一切衆生の救済
背に壁があるからか太陽の照り返しがきつい。いわゆる袋小路というやつだ。
眼前に立つのは動きやすいように短パンのような意匠になっている和装の女。
両手で握る刀の刃文が妖しく光る。
幾重にも束ねられた玉鋼が映すのは切り傷だらけで必死に睨む俺の姿だった。
「興味はない。恨みはない。傷つけたくはない。しかし、主上は仰った。魔を滅せよと。故に私は貴様を斬ろう」
女は冷たくそういい放つ。
腹が立つことに瞳には憐憫や諦観が宿っていた。この女は命のやり取りのなかでも他人を憐れむ余裕があるらしい。そして、俺はそんな余裕を持つことができない弱者であった。
「女、お前の名前は知らない。しかし、少し話をしてもいいだろうか」
出血によって遠のきそうな意識を必死にとどめながら、少しでも時間を稼ぐために口を動かす。
「女ではない、メメだ。榊原メメ……いや、主上は妄りに私の名を語るなと仰られた。私は女だ。ただの名もなき女」
どうやらメメと名乗る女は戦闘能力に特化しすぎたせいで、知性を置き去りにしているようだった。
絶望的であった俺の生存にも活路が見いだせた気がした。
「わかった、ただの女。どうしてお前は俺を狙うんだ」
「先ほどもいったが主上が魔を滅せよと仰られたからだ。貴様からは怪異の気が溢れている。もしかしたら怪異に魅入られただけの弱者なのやも知れん。しかし、そんなものは関係ない。私は滅私奉公するだけだ」
御大層なことだった。
いくつかの言い訳を考えていた。しかし、全て徒労に終わりそうだと思った。だから俺は最後の手段に出ることにした。
「後生だ……俺の今までを語らせてはくれないか」
「ほう……」
俺の言葉に反応してか女は刀の鯉口を閉じた。
その反応を見て俺は非常に安堵していた。
怪異は一般市民にとっては未知の塊で軽く人生を弄んでくる天災だ。弱者にとっては震えて過ぎ去るのを待つしかない。
しかし、そんな怪異を狩る強者が存在する。退魔師と呼ばれる連中だ。
退魔師は姿形は問わず怪異に対抗する手段をもつものを指す。そして一般市民でも知名度のある退魔師は「アズマカガミ」と呼ばれる組織である。
風の噂では古来より影から人を守ってきたとされているが真実は定かではない。
その定かではない話の1つに、アズマカガミの退魔師は「怪異の後生」を聞くというものがあった。
日本に発生する怪異の多くは、未練や後悔を抱いて死んだものが由来となることが多いなどと言われており、後生を聞くことでその未練を祓い、再び怪異に身をやつすことを防ぐだとかいっていた気がする。
所詮噂話でしかないと過去の俺は鼻で笑っていたが、こうして役に立つことがあり噂話もバカにならないと考えを改めていた。
「アズマカガミの退魔師は後生など抱かせる前に滅する。そんなもの、今は昔の言い伝えでしかないぞ」
「えっ!? じゃあ無理じゃん」
無理じゃん。
そう思っていると、女はカラッとした気持ちの良い笑顔を浮かべた。
「しかし、衆生の悔恨を聞き入れるのもまた、愛染の宿業と言えよう。その後生、私が聞き入れてやる」
そういって榊原メメは獅子のような獰猛な笑みをもって俺に話を促してくる。
彼女の語る言葉の一欠片も理解は出来なかった。しかし、この命を繋ぎ止めることに成功したことだけは理解した。
「おお……っっ!! おお……っっ!!」
「あぁ、生まれてから俺は奪われ続けてきた。ついに怪異が人生まで奪ってきた。それから俺は死ねないんだ」
身の上を語るとメメは感涙を流していた。もはや、慟哭とさえ言えるほどの激しいものだった。
「そうか、そうか……貴様は、そこまで奪われ続けてきた、悲しき憐れむべき宿業を背負ったものであったのだな」
「あぁ、わかってくれたか!」
「では、貴様の未練も無くなったということだ。一切合切切り捨ててしまおうか」
そういってメメはカチリ、と鯉口を切る。
「うわぁぁぁぁ、未練が駆け足でやって来たぁぁぁ! このまま斬られたらこの世全てを憎んでも憎み足りないほどの亡霊になってしまうという確信が俺にはあるなぁぁぁ」
「なんだ、まだあるのではないか。疾く吐き出して私に貴様を斬らせてくれ」
そういってメメは再び鯉口を閉じた。
俺は恐ろしさのあまり、震えが止まらない。先程までの涙は嘘だったのではないかとさえ思う。
しかし、ウソではないのだろう。メメは本当に共感し、心から泣いていた。
けれど、それはそれ。これはこれ。
斬らない理由がなくなったのであれば斬る。それだけだ。
義理や人情を理解していないのではない。理解しているがそれによって自分の行動が左右されないだけだ。諸行無常というやつだろう。
