その2 真面目OLの正体は


ハルマ──彼はイーグルと同様、「エンパイア・ストーリーズ」における仲間キャラの一人だ。

マイスを拠点として、大陸を東から西へ抜けるセントラルロードを使って旅をする商人。

ゲーム内ではネズミの耳がついた桜色の大きな三角帽子を常に被っていたから、すぐには気づけなかったが──彼、焦茶の短髪だったのか。


「どーも、すみませんでした。

葉子さんには、本当にご迷惑をおかけしまして。何でも奢らせていただきますぅ~葉子さんにだけは!!」


糸目でにっこり挨拶されて差し出された名刺には、『仁志 みなと』とあった。

──それが、彼の現実世界での名前か。


悠季を何とか水柱から救出してもらった後。

私と悠季はハルマ──みなと君に連れられ、近くの喫茶店に寄っていた。

店員さんから借りたバスタオルを被り、悠季はほぼずぶ濡れのまま不機嫌そうに明後日の方向を睨んでいたが。


「……しゃーねぇだろ。

あれぶっ壊さなきゃ、ケイオスビーストは倒せなかったんだからよぉ」


すっかりしんなりしてしまった髪の先からぼたぼた雫を垂らしながら、ぶつくさ文句を言い続ける悠季。両手首を未だ軽い拘束術で縛られている為か、早着替えの術も使えないようだ。

すかさずみなと君は突っ込んだ。


「モノが壊れたからって、代金までチャラになるなんて道理がどこにありますか。

あの3種の武器は神器同然の秘宝なんですよ、入手にどれだけ苦労したと!!」

「だからぁ、奴がどんだけのバケモンかはお前も知ってるだろ?

秘宝でも神器でも何でもぶっ壊すぐらいの術力を刃に籠めた上で連続攻撃を叩き込まない限り、あいつは……」

「んなこたぁ知ってます。

せめてその代金ぐらいは払えと言っとるんですっ!!」


ちょっと待って。ということは、悠季は、つまり。


「悠季。

貴方、みなと君への借金そのままにしておいて、私の家の借金払うって言ったの?」

「……」

「話聞いてる限り、正直悠季の方が悪いと思うよ……

みなと君にちゃんと、払ってあげなよ」

「…………」


水を吸い込んでよれよれになったネクタイに、身体にぴったり張り付いて肌まで透けて見えるワイシャツ。恥ずかしさと屈辱のあまり真っ赤になった顔。

いつも私を助けてくれる時のカッコよさはどこへやら。こうなると最早、プールに制服のまま飛び込んで叱られている男子中学生にしか見えない。

透明なゼリー状の縄で縛られている手首をじっと見つめながら、悠季は呟いた。


「……ごめん、葉子。

でも俺、やっぱり……お前の家、どうしても放っておけなくてさ」


それは嬉しい。貴方の気持ちはとても嬉しいんだけどね?


「私は放置していても構わんと?」すかさず突っ込んでくるみなと君。

ふてくされながら突っ込み返す悠季。

「当たり前だろ!

チンケなソックスを何も知らねぇモンスターに超高値で売りつけてお宝ぶんどりまくってた分際で、この悪徳商人!!」

「私が極悪商人だからって、金を返さんでいいという理屈にはなりませんよねぇ?」

「ぐ……こ、この……!

ヘックシュ!!」


言い返そうとして思いきりくしゃみしてしまう悠季。私は慌てて、バスタオルで悠季の頭を拭いた。

「ほら、ちゃんと拭かなきゃ風邪ひいちゃうよ?

