その7 不幸を振りまく部長
「このゲームって、本当に奥が深いのね……
ちゃんと異種族の言語まで設定されてるんだ」
盛大なる祝勝会と化した夕飯の後。
『エンパイア・ストーリーズ』の攻略本を読みふけりながら、沙織さんは改めてため息をついた。
特に彼女の興味を引いたのは、作中に登場する異種族・ティエーレ族の言語設定。
見た目は人間そのものだが、創造主が異なる為、イーグルやハルマ君といった普通の人種とは身体構造が微妙に違うと言われている種族がティエーレ族だ。
彼らがイーグルたちと話す時は普通に会話するが、同族同士での会話は意味の分からないカタカナで表現される。しかし──
「最初見た時は私も、適当にカタカナ並べただけの言語かなと思ったんですけどね。
でも実は、一定の法則に従って作られた言語なんですよ。ティエーレ語って」
「えぇ、そうなの?
テオタ アナーノ!とかいう言葉も?」
「攻略本にもあるとおり、原則、アルファベットをカタカナに置き換えた英語になってるんです。
今の言葉は『逃げて!』って意味なんですけど、英語だとRun awayですから、攻略本のこの文法に当てはめると……」
「あぁ、なるほど。テがRでオがu、タがnだから……ん? すると後半おかしくない?」
「アナーノはアヌアノが変化したものだと思います。そのままだと発音しづらいですし」
「へぇえ……
ルートによっては全く使われない時もある言語なのに、よく設定されてるのねぇ」
沙織さんはもう少し攻略本を読みたそうにしていたが──
やがて決心したように本を閉じ、みなと君に向き直った。
「みなと──
あたし、決めた」
「へ?
な、なんスか沙織さん。まさか、会社辞めるとか……」
糸目を多少顰めながら警戒するみなと君。
しかしあっさりとその意見は否定された。
「違うわよ。
この前まではそうしようと思ってたけど……今は違う。
ケイオスビーストを倒せたことで、やろうと思えばあたしにだって色々やれるって、分かった。
ゲームと同じようなモチベが、仕事でも保てるかどうかは分からないけど──
もう少しだけ、頑張ってみようと思うの。あんたと一緒にね」
にっこり微笑みながら、みなと君に宣言する沙織さん。
「ただ、あの会社でちゃんとやり直す上で──
やっとかないといけないことがある。
それは」
言いながら沙織さんは、忌々しげにパステルグリーンのテキストを指し示した。
「あのトンデモ資格試験。あれだけは、何としてでもやめたいの。
こんな徒労を無理矢理続けていたら、あたし、それこそぶっ壊れちゃう」
「でも」みなと君は慌てて口を挟んだ。「あの試験って、沙織さんが入社したばかりの時に上司から押し付けられたんスよね?
今更、撤回なんて可能なんスか」
「上司には無理だ無理だって今まで何度も言ってみたけど、聞いちゃくれなかった。
だから今度は、あんたにも協力してほしいの。出来れば神城君にも、葉子にも。
駄目なものは駄目なんだって、きっちり分からせる為にも!」
数日後。
私は業務終了後、一人で会社近くの喫茶店にいた。
時刻は午後五時半──
私はスマホを取り出し、悠季から貰ったイヤホンを繋げる。悠季の術が施されたイヤホンだ。
そろそろ、沙織さんとみなと君。そして、彼女らの上司との面談が始まる時刻。
イヤホンを差し込むとすぐに、スマホの画面に会議室の様子が映し出された。その場には沙織さんとみなと君、そして悠季もいる。
一応部外者たる私はさすがに同席出来なかったけど、それでも悠季は葉子もれっきとした協力者だからと、こっそり面談の様子が分かるようにしてくれた。
その心遣いに感謝しながら、私はイヤホンから漏れる音声に耳を傾ける。
するとすぐに、沙織さんの上司の声が聞こえてきた。
『何度言われても、例の試験に関する撤回は出来ません。
須皇さん。これは入社時に、貴方自身が決めたことです。人事部門を始め様々な部門と連携をとり、研修を受け、試験を受けると決めた』
上司の名は幸(こう)次郎。名に反して周囲に不幸を振りまく──とは、沙織さんの言。
沙織さんの毅然とした声も響いてくる。
『ですが、これ以上試験を受けても何の成果も得られないのは、幸部長だってご存知のはずです。
試験でのあたしの点数がどれほど酷かったかだって!』
『あの試験なら私も今受けています。困難を極めるのは百も承知です。
須皇さんもご存知でしょうが、この部署には他にも、落ちても落ちてもそれでも受験を繰り返す社員が何人かいる』
みなと君の声。
『だからって、彼女のプライベートを完全に犠牲にしてまでやるべきこととは思えません。
私は彼女の私生活も見ましたが、試験に追い詰められたせいか酷く荒れていました! 恐らくその影響は仕事にも表れて、スケジュール管理の不徹底に繋がっています』
そんなみなと君にも、幸部長の声は冷たく響く。
『仁志さん。PIP担当者たる貴方が、それを言いますか。
私はプライベートなど、ほぼないような生活をしていますがね』
思わず怒鳴りそうになる自分を、何とかこらえているらしき沙織さん。
しかし彼女の怒りを代弁するかのように、みなと君は言った。
『幸部長……
ご自分が苦労してるからって、そいつを部下にまで押し付けちゃいけませんよ。
人が働くのは何の為ですか。自分や家族の生活がひもじくならないように──
仕事がきつくても、自分の生活は少しでも明るく楽しく充実させる為じゃないんですかい?』
『それは価値観の違いとしか言えませんねぇ……
私や同期の殆どは、余暇すら削って自己研磨するのが当然との考えですのでね。
旅行中にテキストを読みふけったり、クリスマスや正月を潰しての試験勉強など日常茶飯事で。ハハハ』
『笑いごとじゃありませんよ!
