あの日静かなコヌトのひず぀で

Han Lu

🏀

 あの日。

 あの日、私たちは静かなコヌトにいた。

 たぶん、あの日は、䞖界䞭のほずんどの競技堎が、ピッチが、グラりンドが、トラックが、道堎が、そしおコヌトが、芳客の声揎もプレむダヌの姿もなく、ただひっそりず静たり返っおいたはずだ。

 あの誰もいないコヌトのこずを思い出すず、今でも胞のあたりがもやもやしお、居心地が悪いような、それでいお、そこに居続けなければならないような、䞍思議な感芚に陥っおしたう。

 今でもコヌトに立぀たびに、あの静かなコヌトのこずを思い出す。あの日以降、私が立぀すべおのコヌトは、あの日のコヌトに぀ながっおいる、そんな気がする。


「惜しかったですね、先茩」

 私は隣に座る高等郚䞀幎の氎沢先茩に話しかけた。

「んヌ」バスの窓から倖を眺めおいた先茩は、私の方を振り向いお銖を傟げた。「そう たあそうかもねヌ。ふふふ」

 二〇䞀八幎五月、党囜高等孊校総合䜓育倧䌚――通称むンタヌハむのバスケットボヌル県予遞が行われた。私がいた愛善孊園䞭等郚の女子バスケ郚は、県予遞の準決勝たで進んでいた高等郚女子バスケ郚の応揎に行った。残念ながら、結果は敗退。詊合埌、高等郚ず䞭等郚の郚員たちは孊校が甚意したバスで垰路に぀いた。

「あの、なんか今日、先茩ずっず笑っおたせん」

「んヌ そっかなヌ」

 そう蚀っおずがける氎沢先茩は、でもやっぱり笑っおいる。やばい。先茩の無敵モヌドだ。

 うちの孊校はスポヌツ匷豪校ずいうわけではなかったけど、私の二぀䞊の先茩たちは䞭等郚でかなりいい成瞟を残しおいた。特にスタメンの五人の実力はずば抜けおいた。圌女たちは、ザ・ファむブず呌ばれおいお、私たち埌茩の憧れの的だった。圌女たちは党員高等郚に進み、バスケ郚に入郚しおいた。

「あたしさ、ふふふ」氎沢先茩は口元を緩めた。「楜しみでしょうがないんだよね」

「そ、そうですか」

 氎沢先茩はザ・ファむブの䞀人、䞀番点を取る、ポむントガヌドだった。そしお、私の憧れであり、目暙でもある人だ。氎沢先茩は、匷敵を盞手にするず、笑う。盞手が匷ければ匷いほど、その顔はどんどんほころんでいく。そうなった先茩が、負けたこずはなかった。私たちはそうなった先茩を無敵モヌドず呌んでいた。

「来幎は私たち必ずスタメンに入る。そしたら、今日みたいなぞがい詊合はしない」

 思わず私はバスの䞭を芋枡した。幞いなこずに、詊合に出おいた二幎生ず䞉幎生は、疲れお寝おしたっおいるみたいだった。

「来幎、ず蚀いたいずころだけど、ただ薄い。だから」突然先茩はサむンを私の目の前に突き出した。「二幎埌。あたしたち、党囜に行く」

 たるで近所の公園に散歩に行く、みたいな口ぶりで、先茩は告げた。

 私はうなずいた。「たぶん、先茩たちなら行けるず思いたす」

「なに人ごずみたいなこずぬかしおんの。あんたも䞀緒にコヌトに立぀のよ」

「え、でも  」

「二幎埌、あんたは高䞀、あたしは高䞉。䞀緒のコヌトに立おるよ」

「でも、䞀幎生だし」

「倧䞈倫。来幎からは、今みたいに、二幎生以䞊じゃないず詊合に出れないっおいう郚の䜓質は倉えおく。もう先生ずも盞談枈み。実力があれば、䞀幎生でもがんがん䜿う。芚悟しずきなよ」

「は、はい」

「あんたのスりィヌプスりェむはさ、ほんずすごいよ、ふふふ」先茩はさらに口角を䞊げた。その目はぎらぎらしおいた。「あたしたち五人の唯䞀の匱点は、ロングレンゞのシュヌトの成功率がそれほど高くないっおこず。だから、ここぞっおいうずき、あんたのスリヌポむントは匷力な歊噚になる」

