がその身を隠すごとに周囲の木々は雷撃に炎に斬撃を浴び、容赦なく砕かれていく。
倒れた防衛隊員たちから次々に火器を奪い、決死の抵抗を続ける悠季。
アサルトライフルを手に、短剣の柄を口に咥えたまま。
火を噴く樹木の陰から飛び出し、上空のスレイヴたちに向かって一気に銃弾を浴びせては離脱する。
それをもう何十回繰り返したことか。まるで水滴で石を削るが如き攻撃だと分かっていても、やらないわけにはいかなかった。
それでも悠季はスレイヴたちの執拗な攻撃を全てスレスレで躱し、直撃を避け続けていた。それは術の力でも何でもなく、シーフとしての悠季──イーグルが本来持っている、驚異的な素早さと瞬発力のなし得る技だったが。
巨大斧で薙ぎ払われ、吹っ飛んできた木々を避け。
続けて降りそそいだ雷撃と火球と氷の刃を、坂を転げ落ちながら全弾躱し切る。
そこへ、加速を伴い落ちてきた巨大鉄球。
その刺がギリギリ鼻先を掠めたか否かのタイミングで、悠季は無理矢理大地を蹴る。血まみれの左脚で。
直後に大地を抉る鉄球。衝撃で吹き飛ばされながらも、木陰に転がり込む。
地面と鉄球の間で挽肉にされる事態だけは、何とか回避した
──と身を起こしかけた、その刹那。
「──ぐっ!?」
右足、爪先からふくらはぎにかけて、強烈な熱さが降りそそいだ。
肉やゴムの焼ける嫌な臭いが鼻をつく。咄嗟に自分の足を確認すると──
粘り気のある半透明の液体が右足にかかり、ズボンの裾とスニーカーがしゅうしゅうと音を立てながら溶けだしていた。
肌と一体化しかけているスニーカー。爪先から微かに白い煙まで上がっている。
──水術の毒か。
倒れた樹木の陰に身を隠しながら、悠季は空を確認する。仕掛けてきたのはどいつだ。
それは、他5体と比べて動きが遅く、目立たなかったスレイヴ──『怨毒』。
畜生、こっちが息をついた瞬間を狙われたか。
すぐに立ち上がろうとしたが、最早足が草に触れただけでも痛い。毒はじわじわと悠季の右足を侵食し、裾や靴だけでなく皮膚まで容赦なく溶かしていく。
「あ……あぁ……ぐ……!!」
ライフルを構えたまま、激痛で屈みこんでしまう悠季。本当なら絶叫しながらのたうち回りたい。
上空から響くものは、スレイヴどもの勝ち誇ったような嗤い声。
「どれほど逃げ隠れしようが、貴様の運命は既に決まっている!
それでもその哀れな姿を晒しながら、我らに抗うか!?」
そう言い張る『撃滅』の赤マントも、悠季の攻撃によって穴だらけになってはいたが。
悠季の姿は、どれほど馬鹿にされても反論出来ない状況だった。
致命傷こそ回避しているものの、背広はあちこち切り刻まれ胸から下の部分がほぼなくなっている。左肩から先はいつの間にかワイシャツの袖ごとちぎれ、ノースリーブ同然。短剣を隠せる内ポケット自体も消失した為、アサルトライフルを撃ちまくっていたここ数分間、悠季は口に短剣を咥えたまま森を駆け抜けていた。
血に濡れた服で転がり続けたせいか、身体中に土や草がびっしりこびりついている。傷を覆っていた包帯さえも殆どがちぎれ飛び、肩から垂れ下がった血塗れの先端が力なく風に揺れていた。
──多分、墓地から這い出してきたばっかのゾンビだってここまで酷くねぇ。
