その13 開戦
震災発生後、最初の夜が明けた。
T市中心部より電車で2時間ほどかかる山あいにある貯水池・雷霆湖。
綺麗な円形ではなく、地図で見ると山間を流れる巨大な河にも似た形をしており、最大幅は3キロほどもある。
深い森と湿地に囲まれた周辺には、野球場や遊園地などのレジャー施設もあり、普段はバードウォッチングなどの観光地として親しまれている場所だ。
しかし現在は災害発生の為立ち入りが禁止され、人っ子一人いない。
いや正確には、この国の防衛隊が厳重な警戒体制を敷いていたのだが、彼らは殆どが呆気なくなぎ倒されてしまっていた。
──突如来襲した、6体のスレイヴたちによって。
音もなく上空に現れ、瞬く間に防衛隊を薙ぎ払い、湖畔に降り立ったスレイヴたち。
天へ黒煙が立ち上る中、湖中央付近の取水塔を眺めつつ──
『撃滅』が『妄執』に尋ねた。
「奴は?」
「既に接近は確認している。心配には及びませんよ」
そこへもう1体のスレイヴ、『狂気』が静かに割って入った。
「ケイオスビーストの強烈な波動。それに伴う大地震により、虚無石の気配も察しにくくなっている──
ここで仕掛けたのは早計だったのではないか?」
「我らが失敗したと言いたいか、貴様」
互いを軽く睨み合うスレイヴ3体。
しかし他3体は一切言葉を発さず、この『撃滅』『妄執』『狂気』に付き従うのみだ。
やがて、その声をかき消すかのように。
まだ森林に残存していた防衛隊から、雷鳴の如き号令が響いた。
「誘導弾全弾発射! 距離300!」「TOW、全弾発射!!」
同時に、果敢なる一斉射撃がスレイヴたちへと飛んでいく。異形の者になど決して屈しない、その意思が形になったかのように。
一瞬の後、スレイヴ6体は全て、強烈な弾幕と爆風で弾け飛んだかに見えた
──が。
「小賢しい虫どもめ。
貴様らの火器など、我々に通用するはずがなかろう!!」
『撃滅』が一瞬で周囲に張り巡らせた、禍々しい紅に染まった光のシールド。
その光は、誘導弾による爆風を全て難なく受け止めた。当然、中にいたスレイヴたちは全くの無傷である。
「これほどの厄災を目の当たりにしても未だ、自らの無力を分からぬと見える。
ならば思い知らせてくれよう。邪神の分身たる、我らの力を!」
『撃滅』はゆるりと、マントに包まれた右手を空へと高々と差し上げた。
その手の先には一瞬の間に、電撃に包まれた光弾が出現する。
マントと暗闇に覆われた顔面。その中央で、紅の眼球がぎらりと瞬いた。
次の瞬間、湖面を一直線に水飛沫が切り裂き──
湖の向こう、防衛隊が展開された森の一部が、0.5秒もない間に閃光に包まれた。
何台もの戦闘車両に重火器、対戦車ミサイルまでもがあっけなく吹き飛ばされ、炎の中で散り散りに吹き飛んでいく。
「全車退避! 退避ーっ!!」
後退を命じる悲痛な怒号が幾つも重なったが、『撃滅』は情け容赦なく、二発目の雷撃を右手に大きく掲げた。
「貴様らのその命も、我が主に捧げてくれる!