「あ、ありがずうございたす」

 私はどぎたぎしお、䞋を向いた。

「それにさ、あんたのスリヌはきれいなんだよ。䜓幹がいいからブレない、だから正確。惚れ惚れするくらいきれいな動きをしおる。ふふふ。正盎、今の䞭等郚で党囜は厳しいず思う。でも、私たちずならやれる。党囜の倧舞台でさ、たくさんの人に、なっちゃんのスりィヌプスりェむを芋せおやりたいんだ、あたしは。ふふふ」

 氎沢先茩はこぶしを突き出した。

「䞀緒に党囜行こうな、なっちゃん」

「はい」

 私はこぶしを先茩のこぶしにトン、ず圓おた。


 翌幎、二幎生になった氎沢先茩たちザ・ファむブがスタメンになっお、高等郚の女子バスケ郚は栌段に匷くなった。䞭等郚女子バスケ郚の郚員は、時間が合えば高等郚の詊合を必ず芋に行った。私たちはいずれザ・ファむブず同じコヌトに立぀こずを想像しお、詊合を芋た。自分だったらどんな動きをするか。詊合埌はみんなでシミュレヌションを行った。高等郚ず䞭等郚ずの合同緎習も頻繁に行われた。䞭等郚の実力も埐々に䞊がっおいった。私たちは䞀歩䞀歩確実に前に進んでいる。そんな実感があった。

 それでも、党囜の壁は高かった。二〇䞀九幎の党䞭――党囜䞭孊校バスケットボヌル倧䌚では県予遞の決勝たで進んだけど、そこで敗退。高等郚は、むンタヌハむ県予遞の決勝で敗退、りィンタヌカップは県予遞を突砎し、地区予遞たで進むも、準決勝で惜しくも敗れた。もうあず䞀歩。みんなそう思っおいた。党囜の壁は確かに高いけど、でも、決しお越えられないものじゃない。もうあず䞀歩で越えられる。みんなそう思っおいた。


 でも、䞖の䞭には、決しお越えられない壁が、突劂ずしお立ちはだかるこずがある。私たちはそれを身をもっお知らされた。

 二〇二〇幎春、新型コロナりィルスの圱響で、私の高校生掻は開始早々無茶苊茶になった。䞭等郚の郚員たちは党員高等郚のバスケ郚に入郚したけど、䌑校が続いお、郚掻どころではなくなった。運動をする者にずっお、䜓を動かせないこずは、すなわち自滅を意味する。ずにかくみんな、自宅でできるこずをやった。ネットでトレヌニングの方法を怜玢しお、で共有した。

 いちばんやっかいだったのは、出口が芋えなかったこずだ。い぀孊校は再開されるのか。い぀本栌的な緎習を再開できるのか。孊校に行けたずしお、マスクをしお、䞉密を避けお、どんな緎習ができるのか。公匏詊合はどうなるのか。誰にも分らなかった。

 そしお、恐れおいたこずが珟実ずなった。

 二〇二〇幎四月二十䞃日、むンタヌハむの䞭止が決定されたこずが、党囜高等孊校䜓育連盟から発衚された。

 私はその知らせを郚掻ので知った。孊校はただ䌑校䞭だった。

 ――残念だけど。

 顧問の先生からのメッセヌゞにはそう曞かれおいた。もちろん、そう蚀われお、はいそうですかず玍埗できるわけがない。私たちは話し合っお、郚長ず、副郚長の氎沢先茩、それに二幎生ず䞀幎生から䞀人ず぀、蚈四名が盎接先生ず話をしに行くこずになった。䞀幎生の代衚は私になった。

 登校するのは問題があったから、孊校の近くの公園で集たった。結局、先生にも詳しいこずは把握できおいなくお、連盟からの通達内容以䞊のこずは分からなかった。

「なんずかならないんですか、先生」普段は冷静な郚長が珍しく感情的になっお、先生に詰め寄った。「少し延期するずか、そういうの、お願いできないんでしょうか」

「たぶん難しいだろうけど」先生は腕を組んだ。い぀もきっちりず結ばれおいる髪がほ぀れおいる。「知り合いを通じお、連盟の人ず話ができるかどうかやっおみる。ずにかく今は、できるこずをやりたしょう」

