その4 開幕! VSケイオスビースト


寝てしまった沙織さんに毛布をかけた後、青い扉の向こうに戻ると。

扉のすぐそばで、悠季とみなと君が立ち尽くしていた。


「あれ?

二人とも……もしかして今の話、聞いてた?」

「えぇ……とりあえず、お二人が豚汁飲み始めたあたりから」


肩を落としながらため息をつくみなと君。

悠季のパーカー姿に対し、みなと君はエスニック風の模様の入ったダボついた白い服を着ている。私が持ってるチュニックワンピにも似ているが、確かクルタと言われる服だったっけ。正直、小学生にしか見えない……

ゲームの時の堂々たる商人「ハルマ」とはだいぶ印象が違う。服が変わるとこうも違ってしまうものか。

いや、違う──

みなと君を実際以上に小さく、弱々しくしているのは、今の沙織さんの言葉だった。彼女の真実とも言うべき、絶望的な事実。

みなと君の心を代弁するかのように、悠季が呟いた。


「だから、だったんだな。

沙織の仕事が遅れがちなのも、凡ミスが出るのも、仕事そのものを分かってないから。

人に聞けないのは、何を聞いていいのか分からないから。

無理に分かろうとすれば──頭が理解を拒絶する。こいつは……

思った以上にやっかいだぜ」

「よく彼女の手が仕事中に止まってると思ってましたが……そういう理由ですか。

なのに勉強だけは出来てしまったものだから、会社からは資格試験を押し付けられ、ついでに周囲の期待も大きくなっちまったんですね。

プレッシャーと自分の限界に押しつぶされそうになっているのが、今の彼女というわけ……ッスか。

そりゃ、私に当たりたくもなりますわなぁ。ハハハ」


気力を失った、みなと君の笑い声。

そんな彼を見かねたのか。悠季はみなと君に告げた。


「今の沙織は言ってみれば、限界まで水を注がれた杯みたいなもんだ。ほんの少しでも揺らせば、たちどころに水は溢れだす。

葉子。お前なら分かるんじゃないのか」


──分かる。分かってしまう。

少し前まで、私は先輩のパワハラと毅のモラハラ、実家の経済状態、全てに押しつぶされかけていた。ほんの少しでも感情が揺さぶられれば、何故か涙が出てきて止まらなくなっていた気がする。

何でもないドラマのワンシーンでさえ、一晩中泣いていたことすらあった。

それは悠季の指摘通り、『溢れだしていた』状態だったんだろうか。

どうして彼女が私に色々話してくれたのか少し不思議だったけど、多分──


「とにかく、ハルマ。

これ以上、沙織を追いつめるのはよした方がいいぜ」

「追いつめるだなんて、そんな!

私しゃ彼女のバディとして、当然のことをしてるまでですよ!

どうにかして彼女に仕事を覚えてもらって、スケジュール管理だって自分でちゃんとやれるようにして、資格もバンバン取って頂いて、ゆくゆくは会社の中心にって……」

「そう、彼女の上司殿が言ったのか?」

「……その通りっス」

「それが不可能だってのは、もう分かったよな?

それでもお前が今まで通りあいつを指導しようとしたら、あいつがキレるのも当然だぜ」

「なっ……!」

「それだけじゃねぇ。お前まで変わっちまう。

お前にそのつもりがなくても、いつかお前は沙織を追いつめて、本当にパワハラしちまうことになる。

葉子のクソ先輩みたいになるお前なんて……見たくねぇよ、俺」


みなと君は糸目を見開いて悠季を睨む。

猫の目にも似た、緑の細長い瞳。眦からは幾つも涙の粒が溢れだしていた。


「だったら私、どーすりゃいいんスか!

どんなに仕事を説明したところで、どれほどスケジュール管理をしたところで、多分殆どが彼女の頭で拒まれてるんスよね!?」

「落ち着け。沙織のせいじゃねぇ。

一番苦しんでるのは沙織自身だ」

「分かってます、それぐらい!

