第三章 5話
「アルディス、魔術は使えないって言ったのに嘘つきだな」
ショーレンの隣で今まで見たこともない装置を目をまんまるにして見つめていたリューヤは、イファルディーナが宙に浮いたのを見て口を尖らせた。
魔力を使って車を浮かせたのだと、そう勘違いしたらしい。ショーレンは一瞬きょとんとリューヤを見やり、そして苦笑した。
「ああ。これは魔術じゃない。科学の産物ってやつさ」
「?? へええ、科学って魔術と同じようなことが出来るんだな」
リューヤは感心したように頷いた。ショーレンから科学という文明の存在を聞いてはいたけれど、じっさい目にするのは初めてなのだ。驚くのも無理はない。
「魔術も科学も、実際は同じようなものなんだよ。強いて分けるなら、普遍的なものか特殊なものかという違いがあるくらいだ」
「ふうん?」
理解できないふうのリューヤに、ショーレンはくすりと笑顔になる。
「人に確かな理解と証明を与えることが出来るモノが科学。不確かで説明や立証ができないモノを魔術と言うのさ」
さっきリューヤはイファルディーナの浮上を魔術だと思った。しかし実際は魔術などではなく、科学派の研究の成果なのだ。その仕組みさえ分かってしまえば、誰もそれが不可思議なことだとは思わなくなる。
「だから……そうだな。例えば『転移』だ。人が瞬時に空間をわたって別の場所に移動するこの術の仕組みを解明し、証拠付けての説明が可能になり再現することができたとするだろう? そうするとその魔術は『魔術』ではなく『科学』になるんだ。科学になったその術は、いろいろな道具として人に使われることになる。まあ、簡単に言えば、特定の人間にしか使えなかった魔術を、易しく簡略化して誰でも扱えるような一般的な物にしたのが科学というとこかな」
「うーん。じゃあ『科学』は解明された『魔術』ってことなのか?」
わかったような、わからないような表情でリューヤは首をかしげる。
「そんなとこだ。だから科学がつくったものは誰にでも扱うことが出来る。魔術はその定理を理解したものにしか扱えない。そして……」
ふと、ショーレンの表情が真剣さを帯びた。
「魔術はそれを扱う人間の能力に負うところが大きいから、その魔導士の存在自体が脅威となる危険性もある。科学の産物なら脅威となった物は破棄すればいい。だけど、人はそうはいかないからな」
まるで何かを示唆するようにショーレンは言った。
表面的にはショーレンの態度や表情に何ら変わりはなかったけれど、それがイディアの事をさしているのだとリューヤにはすぐに分かった。
ショーレンはレミュールの人間ではただ一人、アルファーダの人々やイディアと親しく接した人間だ。イディアがアルファーダに生きる者たちにとってどのような存在なのか。リューヤに聞いたり、自分の目で見て知っている。
そのイディアがレミュールに月を落とすということに、ショーレンの気持ちは他の人間よりも複雑だったに違いない。
「イディア様は脅威じゃないもん……」
リューヤは軽く下を向き、上目遣いにショーレンを見やる。その拗ねたような反論に表情を和ませると、ショーレンはリューヤの額を軽く小突いた。
「分かってるさ。だから迎えに行くんだろ? で、リューヤ。流月はどっちの方向だ?」
「……あっち」
リューヤはふてくされたまま、太陽がある方角を示す。アスカは、何かに気が付いたようにぽんと手を打った。『地球の自転は流月の塔の真上に太陽が差し掛かった時に止まった』と、ロナがそう言っていたことを思い出したのだ。
「なんだ、太陽を目指して行けば良かったんだな。D・Eでは太陽の位置が変わらないということを忘れてたよ」
アスカがそう言うと皆、あっという顔になる。
つい、自分達の住むレミュールと同じように『太陽』の位置は一定でないと思い込み、ロナのその言葉を忘れていたのだ。
「……そうだよね。大間抜けだわ」
ルフィアは自分自身に呆れたように、溜息をついた。流月の塔を探すことなど、簡単なことだったのだ。
「そんなこと気にするなよ。アルファーダはだいぶレミュールとは環境が違うから、仕方ないさ」
ショーレンは軽く笑いながら言うと、流月の塔があるという太陽の真下に向けてイファルディーナを発進させる。
「ショーレンさん、まるで地元の人みたい」
セファレットはくすくす笑った。
「まあ、な。しばらくここの人たちと一緒に住んでいたわけだから、いろいろと把握もできるさ」
ショーレンはリューヤの顔をチラリと見て、そう呟く。
言葉にこそしなかったけれど、アルファーダはまるで誰かにつくられた箱庭のようだと、ショーレンはずっとそう思っていた。
あまりにも穏やかな生。そして人々をつつむ優しすぎる自然たちが、逆に不自然に思えてならなかった。