 先生の蚀葉に、私たちはうなずくしかなかった。でも、郚長は玍埗できない衚情で、歯を食いしばるようにしお、う぀むいおいた。

「あの」二幎生の先茩が口を開いた。「むンタヌハむはダメでも、りィンタヌカップは」

 高校バスケットボヌルの党囜倧䌚は二぀ある。倏のむンタヌハむず、冬のりィンタヌカップ。どちらも党囜から勝ち䞊がっおきたチヌムが激突する倧舞台だ。

「今のずころ、りィンタヌカップの䞭止が怜蚎されおいるずいう話は聞いおない」先生が蚀った。「予定通り準備は進められおるみたい」

 私は胞をなでおろした。その頃にはさすがに鎮静化しおいるだろうず思った。

「それじゃ、だめなんだよ」

 喉の奥から絞り出すようにしお攟たれた郚長の蚀葉が、私の耳に入った。

 どういうこずだろう。疑問に思ったけど、なんずなく聞きにくくお、私は、氎沢先茩に話しかけた。

「たぶん倧䞈倫ですよね、先茩」

「ああ、うん」

 氎沢先茩のその歯切れの悪い返事に、私は思わず先茩の顔を芗き蟌んだ。久しぶりに芋た先茩は、少しや぀れおいるように芋えた。

 結局、これたで通り、各自できるこずをやりながら、情報共有を続けおいくこずを確認しお、お開きずなった。

「なっちゃん」垰り際、氎沢先茩が私にそっず声をかけた。「ちょっず寄り道しお行かない」


 高等郚の䜓育通倉庫の窓のひず぀は鍵の郚分が壊れおいお、ちょっずした工倫で倖偎から開けるこずができた。これは䜓育通を䜿う運動郚の郚員なら誰でも知っおいるこずだった。

「倧䞈倫ですか」窓枠をたたごうずしおいる氎沢先茩の背䞭に向かっお私は蚀った。「ばれたらダバいんじゃ」

「たあ、そんずきはそんずきだ」先茩はふふふ、ず笑った。「久しぶりに打ちたいでしょ、シュヌト」

 思わず私はうなずいおいた。

 制服を着たたた、私たちはしばらく、パスやシュヌトを軜くやった。バッシュを履いおなかったから激しい動きはできなかったけど、あきらかに䜓がなたっおいた。マスク越しの呌吞も思った以䞊に苊しい。

「これはやばいね」先茩も同じこずを感じたみたいだ。「想像以䞊に感芚が鈍くなっおる」

「やばいっすね」私は蚀った。「䜓も重いです。先茩、先生ずみんなに知らせた方がよくないですか」

「そうだね」

「緎習メニュヌも考え盎さないず」

「うん。あのさ、なっちゃん」氎沢先茩がボヌルを床に眮いた。「ちょっず聞いおほしいこずがあるんだ」

「はい」私はゆっくりずドリブルをしながら答えた。

「りィンタヌカップ、あたしは出ない」

「え」私はドリブルをやめお、ボヌルを持った。「出ないっお、どういうこずですか」

「むンタヌハむが終わったら、匕退する぀もりだった。䞭止になっちゃったから、タむミングが分かんなくなっちゃったけど、たぶん、倏たでに匕退する」

 先茩が䜕を蚀っおいるのか、分からなかった。確かに、むンタヌハむで匕退する䞉幎生は倚い。䞉幎生は受隓があるから、それが䞀般的なスタンスだった。でも、ザ・ファむブの先茩たちはみんなりィンタヌカップの予遞がある十月たで続ける、そう蚀っおいたはずだ。

「でも」私は先茩たちの䌚話を思い出しおいた。「でも、蚀っおたじゃないですか。先茩たち十月たでは続ける、みんな掚薊狙いだから進路が決たればその埌もっお」

「私が頌んだんだ、あい぀らに。私もそういうこずにしおおいおくれっお。むンタヌハむが終わったら、みんなに本圓のこずを蚀う぀もりだった」

「本圓のこず」

「私の家、めっちゃ厳しくおさ。しかも困ったこずに頭のいい奎ばっかで、私もいい倧孊に行かなきゃいけないこずになっおるんだよね。小さいころからずっずそう蚀われ続けおきたんだよ。だから私だけセンタヌ詊隓受ける」

 確かに氎沢先茩は頭もよくお、い぀もテストの成瞟は䞊䜍だった。

「高校でバスケを続けるこずも、実は反察されおたんだ。ずにかく少しでも成瞟が萜ちたら、バスケはやめる。そう蚀っおこれたで芪を玍埗させおきた。でも、秋たでは無理だ。いくら私でも、受隓勉匷ずの䞡立はできない。それで匕退するこずにした」

「だから」私はボヌルを持぀手に力を蟌めた。「だから、なんなんですか」

「だから、私の分たでがんばっお――」

「やです」

「ええヌ」

「玄束したじゃないですか。やですよ。だっお、玄束したしたよね。䞀緒に党囜行こうっお。蚀いたしたよね、先茩」

「うん、蚀ったね」

「私、めっちゃ緎習したしたよ。スリヌなら私、同孊幎の誰にも負ける気はしたせん。あの垞勝城北の束山、あの超ムカ぀くゎリラ女にだっお、私、スリヌなら負けたせんよ。だから――」

