その3 世にも奇妙な「シェアハウス」


数分後──

散らかったままのリビングのど真ん中で、私たち3人は揃って沙織さんの前に正座させられていた。

さすがの悠季もこの状況はどうすることも出来ず、ひたすら縮こまっているしかないようだ。ろくに乾いていない服のまま奥の部屋を動き回っていたらしく、ワイシャツが埃でドロドロだ。

みなと君が必死の早口で、事情を沙織さんに説明していたが──

理解してくれたのか否か。沙織さんはみなと君の糸目をじっと睨む。


「みなと。あんたがあたしのせいで悩んでるのは知ってる。

だけどさ……あたし自身、どうにもならないの。このだらしなさは。

もうあんな会社諦めて、転職活動始めるつもりだから」


つっけんどんにそう言い捨てると、沙織さんは私と悠季に向き直った。


「天木さんと、神城君……だっけ? ごめんなさいね、巻き込んで。

これはあたしとみなとの問題。ううん、あたしだけの問題だから。

あたしが出来ないせいで、PIP対象になった。そしてバディでもこんなあたしをどうすることも出来ず、あたしはあの会社を辞めて派遣にでもなる。

みなとだって、私にくっついて歩く必要もなくなる。それでみんな幸せじゃない?」

「そんな。沙織さん、そりゃ違いますよ!」


彼女の言葉を否定しながら、思わず立ち上がりかけるみなと君。

でもそんな彼を、悠季が止めた。片手でみなと君を制止しながら、沙織さんに向けて皮肉っぽく笑う。


「残念だな~。

もう、術式かけちまった後なんだ。残るは俺と葉子の部屋のレイアウトだけだったんだが──

葉子、ごめん。気に入らなかったら、後でいくらでも修正すっから、とりあえず!」


私にひとつ軽くウィンクすると、悠季は後方、奥の部屋に向けてパチンと指を鳴らした。

瞬間、青い光が奥の部屋から溢れてくる。ガタゴトと台車が幾つも高速で動いているような音が響いたかと思うと──

奥の壁のど真ん中に、きらびやかに青く輝く扉がデンと生まれていた。







その扉は、悠季とみなと君が沙織さん宅の奥で作り出した──

一言で説明すれば、異次元空間だった。

二人の言葉では「空間術式」というらしいが、建物の内外にも一切影響を与えず、勿論隣の部屋にも全く迷惑をかけずに、二人は扉の向こうに結構広々とした空間を作っていたのである。

青い扉の向こうにまず見えたのは、まるでゲーム内のお城のような天井の高い円形のホール。真ん中には大きな丸テーブルとソファが並べられ、ひときわ大きなテレビもある。

ホールの壁には4つのドアがあり、そこからまた別の部屋に空間が続いていた。

そのうちの一つを開いてみると──


何故か、実家の私の部屋とそこまでレイアウトの変わらない部屋が再現されていた。

本棚も、窓も、机も布団もフローリングも、ほぼ同じ。

唖然とするしかない私の背後で、悠季が頭をかく。


「葉子と俺の部屋。術発動前に、葉子とレイアウトとか相談したかったけどさ……」

「……そうか。相談したいことってこれだったのね」

「すまねぇ。変えたいところがあったら言ってくれ、何とかすっから」

「と、とんでもないよ!

こ、ここが本当に私の……私と、悠季の!?」


信じられない想いで、私は新しく作られた部屋を見回す。

どこまでも私の為だけに用意されたかのような部屋を。


「悠季、いいの? ここ、悠季の部屋でもあるんだよね?

少しは貴方の好みに合わせてくれても良かったのに」

「なーに言ってんだよ。

俺ぁ元々、部屋どころか、居場所なんてないようなモンだったし。

今は葉子の隣が、俺の居場所みたいなもんだから」


埃だらけの顔で、悠季は歯を見せながらニッと笑う。

さらにその向こうには──

あまりの状況に、驚愕を超えて膨れっ面するしかない沙織さんが見えた。

そんな彼女を見上げながら、糸目をさらに細くして笑ってみせるみなと君。


「沙織さん。先ほどお話したとおり──

葉子さんも、貴方と同じPIP対象者です。

会社でもプライベートでも色々問題を抱えて、それでも何とか兄さんと一緒にやってきたそうですよ」

「…………」

「あの、だからって、同じようにやれというつもりは毛頭ありません。

でも……」


そこでつい、しどろもどろになるみなと君。

しかし沙織さんの口から出たのは、意外な言葉だった。


「そういうことなら、別に構わないわよ。

こうすることで天木さんの為になるならね。あたしのプライベートさえちゃんと守ってくれれば、それで」


それだけ言うと沙織さんは、段ボールが積み上げられたままの元の部屋へと戻ってしまう。


「あ、ちょっと沙織さん!