違うのは、斬られた肉が腐り落ちているか、真っ赤な血を噴き出しているかぐらいだ。
悠季はそう自嘲しながら、奥歯でぎりっと短剣を噛みしめる。
唇の端から噴き出す、猛獣にも似た呼吸。ぜいぜいと鳴る喉の内側から、強烈な血の臭いがする。
──これ以上逃げ続けていても、一方的に嬲られるだけ。ジリ貧だ。
何とか接近して、1体でも奴らの数を減らさねぇと。
すっかり緩んでしまったネクタイを解き、出血し続ける左太ももの付け根を力いっぱい縛った。
痛みが消えるわけじゃないが、何もしないよりはマシだろう。
防衛隊からの援護はまだ潰えていない。どれだけ森を焼かれても懸命に抗戦を続け、僅かながらスレイヴらの目を悠季から逸らし続けていた。
だがそれも、残り何分もつか分からない。
何度目かの弾幕が、スレイヴらを包む。その瞬間──
鋼鉄の鎖がキィンと風を斬り、殺気が真っすぐこちらに向かって飛んできた。
「──!!」
左脚に強引に力をこめ、横っ飛びに跳ねた。
筋肉がぶちぶち切れる感覚が太ももから伝わってくる
──んなもん、構ってられるか。
次の瞬間、今の今まで座りこんでいた場所を巨大鉄球が直撃する。
当然の如く鉄球は大地にめり込み、着弾が生んだ衝撃は大量の土くれと共に悠季を吹き飛ばす。
──だがこの瞬間を、彼は決して見逃さなかった。
森の方向へ枯葉の如く飛ばされながらも、身体を強く捻りながら木の幹を蹴り、めり込んだ鉄球の方向へと跳ぶ。
まるで、跳ね返った弾丸のように。
──このバカデカい鉄球は、もう一度動きだすまで若干時間がかかる。
その間に!
頭まで突き抜ける激痛を奥歯で噛み潰し、鉄球の「上へ」降り立つ悠季。
そしてスレイヴが再度鉄球を引き上げるより遥かに速く、空に向かって走り出した──
鉄球と上空のスレイヴを繋ぐ、伸びきった鎖の上を。
「な……っ!?
こ奴、チョコマカと!」
虚を突かれたか。スレイヴがマントの内側の目玉を見開いた。
腰だめに構えたアサルトライフルを撃ちまくりながら、悠季は一気に鎖の上を駆け抜ける。
その動きに、体重は全く感じられない。
重量のある鉄球を引き上げるのに時間を費やした『破壊』のスレイヴは、小銃の鉛弾のほぼ全てをまともに食らい──
ライフルを全弾撃ち尽くした悠季は、そのまま銃を投げ捨てる。
咥えていたダガーを右手に構え直して鎖を蹴り、宙へ飛翔した。
勢いを利用し、ひらりと縦に一回転する悠季。
そのさまはまるで、重力を全く感じさせず綱の上で舞う、曲芸師そのもの。
「術なんざ使えなくったってなぁ!
負けてらんねぇんだよ、てめぇらなんかに!!」
声を限りに叫びながら短剣を構え──
落下の勢いも利用してそのまま『破壊』の喉元めがけ、刃をねじりこむ。
──それは間違いなく、イーグルの必殺技。ロッソ・スカルラット。
敵の視界が全て血の紅に染まることから名づけられた、術力を必要としない強力な短剣技だった。
「ぐぉ……あ、あが……!!」
貫かれた喉から噴出する、真っ黒な血。
空中でぐらりとよろめく『破壊』。
それでもとどめには至らず、『破壊』はなおも鎖を振り回す。
悠季の気迫に呼応するかのように、スレイヴたちもまた殺意を強めたか。
──来る!