 先茩はくくく、ず笑い始めた。

「ちょ、なに笑っおるんですか」

「だっお、なっちゃん、口悪い」

「な」私は叫んだ。「なに蚀っおんですか」

「ごめんね、なっちゃん」先茩は、ぜん、ず私の頭に手をのせた。「ごめん。でも、私がいなくおも、倧䞈倫だよ。今のみんななら、行けるよ、党囜」

 これたで先茩がどれだけ緎習しおきたか、そしおどれだけ勉匷しおきたか、私はそのすべおを知らないけど、たぶん私の想像を軜く超えるくらい、先茩は努力しおきたはずだ。 

「実はさ、本圓は二幎で郚掻は匕退しろっお蚀われおたんだ」先茩の手がそっず私の頭から離れた。「もしも二幎のりィンタヌカップで地区予遞たで進めたら、䞉幎のむンタヌハむたでは続けおもいい。なんずかそれだけは玄束を取り付けるこずができた」

 知っおる。本圓は私に先茩を責める暩利なんおないこずも、バスケを続けおほしいなんお、私のわがたたでしかないこずも、知っおる。

「静かだね」

 先茩はそう蚀っお、誰もいないコヌトを芋枡した。

 倩窓から入っおくる午埌の日差しが、䜓育通の床を明るく照らしおいる。

「ありがずね、なっちゃん」先茩は私のほうを振り向いお、ほほ笑んだ。「今たで、楜しかったよ」

 私はただう぀むいお、銖を振るこずしかできなかった。

「なっちゃん」

 先茩の声に、はっず、顔を䞊げるず、パスが飛んできた。

 反射的に、私はボヌルをキャッチする。持っおいたボヌルが足元に萜ちお、ずずずん、ずずずん、ず転がっおいく。

「あんたのスりィヌプスりェむ、芋せおよ」

 私は自分の䜓を芋䞋ろす。ナニフォヌムじゃなくお、バッシュじゃなくお、制服を着お、マスクを付けお、゜ックスを履いおいる、私の姿を。

「嫌です」私は先茩を芋た。「私が先茩に、私のシュヌトを芋せるのは、こんな静かなコヌトじゃなくお、党囜――いや、䞖界を舞台にしたコヌトの䞊で、です」

 先茩はちょっず驚いた顔をしお、それから、ふふふ、ず笑っお蚀った。

「いいね、それ。そい぀は楜しみだ」


 そのあず、どういうふうに先茩ず別れたのか、どうやっお家に垰っおきたのか芚えおない。気が付いたら玄関のドアを開けおいた、そんな感じだった。

「よお、バスケ少女」

 スニヌカヌを脱いでいるず、背埌から声をかけられた。

「最兄ちゃん」振り返るず、姉の圌氏が立っおいた。「来おたんだ」

「ああ。お前の姉ちゃん、人䜿い荒すぎ。リモヌト授業のセッティング手䌝っおくれっお蚀うから来おみたら、なんかいろいろやらされお――」最兄ちゃんは、私の衚情を芋お口調を倉えた。「どうした、なんかあったのか」

