第25話 やさしさに包まれたなら(3)

「おそらくこれが最後の機会となるでしょうから、頼まれてください」



 従伯母さんにそう言われたのは今朝のことだった。この屋敷でかみさまを奉る口の祭りを昔のやり方で行いたい、そのためには仁礼山の血筋の男子がいなければならないのだそうだ。



「でも、何をすれば良いのですか?」



「この家で口の祭りを行ったのもずいぶん昔のことですし、その頃は義母もおりましたから私も詳しくは知らないのですが、善十がよく覚えておりまして、貴文さんはかみさまと寝食を共にするだけで良いそうです」



「口の祭り」と言えば……数十年前に私がこの屋敷を訪ねたのも口の祭りの日だったと思う。元々、この町のお祭りは3回行われ、その最初の行事が口の祭りといわれるものであったという。善十さんも話し始めた。



「シシ汁……シシ汁をかみさまと一緒に召し上がっていただくだけで良いのです。詳しい次第はその都度私が言いますので、貴文さまは座って召し上がっていただければ、それで。こうしてとこよからうつしよに降りられましたかみさまを仁礼山の男子が接待して案内するというのがこの祭りの始まりの式でございます」



 服装もかしこまった服装で無くても良いのだそうだけれども、スーツを持ってきていたのでそれに着替えて臨むことにした。



 そして、夕刻。大座敷に私と従伯母さんが座り、善十さんが準備を整えてくれた。仁礼山の一族みんなで集まっても入ることが出来る広い大座敷に今は3人だけだ。天井も高くてとても大きな空間になっている。私たちは大座敷の片隅にある大きな神棚の前に座った。



 私の前と横に三方が置かれ、シシ汁が乗っている。一つは私の、もう一つはかみさまへのお供えなのだそうだ。白い装束を着た善十さんに勧められる。



「召し上がってください」



 私はシシ汁をいただいた。野性的な肉の旨み、そして山菜と茸の混じった熟した果実のような匂い。あの時の味のままだ。さらに御神酒を勧められた。こちらも何故か熟した果実の匂いが強くする。



 ふと、私の横に白い影がうつったような気がしたが、横目で見るとそこにはやはり何も無かった。



 神棚に向かって礼をして、口の祭りの儀式は終わった。簡単ではあったけれども厳かな式であったと思う。本来、この後、かみさまと臥所を共にするというのが式の次第なのだそうであるが、この屋敷の中であれば普通に寝ても良いとのことで、省略された。



「年寄りの勝手に付き合っていただきありがとうございます」



「いえ、お気になさらず」



 式を終えた従伯母さんと善十さんはとても喜んでいるように感じられた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 これが先刻行われた口の祭りの儀式だった。



 そういえば私が数十年前訪れたのも、口の祭りの日であった。今もあの日と同じように熟した果実のような匂いが濃く部屋に漂っている。



 こうしていると数十年前に初めてこの部屋に通されたあの日のことを思い出す。そして、この部屋での真希お姉さんとの生々しい体験も。



 真希お姉さんからの届くことが無かった私宛の手紙の封をあけて読んでみた。もしも遺書のようなことが書かれていたらどうしよう、という心配もあったけれども、そういう内容は書かれていなかった。



 軽い挨拶から近況の報告、といった内容で、書かれたのは初夏のころであったらしい。真希お姉さんが行方不明になる1ヶ月以上前の手紙のようだ。ただ、悪い夢を見たという内容が書かれていて、同じように悪夢を見て私が助け起こしたあの時のことを思い出したという話があった。



 私は受験の年であったので、真希お姉さんは心配をかけないようにと思って、この手紙を出さなかったのかも知れない。私もあの年は確か夏休みも受験勉強の追い込みで会えないというような手紙を送ったような気がする。



 長い間、向き合ってこなかったこの町の記憶。その記憶と向き合いって思い出す心の旅を明日から始めようと思う。真希お姉さんからの何通もの手紙やこの町に残された思い出の場所を巡って……最も思い出の深い場所は今はもう無くなってしまったけれども、図書館で読めば記憶の糸口になるかも知れない。



 そういえば恭子先生も歴史や民俗の資料があるという話をしていたし、色々と謎が多い昔の祭りのことも何か分かるかも知れない。



 とりあえず今日までの文をまとめてweb小説の投稿サイトに予約投稿してみた。こうして机に向き合っていると、あの日のように濃い果実の匂いが私を夢の世界に招待してくれているようだ。昔はこの匂いを嗅ぐと理性がゆっくりと溶けていくような感覚があったのだけれども、今は逆に長い間もやがかかっていたところが晴れていって明るくなるような感じがする。



 もう少ししたら寝床につこうと思う。本来の口の祭りの儀式ではかみさまと臥所を共にするところまでが式であったそうなので、ある意味まだ祭りの儀式は続いていると言えないことも無い。



 数十年前のあの年、真希お姉さんとの忘れられない夏も口の祭りの日から始まった。こうして再び真希お姉さんに会うための旅の門出にはふさわしい夜かも知れない。


□□□□□□□□□□□□


この連載小説は未完結のまま約◯年以上の間、更新されていません。


今後、次話投稿されない可能性が極めて高いです。予めご了承下さい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いぬがみさま 須浪旦 @surotan001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