沙織さんの新しい部屋だって、ちゃんと……」


追いかけるみなと君の前で、無情に閉じられる扉。

その向こうから響く、沙織さんの声。


「あたしは今まで通り、こっちで生活するから。

貴方たちは貴方たちで、勝手にやってちょうだいね。みなともこれ以上、あたしの邪魔しないで」


寛容なのかどうなのかよく分からない、沙織さんの態度だったが──

ともかくそんな感じで、私と悠季、そしてみなと君と沙織さん。

4人の奇妙な共同生活が、始まった。






「うっはぁあぁ~!!

葉子さんの豚汁、サイコーっすねぇ! こっちの世界でも結構色んなお店を回りましたが、こんな美味い豚汁は初めてっすよ!!」


沙織さん宅での生活が始まって、3日が経過した。

両親にも話したら、悠季が一緒なら問題ないだろうと──快く了承してくれた。

自分の荷物も部屋へ運び終わり、ようやく一息ついて、私は4人分の食事を用意していた。

悠季とみなと君は基本的に食事はいらないし、沙織さんもだいたい外で食べてくるから、私は基本的に自分の食事だけ用意すればいいんだけど──

それでもやっぱり、4人で暮らしているなら、時々はみんなで食事をしたい。

そう思って私は、4人分の豚汁を作った。ちょうど休日だし。

毅に作った時は、文句を言われてばかりだった豚汁。それを悠季とみなと君にふるまったところ──

みなと君は開口一番、大絶賛。

悠季はといえば、まるで自分のことみたいに喜んでいる。


「そーだろハルマ。葉子の料理、ホント美味いんだぜ!

いつもめちゃ丁寧に作ってくれるもんな!」

「そのせいで料理に時間かかるし、お母さんにはもっとテキパキやれって言われてるけどね。

要領よく効率よくっていうの、ホント駄目だから私」

「いいじゃねぇか。

俺、葉子の料理だったら何時間待ったっていいぜ?」


あっという間に豚汁をたいらげながら、笑顔で言ってのける悠季。

嬉しいやら恥ずかしいやらで一瞬顔を真っ赤にしながらも、私は慌てて話題を切り替えた。


「あ、あの……みなと君。

沙織さんは、やっぱり……?」


私の問いに、みなと君は残念そうに首を横に振った。


「何度か言ってみたんですが、今日も無理そうです。

まぁ……また試験ありますし、当分は無理でしょうねぇ」

「今日は休みだし、せっかくだから沙織さんも一緒にと思ったんだけど」


今私たちのいる場所は、空間術式で作られたホール、その中央の丸テーブル。

ここで悠季と私とみなと君は、集まって食事したりゲームしたりすることにしている。料理するのは私とみなと君で交代。私が作る時はみなと君と悠季が後片付けをしてくれるが、みなと君は料理も後片付けも全部自分でこなせる。さすがは大陸を旅する商人だけのことはある。

しかし──

青い扉の向こうから、沙織さんは一向に姿を現す気配がなかった。







「沙織さん。

豚汁、少し余ってしまったので……良かったら、どうですか?」


その夜。思い切って私は、沙織さんの部屋に通じる青い扉をノックした。

新しく造られた空間と沙織さんの寝室とは、青く光る扉で厳重に区切られている。私たちが出かける時は空間内に設けられた別の玄関口を使ってマンションの入り口にワープ出来るので、沙織さんの部屋を通過する必要はない。

従って、彼女のプライベートは一応守られているわけだが──


それでもやはり、少しぐらいは話をしてみたい。

同じ会社で、しかも同じPIP対象者ともなれば、なおさら。

そう思って私は、豚汁の鍋を手に、扉の向こうへ呼びかけていた。

すると意外に間を置かず、扉はあっけなく開いた。


そこに立っていたのは、ラフな黒いブラウスにハーフパンツ姿の沙織さん。

長い髪は無造作にゴムで縛られていたが、朝起きてそのままなのか完全にボサボサだ。

その表情はいつも会社にいる時とは正反対に緩み切って、眠そう。


「天木さん?

