その5 悠季



「兄さん! 葉子さん!

 一体、何があったんスか!!」

「みなと、落ち着いて! 病院で走っちゃダメ!!」


 葉子からの急報に、悠季の病室に駆けつけたみなとと沙織。

 包帯だらけの姿でベッドに横たわる悠季を前に、みなとは一瞬その糸目を見開いたが──

 悠季の胸元を見て、すぐに状況を察した。

 左胸に埋め込まれ、今も脈打つように動いている黒い石。それは医者たちの手すら謎の電撃で拒んだ為対処のしようがなく、包帯も巻かれずそのまま病院着の間から露出していた。


「こいつは……!!

 まさか、虚無石こむいしですか」

「虚無石?」


 そんな葉子の疑問には直接答えず、みなとは悠季の右肩、今は包帯で厳重に覆われている裂傷に手を翳す。

 その手は一瞬、癒しの青い光に包まれたが──

 悠季に埋め込まれた黒い石から即座に放たれた光が、バチッと音をたててみなとの手を弾き飛ばした。


「くっ……やっぱり。

 こりゃ、相当マズイッスねぇ」


 みなとは痛む手を押さえながら、歯噛みをしつつ葉子たちを振り返る。


「どういうこと、みなと君?

 イーグルは、一体どうしちゃったの? 

 私ずっと、イーグルの言葉が分からなくて。彼、ずっと何かを言いたそうなんだけど、何も分からなくて。

 一体、どうしたらいいのか……!」


 ベッドの横で思わず崩れ落ちてしまう葉子を、慌てて支える沙織。

 そんな彼女たちに、みなとは告げた。


「葉子さん。そいつは全てこの、虚無石が原因です。

 この石は一度埋め込まれたが最後、対象となった者の術を全て封じてしまう。

 あまりの危険性ゆえ、現在は使用が禁じられている拷問器具です」

「ご……拷問!?」


 葉子は意味を呑み込めず、黒く脈打つ石をまじまじと凝視してしまった。


「それも、術使用が不能になるだけではありません。

 対象者に施されていた術も全て、解除されてしまう。

 ついでに言えば、対象者に有利となる術も──つまり治癒術の類を施しても、今のように全て弾かれてしまいます」


 対象者に施されていた術も、対象者に有利となる術も?

 頭の中が整理出来ない葉子にかわり、沙織がみなとに尋ねた。


「要するにどういうことよ?

 ていうか、彼って……本当に彼が、イーグルなの? あの、神城君なの?」


 沙織も訳が分からないとばかりに、悠季とみなとと葉子を交互に見回している。

 そんな彼女に、小さくため息をつきながらみなとは答えた。


「やっぱり沙織さんには、今の兄さんがそう見えてますよね。

 そいつぁ多分、兄さんがご自分にかけた『擬態』の術が、石の力で解除されたせいです」


 そうか。確か──


 ──異世界人はこの世界で無用なトラブルを起こさないように、出来るだけ存在を隠す必要があるからな。


 出会ったばかりの時、イーグルはそう言っていた。

 バディたる私にだけは本来の姿でいるが、他の人間には『とるに足らない地味で平凡な男』としか映らないよう、敢えて自分に術をかけていたらしい。

 さらにみなとは言う。


「葉子さんと兄さんが会話出来なくなった原因も、恐らくこの石です。

 私ら異世界人は、この世界で言葉に苦労せんよう、あらかじめ『自動翻訳術』が脳に施されています。他にも様々な術により、この世界で生きていく知識を叩き込まれている。

 それらが全て解除されたとなれば

 ──今の兄さんは、成長出来ない赤ん坊みたいなもんですよ」


 悔しげに唇を噛みしめるみなとに、葉子はやっと事の重大さを認識し始めた。

 じゃあ、イーグルの言葉が何も分からなかったのは。

 私の言葉さえ、イーグルに伝わってるように思えなかったのは。


 全てこの石が原因か。


 ──私がイーグルに声をかけた時、彼があれだけ絶望の表情を見せたのもきっと、私の言葉が分からなかったから。

 これだけ近くにいながら、意思疎通が不可能になったから。


 痛々しい包帯姿を晒し、じっとベッドに横たわるしかないイーグル──神城悠季。

 激痛の中でも意識はまだあるのか、その眼は僅かに見開かれ、天井を見据えている。

 頬のあたりまでしっかりガーゼで覆われながら、唇の端からは苦しげな呼吸が漏れていた。

 その様子を眺めているうち、葉子の中である疑問が氷解していく。

 何故、自分が彼をずっと『悠季』と呼んでいたのか。そして何故今、『イーグル』と呼んでしまうのか。その理由を。


 ──そういえば私は最初から、何の衒いもなく、イーグルを『悠季』と呼んでいた。

『神城さん』ではなく、『悠季』と。

 それは多分、元々引っ込み思案で人見知りの私が、早く自分に慣れてくれるようにとイーグルが私にかけてくれた術だろう。

 そして、イーグルは恐らく、『イーグル』としてよりも、『神城悠季』として私に接していたかった。

 今なら分かる。それは──

『イーグル』として私に助けられるよりも、『神城悠季』として私を助けたい。その為に。


 悲哀や絶望より先に、怒りが湧いてくる。

 そんなイーグルの想いを──この石は全て破壊した。

 一体誰だ。これほどまでに彼を傷つけたのは。


「その上、この石は拷問器具ッス。

 どれほど激痛に苛まれても、簡単に気絶出来ん仕組みになってます。舌を噛み切った程度では死ぬことすら出来ません。

 要は、意識を失えないんです。恐らく兄さんは、ろくに眠ることすら出来てないはず……!」


 両拳を握りしめながら、怒りで身体を震わせるみなと。

 その指摘通り、よく見ると悠季の眼の下には濃いクマが浮かび上がっていた。


 一体誰が、何故、こんなことを?

 全員の頭にその疑問が浮かんだが──

 不意に悠季はその頭をゆっくりと動かし、みなとに軽く視線を送った。

 何事かをみなとに呟き、みなとは慌ててその枕元へ顔を近づける。

 葉子や沙織にはさっぱり意味の分からない言葉が、両者の間で交わされていたようだが──

 突如みなとは、その糸目をいっぱいに見開いた。


「あ……え……?

 う、嘘でしょ、兄さん……?

 まさか、そんな、私らがあれだけ──」


 白目のど真ん中、細い緑の瞳までがぶるぶる震える。

 完全に青ざめて、よろよろとベッドから後ずさるみなと。沙織が慌ててそんな彼を背中から支えた。


「どうしたのよ、みなと。

 あんたなら分かるの? 神城君の言葉が」

「えぇ……腐っても同じ世界の人間スから。

 しかし、これは……すぐに管理官に緊急連絡を!!」


 ぶんぶんと頭を振りながら、みなとは懐からスマホを取り出す。その手はがくがく激しく震え、ろくにスマホも持てない状態だったが──

 その時。


「仁志、その必要はない。

 君が何を神城から聞いたか。今すぐ口頭で伝えるだけでいい」


 冷静な声に、全員が振り向くと。

 そこに立っていたのは、金に染めた短髪と、フレームのない眼鏡が印象的な痩せぎすの男──

 次元通行管理官、広瀬昴だった。



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