その3 敗走



 いつもなら術発動と同時にほのかに両手が青い光を発するはずだが、今、悠季の手からは何の反応もない。

 まさか。奴ら、時間停止術の解除でもしやがったのか。

 ならばと即座に、悠季は氷術を刃に纏わせようとした。しかしそれさえも──

 悠季の意思に反して、術は全く発動しなかった。


「そんな……

 てめぇ、一体何を──!?」


 術を封じられた。

 その事実が、それだけで悠季を激しく動揺させる。

 時間停止や攻撃術だけでなく、もし俺の全ての術が封じられたのだとしたら──

 そんな彼の動揺を見透かしたかのように、眼前の敵はにやりと、大きく開いた眼窩を歪めた。


「その通り。

 貴様の強さもその存在も、虚飾に過ぎぬ。それは、この世界のゴミ共と繋がっていたからこそ得られたもの──

 本来貴様は、とうに死んでいるはずの虫ケラだ!

 今、我らはその繋がりを断ち切った。これが何を意味するか、いかに貴様でもすぐに分かるだろうて!!」


 雨の中に響きわたる、スレイヴの嘲笑。

 一瞬茫然と立ちすくんでしまった悠季──

 その隙を見逃す敵ではなかった。


「──!?」


 雨を切り裂く風の音が聞こえたと同時に。

 右肩、左太もも、そして右の横腹が真一文字に切り裂かれ、鮮血が噴きだした。

 何が起きたのか理解出来ず、白い飛沫の中へ舞い散る無数の紅い花弁を眺めているしかない悠季。

 だが直後に襲ってきた、斬撃による強烈な熱さと痛みが、否が応にも彼に絶望を教えた。


 ──やられた。

 雨の中に何かが隠れてやがるってのは分かってたのに。

 てか、奴ら……徒党組んで行動してたのかよ。


 激痛によろめく身体を何とか支えながら、悠季はそれでもダガーを構え直す。短剣を握りしめたその手は、既に赤く染まっていた。

 眼前の敵はいつの間にか空中へと浮き上がり、両手の間にひときわ妖しく蠢く光の球を作っている。術で形成されているであろうその光は、バチバチと激しく放電していた。

 天空で今も閃く稲光と、同じ光を。

 まずい。あれをまともに食らえば、しばらくは動けなくなってしまう!


 瞬間、悠季は身を翻し、全力で水を蹴って走り出した。

 当然、スレイヴには背を向けて。

 術も使えず重傷を負い、窮地に追い込まれた盗賊がどう動くか──

 答えなんて一つしかないだろ。俺は騎士でも英雄でも勇者でもねぇんだよ。


 だが、傷を負いながら駆けだした悠季のスピードは、どうしても通常時の半分以下まで落ちていた。

 走りながら治癒術を施そうとしても、やはり術は一切発動しない。

 それどころか、先ほど奇妙な術で貫かれた左胸が、どんどん重くなっていく。

 ほんの少し視線を下げてみると、破られたワイシャツの間から、黒曜石にも似た硬質の石がちらりと見えた。

 恐らく強引に胸に埋め込まれたであろうそれはまるで、悠季の命を吸い尽くすかのように鼓動に合わせて不気味な光を放っている。


 ──間違いない。

 俺はやられちまったんだ。術封じの秘法を……

 噂にゃ聞いてたが、マジでやってくるとは。畜生!


 心中で唾を吐きながら駆け抜ける悠季。その背中に襲いかかってきたものは──

 術による電撃と、火球。そして鋼鉄の刃による斬撃。

 それらが雨と共に、嵐の如く彼の上から降りそそいでいく。

 何も出来ずにひたすら走り抜けるしかない悠季を、いとも簡単に吹き飛ばす爆光。

 濡れた地面に叩きつけられた身体に、容赦なく刃が飛んでくる。

 転がりながら間一髪でそれらを避けても、今度は電撃球がすぐそばに着弾し、半身を痺れさせた。

 それでもなお立ち上がり、その身を削るかの如く疾走する悠季。

 彼を嘲笑うように、スレイヴの怒号が、天に響いた。


「我らはずっと、貴様を探していた。

 地に這いつくばるゴミ虫の分際でありながら、虚偽に塗れた力で我が主を陵辱し、その名を汚し傷つけた咎人──

 その罪、これよりたっぷりと贖ってもらうぞ!!」




 *******



「ひ、いやぁああぁああ!!」


 会社帰りの電車内。天木葉子は窓の外で発生した落雷の轟音に、思わず悲鳴を上げていた。

 一瞬、車内の照明も何度か明滅した。葉子だけではなく乗客はみな、酷い雷に不安げな表情を隠せない。

 既に、あまりの雨で葉子の自宅(つまり沙織のマンション)付近にも会社近辺でも、豪雨や洪水、落雷といった類の警報注意報がひっきりなしに出ていた。それ故、今日は早めの帰宅が許されたのだが──