「むンタヌハむ、䞭止になった」

 最兄ちゃんはズボンのポケットからスマホを取り出すず、怜玢を始めた。

「たじか」

「最ちゃヌん、セッティング終わったから、芋おみおヌ」廊䞋に出おきた姉が私に気づいた。「あ、なっちゃん、お垰りヌ」

 最兄ちゃんがスマホの画面を姉に芋せた。

「たじで」

 姉が私を芋た。私はうなずくしかなかった。

「りィンタヌカップは」

 姉の蚀葉に、最兄ちゃんがスマホを怜玢しながら答えた。

「特に出おないな」

「先生は予定通りやるみたいだっお」私は蚀った。「でも、氎沢先茩が倏たでで匕退するっお」

 姉ず最兄ちゃんが顔を芋合わせた。

「氎沢先茩っお」最兄ちゃんが蚀った。「あの、倩才氎沢環か」

「うん」

 最兄ちゃんも高校たでバスケ郚で、私がバスケを始めたのも、近所で幌銎染の最兄ちゃんの圱響だった。

「なっちゃんは氎沢先茩ず詊合に出るこずが目暙だったもんね」

 姉の蚀葉に、最兄ちゃんはうなずいた。

「そっか。俺で協力できるこずがあったら蚀っおくれ。ずりあえず、知り合いのトレヌナヌに、コロナ犍の効果的な緎習メニュヌ、聞いずいおやる」

「ありがずう、最兄ちゃん」


 あれから、二人で䜓育通に忍び蟌んだあの日から、氎沢先茩は郚のに参加しなくなった。そしお、倏䌑みに入る前日、先茩は退郚届を出しお、受理された。

 結局私は、氎沢先茩ず公匏戊の詊合で同じコヌトに立぀こずはなかった。

 二〇二〇幎、倏のむンタヌハむは䞭止になったけど、りィンタヌカップは予定通り行われた。そしお、私たちはなんず、党囜倧䌚たで進んだ。二幎前の氎沢先茩の予告通り、私たちは党囜に行ったのだ。党囜の舞台は、䞀蚀で蚀うず、怖かった。党囜レベルのすごさは想像以䞊で、私たちはずにかく圧倒されっぱなしだった。結果は䞀回戊敗退。

 詊合内容はひどかったけど、私たちにずっおその経隓はずおも埗難いものだった。東京䜓育通のコヌトに立おたこずは、私にずっお、倧切な経隓ずなった。

 それでもやっぱり、寂しかった。私たちはみんな、ザ・ファむブの残り四人でさえ、ガチガチに緊匵しおいたけど、たぶん氎沢先茩だったら、い぀も通り、ふふふっお笑うんだろうな、そう思った。

 幎が明けお、二〇二䞀幎。

 氎沢先茩は退郚しおから䞀床も郚に顔を出さなかった。卒業匏の日、私は遠くから氎沢先茩の姿を芋守るだけで、ずうずう䜕も話さないたた、先茩は卒業しおいった。

 私は高校二幎生になった。新型コロナりィルスの脅嚁は衰えるこずなく、緊急事態宣蚀ずたん延防止等重点措眮が亀互に発什されお、私たちはもういい加枛そんな状態にうんざりしおいた。

 䞀幎前は、たさかこんな状態が翌幎たで続き、しかも、さらに状況が悪化するこずになるなんお、若くお楜芳的な私たちは思いもしなかったし、オリンピックの開催に぀いおも、深く考えおいなかった。

 でも、心のどこかでずっず䜕かが匕っかかっおいた。

 二〇二䞀幎䞃月。私たちのむンタヌハむは終わった。私たち高等郚の女子バスケ郚は、地区倧䌚の二回戊で敗退した。

 ショックだったのは、二回戊敗退ずいう事実ではなくお、二回戊で負けおもそれほど悔しいず思っおいない自分に察しおだった。

 私の䞭で、バスケットボヌルに察する䜕かが倉わっおしたった。自分でもうたく説明できない閉塞感が、垞に付きたずっおいた。孊校はもう通垞通りで、マスクや消毒、換気以倖は、通垞の孊校生掻を送れおいた。でも、郚掻動は、緊急事態宣蚀が出るたびに制限されお、その内容もころころ倉わった。同じ県内なのに、孊校によっお察応が違っおいるのも、私たちをむラ぀かせた。開け攟たれた扉から䜓育通に入り蟌む砂を掃きながら、い぀たでこんなこずをしなくちゃいけないんだろう、こんなこずをしおいお䜕になるんだろうず、答えのない疑問が頭の䞭をぐるぐるず回っおいた。

 そんな私の気持ちをよそに、テレビを぀ければ、連日オリンピックのニュヌスばかりだった。新型コロナりィルスは、感染力の匷い倉異株が増えお感染者が急増しおいるのに、オリンピックの報道がその事実を片隅に远いやっおいるように、私には感じられた。

 むンタヌハむ予遞敗退埌も、私は惰性のように郚掻を続けおいた。今のたたじゃだめだ。そう思った私は、チヌムメむトたちず前から考えおいた緎習メニュヌの芋盎しをしようず、ノヌトパ゜コンを借りに、姉の郚屋に行った。

 倧孊生の姉は、もっぱら授業はリモヌトで、家にいるこずが倚かった。時間を持お䜙し気味らしくお、最近はばかりやっおいるみたいだった。

「いいよヌ」姉はベッドに寝転んでスマホをいじっおいた。「持っお行っお」

「なんか開いおるけど」パ゜コンの画面を芋お、私は蚀った。「閉じちゃっおいいの」

「うん、倧䞈倫。閉じちゃっお」

 どうやら姉は投皿サむトを芋おいたようだ。むンタヌネットのブラりザが立ち䞊がっおいお、サむトでのほかの人たちずのやりずりが曞かれおいた。

 その䞭の文章が私の泚意を匕いた。ある人からのメッセヌゞだった。「これ、䟋の五茪の件なんだけど、どう思う」ず曞かれた文字の䞋に、サむトのリンクが匵られおいる。私はそれをクリックした。新しいりィンドりが開いお、あるニュヌスの蚘事が珟れた。そこにはこう曞かれおいた。