分かっとるから辛いんでしょーが!!」


両拳を握りしめてうつむくみなと君。

糸目の端から、ぼろぼろ零れ続ける涙。

そんな彼の肩にぽんと手を乗せながら、悠季はそっと声をかける。


「ただガミガミ言うだけじゃ何も始まらないって、分かっただけでも良かっただろ。

それに、沙織自身そこまで頭の悪い奴じゃねぇ。

自分の何がどう悪くて仕事に影響しているのか、ちゃんと分かってたじゃねぇか」


みなと君を諭す悠季の目は、やっぱりどこまでも真摯だった。

そう──絶望するのはまだ早い。

私だって、未来は真っ黒だと思っていた。それでも悠季がいてくれたから、前に進めた。

だから──

その時、私はちょっとしたアイデアを思いついた。まさに頭の中に電球が灯るような、あの閃きの感覚。


「二人とも。

せっかく4人で共同生活しているんだし……沙織さんも、ゲームに誘ってみない?

イーグルとハルマ君のいるあの世界を、沙織さんにも知ってほしい。

そうすれば彼女も、ハルマ君を……みなと君を、もっと良く知ることが出来ると思うんだ」








「ねぇ、天木さん。

あたし、ゲームなんて子供の頃以来なんだけど」

「大丈夫です。操作方法とかなら任せて下さい!」


意外にも沙織さんは、私の提案にすんなり乗ってきてくれた。勉強があるからダメだって言われるかと思ったけど……

そもそも、内容の意味すら理解出来ない勉強なんて、徒労なだけだよね。


「いい? みなと。

ゲームやるかわりに掃除してくれるって言うから、やるだけよ?」

「分かってます~

とりあえず、一度でいいんでエンディングまでたどり着いてみて下さいね!」


昨日の涙はどこへやら。みなと君も満面の笑顔で沙織さんにゲームを勧めた。

彼には大反対されるかと思ったけど、やっぱりみなと君も彼女に自分の世界を知ってもらいたいんだろうな。

そんなわけで、みなと君が沙織さんの部屋でゴミの山と格闘している間に──

沙織さんはほぼ初めて青の扉の中へやってきて、私たちのリビングでゲームを

──『エンパイア・ストーリーズ』を開始した。




その3日後。

沙織さんは見事に、エンディングまでたどり着いていた。

私も悠季もみなと君も、操作方法以外は何も彼女に教えず、どうしても突破出来ない罠などがあれば最低限のアドバイスだけして、たびたび出る選択肢やパーティキャラの選出といった、プレイヤーの自由意思に委ねられる部分は全て沙織さんに任せた。

その結果、彼女は見事にラスボスを撃破。このゲームの楽しさに、沙織さんも早くも夢中になってしまったらしい。

だが──


「クリア出来たはいいんだけど。

みなとと神城君──ハルマとイーグル、だっけ?

そのキャラ、途中で仲間から外したきりどっか行ったままでさ。結局最後まで会えなかったんだけど」


呑気に言ってのける沙織さんに、悠季もみなと君も揃って深いため息をついた。


「やっぱりなぁ……」

「まぁ……最初はそうなっちゃいますよねぇ」

「え、ちょ、何よあんたら!?

二人とも仲間から外したのは、正直悪かったと思ってるわよ……

でもあんたら、滅茶苦茶使いづらいんだもの!! みなとは超トロいし、神城君は中盤すぎたら大概一撃でやられるし!!」


わけも分からず唇を尖らせる沙織さん。そんな彼女に、私は言ってみた。


「沙織さん。

一回、ラスボス直前のデータをロードしてから、マイスに行ってみてください」

「え?

マイスって……あぁ、終盤殆ど行かなくなってたあの街ね。

微妙に行きづらい場所にあるからなぁ、あそこ」


そんな沙織さんの一言に、悠季が若干頬を膨らませるのが分かった。

それでも彼女は私の指示通り、ゲームを再ロードしてマイスに向かった──

すると。


「……え?