「はぁ……

 何で今日に限って、悠季と別行動なんだろ。

 みなと君や沙織さんも、まだ仕事残ってるみたいだったし……」


 肩を落としながら、何となくスマホを眺める。

 昼の休憩に悠季と交わしたメール以外に、特に彼からの連絡はなかった。




 *******




 雨が相変わらず降り続く闇の中、スレイヴたちの野太い声が響く。


「……見失ったか?」

「相変わらず、逃げ足だけは速い輩だ。ドブネズミに相応しい」


 静まり返った住宅街、その隅にひっそりと佇む廃屋。築50年は経過しているであろう古びた木造家屋の軒下に──

 どうにか悠季は身を潜め、息を殺しながらスレイヴらの会話を聞いていた。

 沙織のマンション、つまり葉子たちの家からはだいぶ離れたところまで逃げおおせたはずだ。恐らく、彼女たちにまで被害が及ぶことはない。

 しかし──

 これ以上逃げたくとも、動くことが出来なかった。

 まともに攻撃を食らうのだけはギリギリ避けきれたものの、既に身体中傷だらけの血まみれで、両脚はろくに動かない。

 特に、最初に強烈な斬撃を食らった傷はどれも、骨まで割れたかというほどの痛みだった。スーツの右袖は肩から流れ出した血で、すっかり真っ赤に染まっている。

 それでも悠季は、ぜいぜいと荒くなる息を無理矢理抑えながら、異形たちの声に耳をすませた。

 彼の血の臭いを追ってきたであろうスレイヴ──それは2体。

 1体は悠季もよく知る『撃滅』のスレイヴだったが、もう1体、斬撃を主体として攻めてくるスレイヴの正体は、全く覚えがなかった。

 異常なほど艶やかな紅のマントを頭から被っている為、顔は黒い影に覆われ殆ど見えなかった。元々スレイヴたちは同じような紅のマントを被って顔を覆い隠している為、ほぼ表情が見えない。そもそも顔と定義可能な部分があるかどうかも怪しいのだが。

 スレイヴは3体しかいないはず。しかし、俺の知らないスレイヴがここにいるということは──


「まぁ、いいだろう。

 あまりに暴れて、この世界のゴミどもに騒がれても困る」


 悠季の追跡を諦めたのか、それともわざと泳がせたかは分からないが。

『撃滅』のスレイヴは、遠目にも満足げな笑みと分かる表情を浮かべ、嵐をものともせずに闇の中へと消えていく。

 既にその姿は葉子の形ではなく、元の赤マントに戻っていた。


「我らが主の求めるは──

 我らが世界と繋がり、虫けらどもと繋がり合い、小賢しい知恵を託したこの世界そのものの崩壊。

 そして、この世界で神城悠季を名乗る、忌まわしきあの小僧の血だ。

 主を汚し、恥辱を味わわせた──ダニの分際で!!」


 わざと悠季に言い聞かせるかのように、声だけを天に響かせるスレイヴ。

 そして、雷鳴の如く轟いた言葉は。


「あの小僧と、奴と繋がりし者どもの血をもって。

 主の神獣たるケイオスビーストの封印を、この汚れた大地で解き放つ。我ら新生スレイヴ、6名の魂をひとつとして。

 それこそが、我らが主、復活の狼煙となろう!!」



 ──何だって。

 ケイオスビーストは、俺もハルマも仲間たちと一丸となって、ぶっ飛ばしたはずだろう?

 葉子の手を借りて、葉子から何度も命を貰って。

 それを──まさか、ここで。

 葉子の居場所のすぐそばで、復活させるってのか。

 しかも新生スレイヴ? 6名? 

 倍に増えたってのかよ、奴ら。



 悠季は必死で頭を振りながら、考える。

 ケイオスビーストの手で殺された記憶が、俺にあるように──

 奴らスレイヴにも多分、俺たちに主神もろともやられた記憶がある。

 恐らく奴らは、その記憶自体が許せない。だから、全ての事実を歪め、引っ繰り返す為に──

 最凶の災厄を、呼び覚まそうとしてやがるんだ。



 悠季は痛みでがくがく震える手で、それでも懐のスマホを取り出した。

 スマホは画面に大きくひびが入っていたものの、まだ何とか動く──

 しかしすぐに、悠季はさらなる絶望にうちのめされた。


「なんだよ……これ。

 俺……どうして使い方、分かんねぇんだ?」


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