「実を言うと刀を用いて攻撃が当たったのは貴様が初めてなのだ。刀で怪異を撫でるという経験をしたくて私はウズウズしている。だから、疾く、疾く貴様の未練を吐き出してくれ」
最悪だ。
興味はないだとか、恨みはないないだとか、滅私奉公だとかのたまいながら目の前の女は私利私欲のために俺を斬ろうとしているのだ。こんな理不尽があっていいものだろうか。
「お前たちはいつもそうだ」
そうだ、俺は今腹が立ってしょうがないんだ。
「強者であることを笠に着て、いつだって弱者から根こそぎ奪っていく」
メメと話をしてから、幾分かたった。
床に落ちて紙の箱からぶちまけられたケーキは太陽によってどろどろに溶けている。
片膝をついて、残骸をすくうが瞬く間に指の間から零れ落ちていく。す
「明日は後輩の誕生日だ。一番無愛想で職場で浮いている俺に話しかけてくる、バカで間抜けなお人好しだ」
『周りの言葉ではなく、自分が感じ取ったもので信じたいものだけが私にとっての重要な事柄なので』
そういって、他のやつの言葉に目もくれず、俺にばかり話しかけてくる。
「お前らは! この世界は! 俺が感謝したいっていう気持ちさえ容赦なく奪うっていうのかよ!!!」
後輩と一緒に帰って2日目の日に1週間後が誕生日であるということを言われ、行列ができる店のケーキが食べたいなどという理不尽をまくし立ててきた。
毎日のように並んで売り切れを繰り返し、今日やっとの思いで買えた。
だというのにその努力を奪われた。
あざ嗤うように貪られた。
痛くて、苦しくて、切なくて、もうどうしようもなく泣きたかった。
どうやらこの世界は、俺が誰かを思うことも許さず、ただ世界を憎むだけの機械になるよう強制しているようだった。
先程までの生への執着も、多分後輩への罪悪感だったのだろうと思った。
誰かを憎まなければならないこの境遇を口に出してしまえば、驚くほど心は軽くなった。
だから、もう踏ん切りさえついた。
「あぁ、もう未練はないよ。榊原メメ、早く斬ってくれ。せめて痛くないようにな」
せめてもと思い、俺はメメに笑顔で謝意を伝えた。
「がッッ!?」
その瞬間に視界が暗くなる。そして、頭蓋がミシミシと音を立てはじめた。
たちまちに理解する。
「なんだ、その態度は」
こいつに、榊原メメに顔面を捕まれている。
「やはり、主上が仰ることは常に真であり、信である」
「ぐっ……がっ……!」
「魔を滅せよ、とは本当にそうだ。名も知らぬ男よ。貴様は自分のことを無辜の民だと思い上がっているだけだ。どうして、守らなかった。なぜ、それは不道徳であると親類を糾弾しなかった。それは貴様のうちにある甘えがあったからだ。弱者である自分に罪はなく、貪る強者が悪であるという理を唱え周りに吹聴することで、なにも努力をせず、ただその場に甘んじる己を是とした貴様の甘えだ」
その膂力は女の、いや人間のそれではない。しかし、俺は生きている。その事実がこいつは説法のためにあえて力をおさえているのだとはっきりとわかる。
「強者は悪である。それは正しい。しかし貴様らは悪というものの真意を解しておらん」
眼光鋭く、それは魔を滅するものではなく悪鬼羅刹そのものであるかのようにも感じる。
「本来、悪とは強き者のことだ。ヤマトの傘下に入らずとも権力を誇示できるものにヤマトが名付けた蔑称である。我ら強者は弱者より全てを貪る悪党である。それは間違いない」
特に悪びれもせず、メメはそう吐き捨てる。
「しかし、貴様らのような甘えを持って生きているものは咎人ぞ」
そこには、先程までからは想像できないほどの怒りがあった。
「生まれ出でてより溢れ出る煩悩と向き合い、平等なれど不公平なこの世界の中で、必死に己の意義を見つけ居場所を作り、救いを求めず懸命に過ごすものを無辜の民というのだ」
違う。
違う。
それを俺たちは強者と呼ぶんだ。強者が語る理論で弱者を弾くな。
「救われることを当然として足掻くことを諦めたものは罪人である。役を働くよりない。貪られれることもまた罪人の役であるのだ」
そこにはメメの怒りがあった。
義憤であった。
強者が謳う理想の弱者の在り方。
しかし、実際そうでない理想と現実の弱者の差異に対する怒りのようにも見受けられた。
「それをあまつさえ、自分は無辜の民であるのに奪われてばかりであると嘯く、貴様は間違いなく魔だ。魔が差している。紛い物である。滅すべき煩悩そのものである。故に私が滅するのだ。一切衆生の救済のために貴様のような魔が居てはならんのだ」
