幻想的密室殺人③

 クライトン伯爵のお城に戻ってきた。

 正面の入口のとこにある大きな時計を見ると、夜の10時を回っていた。適宜、馬を使ってはいたけど、かなり時間が掛かってしまった。


「ふぁ」ハリエットの欠伸。


「悪いな、こんな時間まで」


「ううん、大丈夫」しかし眠そうな目をしている。


「あとは俺1人でも問題ないからハリエットは休んでくれ」


 目的地は地下牢だ。


 ハリエットが「大丈夫」とまた口にした。「私も行く」


「無理しなくても──」


 やにわに手を握られた。


「早く行こう」俺を引っ張って足早に進む。「私これでもこの領を守る騎士なんだよ」こちらを見ずに言った。「だからまだ休めないよ」


「……分かった。もしものときは頼む」


「うん。任せて」


 RPG的に言うと、俺はどちらかというと補助型の魔法使いだ。ゴリゴリの前衛職であるハリエットがいてくれるのは正直助かる。


「ありがとう」気がつけば聞こえるかどうかギリギリの大きさの声で感謝の言葉を贈っていた。この声量は意図したわけではない。


「?」


「なんでもない」


 改めて言うのもなんだか照れくさい。俺もまだまだ子どもだなって。


 それはそれとしてさしあたっては。「手を放してくれ」


「……」僅かな間。「はーい」パッと。







「裁判官殿ではないですか」地下牢の警備兼監視をしている兵士の男が、やや強い疑問の色を行間に挟み込みつつ言った。「どうされました? こんな時間に」


 冷たい石造せきぞうの壁にあるあかりが、緩い光を放っている。


「急ぎ尋問する必要が発生してしまいまして」ちらり、とアイラがいるであろう牢へ視線を送る。「アイラ被告人は就寝中ですか?」


 仮に淫魔が関係しているならば、更なる犠牲者が出る可能性がある。できるだけ早めに対処しなければならない。


「おそらくは」兵士の男が答えた。「起こしましょうか?」


「ありがとうございます。しかしそれはこちらでやりますので大丈夫ですよ」


 一応、同性であるハリエットのほうがいいだろう。


「そうですか」兵士の男が兵士用のテーブルに無造作に置かれた鍵束を手に取る。「9番です」と渡された。


「ありがとうございます」「ありがと」


 ハリエットと共に礼を述べ、アイラの下へ向かう。まさに目と鼻の先といった距離なのですぐだ。


 硬い床に硬い音。カツカツと静かな通路によく響く。


「ハリエット」9番の牢の手前まで来た。「起こしてやってくれ」


「ふふ」


「……」


「行ってくるね」







 牢屋から別室に連れ出し、部屋に備えられた椅子に座らせる。

 さて、お話の時間だ。


「何をお話しすればいいのでしょうか?」アイラの声と表情には疲れがまつわりついている。


「メイソンさんが死亡した時、アイラさんは眠っていたのですよね?」


「はい、寝てました」俺の後ろにいるハリエットを見る。「信じてもらえませんでしたけど」


 ハリエットから反論は聞こえてこない。


「お伺いしたいのはその時に見ていた夢についてです」


「夢……ですか?」なぜそんなことを訊ねるのか、といった顔だ。


「真犯人を特定するためです」


 正確には真犯人淫魔説を補強するためであるが、そこまでは教えなくてもいいだろう。


「憶えていませんか?」


「……」口をつぐんだアイラの視線がかすかに揺れる。


 これは……。


「お話ししていただけると助かりますが、無理にとは言いませんよ。アイラさんには黙秘権がありますから」


 黙秘権、裏を返せば供述を強要しないという不作為の義務のことだが、これを遵守じゅんしゅしない人間も残念ながら存在する。

 前世でも警察官によるえげつない取り調べの話は耳にすることがあった。

 そんな日本より人権──ハイヴィース王国では〈神から人に与えられる権利〉と定義され、自然権の呼び名のほうが一般的──が粗い・・この国では、黙秘権などといったまどろっこしい制約はしばしば無視される。つまり自白を得るために拷問が実行されるのだ。


 暫し沈黙していたアイラがおもむろに言う。「お兄さん、変わってるって言われません?」


「言わ──」俺が答えようとするも。


 後ろからハリエットの声。「そうなのよ。ノア君って変なの」


「ですよね。なんかおかしいですもん」共感されたからか幾分かアイラの雰囲気がやわらぐ。


 まぁいいけど。それより夢について教えてほしい。

 ごほん、とわざとらしい咳払いをして仕切り直す。


 アイラの目を真っ直ぐに見つめながらお願いする。「何かあるのでしたら教えていただけませんか?」


 ごく短いにらめっこの後に「何か、というほどではないですけど……」と断ってから「『ずっと寝てました』って言いましたけど、本当はちょっと違うんです」と。でもベッドから出てはいないですよ、と間を開けずに付け加えた。


