その8 贈物



 みなとと広瀬が、病院から去り。

 病室のすぐそばの談話室で、葉子はぐったりとソファに横たわっていた。

 昨夜悠季を病院に運び込んで以来、一睡も出来ていない。さすがに疲れ果てていたが──

 横になっても、どうしても眠ることが出来なかった。

 みなとの言葉が正しければ、恐らく悠季も、眠れていないはず。なのに自分が眠ってどうするのか。いや、ここで眠らなければ悠季を助けることも出来ない、でも──


 そうぐるぐると考えていると、不意に冷たい缶コーヒーが頬に当てられた。

 紅に染まったロングヘアが見える。


「大丈夫? ちゃんと眠れた?

 ……って、そんなわけないか」


 みなとを見送った、沙織だった。

 慌てて起きようとする葉子だったが。


「いいから、寝てなさい。

 休める時に休んでおかないと、いざという時動けないでしょ?」

「……そうですね」


 葉子の隣に座り、買ってきた缶コーヒーを開ける沙織。

 重い沈黙が、二人以外誰もいない談話室を包んだが──

 そんな空気を無理矢理打ち破るかのように、沙織が言葉を発した。


「いや~、びっくりしたなぁ。

 神城君が、まさかあんなイケメンだったなんてねぇ」

「…………」

「ゲーム画面で見たイーグルと、あたしに見えてた神城君。どうもイメージ一致しないと思ってたけど、そーいうことかぁ。

 あれ? ということは、みなとももしかしたら実はイケメンだったりする?」

「…………」

「いや、さすがにないか。みなととハルマは、イメージ完全一致だったもんね。

 要はみなとの場合は、『擬態』とやらをそこまで使わなくても良かったってことか。元からあの顔だから、神城君みたいな苦労もする必要ないってね。

 あは、は、は……」


 人づきあいに関しても相当不器用な沙織が、敢えて自分を励ます為に明るく振る舞ってくれている。

 それが手に取るほど分かってしまい、葉子は申し訳なさでいっぱいになってしまった。


「……すみません」

「ん? 何が?」

「……色々、すみません。

 沙織さんにだって、みなと君が必要なのに」

「何であんたが謝るの。

 謝らせるのは、クソうざいスレイヴどもでしょ?

 帰ったら早速ゲーム起動して、あの赤マントどもボコボコにしてやるから。

 それより……」


 缶コーヒーをぐいっと飲み干しながら、沙織は葉子を覗き込む。


「葉子。シュシュ、どこで落としたの?」

「え?」

「いつもつけてた青いやつ。片っぽ取れてる」

「あ……ほ、ホントだ」


 左右に分けて緩く編まれた髪の先を、いつも飾っていた青いシュシュ。右側のそれが、きれいに無くなっていた。

 買ったのは5年以上前だろうか。大分古いものだが、葉子は常に洗濯しながら大事に使っていた。


「多分、病室かな。あんた、滅茶苦茶頭振りまくってたから」

「そ、そうですね……

 私、探してきます」


 慌てて身を起こしかけた葉子を、沙織は止めた。


「ちょっと待って。

 そういえば──神城君の病室の棚にさ。

 シュシュの入った袋、見かけたんだけど。

 あれ確か、駅の向こうの雑貨屋の包みだった」

「えっ?」

「袋破けてて、中身見えてたから分かっちゃったんだけど……

 多分、神城君が買ってきたものじゃないかな」


 わけが分からない。

 イーグルが? シュシュを? 雑貨屋で? 何故?

 そんな彼女を、少し呆れたように沙織はジト目で眺めた。


「あんたさぁ……

 昨日が何の日だったか、自分で覚えてない?

 みんなでお祝いしようって、みなとが朝から騒いでたじゃない」

「──あ!!」


 そこまで言われて、ようやく思い出した。

 昨日が、葉子自身の誕生日だったことを。

 元々、大雨のせいで頭からすっかり抜けていたし、悠季のことがあってから思い出す余裕さえなかった。

 そんな彼女に、沙織はふっと微笑む。


「……ま、これ以上あたしが何か言うのは野暮ってもんね。

 確かめてきなさいよ。神城君に」







 再び、悠季の病室に戻った葉子。

 彼は相変わらず、眠ることも出来ないままじっと天井を眺めていたが──

 葉子が入っていくと、苦しい呼吸の中でも少しだけ笑顔を見せた。


「大丈夫? 悠季」


 葉子は意識して、彼を『悠季』と呼んだ。

 その言葉さえも通じない。そう分かっていても。

 ベッド脇の椅子に腰かけながら、ふと棚を見る。縦に長いその棚にはテレビと冷蔵庫が備え付けられ、幾つか収納用の引き出しもあった。

 よくよく見ると、テレビの裏あたりに──

 小さな手のひらサイズの袋が、テレビに隠れるように置かれている。沙織の言った通り、確かに駅向こうの雑貨屋の包装だ。

 ただしそれは、殆どが血にまみれていた。恐らく、悠季自身の血。

 大きく破れた包装の裂け目から、真新しいシュシュが二つ、覗いている──

 濃いめのえんじ色のシュシュが。

 それを手に取った時、悠季が小さく叫び声を上げた。


「ア……う、ウゥ!!」


 葉子の手からその包みを取ろうとしたのか、思わず身を起こす悠季。

 だがすぐに、痛みでうずくまってしまう。


「あ、あぁ……グ……ガぁ……!!」

「ゆ、悠季?

