その12 解読


 それはT市付近を局地的に襲った、巨大地震だった。

 局地的といえど、のちに発表された震度は、葉子たちのいるT市──

 つまり、この国の首都近辺においては6弱。

 震源が海底ではなく完全に内陸部だった為に、津波の被害はそこまで甚大ではなかったものの──

 その時の葉子たちはそんな最低限の情報すら容易に入手出来ず、電気が止まり業務継続がほぼ不可能になったオフィス内を、ただ恐怖に震えながら身を守るのが精一杯だった。



 最初の揺れが止まっても、余震と思われる強い揺れは何度となく発生し、そのたびにビルは嵐に遭遇した船の如く揺さぶられ。

 地震発生後数分もすると、葉子は酔いさえ覚え始めていた。

 このビルは耐震構造の為か、建物そのものは頑丈でも震動が伝わりやすく、実際の揺れより余計に大きく揺れると聞いた。

 仕事に戻ろうにもパソコンは当然動かず、机上の書類は多くが床に散乱してしまっている。鍵をかけていなかった引き出しは、殆どが飛び出してしまっていた。

 幸か不幸か、10年もののFAXがギリギリ棚の上で踏ん張っていたのは、奇跡というべきなのか。いっそのこと落ちてしまえば、会社も諦めて新しいFAXの導入に踏み切っただろうに。

 まだゆらゆら揺れるオフィス内で眩暈をこらえながら、葉子は床に散らばった書類をかき集め、ひたすら整理し──

 そして、パソコンやネットがなくても可能な作業を出来る限りこなしていた。

 翌営業日締め切りの提出書類がチームにどれだけ残っているかを考えると、それだけで眩暈は激しくなる。その上ひっきりなしに他部署からの応援要請が飛び込んできて、普段雑務中心に業務をこなしていた葉子はちょうど良いヘルプ要員として、いの一番に向かわなければならなかった。

 ──何があろうと、やれる作業はやらねばならないんだ。

 例え大地震が起ころうとも、この会社の時間厳守、締め切り厳守は絶対なのだから。



 ──悠季。

 こんな中で、貴方は一体どこへ行ってしまったの。

 あんな怪我で、しかも言葉も分からないのに、一体──



 広瀬との通話も再開出来ず、社内のネットは当然繋がらない。

 しかもどういうわけか、震災発生直後からの数時間、スマホは全く反応しなくなってしまっていた。

 葉子は業務の合間に何度も何度もスマホを起動しようとしたが、画面は完全にブラックアウトしたまま。それは葉子のみならず、他の殆どの社員のスマホも同じ状態だったのだが──




 書類棚の全てが盛大に崩落した隣部署への応援からようやく戻り、葉子は今度こそとばかりにスマホを取り出した。

 窓の外を見ると、空はいつの間にか夜が迫っている。定時はとっくに過ぎていたが、殆ど帰る者はいなかった。いや、帰れる者がいなかったと言った方が正しい。

 悠季は勿論心配だが、実家は無事なのか。 

 他の社員も殆どが業務を中断し、必死でスマホのテレビやラジオで情報を収集したり、家族と連絡を取ろうと試みている。その様子を見るに、少しずつスマホは使用可能になってきているようだ。

 そして葉子も同じように、スマホを開いてみた。

 すると、何事もなかったかのように現れる起動画面。どうやらこの現象は一時的なものだったようだ

 ──が。



「……あれ?

 何、これ?」



 スマホの画面に表示された通知。

 それは、悠季からの着信通知。そしてもう一つは留守電の通知だった。

 まさか。会話が出来なくなったはずの悠季が、電話をかけてきた?

 時刻を確認してみると、両方とも着信は地震発生より大分前。葉子が業務を始める直前だ。

 震える手で、留守電のメッセージを再生してみると。



《キサアエト……カユトナ……ウト……カキス……》



 全く意味の分からない言語が、流れてきた。

 しかし確かにそれは、悠季の声。

 相変わらず苦しげな息遣いだが、それでもはっきりとした音声が響く。


《ナエビテーヌ……タエータ!》


 その後も数秒間、悠季の声は続いた。

 一体何を言っているのか、葉子にはまるで理解出来なかったが。

 必死に声を張り上げて留守録にこれを吹き込んでいる悠季の姿が、まざまざと見えた気がして──

 葉子は思わず、メモにその言葉を書きとっていた。


 絶対に悠季は、この言葉から何かを私に伝えるつもりだ。

 忘れてはならない。これがきっと、状況を打破する最大の鍵になる。

 メッセージをしっかり保存すると、葉子は今一度、メモを見直した。


 キサアエト カユトナ ウト カキス 


 こんな言葉があと数行続く。一見、全く意味不明な文字の羅列にしか思えない。

 だが、確かにどこかで聞いたことがあるような語感だ。

 これは──


 葉子がメモをじっと睨みつけたまま固まっていると、ふと背後から声がかけられた。


「葉子。葉子ってば!

