第2話 クラブハウス棟の地下一階(2/2)

 一瞬、私は本気で泣きそうになりました。ただA先輩が「やば! 警備の人か」そう言ったのを聞いて、逆に少し落ち着いた覚えがあります。


 電気はB先輩が慌てて消しました。ただ階段を塞いでいた板がなくなっているとなれば、警備の人が地下に降りてくるかもしれません。


 B先輩は「とりあえずあの部屋に隠れてやりすごそう」そう言いました。


 ただ私はどうしてもあの部屋に近寄りたくなくて、その場に立ち尽くしました。もう警備の人に見つかって叱られるほうがいい。そのくらいの気持ちだったんです。


「ああもう! じゃあ俺だけ隠れるから、もし見つかってもばらすなよ!」


 そう吐き捨ててB先輩はひとりで四つ向こうの部屋。あの部屋に入っていきました。そして扉を閉めてしまいました。


 その間も足音は段々と近くに寄ってきて、いよいよ階段の付近まで迫りました。


 そして“かつん”と大きく響いたかと思うと、足音が止まったんです。音からして階段の手前くらいだと思います。


 警備の人も降りるのをためらっているのでしょうか。そんなことを想像しながら、私とA先輩は息を潜めました。


 心臓の音が聞こえてきそうなくらい鼓動が早まりました。


 しかし十秒、また十秒たっても誰かが降りてくる気配はありません。ここにはこないのでしょうか。


 一瞬、そうも思いました。けれど慎重になった私達はまた数分、黙って待ちました。


 しかし待てども待てども、誰も降りてはきません。人の気配もまったくありませんでした。


「僕、ちょっと見てくるよ」

「え」

「大丈夫。見つかっても僕が上手いこと話すから」


 A先輩は無理やりな笑顔を作って一階に戻ろうとしました。ただ私はA先輩のすそを離さず「私もついていきます」と言って、階段を上がりました。


 一階には誰もいませんでした。真っ暗なことを除けば、いつもどおりの廊下が続いているだけでした。


「よかった。もう見回り終わったのかな」


 A先輩はほっとしたような笑みを浮かべました。ただ私は、まだ緊張がなくなりませんでした。


 さっきの足音。近づいてはきたのに、遠ざかってはいないんですよ?


 足音の主はどこへ行ったんですか?


 ――呆然とする私を差し置いてA先輩は再び階段を降りました。そして四つ向こうの部屋に隠れているはずのB先輩を呼びました。


「おーい! もう大丈夫だぞ」


 緊張が解けたのか、A先輩はかなり大きな声でB先輩を呼びました。すると扉はかちゃりと音を立てて開きました。


「――。おーい」


 A先輩が何度もB先輩を呼びます。けれど扉が開いただけで、B先輩はなかなか姿を見せません。


「何やってんだ。早く戻ろう」

「――おーう」


 ほんの少しの間が置かれて、ようやく返事が返されました。A先輩はため息をついていましたが、私はまだ全身が固まっていました。


「おーい。△△。◇◇。ちょっときてくれ」


 B先輩が部屋の中から私たちの名前を呼びます。緊張が解けたせいかA先輩は怪訝な顔をしながらも、一歩を踏み出しました。


 しかし私が思いっきり腕を掴み、A先輩が歩くのを阻止しました。


「どうしたの?」


 A先輩が私に聞きました。私はがたがた震えながら、最低限の言葉だけを返しました。


「センパイは……私のこと“ちゃん”付けで呼びます」




「なあ、△△。◇◇。おもしろいもんがあるぜ」

「はやくおまえらもこっちこいよ」




 A先輩の表情が変わりました。本当に最低限の言葉でしたが、A先輩は私の言いたいことをわかってくれたようでした。


 声は確かにB先輩の声です。間違いありません。しかししきりに私たちを呼ぶだけで、姿を見せようとしないのです。


 私たちの中で疑惑はほとんど確信に変わっていました。


 A先輩の唾を飲む音が隣の私にまで聞こえてきました。そうしてこちらを呼ぶ声に対し、A先輩はついに聞きました。


「なあ。お前、本当にケンヤか」


 ほんの少しの間がありました。けど扉からははっきりと「そうだよ。ケンヤだよ」と返ってきました。B先輩の声で。


 B先輩の名前はケンヤじゃないのに。


「――っ! ちげぇだろ! 誰だよお前よっ!」


 A先輩が怒鳴りつけるような、パニックに陥ったような声で叫びました。返事はありませんでした。


 そのかわりに扉が開いたんです。廊下に並ぶ扉が。


 全部の部屋の扉がです。一斉に、かちゃんって。


 目に入ったのは女の顔でした。扉の向こうに、暗闇の中から青白い女の顔が覗いているんです。


 すべて別々の顔でした。共通していたのは、聖子ちゃんカットみたいな、ちょっと時代を感じる髪型とメイクだったことくらいでしょうか。よく覚えていませんし、思い出したくもありません。