振り回される鎖から離れようとした刹那、黒煙を薙ぎ払うかのように右から飛んでくる巨大な刃。
それは『絶望』の放った、大斧の斬撃だった。
真一文字にやってきた殺気に、思わず悠季は『破壊』の顔面を力いっぱい蹴り飛ばしながら跳躍。紙一重で刃を躱す──
同時にその斬撃は、悠季の右腕に残っていたスーツの袖を丸ごとちぎり取った。
──やれやれ。遂に両腕ともノースリーブになっちまったじゃねぇか。
心で唾を吐きながら、再び空中へその身を躍らせる悠季。
弾幕を切り裂いて、反対側からもう一度斧が飛んでくる。
ほんの少しでも反応が遅れれば、次の瞬間には腹から真っ二つになるであろう刃が。
──それでも、俺に比べて遅い。
鉄球野郎もそうだが、デカい得物を使っている分、どうしたって動きはトロくなる。
驚異的な跳躍力を利用して、悠季は一瞬でスレイヴらの直上を取った。
少しでも着地を間違えれば、あっという間に真下の湖に叩き落される位置。それでも悠季は迷うことなく、『絶望』の刃を見据え──
全精力をこめて、上空からドロップキックを叩き込んだ。
眼下に平坦に広がった、巨大な刃に向けて。
溶けたスニーカーと一体化しかかっている脚だが、この際仕方がない。
刃と脚が激突した瞬間、通常ならそれだけで意識を消失しているであろう激痛が、脳天までを貫く。だが幸か不幸か、今の俺は気絶出来ない。
胸に埋め込まれたこの虚無石が、俺を気絶させない。だから俺は、今でもこれだけ動けるんだ。
「吹っ飛べぇええぇえぇええ!!!」
悠季の絶叫と、蹴りの勢いに圧されたか。
『絶望』はそのまま巨大斧もろとも、流星の如く水面へと叩き落されていく。
それでも悠季は止まらない。斧を蹴り飛ばした勢いでさらに上空へと跳ね、今度は別のスレイヴに狙いを定めた。
どれほど追い込まれても鋭さを失わないその視線が捉えたのは、まさに炎術を両手に発動しかけていた、『狂気』。
悠季は空中で再び短剣を咥え、素早くズボンのポケットに手を潜り込ませ──
取り出したものは、掌サイズの手りゅう弾。
迷うことなくピンを引き抜き、力任せに投擲する。当然、発動中の紅の光に向けて。
そして、約2秒後──
湖の直上で、夕陽にも似た紅の爆炎が閃いた。
手りゅう弾の火力と、術力をいっぱいに蓄えた炎。二つの力が重なり合って膨大なエネルギーの塊と化したその光は、天を貫く水柱と共に湖全体に激しい波を呼び、周辺の空気すらビリビリ震わせた。
圧倒的な火力に、取水塔とそこに繋がる橋さえもぐらぐら揺れる。
大波を被ったその橋に──
むせかえるような黒煙に包まれた天空から、ひらりと舞い降りた悠季。
しかしその身体は、最早限界に達していた。
「……う……
さすがに……そろそろ、ヤベェか」
着地はしたものの、身体の痛みに耐えられず、その膝はがくりと折れてしまう。
彼自身もこの強烈な爆風を受け、全身真っ黒。顔にも腕にも火傷を負っていた。
──だけど、これで。
これで何とか、奴らを……何体かは仕留められたか。
そう思った時、力が抜けてしまったのか。
身体中から痛みがじわじわと蘇ってきた。
──もう、息をするのさえ限界だ。
この世界の空気が……ここまで苦しいモンだったなんて。
水を被った橋の上にぺたりと座り込みながら、ぜいぜい鳴り続ける肺を無理矢理押さえつける。
だがこれで、多少は時間が稼げた。
後は──葉子たちが気づいて、少しでも早く、遠くへ逃げてくれるのを待つだけ。
なぁ、葉子。お前だって分かってるはずだ。
ハルマが戻ってきて術力を取り戻せれば、後は俺とハルマの二人だけでも何とかなるってこと。そうだろ?
万一、ケイオスビーストの野郎が目覚めたとしても──
だが、そこまで考えた時。
悠季の背筋に、ぞわりと冷たい戦慄が走った。
反射的に頭を上げ、まだ荒れ狂っている湖面を見定める。
──間違いない。今の、どうしようもなくドデカい、強烈なエネルギーの塊は。
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