「えー、たった一週間だよ?」
リューヤは不思議そうに首を傾けた。一週間やそこらで把握できるほど、アルファーダは狭くはないぞと、その眼差しが語っている。
「おまえに付き合って結構いろんな場所に行ったからな。少しはこっちの事情にも通じるというものさ」
本心を言うわけにもいかず、ショーレンは軽く笑った。
「……事情など、知らない方がいいこともある」
少し離れた場所からそんなやり取りを眺めていたティアレイルは、ぽつりと独りごちた。
昨夜見たイディアの過去が、心の深くに刻みこまれて離れない。悪いのはイディアではない。自分達レミュールの人間なのだ ―― 。
真実を知った今、流月の塔でイディアに会ったら自分はどう行動するのだろうか。カイルシアが言ったとおり彼を止めるのだろうか? それとも ―― 。
「ティアレイルさん、顔色悪いね。大丈夫?」
不意に声を掛けられ、ティアレイルは顔を上げる。いつの間にか、リューヤが隣で心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。
「あそこ仮眠スペースだって、さっきアルディス言ってたよ」
イファルディーナの後方に仕切られたスペースの一つを指しながら、いざなうようにティアレイルをの服の裾を掴む。
イディアに似ているからなのか、リューヤはティアレイルだけは『さん』付けで呼んだ。他の人には遠慮なく呼び捨てにしているのを聞いていたので、それが可笑しくてティアレイルはくすりと笑った。
「平気だよ。それよりリューヤくんが眠った方がいいのではないかな。昨夜は眠っていないのだろう? 目の下にくまができてる。そんな顔でイディア様に会ったら心配されてしまうよ」
ティアレイルは優しい表情を浮かべ、リューヤの頭を軽く撫でる。自分でも不思議なくらい、それは自然に出た言動だった。
「……やっぱり、ティアレイルさんってイディア様と似てるね」
思わず涙ぐんでしまったリューヤは慌ててぐしぐし目をこする。
「ね、眠くなったから寝るねっ。イディア様には心配かけたくないからな」
そう言うと、リューヤは逃げ出すように仮眠スペースに飛び込んだ。泣きそうな顔を見られて、恥ずかしくなったのかもしれない。
「不思議な子だな。他のアルファーダの人とは少し、持っている感覚が違う気がする」
何故かリューヤに『イディアに似ている』と言われても、苛立ちを感じない。トリイの町で出会った小夜や左京とは違って、リューヤが純粋な感想を述べているに過ぎないからなのだろうか。
ティアレイルは何かを考えるように、窓の外に瞳を向けた。
「 ―― !?」
一瞬、荒野にたくさんの人や動物が倒れている姿が見えた気がした。何の外傷も見当たらず、ただただ『生命』だけが奪われた抜殻のような……。
それは ―― 大地の記憶だったのかもしれない。慌ててもう一度見ると、そこにはもう、何もない枯れ果てた大地が今までどおり広がっているだけだった。
「どうして、アルファーダに『
不意に頭をもたげた疑問。あのカイルシアの『閃光』を受けて、この西側世界の生命は、すべて滅びたはずではなかったか?
自然が少しずつ元に戻っていくのなら分かる。大自然には、人間の想像を遥かに超えた逞しい再生能力がある。
しかし、自然すらほとんど再生していないこの場所に、どうして再び人や動物が存在しているのか……。それがティアレイルには不思議だった。
レミュール側からは完全に封鎖され、多くの生命が流れ着くとは思えない。それに、左京たちが示したとおり彼らはレミュールの人間を忌避している。
そのことでも、レミュールから流れ着いた人々ではないことは明らかだった。
荒れ果てたアルファーダの大地。奇妙な動物たち。豊かな樹木に包まれた町々。それらのすべてが、どこか不自然だとティアレイルは思う。
そういえばショーレンはここを童話の世界のようだと言っていた。自然ではなく人の手で造られた箱庭のようだと ―― 。
もしかしたら、アルファーダは本当に誰かの手によって造られた『虚構』の世界なのかもしれない。
誰の? ―― イディアの ―― 。
そうなれば、つじつまは合ってくる。いるはずのない『生命』も虚構ならばいくらでも創れるというものだ。
「やはり自転停止の時からずっと、ここは『死の大地』なのか……?」
ティアレイルはやりきれないというように頭を振った。
己が抱え込んだ問題の大きさに押し潰されないように。彼はゆうるりと天高く広がる青い空を眺め、深く長い息を吐き出した。
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