第9話 おカミ様の祠(1/2)

 小学校5年のころ、俺はとある村に引っ越した。


 きっかけは父親と母親の離婚だ。小学校高学年くらいだと、両親のどちらについていくかはわりと本人の意思が尊重されるらしく、ヒステリーを起こしがちな母親ではなく、何かと気が合う父親についていくことを選んだ。


 父親の知り合いの世話で、田舎の家を安く借りられることになった。周りは自然も豊かで、住んでいる人々もみんな笑顔で声をかけてくれる。


 いい所に引っ越してきた。そう思ったよ。


 ――ただ一点。村で妙な神様が祀られていることを除いて。







 新しい小学校に転入した初日のことだ。一クラス20人に満たない学級に、俺は温かく迎えられた。みんなが俺に声をかけてくれて、一日を楽しく過ごすことができた。


 放課後の遊びにも誘ってもらって、一度家に帰った後、再び学校のグラウンドに集合。男の子たちとサッカーをして遊んだ。


 日が傾きかけ、そろそろ帰ろうかという空気になったころ。男の子の一人が、荷物をまとめながら「あ」と声をあげた。


「何だ何だ」と集まるみんなに、男の子は小さな白い塊を見せた。どうやら歯が抜けたらしい。


 まあ歯が抜けることなんて大したことじゃないんだけど、それを聞いた周りの子たちが妙にざわついていた。


「歯ぬけたんか。落としとらんか。入れ物ちゃんと持っとるか」


「まだ明るいし、みんなでおカミ様のとこいこか」


 おかみさま? 話に入れていないのに気付いてくれたのか、男の子の一人が「〇〇くん(俺の名前)はおカミ様のこと知らんと思うけん、一緒に連れてってやろう」と言った。


 女将様? お神様? 耳慣れない言葉を自分なりに変換しようとするものの、結局よくわからないまま、俺はみんなについていくことになった。


 行き先は神社の裏手にある山だった。社務所の脇から細い道が伸びており、そこを登っていくと小さな祠についた。


 祠の前には壺が置かれており、細いしめ縄が巻かれている。さっき歯の抜けた男の子は壺の蓋を開けると、ケースに収めていた歯をつぼの中に入れた。


「この村じゃ、抜けた歯は壺の中に入れて、おカミ様にお供えするんじゃ」


 まだ言っていることはよくわからなかったが、「お供え」というフレーズで、引っ越してくる前に親父から言われたことを思い出した。


「今度引っ越す村のことだけどな。役場へ手続きに行ったら、子供はおりますかと聞かれたんよ。

 男の子が一人おります。そう言ったら、『歯が抜けたら無くさんようにしてくださいね。あとでお供えせにゃなりませんけん。息子さんにも忘れずに伝えてください』だと」


 どういうこと? と尋ねると、親父も「よくわからん」と言って首をひねっていた。まあ住んでいればそのうちわかるだろう。そんな風に思って、親父も俺もそれ以上考えることはなかったが、あの時聞いた「お供え」とはどうもこのことらしい。


 カラン、と軽い音が壺から響いた。この村の子どもたちはみんなこの「お供え」をしているんだろうか。ってことは、あの中には抜けた歯がいっぱい詰まっているのか?


 考えると少し気味が悪くなった。が、本当に気味が悪いのはここからだった。


「ほんじゃ、お参りして帰ろうか」


 男の子の一人が手慣れた様子で祠の扉を開く。姿を見せたのは煤けた木像だった。


 赤ちゃんのような体躯で、胡坐をかいたご神体。歯茎がむき出しになるくらい大きく唇を剥き、見える歯の数が異常に多い。


 笑顔は笑顔……なんだろうけど、なんだか作り笑いのような、不自然な笑顔に見えた。


 ——この神様、ちょっと気持ち悪くない? そんな言葉が喉元まで出かかった。しかしさっきまでやかましかった男子4人だが、この“おカミ様”を前にしたとたん、黙って手を合わせている。とても茶化せる雰囲気ではない。


 お供えのこと。おカミ様のこと。気になることはいろいろあったが、詳しいことは何も聞けずじまいで、俺はみんなと別れて家へ帰った。








 その晩のこと。夕食時に、「そういえば歯の話を覚えてるか」と親父に聞かれた。昼間のことがなければ思い出せないくらいのことだっただろうが、俺はすぐにうなずくことができた。


 親父は白米を口に運びながら「この村は歯にまつわる神様がいるそうだ」と切り出した。


「この村は昔から“おカミ様”という神様がいて、この村を守ってくださっているんだと。しかしその神様は歯が大好きで、抜けた歯をお供えしないと怒りを買ってしまうのだと。

 だから抜けた歯は絶対に無くさないように、って話を聞かされた」


「絶対にって……ずいぶん熱心な人がいるんだね」


「父さんも初めに近所の人から言われた時はそう思った。たまたま熱心な人がそう信じているんだと。

 しかし、会う人会う人がみんなそう言うんだよ。近所の人から役場の人、挨拶に行った学校の先生まで。

 無くさないように。お供えするようにって。

 まるで忠告するみたいに」


 怒りを買うっていうフレーズからして、親父の言うように“忠告”の意味合いは小学生の俺でも感じた。

 ただこれって迷信ってやつじゃないの?


 そんな思いが表情に出ていたのかもしれない。親父は「神様の怒りをお前が信じるかは任せるとして」と前置きをしながらも、こう続けた。


「少なくともこの村の人たちは、“おカミ様”を本気で信じている。父さんたちはこの村の新入りである以上、そこは肝に銘じておかなきゃならない」


「——郷に入れば郷に従え、ってやつだね」


「お、難しい言葉を知ってるな。さすが5年生」


 父さんと笑いながら俺は舌先で奥の歯に触れた。

 ちょうど何日か前から、一本の歯がぐらついていたところだった。


 肝に銘じるとまでは言わないけど、覚えておくに越したことはないかな。あの時はまだそのくらいの気持ちだった。


 事が起きたのはその数日後。

 俺の学校には給食がなくて、家から持ってきた弁当を好きなグループを作って食べていた。


 で、俺がご飯を噛んでいる最中にさ。ちょうど歯が抜けたんだよ。


 俺は歯が抜けたことには気づいたけど、間違って抜けた歯をご飯と一緒に飲み込んでしまった。


 俺が変な顔をしていたのに気づいたのか、友達が「どうした?」って聞いてきたから、何の気もなしに答えたんだよ。

 歯が抜けたけど飲み込んじゃったって。


 そしたら友達の……いや、あいつらの顔色が変わった。

 時が止まったみたいに固まったかと思えば、示し合わせたかのようなタイミングで三人ともがざわつき始めた。


 おいやべーぞ。先生に言っとくか? まだ飲んだだけなら、出した時に拾えば……みたいな感じで。

 言ってることはヤバめの悪戯がばれそうになった時のような感じだったが、顔は真剣そのもので、事情はわからないのに俺まで焦り始めた。


「何だよ。なんでみんながそんな焦んの」

 

「いやなんでってお前……」


 顔を見合わせると、あいつらは「トイレ流す時気をつけろよ」って言うんだよ。「まだ拾えるから」って。


 え、まさか出したものから歯を拾えっていうの? って確認したら、流しちゃったらからって。


 その上「帰りにお供えが遅れることをおカミ様に謝りに行こう」とか言うんだよ。


 こいつらやべえって思った。迷信を信じる信じないは勝手だけど、押しつけるのは違うだろ。


 イラついた俺は残りの飯をさっさと食って席を立った。


 運動場に出て行こうとする俺を見送りながら、あいつらはまだヒソヒソとなんか話していた。

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