もう一枚バスタオル貸してもらおうか?」

「う、うん……悪い。ちょっと、寒くなってきた」


私にだけは素直にこくりと頷く悠季。

みなと君の水術はかなり強力だったのか、冬でもないのに悠季は身体の芯まで冷え切っているようだ。店員さんにまたバスタオルを貸してもらい、震える彼の肩からそっとかける。ついでにホットコーヒーをもう一杯頼んだ。


「悠季、コーヒー頼んだからね。ちゃんと飲んであったまって」

「うん。ホント、すまねぇ……」


そんな私たちのやりとりを、糸目の奥からずっと見つめていたのだろうか。

みなと君がやがて、深々とため息をついた。


「まぁ……兄さん、昔っからそうでしたからねぇ。

仲間が弱っていれば──それが強者に痛めつけられていればなおのこと、自分の身どんなに削ってでも何だかんだで助けようとしちまう。

マイス一番の義賊って言われるだけのこたぁ、ありますね……

そんな兄さんだから、葉子さんともお互いに助け合える絆がある。

羨ましいス」


コーヒーに殆ど口をつけずにスプーンでかき回しながら、苦笑交じりに呟くみなと君。

その糸目は、どこか力を失っているように思えた。

バスタオルで私に頭を拭かれるままだった悠季も、みなと君の言葉にふと顔を上げる。


「どした? ハルマ。

もしかして……さっき一緒にいた女か」


その横顔に、先ほどまでのふてくされた子供のような表情は一切なかった。

私を助ける時と同じ、真摯な紫の瞳。


「お前もこっちに召喚されてきたってことは、間違いなくPIPだろ。

で、あの女がPIP対象者。お前はあの女のバディ。

今日は定例報告に来て俺らと鉢合わせってとこか?」


一気に核心を突く悠季。

そんな彼に、みなと君は困ったように笑った。その糸目はいつも笑っているようにしか見えないけど、ゲームで彼をちゃんと見ていれば分かる──

苦しい時は、糸目が歪むこともあると。今まさにみなと君はそんな表情をしていた。


「やっぱ、さすが兄さんですね……全部お見通しってわけっスか。

あの人、ホントに気が強くて、厄介でねぇ。どうしてあの人に私なんぞが召喚されたんだか……笑っちまいますよ」


そんな彼を見かねたのか。悠季が静かに声をかけた。

「なぁ、ハルマ。

良かったら、聞いてやらんでもないぜ? お前とあの女のこと。

どう見たって、うまく行ってるようには思えなかったし」


すると、みなと君はぽつぽつと話し始めた。

彼のPIP対象者──須皇沙織のことを。



須皇沙織──名前だけは私も知っている。

契約管理チームに配属されている、ちょっと近寄りがたくて頭も良さそうに見える女性。

しかし、みなと君の話によれば──


彼女は、スケジュール管理が壊滅的に出来ない。

当日午前締め切りの仕事を、朝のミーティングで言われて初めて気づく──というのは、私もよくあった。そして彼女も日常茶飯事らしく、この間はついにチームの先輩がその場で泣き出したという。

