第8話 ホテル ムーンシャトー707(2/2)
その声で俺の思考はすべて吹っ飛んだよ。どういうプロセスだったかぜんぜん思い出せないけど、服だけ着た俺は靴も残したまま廊下へ飛び出そうとした。
けど部屋の機械で清算してから出るタイプのホテルで、俺は金払おうとしたけどポケットになくて、財布を忘れてるのすらそれで気がついた。
財布を即効で回収して今度こそ外へ出る。そのときの俺が立っているのが、ちょうど廊下の突き当たり。
すぐ右手には帰り専用のエレベーターのある位置って思ってくれ。
で、廊下の先。5部屋ぶんくらい向こう側にソイツがいた。
見間違いってことはありえない。例のあの真っ赤なドレスを着た彼女が長い髪を下ろした状態で、こちらに背を向けて立っていた。
俺はどういうわけかわからないけど彼女があのドレスを着てそこにいるもんだと思った。だって彼女とドレスが消えたんだ。そうとしか思えないよな、普通。
それでもう叫ぶみたいに彼女の名前を呼んで、そっちに歩み寄ろうとしたんだ。けど一歩を踏み出した瞬間に、彼女の足元を見ておかしいって思った。
素足のつま先がこっちに向いているんだ。後ろ姿なのに。
それでやっと気がついた。ソイツは最初から背を向けているんじゃなくて、こっちを向いていたことに。
全身に嫌な汗が吹き出た。自然と踏み出した足も止まる。そしたらソイツは俺が足踏みをしたのを見るや、ガクガクと首だけを上下させながら、足は引きずるみたいにしてこっちへ寄ってきやがった。
そのとき後ろ髪だと思ってた前髪が動いて、前髪の向こうが見えたんだが顔はわからなかった。ソイツは首から上がなかった。
首に巻いたスカーフより上は空洞になってて、前髪の奥に後ろ髪が見えてる感じ。頭部がまるまる透けていて、長い髪の毛だけが浮いて見えるのをイメージしてくれたらいいと思う。
完全に泣いた。
ばあちゃんが死んだときより泣いたが、あれ見て泣いた自分を情けないとは未だに思わない。
俺はもう無我夢中でエレベーターのボタンを連打して、2階のフロントに駆け込んだ。フロントではスルメ噛んだおっさん(警備員かな)が出てきて、パニック状態の俺を見るなり
「どうしたニイチャン! 落ち着け!」
って肩をゆすって本気で心配してくれた。救急車でも呼ばれかねん勢いの俺だったが、なんとか状況を説明できるくらいにはなって、彼女がいなくなった旨とその他諸々を説明した。
そしたら警備員はちゃんと制服っぽいのを着た従業員を呼んで、すぐさま7階へ向かってくれた。取り残されるのは本気で怖かったので、俺もついていくことに。本当は絶対行きたくなかったが、誰も居ない廊下で待たされるよりは100倍マシだった。
3人で昇りのエレベーターに乗って上階に向かう。そしたら7階が近づくにつれ頭上から
どんどんどんどんどんどんどんどんどん
ってけたたましい音が聞こえてきた。微妙に悲鳴すら聞こえた。相当の声で叫ばなきゃああはならない。
7階に着いた瞬間俺はもう“閉”のボタンを力いっぱい押した。けど到着したエレベーターは問答無用で開く。
扉を叩いていたのは彼女だった。
真っ赤なドレスに身を包んだ彼女が涙と鼻水で顔をぐっしゃぐしゃにして、誰の目もはばからず俺に抱きついた。
俺は固まっていた。警備員のおっちゃんも固まっていた。
2人とも彼女身体の一転に視線を釘付けている。その先には、彼女の首にしっかりと巻かれた赤いスカーフがあった。
それから俺たちは応接室っぽいところに通された。そこでまず茶を出されて、次に金を渡された。もちろんここであったことは口外するなという意味としか受け取りようはない。
けどそれで納得できるわけもないから説明を求めた。2人は露骨にお茶を濁そうとしたが、俺が退かないもんだから、誰にも言わないことを約束に、ほんの少しばかりの説明を受けた。
「もうおわかりかと思うのですが、あの部屋は、いわくつきの部屋です。昔あのドレスを着たお客様があの部屋で、その……あの部屋を最後の場所にされました。
そのときあのドレスは警察の方が確かに回収されたのです。間違いありません。
けれど事があった数日後、あのドレスは誰も知らない間に部屋に戻ってきていました。あの光景を再現するかのように。スカーフで吊るされた状態で、です。
警察にも言いましたが、身寄りのなかった女のあのドレスは確かに処分したといって取り合ってくれません。
社長はあのドレスの処分を命じましたが、何度処分してもあそこにかかっているんです。いつのまにか。誰も見ていないうちに。
そしてドレスを下ろした人は必ず不幸にあうので、私どもはあの部屋のドレスには決して触れないよう、707号室を使用不能にしたはずなのですが……」
そこで俺の顔色に気がついたのだろう。従業員の兄ちゃんは露骨に言葉を濁した。
707号室使用不能になってなかったじゃねーかとか、なんでそんな部屋残しておくんだとか文句は死ぬほどあったが、そんなことはどうでもよかった。
「ドレスを下ろした人が……何?」
聞くと兄ちゃん「私ども従業員は、ドレスは降ろさないようにと忠告する取り決めなのですが」って。
もう当然怒ったさ俺は。
「ふざけんな降ろせって言ったじゃねーか! 電話ん時の女出せよ!」
そう言ったら、兄ちゃん。
「……。
本日のシフトに女性従業員は入っておりません……」
だって。
『申し訳ありません。降ろしてください』
あれは従業員じゃなかったらしい。
体温がスーってなくなっていくのを感じたよ。
隣で彼女がまたがたがた震えて泣いたが、泣きたいのはこっちのほうだった
それから彼女は俺に連絡を寄越さなくなった。俺のほうからも、会おう、とか会って話をしようとか言う気にはならなかった。
断ち切りたかったんだよ。あの出来事にまつわる何もかもを、さ。
——おいおい、なに後ずさってるんだよ。冗談だ冗談。作り話さ。
今のところ俺の身に何も起きてないだろ?
でも一応、○宮ジャンクション近くでラブホ使うときには気をつけたほうがいいぞ。
作り話だけど……一応な。
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