第12話 ゆのや観光ホテル(2/2)
廃業した時期と合わない日付で終わったカレンダー。廃業後に誰かが持ち込んだものなのだろうか。
でも一体なんのために?
そんなことを考えていた矢先のことだ。
「見応えのある廃墟ですよねえ。ここ」
背後から聞こえた声に、まじで心臓が飛び出るかと思った。
後ろに立っていたのは作業服を着たおっさんだった。ニコニコしながら、首からかけたタオルで汗を拭いている。
見ようによっては管理者のような服装に、俺は慌てた。俺がやってることは不法侵入。通報されたらまずい。
けどおっさんは「大丈夫、私もあなたと似たようなものですから」と制した。
おっさんは川の反対側の一軒家に住んでいて、このホテルが営業していた頃も賑やかだった頃も知っていた。
バブルが弾ける前は団体バスがひっきりなしに訪れていたこと。
鍋に使う猪の解体ショーが話題になっていたこと。
大浴場からは煌びやかな温泉街が一望できたこと。
そんな頃が懐かしくて、散歩に出る時はよく立ち寄るのだそうだ。
ペットボトルの水を飲みながら、おっさんはそんな話をしてくれた。
「あ、お互いにここで会ったことは内緒ということで」
指を立てるおっさんに、俺も笑顔で頷いて返した。
そんでホッとしたのか、気づいたら俺はおっさんに話しかけていた。
「それにしても妙な部屋ですよね」
「——ほう。妙とは?」
おっさんの返事に俺はカレンダーのことを話した。
おそらく廃業後に誰かが持ち込んだものではないかと思うが、その理由がわからないということも。
「廃業後も、関係者の誰かがしばらく住んで管理をしていたんですかねえ」
おっさんがそんなふうに言って、まあなるほどなと思った。
ただそうなるとどんな人が、ここでどんな生活を送っていたのか。
よせばいいのに、俺は首を突っ込んでみたくなったのだ。
「ちょっと物色していっていいっすかね」
「いやいや、私のホテルではありませんので」
「そうでしたねw」
おっさんと適当なやりとりをして、俺はガサガサと部屋の中を漁り始めた。
洗剤やら蚊取り線香やら、今では売られていないパッケージのものが転がっている。他にも見たことのないミュージシャンが表紙を飾った雑誌。コーヒーのイラストと店の名前が描かれたマッチ箱。いろんなものが残っている。
まるで昭和をテーマにした博物館にきたような気分で、俺は調子に乗っていろんなものに触った。
奥には俺の身長よりちょっと低いくらいの金庫があって、それが開かなかったことだけが残念だった。
で、そろそろ撤収しようかなと思った矢先。
俺は部屋の隅に積まれていた「あるもの」が目に入った。
ライトで照らしてみるとそれは新聞の束だった。
ばあちゃんちとか整理してるとたまに出てくるけど、ああいうのって見ちゃうんだよな。当時のニュースってどんなのがあったのかってさ。
ライトで照らしてみると、それらはほとんどが1991年の新聞だった。
カレンダーと同じでホテル廃業後の発行日時。8月発行のものが多く、それ以降の分も少し。新聞社はバラバラ。
しかし全ての新聞が……一部の記事を切り抜かれた状態だったのだ。
なんだこれ。
「——お兄さん。もしかしたら、誰かがここを寝城にしていたか……もしかしたら寝城にしているのかもしれないですねえ」
「うわ、そういうパターンっすか」
廃墟にはホームレスが住み着いたりしてる場合があるって聞いたことがある。自分の所有物でもないくせに、縄張りに侵入してきたということで襲ってくるケースもあるらしい。
これは長居は無用かな。トラブルに巻き込まれてもつまらないし、俺はそれ以上の詮索はせず帰ることに決めた。
「じゃあお先に失礼しますね」
俺はおっさんに会釈をしてバッグを肩にかけなおした。おっさんはまたニコニコと手を振り、部屋を出ていく俺を見送った。
なんだか妙に引っかかるというか、後ろ髪を引かれるような感覚があった。
でもその時は気にならず……やばかったと知ったのは少し後のことだった。
夏休みが終わり、大学の授業が再開したころ。
図書館でレポートの資料を探していた俺は、書庫に収められていたある資料が目に入った。
それは新聞のバックナンバーだった。
出版社・年度ごとに分類され、製本化されたもの。図書館にそんなものがあるなんて知ったのはその時が初めてだった。
そんで、まあ普段の俺ならまず手に取ることもなかったと思う。でも俺の頭に、ホテルの一室で見つけたあの新聞が浮かんだんだ。
1991年の8月。切り抜かれた記事。
一体なんの記事だったんだろう?
興味本位でページをめくってみると、各社が随分と取り上げたせいか……その中身はすぐにわかった。
失踪事件の記事。あの街で二人の人間が消え、殺人事件も視野に入れての捜査が行われた。
その後の新聞を見ると、事件は半年先くらいまで捜査が続き、失踪した二人はついぞ見つからなかったとのこと。
今ではもう法律が変わったけど、当時の殺人事件の公訴時効は25年。
俺がホテルに侵入したあの日は時効を目前とした時期だった。
あの日、俺がホテルに入ったのは偶然に過ぎなかった。
でも偶然と思っていたあの出会いは……。
別れ際に笑顔で手を振ったおっさんの姿が鮮明に浮かんだ。
ひらひらと振った手を覆う、黒い手袋。
最初に来た時のおっさん。あんなのつけてたっけ?
それに部屋の隅にあった錆びた鉄パイプ。
先端に染み付いた黒い汚れ。
開かなかった金庫……。
——俺の勘違いかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
けどあのカレンダーや新聞のこと。もう少し突っ込んでいたら、今頃どうなってたことやら。
だから俺はあの日を境に、下手にいろんな場所に入ったり、触ったりするのはやめるようにしたよ。
触らぬカミに祟りなし。
そんな
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