 静かに頷いて先を促す。


「あの日の夢は、その……。メイソンとする・・夢でした。それで、えと、いっぱいした後に目が覚めたんです」アイラは躊躇ためらいがちに言った。


 ビンゴかな。


「だから細かく言えば『ずっと寝てた』わけではないんです。でも、またすぐに寝つけたからわざわざ言わなくてもいいかなって……」やや窺うような目。


 別にこれくらいでとやかく言わないよ。普通なら〈ずっと寝てた〉に含まれるようなケースだし気にするほどのことじゃない。

 というよりむしろ今回は、よくぞ起きてくれた、といった感じだ。

 一説では〈憶えている夢というのは起きる直前のレム睡眠時に見ていたもの〉だと言われている。つまりはアイラがそのタイミングで起きていなかったら、俺は今、有益な情報をゲットできなかったかもしれないのだ。


「あのー……怒ってます?」アイラが恐る恐る訊ねた。


「怒るどころか感謝してますよ」


「……」ポカン、と口を半開きにして呆けている。


「ふふふ」背中にはハリエットの笑い声。


 そして復活したアイラが断言した。「やっぱりお兄さん、変」


「ぷ、くっくく……」


「……」


 有罪にしようかな。







 淫魔の習性として、1つの土地からの移動はあまりしないというのがある。つまりサウサートン町にまだいる可能性が高いということだ。


 というわけで、深夜12時過ぎだがハリエットと共にサウサートン町にやって来た。

 兵士の数を増やすことも考えたけど警戒されたら厄介なので、さしあたっては2人での捜索だ。

 そもそも今回のようなケースで大量の兵士を動員するにはダーシーの許可が要る。しかしこんな時間に彼女を叩き起こすだけの根拠はない。あくまで情況証拠を基礎にした推測の域を出ないからだ。


 月光を反射した雪がはらはらと町に降りていく。かじかむ手を握り、こそこそと歩き回る。


「いないね」ハリエットがコートのポケットに手を突っ込んだまま言った。


「だなぁ」


 淫魔が人間社会に潜むとしたら蝙蝠形態のほうが都合がいいはず。したがって季節外れな蝙蝠を探しているのだけど、当然なかなか見つからない。捜索範囲が比較的に限定されているとはいえ、小動物1匹をピンポイントで見つけるのはやはり骨が折れる。


「ねぇ」ブルブルしている俺とは対照的に涼しい・・・顔のハリエット。「目ぼしい場所とかないの?」


「そうだなぁ……」


 なぜ性交に留まらず殺人にまで至ったのかは分からないが、一般的な習性としては、蝙蝠になって寝室に忍び込み、人間の精液と子宮を利用するということが挙げられるよな……。


「……あー」


「何か思いついた?」


「思いついたってほどじゃないけど、もしかしたら町の中心部のほうがいいかもしれない」


 具体的には何軒かの宿屋が集まっている区画。

 宿屋には比較的若い人──旅に耐え得る人が集まる。年齢による妊娠率と流産率の違いを考慮するならば若い人をターゲットにしたいはずだ。

 しかもこの町の住民ではないことが、〈サウサートン町に淫魔がいる〉という結論に至りにくくさせる。夢の内容を記憶していなかった場合はもとより、仮に憶えていたとしても旅人はすぐにこの町から出ていく。つまり、嫌疑の根拠になる被害情報が集約されづらいことが、事態の発覚を遅らせることに繋がるんだ。


 ただ、仮に宿屋を狙うという推測が的をていたとしても、アイラのような例もある。

 未だ謎が多いのが淫魔という存在だ。俺の価値観による推測がどの程度通用するかは不明──宿屋どうのといってもあまり期待はしないほうがいいだろう。


 しかしハリエットに否やはないらしい。「じゃあ行ってみよう」


「んー」







 建物の影に身を隠して3軒の宿屋を見張る。


「……」「……」


 携帯用の時計は実用化されているが、一辺10センチの立方体で持ち運びにはそれほど適していない。

 要は、今回は持ってきていないのでどのくらい監視を続けているかを正確に把握することはできない。

 