 無理しちゃダメ、ちゃんと横になって!」


 力なく暴れようとする彼を、葉子は思いきり抱きしめた。

 相変わらず、羽のように軽い身体。それでもちゃんと、体温は感じる。

 子供をあやすようにその背中を撫でながら、葉子は呟いた。


「ありがとう、悠季。

 これ、私に買ってくれたの?」


 通じないと分かっていても、葉子は聞かずにいられない。

 そっと悠季の身体を離しながら、その瞳を正面から見つめる。

 葉子が包みをその前に差し出すと、悠季は恥ずかしそうに視線を背けた。


 ──それは多分、ただ単に照れくさいからではないのだろう。

 せっかく買った贈り物を、台無しにしてしまった。守れなかった。その屈辱感だ。

 よくよくシュシュを見てみると、そのえんじ色は何故か色むらが激しい。所々が不自然に黒く染まっている上、ほんの僅かに桜色が粉雪のように飛び散っている。

 触れてみると、奇妙にごわついた感触がした。


 そうか──これは元々、桜色のシュシュだった。

 えんじ色に見えたのは、多分、殆どの部分が悠季の血で染まったから。


 みなとが病院を後にする直前、彼から聞いた話を葉子は思い出す。

 スレイヴたちが悠季を襲ったのは、駅の反対側。まさに件の雑貨屋付近だったという。

 恐らくシュシュを買った直後、悠季は何らかの罠にかかって虚無石を埋め込まれ、好き放題に傷つけられた。

 あの大嵐の中、術を封じられた状態で激しい攻撃を受け続けながら、それでも必死に包みを守っていた──

 それを思うと、葉子の胸に熱いものがせりあがってくる。

 だからこそ、血に染まっていてもシュシュは殆ど破れておらず、奇跡的に形状を保っているんだ。


 葉子は悠季の眼前で、静かに包みを開いて二つのシュシュを取り出した。

 片側に残っていた青いシュシュを外し、少し固い感触のするえんじ色の贈り物で、二つに編まれた髪をそっと結う。


「──どう、悠季?

 似合うかな?」


 葉子は精一杯の笑顔を作りながら、悠季に見せる。新しい髪飾りをつけた、自分の姿を。

 そんな彼女を、悠季は一瞬ぽかんとして眺めていたが──

 やがてその紫の瞳に、熱いものが滲みだす。


「う……ガァ……ヨー、コ……

 ア、アグ……ア……ギ……!」


 喉元から、必死で言葉を紡ぎ出そうとしている悠季。

 そういえば、広瀬からはこう言われた。異世界人とこちらの人間では口腔の構造そのものが微妙に違い、翻訳術の調整なしでは、こちらの言葉を発しようとしても容易に発音出来ないことがあると。

 それでも──葉子には分かった。彼が今まさに発しようとしている言葉が。

 この世界の言語全てを封じられてしまっても、わずかに覚えていた言葉が。



 ──ありがとう



 理解した瞬間、抱きしめていた。

 傷に響くと分かっていても、強く強く抱きしめずにいられなかった。今や硝子のように脆くなってしまったその身体を。


「イーグ……悠季──

 悠季、悠季、悠季!!!」


 何度もその名前を呼びながら、葉子は強くその肩を抱きしめる。

 大丈夫。貴方はちゃんと、どこまでも私を守る『神城悠季』なんだから。


「大丈夫。私は大丈夫だよ、悠季。

 ちゃんと貴方が、私を守ってくれるから。

 明日から当分、仕事は一人になるけど──

 でも、貴方はずっとついててくれるから。このシュシュが、私をずっと守ってくれるから!」


 相手に通じないどころか、自分でも何を言い出したのか分からなくなってきたが。

 それでも葉子は、ずっと悠季を抱きしめる。すると──


 彼の両腕が、そっと葉子の背中に回り。

 細いがしっかりと筋肉のついた手が、自分と同じくらい、否、ずっと強く抱きしめてくるのが分かった。

 いつの間にか、葉子の胸に埋まっている悠季の頭。

 泣き声をどうにかこらえているのか。栗色の髪は、小刻みに震えていた。

 その髪を撫ぜながら、葉子は思う。


 こんなに絶望的な状況なのに──

 どうしてだろう。これほどまでにイーグルを、悠季を、愛おしく思うのは。

 これほどまでに、悠季と一緒にいて、幸せだと思えるのは。

 自分に言い聞かせるように、葉子はそっと囁いていた。


「悠季。どうしてだか分からないけど──

 私には分かる。きっと、大丈夫だって。

 みなと君も、沙織さんも、広瀬さんも、みんながついてる。

 だから安心して。きっと、大丈夫だからね」



 そして二人はそれ以降、ずっと互いに抱きしめあったまま──

 面会終了時刻が来るまで、決して離れようとはしなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る