 大丈夫?」


 わざわざ駆けつけてきた、沙織だった。

 葉子に肩を寄せ、小声で呟く。


「全く、とんでもないことになっちゃって……

 これもきっと、あのスレイヴどもとケイオスビーストの仕業よね。あいつら、いくらゲームで痛めつけられたからって!!」

「間違いなくそうでしょうね。

 一時的にスマホやパソコンのような精密機器が使えなくなったのも、ビースト覚醒が近づいている影響なのかも」

「確かにねぇ。カオスストリームの威力とか考えたら、軽く電磁パルスぐらい放射してたっておかしくないもんね」

「でも、悠季もみなと君もいない今、どうすればいいのか……」

「え?

 神城君がいない? どういうこと?」



 葉子は手短に、悠季が病院から消えた件を説明した。

 そして、謎の留守電のことも。



「キサアエト……

 訳が分からないけど、とにかくそのメッセージを残して彼はいなくなったわけよね?

 なんか……どっかで聞き覚えがある気もするけど……うーん?」


 ひと通り葉子の話を聞き、大きくため息をつきながら考え込む沙織。

 その横顔を見ながら──

 ふと、葉子は思い出した。



 ──このゲームって、本当に奥が深いのね。

 ちゃんと異種族の言語まで、設定されてるんだ。



 それは、沙織が葉子たちと共に、初めてゲームでケイオスビーストを倒した時の言葉。

 その記憶が蘇ってきた瞬間──

 まるで、脳内に突然電球がピカッと輝いたかのような感覚に。

 葉子は思わず、デスクを叩いて立ち上がっていた。



「……ティエーレ語だ」

「へ?」

「ありがとうございます、沙織さん。

 悠季のメッセージ、間違いなくティエーレ語ですよ!!」



 ティエーレ語。それは、イーグルやハルマの世界──

『エンパイア・ストーリーズ』のゲーム内で登場した異種族・ティエーレ族の使用する言語だ。

 彼らは見た目は人間そのものだが、彼らを創造したとされる神がイーグルたちとは異なる故、異種族であり少数民族として忌避されていた。モンスターからも、人間たちからも。

 彼らはイーグルたちと話す時は普通に会話するが、同族同士での会話は意味の分からないカタカナで表現される。それがティエーレ語だ。

 そして──


「それって、アルファベットをカタカナに置き換えた英語になってるっていう、アレ?

 Run awayがテオタ アナーノ!になるっていう。あたしはそれしか覚えてないけど」


 早鐘のように鳴る心音を抑えながら、葉子はメモを見据えた。

 ティエーレ族のキャラがイーグルの仲間になったこともあるから、イーグル自身もある程度、ティエーレ語の知識はある。同時にこちらの世界でも、ティエーレ語は一定の法則により解読が可能だ。

 つまりティエーレ語は、この世と異世界を繋ぐ、唯一の言語。

 葉子はすぐにパソコンに飛びつき、ネットを探る。勿論、ティエーレ語の解読方法が掲載されているサイトを見る為に──しかし。


「駄目だ……

 ネットが全然繋がりませんね」

「うわぁ、こっちもだ」


 この大地震の影響か。何度やってもパソコン上からではネットは繋がらず、葉子や沙織のスマホも同様だった。

 焦りを隠せぬまま、葉子が何度も虚しく画面のリロードを繰り返していると──

 デスクの隅で電話が鳴った。


《天木さん。先ほどは失礼しました、広瀬です。

 何とか緊急回線を繋いで通話していますが、ご無事ですか》


 葉子は藁にもすがる思いで、広瀬の声にかぶりつくように対応していた。


「広瀬さん!

 あの、悠季からメッセージが入っていて!!」

《!?》


 そのまま葉子は怒涛の如く説明した。

 留守録に入っていた悠季の、ティエーレ語のメッセージを。


「広瀬さんなら、分かりませんか?