 そうして曖昧な時間を暗い寒空の下で過ごしていると、唐突にそれが視界に入り込んできた。


「ノア君」ハリエットが声を潜めて注意を促した。


「分かってる」


 黒いものが宿屋の周りを飛んでいる。

 一見、ただの蝙蝠のようだが、よくよく感覚を研ぎ澄ますと人間の魔法使い以上に濃密な魔力を内包しているのが分かる。完全に黒だ。


 さて、俺には飛行中の蝙蝠を捕まえ、又は攻撃する手段は原則的にはない。

 しかし、だ。


「行ける?」ハリエットに問う。


「あのくらいの高さなら」視線は忙しく飛び回る蝙蝠を確実に追っている。「余裕だよ」


 ハリエット・ストラット(21)。頭も悪いし言動もアレだが、バトル漫画でも通用するあり得ない身体能力を前提にした野性的な剣を振るう強者つわものである。


「なるべく生け捕りにしたい」


 言葉が通じるなら自白が欲しい。

 人間社会の法においては魔族に保護されるべき法益は一切ないが、アイラの扱いを決めるに当たり、真犯人の自白はあったほうが当然いい。

 単に殺すよりも難しい注文だとは思うけど、ハリエットならできると信じられる。


 無言で頷いたハリエットが跳ぶ。文字どおり一足跳び・・で蝙蝠との距離を半分ほど詰め、次いで宙へ跳躍。

 しかしここで気づかれたのか蝙蝠の挙動に不自然な乱れ。だが遅い。


「──!」ハリエットが覇気を纏い、80センチほどのロングソードを一閃。


 硬い石畳に衝撃。おそらくは剣の腹で叩き落としたのだろう。けれど──蝙蝠の魔力が急激に膨張。そして──。


 屋根に着地したハリエットが、一瞬で俺の横に戻る。「あれが淫魔……」


「多分ね」


 蝙蝠形態が解かれて出現したのは褐色の人型魔族。頭部には小さな角、背中には黒い羽。これらの要素は日本人だったころにイメージした悪魔の姿と大きくは違わない。

 では相違点は何かというと、まず顔つきだ。一見して性別不明の極めて中性的な顔なのだ。強いて人間で例えるならば男装の麗人といったところか。

 また、身体的な特徴もどっちつかずだ。薄着ではあるが、胸の膨らみは確認できない。それなら男性が近いのかと思えば、腰から骨盤のラインには女性らしさがある。


 そんな淫魔が、見た目どおりの、男とも女とも取れる声で言う。「冒険者か、それとも兵士か」淫魔の魔力は針のごとき鋭さを帯びている。


 隠す理由はない。「裁判官です」


「……は?」淫魔が場違いな声音で困惑を洩らした。


「だから裁判官だってば」


「なぜ文官が出張っているんだ」


「なぜって仕事だからですよ」


「……人間は分からない」お互い様なことを口にした。「一応訊くが、お前らの目的はなんだ」


 こうして会話をしている間も油断なく観察しているつもりだが、隙は見受けられない。もしかしたら戦闘向きの個体なのかもしれない。


「目的は貴方の逮捕ですよ」ちょっとした意趣返しをしよう。「一応訊きますが、大人しくお縄につく気はないですか?」


 淫魔が嗤い、その濃密な魔力を鞭状へと変化させる。淫魔から伸びた10本ほどの長い鞭が蛇のようにうごめいている。確かな存在感は魔力が物質化した証左だろう。


 ハリエットが一歩前に出る。「ノア君、下がってて」


「悪いな」素直に任せる。


 不意に淫魔から表情が抜け落ち、重い殺意が場に充満していく。そしてそれが言葉となり放たれた。


 ──死ね。


 全ての鞭が殺到するが──。


「甘い!」ハリエットが気炎を吐き、全ての鞭を切り伏せる。俺の動体視力では完全には捉えられない。


「!?」ハリエットを過小評価していたのか淫魔が驚愕する。「これで裁判官だと? 信じられない……」


 それは勘違いである。


「クライトン伯爵領をナめないでよね!」しかしハリエットにそれを訂正する気はないらしい。


「ちっ」舌打ちしつつも追い詰められた生物の趣はない。「──!」更に魔力が噴出。10本、20本……と鞭が形成されていく。


 10本で駄目ならもっと増やせばいいということだろう。単純だが、それゆえに効果的だ。加えて、1本1本に通常の人間ではあり得ない量の魔力が込められている。

 外形上、もはや鞭ではなく触手のようだ。


 ハリエットの小さな背に動揺は見られない。しかし数と質を兼ね備えた害意の塊が相手では楽勝とはいかないはずだ。