な、何、コレ……?」


──それは、このゲームで私が最も見たくない光景。

ぼろぼろに焼き尽くされ、粉砕され、人が暮らしていたというのが信じられないレベルで破壊されたマイスの街並み。

悠季は反射的に明後日の方向へ視線を逸らし、私も唾を呑み込む。

何が起こったのかさっぱり分からない沙織さんは、ひたすら主人公キャラをマイスの中で動かし続ける。崩壊した為ろくに動けるスペースがないにも関わらず。


「え、ちょっと、何があったのよここ!? こんなの、聞いてない!!

あ、でもあそこに、誰かが……もしかしてあれって……!」


灰に覆われた街に、たった一人で立ち尽くしていたキャラがいた。

大きなネズミの耳がついた桜色の三角帽子。そのキャラは間違いなく、みなと君──

ハルマ君だった。がくりと膝をついたまま、動こうとしていない。

画面の中で主人公がそっと彼に近づき、話しかけてみたが──


《全部、なくなっちまいました……ケイオスビーストのせいで。

すみません。ちょっと、一人にしてもらえますか?》


主人公が何度彼に話しかけても、ハルマ君は首を振ってこの台詞を繰り返すばかり。


──そう。

何も知らなかったら、ストーリー終盤でケイオスビーストによってマイスは滅ぼされてしまう。そしてこの時、イーグルも破壊に巻き込まれて──

戸惑う沙織さんに、私は息を整えながら告げた。これを言うのは正直、私もつらい。


「沙織さん。

画面の奥の方。かなり陥没している場所がありますよね?」

「うん……確かあそこって、地下水路への入り口だったよね」

「あそこ、シーフギルドなんです。つまり、イーグルのいた場所。

ギルドの赤い旗、少しだけ見えるでしょう?」

「え?」


画面を凝視する沙織さん。

恐らく、直接ケイオスビーストの巨体に押しつぶされたのであろう。陥没具合から考えて一番手酷くやられ、泥水が噴き出すままのその場所には、ほんの少しだけ赤いぼろ布のような何かが引っかかっていた。

よく見ないと分からないが、それは、マイスのシーフギルドのシンボルたる鷲の印が描かれた、真っ赤な旗。

ギルドに行けば、シーフたちの長たるイーグルはいつでもその旗の下で、堂々と腕組みしながら私たちプレイヤーを待ち構えてくれていた。

その場所がこれだけ崩壊しているということは、つまり──


「待って。イーグルって、もう……?」

画面内のハルマ君に話しかける動作を虚しく繰り返しながら、沙織さんは事実を受け止められずにいた。

そんな彼女に、悠季──イーグル本人が言い放つ。


「これ、結構うまい表現だと思うぜ。

直接映さなくても、俺はもうここにいないって分かる。

少なくとも、二度と仲間になることはないって……プレイヤーには確実に分かっちまうんだからな」


イーグルがこの時どうなったのかは、公式でも明言されてはいない。

でも、瓦礫の前で膝をついたままのハルマ君と、盛大に破壊されたシーフギルドの状況から、恐らくイーグルは死亡したと分かる。もし生き残っていたとしても、ケイオスビーストを放置して街を見捨てた主人公にイーグルが力を貸すことは、二度とないだろう。

そしてもう一つ言うと、ハルマ君もこれ以降、崩壊したマイスに留まったまま仲間にならなくなってしまう。どんなに話しかけても、首を振り同じ台詞を呟くばかり。

ここからだった──私が、今度こそイーグルを助けようと決意したのは。

そして。


「……どうしたらいい?」


沙織さんが呟いたのは、そんな言葉。


「天木さん。どうしたらいい?

みなとと神城君──ハルマとイーグルを助けるには。

貴方なら、分かっているんでしょう」


そんな彼女の言葉に、私は大きく頷いた。

良かった。沙織さんも、分かってくれて──

そんな安堵と共に。


「1周目だと、もう無理ですけど。

2周目以降なら、きっと出来ます。ちょっと厳しめのスケジュール管理が必要になりますけど……

私が教えますから、頑張りましょう!」





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