 その全ての顔が私たちを見つめているんです。


 私もA先輩ももう誰かに見つかることなどお構いなく叫び、全速力で階段まで走りました。


 それから先はもう記憶が曖昧です。とにかく走って、窓だったか出入り口だったからか外へ出て、A先輩の車まで急ぎました。


 それでも不安は拭えず、とにかく人のいるところに行きたくて、A先輩といちばん近くのファミレスに跳び入りました。血相変えた私たちを、高校生くらいのウエイトレスは少しひきつった笑顔で迎えてくれました。


 いつのまにかかなり時間も経っていましたが、店にはちらほらと客の姿もありました。飲み物だけ頼んで座っているうちに、私達は少しずつですが、落ち着きを取り戻しました。


「なあ。さっきのあれ……」


 思い出したくもなくて、私は思い切り首を振りました。


 ただB先輩はどうなったのか。それだけは気がかりで、二人で何度もB先輩の携帯に電話をかけました。


 ファミレスで十分おきくらいに朝までかけましたが、一度もつながりませんでした。




 

 翌朝になって、私達は家に帰らずそのままB先輩の下宿先に足を運びました。予想はしていましたがやはり会うことはできませんでした。


 私は昨夜のことを部長に説明しようと連絡を取りました。始めは部長も「お前らを驚かせようとしてるんじゃないの?」と言っていましたが、B先輩が実際に姿を見せないことや、私達が必死に説明したこともあって、


「じゃあ俺らで地下を調べてやる」


と言ってくれました。


 部長をあそこへ行かせるのは気が引けましたが、B先輩が心配なのと、昼間に大勢でということだったので、お願いしました。ただ私は学校すらしばらく行く気になれませんでした。


 それで部長たちが探そうとしてくれた結果ですが、なにも成果はありませんでした。というか調べられなかったそうです。


 地下一階への階段はいつもどおり板が打ち付けてあり、中に入るのは無理とのことでした。あの出来事から半日も経ってないときの話です。


 三日後にはB先輩の家族から捜索願が出され、私達の証言もあって警察がクラブハウス棟の地下を捜索しました。やはり、中から“人は”見つかっていないとの話をしてくれました。


 ただ事情聴取を担当していた刑事さんが妙なことを聞いてきたんです。


「君たちに言われてあの地下を調べたんだがね。君たちは電気をつけて、先輩が部室に入っていくのを見たんだよね」


 なんども警察や他の人に話してきたことです。私達は顔を見合わせることもせずに頷きました。


 刑事さんは調書(らしき書類)に目を落とすと「うーん」と唸りました。


「あの地下なんだけどね。電気は通っていないし、扉も全部鍵がかかっていたよ。鍵は大学側が保管していて、開けるのはかなり専門的な技術と道具がなければできない。


 そもそも打ち付けた板が外された跡もなかったよ。


 これはどういうことかねぇ」


「――僕ら、嘘は言ってませんよ」


 疑っていると取ったのか、A先輩が反論をしてくれました。刑事さんは「いやいや、そういう意味で言ったんじゃないんだ」と言って人のよさそうな笑みを浮かべました。


「君たちの言ったことが嘘だとは思わない。スイッチやドアの内側に指紋はあったからね。

 けどどうやって入ったのか。うーん……」


 刑事さんはぶつぶつ言いながらまた調書に視線を戻しました。


 いつの間にか指紋をとられていたことに関して、嫌な気分がなかったわけではありません。けれど指紋の話を聞いて、あの夜のことが幻じゃなかったんだって思って、余計に怖さが蘇りました。


 私達はあの夜、確かに地下一階に降りたのです。


 そしてその手で階段脇のスイッチに触れ、B先輩はその手で四番目の扉を閉めたのです。




 

 それ以外のことは未だに何もわかりません。


 ただ未だにB先輩は行方不明で、それにあの部屋が関わってる。

 それだけは確かなことなのです。

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