第4話「耳」

リリーは魔王領から逃げ、いまは酸性雨が降り注ぎ、スクラップにのまれた廃墟の街オールドパンクに来ていた。


「…ハイ、ガスマスクとランプ、それとレインコートだよ。お嬢ちゃん。」


「ありがとう、お婆さん。」


リリーが辺りを見渡すと住宅らしきものは残っておらず、動植物は姿を表そうとしない。


「お嬢ちゃんの声を聞いていると昔のことを思い出すねぇ…。」


「なにか…あったんですか?」


「あたしも若いときは冒険に出てたもんさ…。この街に来る前に足に怪我をしてね…。それから冒険をすることは出来なくなってこの街に住むことになったんだよ。まだ草木も枯れず、綺麗な街並みが広がって…。」


老婆は目を瞑り、空を見上げる。


「もう…五十年は前だったかねぇ。あたしが四十になる少し前、夫と共に雑貨店を営むことになってねぇ…。初めてのお客さんが丁度お嬢ちゃんくらいの子だったんだよ。」


老婆のしわくちゃな顔が少し悲しげにリリーを見つめる。


「…その子の名前を聞いても良いですか?」


リリーはなんとなく親近感が湧いたのか、無意識に尋ねていた。


「その子の名前はねぇ…たしか────」


リリーは驚き、そのあとのことは何も頭に入らなかった。


「ごめんなさい、もういきます。」


リリーの言葉に老婆からの返答はない。


酸性雨に濡れて気がつかなかったが、老婆の顔には確かに涙が伝っていた。


優しく微笑んだ老婆の顔は一瞬、若き日の彼女を思わせた。


「マリー雑貨店…」


老婆の横に掛けられていた看板の文字を読む。


恐らく老婆がいたこの場所はその跡地なのだろう。


リリーはその看板を裏返し、その場を去った。


リリーはガスマスクを身につけてオールドパンクを離れる。


「行き先は…不浄の森。」






───リリーは不浄の森の中を歩いた。


生命が暮らしている様子はなく、時々朽ちた骨が落ちている程度だった。


森は薄く霧がかかっており、光でもなければすぐに方角を忘れてしまいそうだ。


「大きな木…。」


リリーは既に朽ちて倒れた樹木に触れる。


苔が生え、中身はなくなったそれにも幼虫すらいない。


生命は何も残っていないのかもしれない。


カチャッ…


「動くな。動けば撃つぞ。」


私は両手をゆっくりとあげた。


「…交戦の意思はないわ。」


「女…?まぁいい。そのまま後ろを向け。」


何かしようとすれば即座に殺されるだろう。


ゆっくりと刺激しないように後ろを振り向いた。


「尖った耳…」


それは私は彼がつけていたガスマスクよりも先に目がついたものだった。


「…なんだお前、エルフのことを知らないのか?」


「いえ…ここが…エルフの住んでる森なの?」 


「…黙れ。いいからついてこい。」


エルフはそれ以上は語らなかった。




───リリーはエルフに連れられ、霧の中を歩き続けた。


しばらく歩くとコンクリートで出来たトンネルに着く。


「…この先だ。このトンネルは一キロある。疲れるだろうが…って、なんだその靴。ボロボロじゃないか。」


私のブーツはボロボロで傷だらけだった。


「そんなんでよく歩けたな…。」


エルフは私に背を向けてしゃがんだ。


「…乗れ。」


私には少し躊躇い、嫌々ながらも彼の背中に身を任せた。


コツン…コツン……


ピチャリ…ピチャリ……


エルフの履いている靴がコンクリートを強く踏みしめ、錆びて途切れた鉄パイプから滴り落ちる水滴が水溜まりを叩く。


「ねぇ、あなたの名前を聞いてもいい?」


私の問いかけにエルフは少しため息を吐いてから応えた。


「…ユリウス。」


「ユリウス。良い名前ね。」


ユリウスは振り向き、歩みを止めて私を見る。


「お前は…?」


「…え?」


「だからお前の名前だよ。」


私はふと思い出した。


私は何故ベゴニアに自分の名前を伝えられなかったのだろう。


「私の名前は…リリー。リリーよ。」


ユリウスは前を向き、また歩み始める。


「…素敵な名前だ。お前に合ってる。」


「…ありがとう。」



私の顔は自然と笑みを浮かべた。



「私…。」




驚いた。



私はローズさんがこの世を去ったあの日からまともに笑ったことがなかったからだ。



ローズさんとの日々、そして別れを思い出し、私は涙を流した。


ローズさん。



ローズさんとの優しい記憶が私の胸を締め付ける。




ローズさんが悪いわけではない。




私が勝手に泣いているだけ。





「お前泣いて…」


ユリウスはすこし驚いていたがそれ以上はなにも言わなかった。


「ごめんなさい…ごめんなさい。少し懐かしいことを思い出して…」


「…泣きたいときは泣けばいい。俺の背中は誰かの涙を隠すためにあるんだよ。」


私は涙を抑えきれなくなってしまった。


トンネルに私の声が反響する。


二度も、三度も。


私が泣き止む頃には出口が見ていた。


「…ありがとう。でも、あなたの背中の話は少しクサかったわよ。」


「っるせって!」


私は久しぶりに大声で笑った。

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ネオンは魔王を生み出した オールマッド @AllMad_01

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