貴方や同期の方々には出来ても、沙織さんには耐えられない。それが何故分からんのです!!』
自分の倍ほど図体の大きい部長相手に、糸目を吊り上げ必死で沙織さんの援護射撃を続けるみなと君。
それはもう援護というより、幸部長への激しい抗議と化しつつあった。
『人には出来ることと出来ないことがある──
出来んことを無理矢理やるのは徒労にしかならん上、本来出来るはずのことにまで悪影響を及ぼす。
あの試験は仕事へのモチベーションの大幅低下に直結しています。だからこそ、沙織さん自身がこうして頭下げに来とるんですよ』
『しかしね、仁志さん。
須皇さんは入社当初にご自分で言ったんですよ。親にこれ以上頼るのは嫌だ、社会の為に自立したいと──
彼女は元々、親御さんが裕福でね。彼女自身にあまり収入がなくとも、都心で一人暮らしが出来る程度の資産家だった』
彼女のそんな環境については、沙織さん本人が話してくれたから知っている。
自立の難しさという点で、すごく共感したのを覚えている。
『その環境に甘えるのは嫌だと、私は本人の口から聞いた。親から自立できるなら、何でもやってやると。
その覚悟に感銘を受けたので、私は彼女を採用したんです。
須皇さん。貴方は今更、それを裏切るのですか?』
それは卑怯だ。思わず言葉にしかけて、私は口を塞いだ。
沙織さんの意思を利用して、出来ないことを山ほど押し付け、出来ないからといって裏切り者呼ばわりは──
しかしその瞬間、私の想いに呼応するが如く、みなと君がその糸目をかっと見開いた。
『幸部長。
……そいつぁ、詐欺師の言い分ですぜ』
見開かれた白目。その中央で、猫のように細い瞳孔が怒りで爛々と緑に輝いている。
『御自身が苦労をされたからってそれを他人に押し付けて、会社が成長していくとお思いでしたら……大間違いだと私しゃ思います。
何故この部署の殆ど全員が、時間も人員も足りな過ぎてミスが頻発すると嘆いているのか、疑問でしたが──
そもそも部長の貴方自身が、時間も人員も足りない環境で苦労してたから。当然部下も耐えられるだろうと──そういうお考えだったんスね』
『たゆまぬ努力を重ねて、職場は少数精鋭になっていくものです。
仁志さん。それが分からないというならば──
貴方も、PIP担当者としての能力が欠けていると見なさざるを得ない』
『──!!』
幸部長のその言葉に、さすがのみなと君も目を見開いたまま固まってしまう。
しかしその時、不意に口を開いたのは悠季だった。
『部長。まさかあんた、沙織の前にみなとをクビにする気じゃねぇだろうな?
言っておくが、あんたにはPIP担当者をどうこうする権限はないぜ』
意外なことを言われたとばかりに、眼鏡の奥の目をぱちくりさせる幸部長。
しかし──悠季の発言は、私にとっても意外だった。
もしかしたら、部長の逆鱗に触れてみなと君がクビになるかも知れない。私は密かに心配していたのだが。
『俺たちは確かに、この会社の要請を受けて葉子や沙織のバディとなった。
だがそれは、この会社の為じゃねぇ。あくまで、葉子や沙織の為だ。
能力が著しく欠けていると会社に判断された相棒が、その力を役立てながら自立して幸せを掴む──
その為に、俺たちはこの世界に来た。
だから、葉子たちが会社に役立つか否かは関係ねぇ。相棒を幸せにする、そいつが俺たちの最優先任務だ。
つまり、あんたが俺たちをクビにする権利なんざ一切ない。それが出来るのは、この国に指名された次元通行管理官だけだ』
そうか。
悠季たちがこの世界に来たのは、会社の為じゃない。
会社から無能呼ばわりされた私たちが、幸福を掴む為。
ずっとその為に、悠季もみなと君も動いてくれていたのか。
『相棒の自立と幸福を、会社が著しく阻害している上に改善の見込みがないと俺たちが判断すれば──
即、会社から相棒を引き離すことだって出来るんだ』
異世界PIPの成り立ちを考えれば、納得出来る話だ。
この制度が出来た頃──この国は少数精鋭を謳うブラック企業で溢れかえり、少しでも無能と判断された者たちは皆会社から弾き出され。
会社に残った人材は過労死するまで使い倒され、一度でもドロップアウトした人間はどこへ行っても無能の烙印を押され──国の幸福度は世界的にも最低ランクまで落ち、GDPは下がる一方だった。
有能無能問わず、社会を支えるべき労働者全員が地獄の悲鳴を上げるに至って、ようやく国が重い腰を上げて採用したのが──異世界PIP。
『元々のPIPは、能力開発なんてご大層な名前だけで、無能な社員を解雇する目的で頻繁に悪用されてたんだってな。
それをやっと国が問題視して、弱者の声を聞くようになった。異世界との交流はこの世界においてほぼご法度だったのに、PIPに関しては限定的に許可されたのは──
もう、腐りきったブラック企業どもに国民の幸福を好き勝手にはさせない。この国がそう決断した証拠だ』
はっきりと言いきった悠季の言葉。
その声は、スマホごしでもとても熱く、私の胸に染みこんでいった。
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