ちょうど良かった。今日は外食に出かけるのも面倒だったからさ~」


沙織さんはそう言いながら、私を手招きする。

思わぬ事態だったが、私は意を決して彼女の部屋へ──

段ボールだらけの寝室に踏み込んだ。


「相変わらず散らかっててごめんね~

一度見られたからには、何度見られたって同じだけど」


テーブルには相変わらず、雑然と資格の本が積み上げられ、その間で彼女は勉強していたようだ。

開かれたままのノートの横には、肉まんとあんまんの包み紙、そしてビールの空き缶がそのまま放置されている。

──まさかこれが、今日の彼女の食事か?


私の手から鍋を受け取ると、沙織さんは台所で手早く豚汁を温め始めた。


「ごめんね。明後日また試験、あるからさ。

どうしても手が離せないの」


沙織さんが鬱陶しげに睨みつけた、ノートとテキスト。

そのテキストは、悠季と私が目撃した資格の本とはまた違うものらしい。少し見せてもらうと、この前よりはだいぶ理解可能な内容だった。

私も会社では、結構何度も資格試験を受けさせられた。幾つかは落ちてしまったものもある。

彼女もやっぱり似たような状況なんだろうか。


「ホントこの会社、試験多いよね。

社員のプライベートまでぶっ潰すのが仕事なのかって思うくらい」


そう言いながら沙織さんは自分と私の二人分、豚汁をよそってくれた。

二人揃って豚汁をすすりながら──沙織さんはおもむろに話し出す。

但し、食事と同時にテキストを読みながらではあるが。


「天木さんの事情は、みなとから少し聞いてる。

会社でもひどいトレーナーがいて、プライベートでもモラ男から逃げられなくて……

マジ最悪な環境だったね」

「そうですね……

悠季が来てくれなかったら、今頃私クビになって、実家で地獄を見てたかも知れない」

「うん。でもさ、天木さんみたく環境が原因で駄目になるなら、まだいいかもよ」

「え?」

「だって、環境変えれば駄目なところはなくなるってことじゃん。

その点……あたし、芯から駄目だから」


芯から駄目?

いったい、どういうことだろう。

そんな私の疑問に、沙織さんはいつになく饒舌に打ち明けてくれた。


「ずっと昔からあたしは、真面目で勉強のできる子っていつも言われてた。

だけど自分では、何となく気づいてたの。あたしは人の3倍は真面目にやらなきゃ、何も出来ない人間なんだって──

だから学生時代は部活も行事もろくに参加しないで、必死に勉強だけやってた。そうしなきゃ、みんなに追いつけなかったから。

親も周りもそんなあたしを、真面目で頭のいい子だって誤解してさ……」

「それ──何となく、分かる気がします。

社会人になると、何故かそういう真面目さって通用しなくなっちゃうんですよね」


大きく頷きながら、沙織さんは豚汁を美味しそうに飲み干した。


「学生の時はさ。勉強でも部活でも、一つのことに打ち込んでればそれで許された。

例えば、数学のテスト中に電話がかかってくるなんて普通ありえないじゃん?」

「た、確かに!」

「でも、会社じゃそれが当然なのよ。

テスト中に電話が当然の如くかかってきて、その上それを取らなきゃいけない。

しかもそのテスト、満点じゃなきゃ許されない。

子供の頃は90点でも、よくやったって頭撫でられたもんだけどね」


沙織さんは多少お酒も入っているのか、やたら流暢に話してくる。


「正社員は電話と会議とデータ入力、そして常日頃の知識の積み上げ、全部こなして当たり前。マルチタスクは当然だって、上司には毎度言われる。電話取りながら入力なんてやったら、すぐにミスるのに。