対抗する牙をもがれ、抵抗する気位を奪われ、糾弾する弁舌を抜き取られたとしても、残された全てを持ってして、必死に足掻けとメメは言うのだ。
「ぐぐッ……ぐッ!」
そんな道理は認められなかった。それを認めてしまえば、俺が生きてきた今までは全てが無意味で無価値であり、罪であったということになってしまう。
違う。違う。違う。
この憎悪は、憤怒は、悲しみは、羨望は、決して罪などではない。
人が持つべき感情である。
この誰しもが持つ感情を訴えることもまた抵抗であると言えるではないか。死にたいと請う言葉も、許せないと吐き出す怨嗟も、悲しいと奏でるメロディーも古来より幾千も存在してきている。その感情も訴えて共感することで、誰かの力になることは違いないのだ。
正しいだけではこの世界が回るわけがない。この世界を支えているのは常に弱者だ。メメが咎人と呼称する弱者たちだ。
俺は必死に抵抗を続け、声を出せるほどには拘束から逃れる。
「正しさとは! 愚かさとは!」
問答である。
「正しさとは愛することなり。愛する者は全てに抗うものたちである。四肢をもがれ、喉をつぶされ、臓腑をつぶされても己の信のため、真を求道するものぞ」
俺の発言にメメは答える。
「愚かさとは愛を欲するものなり。愛とは与えられるものにあたわず。信を持ち、他者に施し見返りを求めぬもののみ手にいれるものである。その真意を解さず、ただ請うだけのものを愚か者と呼ぶ」
「違う! 違う! 違う!!!」
やはりと納得する。メメは現代というものを理解していない。
「正しさとは押し付けでしかない! 誰かにとっての正義は誰かにとっての間違いだ! そこに真実なんかない!」
「愚かさとは慰めだ。共感だ。間違いであることを自覚した上で、自分の信念を貫く尊いものの一つだ! バカにされて揶揄されることはあっても罰を与えられるものなんかじゃ決してない! 愚かさとは罪なんかじゃない、絶対に!!!」
息が苦しいだとか、掴まれているとだとか関係ない。ただ、俺は目の前の女を言葉を否定しなければいけない。俺が俺であるためにはそれは絶対に必要であると思った。
「なるほど……貴様の言葉にも道理が通っている」
メメの言葉に俺は驚いてしまう。絶対に聞き入れることはないと思っていたから。
「だが、1つだけ言えることがある」
メメは微笑んだ。今までの口調からは想像もできないほどの慈愛に満ちた笑みであった。そして、目の前の女がとても整った容姿である女であると、改めて認識できた。
「弱者は道理を通すこともできぬ。故に弱者である」
その笑みはすぐに搔き消え、ただ無表情で拳を振りかざした。
感情など入り込む余地のないただただ、恐ろしいほど冷酷無比な行動に俺は目を閉じた。
ドスンという鈍い衝動が走る。だが、俺に苦痛はなかった。
何がおこったか確認するために目を開けると、俺の真隣にある壁が粉砕されていた。そして、拳の先にはわずかばかりの霞があった。
俺はその正体をしっている。怪異の残滓である。
つまり、俺の隣に怪異が忍び寄っていたのだ。
メメは呵々と大笑を上げていた。
「今の問答より、貴様の真が垣間見えた。そして信を得たぞ。貴様は怪異にあらず、化生の類にあらず。人である。釈迦に代わり我らが救済せねばならぬ衆生の類である。しかし、魔性に魅入られている。それも間違いない。故に貴様は私が滅することで救済しよう」
獰猛な笑みを浮かべてメメは俺にそう語る。
「今は救済すべき時にあらず、主上が仰られた魔を滅さねばならん……時に男よ。名をなんという」
笑みを浮かべている。しかし、それは無言の圧力に等しかった。
「天津(あまつ) 美琴(みこと)」
「呵々、それはそれは……奪われて当然であったのかもな」
「どういうことだ」
訳が分からないが、こいつは何かを知っている。その確信だけはあった。
「……時に美琴よ。今ここで滅されるのと、私を食処に案内するのどちらがよいか」
目を逸らしながら、メメはそういうのだ。
なんとなく、わかった。
今のは言ってはいけない類だったのだろう。話を逸らそうとしているのかもしれない。
いくらなんでも話を逸らすのが下手すぎる。
「ファミレスでいいなら」
「ではそこに行こう!」
だが、俺も命は惜しいのだ。知識はあって困らないが知らないほうが幸せであることも事実だ。俺は真実より幸せの方が大切だった。
俺の人生は邪神に奪われた @mousoutouki
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