『組織委参䞎の倏野剛氏 五茪巡る䞍公平感に「アホな囜民感情」』

 オリンピック組織委員䌚の偉い人が、むンタヌネット攟送局のテレビ番組に出挔しお、その発蚀が問題になっおいるみたいだった。

 私はその蚘事を読んだ。番組の䞭で、「オリンピックの競技の倚くが無芳客開催であるこずに぀いお、子䟛の運動䌚や発衚䌚が無芳客なのに五茪だけ芳客を入れたら䞍公平感が出おしたう」ずの発蚀があり、それに察しお、オリンピック組織委員䌚参䞎の倏野剛ずいう人が、こう発蚀しおいた。

「たぁ  これは、今幎、遞挙があるからずいう理由だけだず思いたすよ。さっきの宇䜐芋さんの蚀っおいるね、公平感  そんなク゜なね、ピアノの発衚䌚なんか、どうでもいいでしょう、五茪に比べれば。それを䞀緒にする、アホな囜民感情に、やっぱり今幎、遞挙があるから乗らざるを埗ないんですよ」

 この発蚀を読んだずき、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、氎沢先茩の顔だった。無敵モヌドのずきの䞍敵な顔じゃなくお、私に「ありがずね、なっちゃん」ず蚀ったずきの、少し寂しそうな、先茩の笑顔だった。

 この倏野っおいう人、誰なんだろう。

 私はネットで怜玢した。

 五茪組織委員䌚の参䞎で、慶応倧孊特別招聘教授。そしお、代衚取締圹瀟長だった。めっちゃ偉い人だった。

 そうか。私たちがやっおいたこずは、ク゜なこずだったのか。五茪に比べたら、どうでもいいこずだったのか。それを䞀緒にするのは、アホな感情なのか。

 ネットにはこうも曞かれおいた。は日本オリンピック委員䌚のオフィシャルサポヌタヌである。契玄カテゎリヌは「曞籍及び雑誌の出版サヌビス」である。

 私は姉のベッドの䞊に眮かれおいた東京五茪の公匏ガむドブックを取り䞊げた。

「ん どしたの、なっちゃん」姉が起き䞊がっお、机の䞊に眮かれおいるノヌトパ゜コンの画面を芗き蟌んだ。

 姉が、はっ、ず息をのむ声が聞こえた。

 公匏ガむドブックの裏には、倧きくの文字があった。

 私はガむドブックの背衚玙を二぀に裂いた。それから私はペヌゞを砎った。ビリビリず砎った。なん床もなん床もぐしゃぐしゃになるたでがろがろになるたでずたがろになるたで砎り続けた。

 そしお私は姉の郚屋を出お、スニヌカヌを履いお、倖に出た。


「どうした、バスケ少女」

 振り向くず、自転車に乗った最兄ちゃんがいた。

 私は近所の公園で、ブランコに腰かけおいた。昔は隣にバスケットゎヌルず小さなコヌトがあっお、最兄ちゃんずよくワン・オン・ワンをやった堎所だった。

「最兄ちゃん、仕事は」

「今日は圚宅勀務」

「それ、さがりじゃないの」

「人聞きの悪いこず蚀うな。もう就業時間は過ぎおんの」

「そっか」

「倧䞈倫か」最兄ちゃんは、私の隣のブランコに腰を䞋ろした。「なんか最近元気ないっお、姉ちゃんが心配しおたぞ」

「もしかしお、お姉ちゃんから連絡あった」

「ん」あいたいに、最兄ちゃんはうなずいた。「たあ」

「ごめん」

「気にすんな。お前のバスケ奜きに関しおは、俺にも責任があるからな」

 最兄ちゃんは、昔バスケットコヌトのあった小さな駐車堎を芋た。倏の長い日がようやく終わろうずしおいお、空は薄いオレンゞ色に染たり぀぀あった。

「ねえ、最兄ちゃん。䜕でダメだったの。オリンピックが無芳客でいいんなら、去幎のむンタヌハむだっお無芳客でできたじゃん。人の数だっお、オリンピックに比べたら、高校のむンタヌハむなんお、ほんのちょっずの人間じゃん。なんで私たちがダメで、オリンピックならいいの。そんなのおかしいよ」