だけど、データ入力だけやっていればいいなんて仕事……今じゃ派遣だってそうそうないのよね」

「分かります……

特に電話ってホント、事務ミスの温床なんですよね」

「そうそう。電話なんてもんを発明したヤツを時空から永久に抹消したいレベル」


ため息をつきながら、テキストの上に直接おでこを乗っける沙織さん。眠そうだ。


「あたし自身はこんななのにさ。

ヘタに勉強頑張っちゃったせいで、たまたま良い学校を出られた。

そのせいで会社でも頭のいい人って言われまくるわ、ありえないレベルの資格試験を受けさせられるわ……

ちなみに、この緑のテキストってさ。医師の資格の次ぐらいに難しい試験らしいんだよね」

「え、えぇ!?」


私は改めて、突き出された緑色の本の中身を見る──

複合分類リスク構造を乗法型、複合等級リスクが互いに独立でポアソン分布に……

駄目だ。言葉を読めても意味が分からない。


「あ、あの、でも……沙織さん、研修は受けたんですよね?

それだけ一生懸命勉強していれば、少しずつでも手ごたえがあるはずじゃ」


自分で言ってても、何となく虚しさを感じる言葉だ。

案の定、彼女は力なく頭を振る。


「学生時代なら、努力さえすれば何でも出来ると思ってた。

でもね。人には限界っていうものがあって……

その限界に達するのが、あたしは人より早い」


ふと顔を上げながら、沙織さんはどこか遠くを見つめていた。


「一定以上の知識を無理に詰め込もうとすると、脳の中で拒絶反応が起こるの。

誰に何を教えられても、言葉が聞こえていても、頭が理解しようとしない。

仕事を教えられる時も、研修を受けている時も、頭のどこかでロックがかかる……

あいつらがホント、羨ましいわよ」

「あいつら?」

「みなとや神城君。

あいつらは異世界人だからってだけの理由で、こっちの知識を魔法で一瞬で頭に詰め込める。

だからあいつら、こっちの世界で無双できるのよ……

あたしたちとは、頭の構造からして全然違う」


そんなことは──

と言いかけたが、言葉が喉に詰まってしまう。

私だって、悠季の力に何度助けられてきたのか。

悠季が一瞬で仕事内容を把握できたのに、何故私はどれだけ経っても一人前になれなかったのか。


「そんな異世界人さえも呆れかえるほどの馬鹿なの、あたしは。

教えられても、理解出来ない。上司や先輩からいくら説明されても、どれだけ研修を受けても、いつもそう……

何が分からないのかさえ分かってないから、自分が理解出来てないってことさえ分からない。質問も出来ない」


だからなのか。

彼女は、分からないことを分かっていると思い込んで仕事をしていると、みなと君は言ってたけど──

何が分かっていないかすら分かっていない状態だから、だったのか。


「学生時代はそれでも、教科書があったから。

教科書を真面目に読んでさえいれば、わざわざ教師に質問なんかしに行かなくても何とかなった。教師より、自分で選んだ参考書の方がよほど役に立つことも多かったしね。

だから授業中は、教師の話なんてろくに聞いてないこともよくあった」


独り言のように延々と呟く沙織さん。


「だけど……仕事に教科書なんて基本、ないから。

マニュアルがあっても、誰かに教えてもらわなければ何も分からない。

そしてあたしは、社会人になって初めて気づいた──

人の話をきちんと聞くことと、人に質問することが、滅茶苦茶苦手なんだって」


さっき言っていた、沙織さんの頭の中のロック。拒絶反応。

それが、仕事を教えられている時にも出てしまうということなのか。


「分かります。

私だって、先輩に一気に色々言われた時は、さっぱり訳が分からなくなること、よくありましたから」

「天木さんのケースは、その先輩も明らかに悪いわよ。その先輩があたし担当だったら、天木さんより早くあたしはキレられてたと思う。

あたしは──チームの誰にどう教えられても、未だにさっぱり仕事の内容分かってないから。

何でこの業務をこの日までに終わらせないといけないのか、終わらなかったら何が起こるのか。理由を何度説明されても、表面的にしか理解出来ない。

怒られるから、その日までにやらなきゃいけないだけ──あたしの理解なんてそんなもんよ。

そもそも、遅延利息が1円増えるぐらい別にいいじゃない?って思っちゃうからさ……

この仕事自体、向いてないんじゃないかって思う」


そう言ったきり、沙織さんはテキストに突っ伏したまま無言になってしまった。

しばらくすると──微かな寝息が、彼女の頭とテキストの間から流れてきた。




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