自分の力量を見極められず、過大な仕事を引き受けてはすぐキャパオーバーを起こし、大幅に締め切りを過ぎて仕事を提出することもよくある。

その上プライドの高さ故か、分からないことを分かっていると思い込んで仕事を進め、結果凡ミスを引き起こしてしまうことも多いらしい。

──意外だった。とても頭が良くて真面目そうに見えたから、そんな彼女がPIP対象者だなんて。


「だから私、業務後は必ず彼女と二人で、今日の振り返りをしとるんです。

この業務に何時間かかったのか、予定時刻が超過したならその原因は何か。その結果を元に翌日の予定を詰めるんですが……

それが毎日30分以上にもなっちまって……いつも喧嘩に近い形で終わって、満足にスケジュールも立てられず……

酷い時は業務が残っているにも関わらず終わったと報告して、黙って業務を持ち帰ることさえある。頭痛いっス」

「そんでろくな改善も見られず、延々同じことの繰り返し──なるほどなぁ。

葉子みたいに素直にアドバイスを受けるようなタマじゃねぇってことか」

「しかも事あるごとに私のことを、パワハラモラハラって言いまくってねぇ。

充分注意はしているんですが、あの状況見たらこっちもつい一言多くなって」

「労基がどうこう騒いでたのも、それか」


みなと君と悠季は揃ってため息をつく。

でも、私には妙に興味深かった。「指導する側」から「出来ない社員」がどう見えるかを聞くのは、ほぼ初めてだったから。


「私生活の改善から試みるべきかと思って彼女の自宅にも行ったんですが、当然叩きだされまして」

「だろうな。

それにその女、俺たちの世界のことは何にも知らないんだろ? 葉子と違ってさ」


みなと君はこくりと頷き、すっかり冷えてしまったコーヒーをひたすらかき回す。


「ゲームには興味ないようですし、そんな余裕もないそうです。

あの人、会社から他にも色々押し付けられてますし」

「色々って?」


みなと君はそれには答えず、ただコーヒーをかき回すばかり。

「決して悪い人ではないんですが……

私、少々疲れてしまって」


釣り目気味の糸目は笑いの形ではなく、すっかりハの字になってしまっている。

常に閉じられているようにしか見えない瞼。その間から、大粒の涙がひとつ、零れ落ちた。


──そんな。

ハルマ君は、イーグルの次ぐらいによく使っていたキャラだ。商人と盗賊という一見風変りな組み合わせが好きだったのもあるが──

足はダントツで遅いものの、体力に関しては仲間キャラのうちでトップクラスと言ってもいい。イーグルとは対照的なキャラで、それ故に互いの欠点を補い合うことも可能だった。

その体力にものを言わせてイーグルを守ったり、敢えて後手に回って回復術をかけたり、イーグルが瞬時にかけた何重もの攻撃バフを生かしてとどめの一撃を刺すことも出来るので、私は大概の場合イーグルと一緒にハルマ君を使っていた。

小柄な身体に見合わぬ膨大な体力。それが彼の魅力とも言えたが──


その彼が今、疲労を訴えて涙まで流している。

明らかな異常事態に、私は黙りこくるしかなかった。

悠季も一緒に、じっと彼の糸目を見据えていたが──


「よし。決めた」


両手首を縛られた状態のまま、悠季はテーブルを叩き立ち上がった。

バスタオルがはらりと落ちる。ワイシャツの裾から水がぼたぼた零れ落ちたが、悠季は気にも留めずに言ってのけた。自信満々の笑顔で。


「ハルマ。沙織んちって、会社から近いのか?」

「へ?

え、えぇ……確か、電車で30分程度だったかと」

「そんなら好都合だ。

なぁ、ハルマ。今日からお前、沙織と一緒に住め。

俺と葉子も、一緒に住むからさ!」


悠季の言葉に一瞬、私もみなと君も仲良く首を傾げていたが。

意味を理解した瞬間、二人とも一斉に、店の天井が飛ぶ勢いで絶叫したのは言うまでもない。






「た、たたたた確かに、兄さんが私に協力してくださるのは嬉しいんス。嬉しいっスけど……」

「悠季、さすがに無茶だと思うよ。沙織さんと直接話もしてないのに、まずいよ」


悠季に引っ張られるような形になりながら。

私とみなと君は、どういうわけか沙織さんの自宅前に来ていた。

駅から徒歩2分ほどの、商店が立ち並ぶ中に建てられたマンション。その1階に、彼女の部屋はある。

正面玄関からしてオートロックがかかった新築マンションだったが、悠季は当然のように鍵開けの術を使い、オートロックは勿論沙織さん宅の扉まで難なく開錠してしまった。


「だから。さっきから何度も言ってるだろー?

俺もハルマのPIPに協力する。うまく行けば、それでハルマへの借りはチャラ。

同時に俺と葉子もここで二人暮らしを始める。それで葉子と沙織、二人の生活環境の改善が出来る。一石二鳥じゃねぇか」

「確かにそれで、兄さんの借金については手を打ってもいいッスけど……

うまく行きますかね」

「うまく行かすんだよ。さ、入れ」


まるで自宅であるかのように、悠季は沙織さん宅に堂々と踏み込んで私たちを招き入れる。この度胸、さすがは盗賊といったところか。

入った途端に鼻をついたのは、異様なまでの臭い。これは、本の臭いか。

電気をつけてみると、私たちの前にあったものは──


一人暮らしには十分な広さの1LDKの部屋。

しかし今、フローリングのあらゆる場所に本や服が雑然と散らばっている。リビングの真ん中に丸テーブルがあったが、その上も本やらパソコンやらレシートやらペットボトルやら化粧道具やらが乱雑に積まれ、パソコンの横には朝食で使ったらしき皿が、パンくずもそのままで放置されていた。