 最兄ちゃんは、䜕も蚀わなかった。

「私たちがやっおきたこずは、ク゜なこずだったの 五茪に比べたら、どうでもいいこずだったの それを䞀緒にするのは、アホな感情なの」

 最兄ちゃんは、私のゞャヌゞの䞊着にくっ付いおいた玙切れを぀たんだ。玙は、私が砎いたオリンピックのガむドブックの衚玙で、のシンボルマヌクが描かれた郚分だった。

「なるほど」最兄ちゃんは、玙切れをぜい、ず捚おた。「あの最䜎な奎のコメントを読んだんだな」

 颚に乗っおひらひらず飛んでいく玙切れを私は芋おいた。

「あんな銬鹿な男の蚀っおいたこずなんお忘れろ」最兄ちゃんは蚀った。「倧䌁業の瀟長の発蚀ずしおは䞍適切極たりない暎蚀だし、以前からあい぀は極端な発蚀が倚かったからな。今の䞎党ず同じで、囜民をなめきっおいるんだから、しょうがない。瀟員たちはさぞ倧迷惑だろうよ。ただ、蚀い方に倧いに難ありだけど、ある意味では本質を぀いおいる」

「どういうこず」

「ある芋方においおは、お前たちがやっおいたこずも、ピアノの発衚䌚も、なんの䟡倀もないっおこずだ」

 私は最兄ちゃんの暪顔を芋た。最兄ちゃんはゞャングルゞムで遊んでいる子䟛たちを眺めおいた。

「子䟛のピアノの発衚䌚やお前たちのバスケの詊合で客が呌べるか お金を払っお芋に来おくれる人がどれくらいいる 五茪は事業だ。ビゞネスなんだよ。ビゞネスずいうこずは、お金が動くんだ。それも莫倧な金額のお金が動く。それは分かるか」

「それはたあ、䞀応」

「五茪事業に関連する䌁業も、それ以倖の䌁業も、ばくっず蚀うず、投資しお、それを回収するだけの売り䞊げを䞊げお、利益を䞊げなければならない。それは分かるか。お前のお父さんが勀めおる䌚瀟だっおそうだ。お金をかけお自動車を䜜っお、それに利益を加えお売っお、その利益で絊料が支払われる。その絊料でお前は孊校に行っお、ご飯を食べお、郚掻ができるんだ」

「それは、だいたい分かっおるよ」

「しかも、五茪は囜から倧きな予算が぀くし、倧きな利益が間違いなく芋蟌める。だから五茪事業に参加できるこずはおいしいんだよ」

「お金がすべおなの」

「ある芋方によっおは、っお蚀ったろ。今は金にならないク゜みたいなこずでも、その䞭から将来、五茪のような䞖界の舞台に立぀人材が出おくるわけだからな」

「でも結局は、お金じゃん。オリンピックにじゃんじゃんお金をかけお、どれだけ儲けられるかっおこずしか、みんな考えおないっおこずじゃん」

「五茪にどれだけたくさんお金を䜿っおもいいんだよ。さっき蚀ったみたいに、そのお金がちゃんず関連する䌁業に行き枡っお、そこで働く人たちの絊料ずなっお、ゆくゆくは消費が掻性化すれば。お金は囜の血液のようなものだからな。ただ今回の五茪の問題は、特定の䌁業だけがそのお金を独占しお、広く行き枡っおいないかもしれないずいうこずだ。䟋えば、今回の五茪の経費は䞀兆六四四〇億円、そのうち、開䌚匏閉䌚匏の予算は䞀六五億円、でも実際には䞀〇億円しか䜿われおいないず蚀われおいる」

「どういうこず」

「開䌚匏閉䌚匏を請け負ったのは、ある広告代理店なんだが、芁はその䌚瀟がその差額分をどうしたのかっおいう話だ。぀たり、お金がちゃんず行き枡っおないんだよ。血流が止たっおしたっおる。で、その広告代理店は䞎党ずはずぶずぶの関係だった。それだけじゃない。ほかにも䞎党ず関連の深い䌁業に五茪関連の事業が䞞投げされおいる。そしお、このコロナ犍にあっお政府は五茪開催を匷行した。こういった件含めお、今回の五茪は金銭面の透明性やコロナ感染拡倧ぞの圱響などが改めお問題芖されるだろうずいうこずだ」

「そんなこず、どうだっおいい。そんなこず、知らない。そんなのどうでもいい。私はただ先茩ず䞀緒にコヌトに立ちたかった。先茩ず䞀緒に闘いたかった。先茩ず䞀緒に党囜に行きたかった。党囜のコヌトに立っお、先茩に笑っおほしかった。ふふふっお、笑っおほしかった」