ありがたく思えっ!!」
だが、『撃滅』が自らの声に酔いしれるが如く、右手を高々と天に差し上げた瞬間──
その腕は一撃の元に、真一文字に斬り裂かれた。
天を覆い尽くす黒煙を真っすぐ突き破りながら飛来した、何者かによって。
「ぐぅ……っ!?」
まさか。ありえない。
神の分身たる自分が、このゴミども相手に不覚を取るなど──
傷つけられた右腕を押さえながら、『撃滅』は忌まわしきその相手を睨みつける。
まるで獲物をまっすぐ狙う獰猛な鷲の如く、腕を切り裂いていったその相手は。
「俺ぁ忠告したはずだぜ。
この世界の人間どもは、てめぇらよりよっぽどお利口で、ずる賢い奴らばっかだってな!」
取水塔に繋がる橋のたもとに、体重を全く感じさせない動作でひらりと降り立った、スーツ姿の男は──
間違いない。
「現れたな……
マイスのドブネズミめ」
憎悪をたっぷりこめて呟く『撃滅』に。
その男は唇に嘲笑すらたたえ、舞い散る炎の粉を背に、短剣を構える。
「いい加減、その呼び名も飽きたよ。
俺は、イーグル。この世界じゃ──
神城悠季を名乗るもんだ」
スレイヴたちがケイオスビースト復活を目論む時刻、正午まで──
この時、残り3時間。
*******
「馬鹿な……
中隊長。何者ですか、あの男は」
湖畔の森に展開された、陸上防衛隊の指揮所内で。
眼前の光景が信じられず、中隊長は目を見張っていた。
赤マントの異形どもに、自慢の多目的誘導弾システムも自走発射機も悉く破壊され。
選び抜かれた精鋭たる隊員たちも、赤子の手を捻るように次々倒されていった。
この震災の中、人間たちを嘲笑うかのように現れた6体の赤マント。これ以上の災害を食い止めるべく、至近の陸上防衛隊駐屯地から即座に現場へ急行したものの──
結果はご覧のありさまである。
異世界からの侵入者に対しては、この世界の兵器はほぼ役に立たない。そう聞いてはいたが、ここまでとは。
壊滅的な打撃を受けた上に、あの赤マントは放射状に雷を放ち、一撃で森ごと部隊を焼き尽くした。
とどめとばかりにそいつがこちらへぎろりとその眼球を向けた刹那は、さすがに死を覚悟したが──
その時風の如く飛び込んできたのが、あのスーツ姿の少年だった。
少し癖のある栗色の髪に、どちらかといえば小柄で華奢な身体。頭も手首も、肌が露出している部分の殆どが包帯で覆われている。
そして、カメラ越しの映像でもはっきり分かる、爛々と輝くアメジストの瞳。
間違いない。確信した中隊長は、すぐさま観測員に告げた。
「神城悠季だ」
「は」
「次元通行管理局から受けた、今朝がたの連絡を思い出せ。
神城悠季を名乗る少年、もしくはそれと推測される人物を発見した場合。
かつ、彼が異世界から無断召喚された特殊生物と交戦状態に陥った場合、無条件に援護せよと!」
「しかし……
彼は現在負傷している為、会話による意思疎通が不可能との話でしたが」
言葉にはしないものの観測員の目には、わずかに悠季への──
異世界人への不信と恐怖が現れている。
それでも中隊長は呟いた。
「あの次元通行管理官は胡散臭い奴だが、確実な仕事をする。
この状況で信じずに、何を信じろってんだ」
既に崩れかかっているテント内で再び立ち上がり、中隊長は声を張り上げた。
「全隊員に伝達!
再度、射撃準備態勢へ移行。各自全力をもって、あの少年を援護せよ。
必要と判断したならば、携帯中の武装を彼に一時貸与しても構わん!
いいか、間違っても彼を撃つなよ!!」
*******
橋のたもとに降り立ち、静かにスレイヴたちと対峙する悠季。
しかし既にその右肩からも左脚からも腹からも、じわりと赤いものが滲みだしていた。
荒れた呼吸を悟られないようにするだけでも精一杯。必死で余裕の表情を作ってはみたものの──
立っているだけでやっとだ、畜生め。
視線を上げてみると、いつの間にか上空へふわふわ浮かんでいるスレイヴが、6体。
どいつも似たような赤マントを身につけ、黒煙の中から俺を嘲笑っている。
葉子が俺のメッセージを解読するまで、みなとがこの世界に戻ってくるまで、盗賊らしくひたすら息を潜めて待つのも考えたが──
それより先に、奴らにおびきだされちまった。首都直下型地震という、とんでもない罠を仕掛けられて。
ケイオスビースト復活の為に奴らが張り巡らせた、死力陣。
ほんの少しでも暴走すれば、一都市が壊滅する禁忌の呪術。その力を僅かに揺さぶったことで、このろくでもない震災は発生したんだろう。
隠れても無駄。葉子たちの命は自分らが握っている──そいつを俺に示す為に。
相変わらずの傲慢な態度で、悠季を上空からせせら嗤う『撃滅』に『狂気』に『妄執』。
この3体は、悠季──イーグルにとって、元の世界では馴染みともいうべき宿敵だ。
「クックック……哀れなものよ」
「全く癒えぬ傷と、術も使えぬ脆い身体で──
今更、我らに抗おうというのかね?」
「その蛮勇だけは、認めてあげましょう」
言葉と同時に、術力をその手に漲らせる3体。
しかし時を同じくして、炎に巻かれたと思われた森の方角から、怒号が響く。
森から発射される、無数の誘導弾。それがきれいな弧を天空に描きながら、スレイヴらを目指して雨あられと飛んでいく。
瞬時にスレイヴたちは再び光のシールドを展開し、自らを守った。着弾の瞬間、強烈な爆煙があたりを包み込む──
勿論これだけじゃ、スレイヴどもにはカスほどの脅威にもならない。だが!