奥にはテレビと座椅子もあったが、座椅子には畳まれていない洗濯物が乱雑に積まれていた。その周囲にはやっぱり本やら新聞やらが整理されないまま床に散らばっている。

少し床を歩いてみると、すぐに髪の毛や埃が爪先についた。

奥の部屋を覗くと、引っ越しに使ったらしきダンボールが少なくとも10箱以上、中の荷物もそのままに積み上げられていた。箱と箱の間をぬうようにして布団が敷かれている。朝起きてそのままらしく、汗を吸ったTシャツが放置されていた。

みなと君はこの状況に、改めてため息をつく。


「まぁ……こんなんだろうとは思ってましたがね。

やっぱりこの環境の改善からですか。気が重いなぁ……」


うん。いくら悠季と一緒とはいえ、さすがにここで暮らすのは気が引ける。正直、台所やお風呂、トイレがどうなってるのか見たくない。

しかし悠季は気にもせずに本と服の山を踏み越えながら奥の部屋に入っていき、みなと君を手招きした。


「早くしろ、ハルマ。

沙織が帰ってくるまで、あまり時間ねぇんだろ」

「いや。いつもは夕飯を外食で済ませて、たっぷり勉強して帰ってくるはずですから……

意外に余裕はあるはずッスよ。少なくとも、空間術式展開の時間ぐらいは」


悠季は何も、この部屋をこのままにして4人暮らしを始めようなどと言い出したわけではない。かといって、この部屋を大掃除して何とか住みやすくしようというわけでもなかった。

それは移動中、悠季の話を聞いていたから分かっていたが──

それにしても気になるのは、みなと君の話だ。

沙織さんは一体、何を勉強して帰ってくる? 会社から沙織さんが押し付けられていることとは何なのか?


ふと床を見回してみる。不規則に投げ出された本の殆どは、資格試験の本だった。それも半数以上が会社支給の、無粋なパステルグリーンの表紙。

そのうち一冊を何となく手に取って、開いてみた。が──


「な、何コレ?」

思わず声を上げてしまった。

それに反応したかのように、悠季が奥の部屋から戻ってくる。

「おーい、葉子。

ちょっと相談したいことがあってさ、お前にも……

って、何読んでんだ?」


私の背後から、悠季も興味津々で本を覗きこんできた。

悠季なら分かるかもと、ちょっとだけ期待したが。


「……なぁ、葉子。

3重脱退残存表って、何だ?」

「……知らない」

「この、μxexって何の術式だ? eの上に〇があるのはなんか意味あるのか?」

「……分からない」

「年間クレーム発生件数は平均nのポアソン分布に従い……Sが確率pで真のクレームコストの上下100k%以内に収まれば、Sの実績値に全信頼度を……

これ、何語? 俺一応、脳に自動翻訳術施されてんだけど」

「……この国の言葉だと思う……多分。

けど、全然意味が分からない」


あまりの難解さに、私も悠季も揃って首を傾げてしまった。

と、その時──


「全部、会社から受けろって言われた資格試験よ。

私には無理だって何度も言ってるのに、部長も頭固くてねぇ」


冷静な女性の声。仰天して背後を振り返る。

戸口に立っていたのは──この部屋の主。須皇沙織だった。

私と悠季は勿論、奥で調べものをしていたらしきみなと君も当然、硬直している。


「さ、ささささささ沙織さん!?

あ、ああああああのあのあの、いつも通り勉強して夕飯食べて帰ってくるはずじゃ……」

「なーんか妙な予感したから、早めに帰ってきただけ」


冷や汗だらだらのみなと君を明らかに軽蔑の目で見下ろしながら、沙織さんはしゃらんと紅の髪をかき上げた。


「ねぇ、みなと。

あたし、労基じゃなくて警察呼んだ方がいいの? この状況」



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