 やむを得ないな。


 出し惜しみして死んでしまっては本末転倒。魔力を練り上げ、厄介な例外切り札を使おうとし──。


「ダメだよ」ハリエットがこちらを振り返らずに言った。叱るように、懇願するように。「私を信じて」


「……分かった」しかし魔力の準備だけはしておく。


「勝つから安心して」そして華奢な輪郭がブレる。


 何かが動いたかと思ったら、すでに触手が切り飛ばされている。そんな怪現象が恐ろしい速さで繰り返されていく。

 しかし淫魔もただされるがままではない。おそらくは見えているのだろう、周囲に展開されている触手を異常な速度で収束させ、ハリエットのロングソードを阻止──則ち刹那の停滞。即座に触手を仕掛ける。

 だが、ハリエットは屋根や壁をも足場にした三次元的な挙動で危なげなく回避。


「……」


 何回見ても理解不能な身のこなしだ。

  

 ハリエットの身体能力は〈スキル〉と呼ばれる特殊能力に支えられている。この世界のスキルは〈その所有、名称及び内容を自ずから・・・・認識できる技、魔法その他の特殊能力〉と定義される。

 スキルがなくても似たようなことができるケースもあるが、スキルを使ったほうが安定するし、性能も上がる。

 

 ハリエットの持つ〈この身は誰かのために〉という名のスキルは、守護する対象が近くにいるとき限定で身体能力を大幅に上昇させるものだ。

 曰く、守護対象との物理的な距離が近ければ近いほど強くなるらしい。何か他にも条件や効果がありそうな感じだったが、他人のスキル、特に戦闘職のそれを根掘り葉掘り訊くのはマナー違反だ。だから詳細までは俺も知らない。


 宿屋のお客さんが夜に響く戦闘音に窓からチラリと顔を覗かせた。「!?」驚愕。すぐにカーテンが閉められた。


 夜中に申し訳ない、と考えたところでハリエットから溢れ出ている圧が増す。気やオーラなどといった異能は存在しないはずだけど、今のハリエットからは爆炎のような何かを感じる。

 

 勝負に出るつもりか。


 またハリエットが消え、時折現れ、また消える。不規則なタイミングで停止を入れることで緩急をつけているのだろう。あるいはフェイトも交えているのかもしれない。

 

 巧く認識のズレを誘発できればいいが……。


「ちょこまかと……!」淫魔が鬱陶しげに悪態をつく。


 防御用の触手の塊が淫魔の左手側に作られる。が──ハリエットはそこにはいない。


「!?」


「──っ!」淫魔の背後を取ったハリエットが、上段から剣を振り下ろす──。


「マジか……」思わず呟いてしまった。


 淫魔の身体を覆う魔力の膜が出現し、ハリエットの渾身の一刀を弾いたのだ。


「ふん」淫魔がハリエットへ冷めた目を向ける。「やはり私の魔膜ままくは貫けないか」


 ハリエットが俺の側に戻る。「はぁ、はぁ、はぁ……」息が乱れている。


 スキルによるサポートがあるとはいっても疲れないわけではない。しくは、そもそもスタミナの消費スピードも増加するタイプなのかもしれない。

 いずれにしろこれ以上は無理をさせられない。俺が──。


「まだやれるよ」ちょっと驚いただけ、とハリエットが明らかな強がりを不器用に言葉にした。


 ……そうだな。そこまで言うならあと少しだけ任せてみよう。


 練り上げておいた魔力で、ハリエットの、ハリエットのように真っ直ぐな剣を包み込む。


「!」


 ──〈法令魔法・事情判決の法理〉。


 俺の魔法が発動し、剣が白と黒のストライプ模様に変化する。

 ハリエットが安心したように一瞬弛緩し、しかしすぐに構え直す。


「なんだそれは」淫魔でも見たことがないらしい。警戒しているように見える。


「裁判官の相棒ですかね」


 言った後に、現場でこんな危ないことをするのは裁判官の仕事じゃないよな、と前世の感覚が湧いてきたけど訂正はしない。なんかカッコ悪いし。


「ヤバそうなら俺がやるからな」ハリエットに言い聞かせる。


 しかし「大丈夫」と拒否されてしまった。まだ呼吸は荒い。


 言いたいことはなくはないけど、「頼んだ」とだけ。


 ひらひらと白く冷たい花びらが舞い、じりじりと場の戦意が高まり──。


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