 このメッセージの意味」

《うーん……

 残念ながら、私もただの人間なんです。何の情報もなしで異世界の、それも少数民族の言語を解読するのは不可能ですよ》


 その会話に、沙織も割り込んでいく。


「攻略本には載ってるはずなの。

 だから家にさえ帰れれば、すぐ分かる。帰ることさえ出来れば──」

《今は交通網が滅茶滅茶です。道路は車で溢れていますし……

 現在、天木さんと須皇さんの使用している路線は、電車もバスも終日運休との情報が入っています》

「そんな……!」

《どうしても帰宅するなら徒歩ということになりますが、落下物や地割れ、火災などの危険が伴います。

 それに貴方がたのご自宅は、電車で30分とはいえ川を隔てた場所にある。川辺も危険な為、橋にも通行規制がかかっている。恐らく避難所で夜を過ごすことになるでしょう》


 こんなことなら、ティエーレ語翻訳アプリでも作っておけばよかった。

 葉子の頭に、かっと血が昇る。


「じゃあ……

 今繋がっているSNSに載せて、ファンの誰かに翻訳してもらうのは」

《天木さん、冷静に。それは絶対に駄目です。

 現在各SNSは災害時の緊急連絡用として使われています。今は何よりもその用途を優先すべきだ!》

「でも、悠季からの言葉だって緊急なんですよ!?」

《一刻も早く家族や知人の無事を知りたい非常時に、ゲームで使われたこの言葉が分からないから訳してくれという投稿があったら、貴方はどう思いますか?》


 それを言われると、もう何も言えない。

 駄目だ。悠季の意図するところは分かったのに、そこから一歩も進めないなんて。


《恐らく神城の提示してきた情報は、ケイオスビーストに関する詳細。つまり国家機密にも等しい情報です。

 それをSNS上で勝手に訳されたら、何が起こるか分かったものじゃない!!》


 丁寧なはずの広瀬の声が、いつの間にか叩きつけるような怒声に変わっていた。

 沙織も慌てて、葉子の肩を掴んで首を振っている。

 それを見て、葉子もふと我に返った──

 あぁ。私、頭がおかしくなりかけていた。


「すみません……

 私、悠季のメッセージを無下に扱うところだった」


《いいんです。この状況で冷静でいられる方が不思議ですよ。

 神城のメッセージの解読、それ自体は確かに最優先事項ですからね。

 こちらでもゲーム会社や関係者に連絡し、何とか解読方法を探ってみます。この緊急時ですから、連絡が可能かどうかも分かりませんが……》


 そんな広瀬の言葉で、葉子は次第に落ち着いてきた。

 でも、彼ばかり頼りにしてもいられない。私は私で、メッセージの解読方法を探らなければ。


《それから、気を付けてください。

 今、異世界人や彼らと関わりを持っている者は、特異な目で見られがちです。

 数々の厄災を引き起こした原因として》

「そ、そんな……!

 悠季もみなと君も、何もしてませんよ! むしろ被害者じゃないですか!!」

《十分分かってます。

 しかし、世間はそうは見てくれない。これを機に、異世界人を国から追放しようという動きも高まっている──

 このまま放置しておけば、今回の震災でその声はより強くなるでしょう》


 そんな。

 葉子は思わず、背後の礼野を振り返る──

 彼女は田中と共にこちらを見ながら、何やらヒソヒソ小声で囁き合っていたが、葉子と沙織が睨みつけるとすぐに視線を逸らした。

 恐らく広瀬の読み通り、礼野も田中も悠季を疑っているのだろう。災害を起こした原因が──


《一連の災害は、異世界PIPを廃止に追い込みたい奴らの策略だ。私はそう見ています。

 つまり、異世界PIP導入前の状態。労働者が過剰に搾取され、無能とされた者たちは次々と切り捨てられ、得をするのはごくごく僅かな特権階級のみ──

 そんな暗黒時代にこの国を戻したがる者たちが、無断でゲートを開いた。その影響でしょう》

「じゃあ……

 この地震も災害も、そういう人たちの計画通りだったってことですか?」

《今のところ状況はほぼ、奴らの目論見通りに進行しています。

 世論が大きくなれば、この国の異世界PIPは全て中止に追い込まれ、異世界人は全員追放されてしまう。

 勿論、神城も仁志も》


 では、事態が沈静化したとしても、悠季もみなと君もいなくなってしまうのか。

 イヤ。嫌だ。

 そんなの、絶対に嫌。


《今こちらではその証拠も探っています。

 多くの人命を軽視し、災害を引き起こしてまで時代に逆行する愚者を、断じて許すわけにはいきませんからね。

 次元通行管理局は異世界関連の有事においては、超法規的機関となる。

 必ず尻尾を掴んでみせますよ》


 淡々とそう言い切り、通話を切る広瀬。

 国家レベルのとんでもない秘密を聞かされた。途方もない話の大きさに、葉子も沙織も顔を見合わせるしかなかったが──


 こちらはこちらで、メッセージの解読に尽力するしかない。

 今の私に出来ることは、それだけなんだから。

 そう決意して、葉子は再びパソコン画面に向き直った。

 どんなにリロードしても繋がらない、ネットを前に。







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