「──今だ!」
名も知らぬ防衛隊員たちに感謝しながら、悠季は一気に橋を駆け抜け、飛び上がる。
術など使わずとも、その跳躍力も瞬発力も軽く常人の3倍以上はあった。
余裕綽々にシールドを張っていたはずの『撃滅』らだったが、あまりの弾幕で悠季の姿を見失う。
その瞬間こそが、彼の狙いだった。
「遅いんだよっ!!」
その怒号と共に。
術力を溜め込んでいた『狂気』の頭が、真っ黒な血を噴き出していた。
よろりとふらついた『狂気』。その横に傅き、彼を支えようとしたスレイヴが、強烈な蹴りを浴びて湖面まで吹っ飛んでいく。
一瞬で2体の同志を攻撃され、さすがに怯む『撃滅』に『妄執』。
その眼前の湖畔へ、鳥のようにふわりと着地する悠季。そのすぐ背後で、『狂気』の身体がどうと音をたてて落下していった。
「がはっ……
こ、この……ゴミ虫が!!」
派手に噴き出す黒い血を押さえながら、ゆらりと身体を起こす『狂気』。
湖からも同じように、悠季に蹴り飛ばされたスレイヴがざばりと音をたててその姿を現した。
奇妙に太いその両腕には、人間の身長の3倍以上もあるかという巨大斧が握られている上、腕の至るところから短剣の如き刃が生えている。
それを横目に、悠季はぎりっと唇を噛みしめた。
──クソ。この一撃で、2体ぐらいは戦闘不能まで追い込みたかったんだが。
今の俺じゃ……
「……ぐっ」
左太ももからの強烈な痛みに、思わず膝をついてしまう悠季。
あまりに激しく動いた為、右肩からも左脚からも腹部からも一斉に血が噴出し、グレーのスーツを鮮烈な紅に染めていく。
ぜぇぜぇと鳴り続ける呼吸を、最早ごまかすことさえ出来なくなっていた。
それでも息を殺しながら、視線を上げると──
6体のスレイヴは、未だ健在だった。
頭を切り裂いたはずの『狂気』も、蹴り飛ばしたはずのスレイヴも。
それどころか、悠季の知らない新たな3体のスレイヴたちは、それぞれ『撃滅』『妄執』『狂気』を守護するか如く、前へと進み出る。
勝ち誇ったように、『撃滅』が嗤った。
「そうか、貴様には教えていなかったな。
我らは貴様の如きゴミどもに復讐し、我が主の尊厳を取り戻す為。
自らその数を増やし、さらにその力も以前の数倍に達した。
それがこの、新生スレイヴ──
斬撃の『絶望』、打撃の『破壊』、そして水術の『怨毒』よ!」
わざわざご丁寧な紹介をありがとうよ。
心中で唾を吐きながら、悠季は上空の赤マントたちを睨みつけた。
巨大斧を抱えたスレイヴが、『絶望』。
悠季の腰幅の倍はありそうな刺付き鉄球を2つほど、異常に長い鎖で振り回している奴が、多分『破壊』。
そして、『妄執』のそばにぴったり付き添っている奴──
一昨日の晩、俺の傷口に指をぶちこみやがった変態野郎が、『怨毒』か。
「貴方の運命はただ一つ。
我らに叩き潰され、その血と身体と悲鳴をケイオスビーストに、我が主に捧げるのみ!」
「これより展開されるは、戦いではない。
貴様への、永劫の責め苦。拷問だ」
「それでも、我らと刃を交えるつもりかね?
哀れなるドブネズミよ」
けたたましさすら感じる、『妄執』の高笑い。
どこまでも平板で感情を感じさせない、『狂気』の言葉。
それらとは対照的に低音で、同時に激烈な怒りを秘めた『撃滅』の声に──
思わず悠季の足が、震えた。
それは痛みゆえか恐怖ゆえか、自分でも分からない。
それでも──
懸命に息を整えながら、ふと葉子を思い出す。
血まみれのプレゼントを受け取った時の、彼女の笑顔。そして、自分を抱きしめてくれた時の、あの温もりを。
そう──俺は、こいつらをやっつける為に、ここに来たんじゃない。
俺がやるべきは、時間稼ぎ。葉子たちが気づくまで、絶対に諦めずに粘ることだ。
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