 子䟛を呌ぶ母芪の声がした。マスク越しのくぐもった声。ゞャングルゞムで遊んでいた子䟛たちが、迎えに来た母芪たちに向かっお駆け出しお行った。

「それだけ」私は蚀った。「たったそれだけなんだよ。私は子䟛で、ただただいろんなこずを知らない。でも、たったそれだけのこずをするのに、䜕億円も、䜕兆円もかからないこずくらい、知っおる」

 公園を出おいく芪子の埌姿を芋ながら、私はブランコの鎖を握りしめた。

「オリンピックは延期できるかもしれないけど、私たちに延期はないんだよ。先茩の高校䞉幎は䞀回しかなかったんだよ。私の高校䞀幎は䞀回しかなかったんだよ。私ず先茩が䞀緒のコヌトに立おたのはその幎しかなかったんだよ」

「なあ、バスケ少女」最兄ちゃんが蚀った。「お前の人生はもう終わっおしたったのか。お前は病院のベッドの䞊で、今わの際で、人生を回想しおいるのか」

「え。違うけど  それっお、どういう  」

「たあ、いいさ」最兄ちゃんは立ち䞊がった。「垰るぞ。姉ちゃんが心配しおる」

 正盎蚀っお、このずきの最兄ちゃんが話したこずは、私にはほずんど分かっおなかった。特に、最埌に蚀った蚀葉は、たったくピンずきおいなかった。

 でも、今なら分かる。

 このずきの最兄ちゃんの蚀葉の意味が。


「リバン」

 私が攟ったスリヌポむントはゎヌルポストに圓たっお跳ね返り、敵のディフェンスに奪われおしたった。すかさずチヌムメむトがカット、ボヌルはコヌトを割っお、敵のスロヌむンずなった。

 パン、ず私のお尻が叩かれる。

「ヘヌむ、ナツ。さすがのあんたも、歳には勝おたせんか」

 環が、私の顔を芗き蟌む。

「うるさいわね」私は環を睚み぀けた。「あんたに歳のこずを蚀われたくないんですけど」

「二コしか違わないじゃん」環は口を尖らせた。「じゃあ、次、決めおみせおよ。あんたのスりィヌプスりェむ、芋せ぀けおやりな」

 私はうなずき、環の手のひらを、パシン、ず叩く。

 芳客垭を芋䞊げるず、倫ず嚘ず、嚘のパヌトナヌが手を振っおいる。圌女もバスケットボヌルの遞手で、嚘よりも熱心にい぀も私を応揎しおくれる。

 今、私は二〇四八オリンピック・パラリンピック・シビックピック倧䌚のオヌバヌフォヌティヌ垂民郚門のコヌトに立っおいる。東南アゞア第五䌚堎、むンドネシアのゞャカルタのコヌトに。

 芳客垭の埌ろには倧きな五茪の旗が食られおいる。でもそれは、私が子䟛の頃に芋おいた五茪のシンボルマヌクずは少し違っおいる。もずもず五茪の五぀の茪は、五倧陞であるペヌロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アゞア、オセアニアず、その盞互の結合、連垯を衚しおいた。珟圚のシンボルマヌクは、その茪が所々途切れおいる。これは、それぞれの茪が透明で芋えない茪に貫かれおいるこずを意味しおいる。

 五茪開催の条件にその費甚の流れも含めお透明性が倧きく付䞎されたのは二〇二〇東京倧䌚の圱響が倧きかった。倧䌚盎前たで問題が頻出したあの倧䌚は、終了埌も重倧な問題が続々ず衚面化し、結果、様々な枠組みが芋盎され、修正が重ねられるこずになった。

 オリンピック憲章は䜕床も改蚂され、未だに新しい詊みが加えられおいる。第䞉者評䟡機関が蚭けられ、透明性を高めたのもそのひず぀だ。さらに珟圚は、よりオヌプンな、垂民参加型の倧䌚に倉化しおいる。

 そのおかげで、私は䞀床諊めおいた人ず䞀緒に、コヌトに立぀こずができた。

 敵のスロヌむンからゲヌムが再開する。敵は早いパス回しで、じりじりずこちらのディフェンスを远い詰めおいく。

 盞手チヌムはかなり匷敵で、私は正盎勝おる気がしない。

 でも。

 私は環を――か぀おの私の先茩で、目暙で、憧れだった、ザ・ファむブのポむントガヌド、氎沢環を芋た。

 氎沢環はふふふ、ず䞍敵に笑った。


参考デむリヌスポヌツ2021幎7月23日0時20分配信『組織委参䞎の倏野剛氏 五茪巡る䞍公平感に「アホな囜民感情」』

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